数学教師の書斎

自分が一番落ち着く時間、それは書斎の椅子に座って、机に向かう一時です。

岩波応用数学講座

2020-08-17 14:28:07 | 数学 教育
 岩波応用数学講座が発刊されたのは、1990年代の前半だったと思います。私が、工学部の数学系の学科の出身であったので、すぐに予約をした覚えがあります。そのシリーズの中で、最初に読んだのが、上野先生の写真の右の代数幾何
です。この本を補充してまとめられたのが、左の本です。代数幾何も少しはかじっておきたい気持ちから手に取ったのですが、結構応用的なことも書いてあって、興味が湧いてきた本でした。その後、上野先生とお話しする中で、この本のことをお話ししたら、誤植が多い本なんですよと言われましたが、以前にも旺文社の教科書で誤植が多かったことを書きましたが、誤植が多くても訂正しながら読んでいけばいいので、本の良し悪しとは基本的に関係ないと思っています。そんな岩波の応用数学講座ですが、その中で、どうしても忘れられない本があります。


5巻のうちの1分冊で「計算代数と計算幾何」です。おそらく名前から同じ分冊に収められてはいますが、全く別分野で、私が興味を持ったのが、「計算代数」です。今では、Computer Algebraと言われている分野です。当時、グレブナ基底に興味を持って、和書で、書かれているのはこの本だけしかない状況でした。この分冊の前半60ページが「計算代数」ですが、とにかく内容の濃い記述で、練習問題も含めて最先端まで効率よくまとめられていて、著者の佐々木先生の凄さを初めて実感しました。この本がきっかけでもう少し本格的にグレブナ基底を勉強したいと思い、筑波大学の佐々木先生の研究室の門を叩くことになります。2年ほど研究室で勉強させていただき、最後に、先生のサインをこの本に書いていただきました。
当時佐々木研究室にいた大学院生たちもその後、神戸大学や、筑波大学等でこの分野の研究者として頑張っておられます。さらには、私の教え子が今、筑波で教員として物理の研究に従事していることも何かの縁を感じます。

 もう20年ほど前のことになりますが、今でも、数学に興味を持っていられるのは、この2年間の経験があったからかもしれません。先生はマラソンが趣味で、学生ともサシで勝負されていて、フルマラソンで負けたら頭を丸めるという約束で陸上部の選手と一緒に走られたこともありました。頭を丸めたのは、選手の方でした。当時50歳前後でしたが、2時間40分前後で走られていました。そのマラソン体験も含めて先生からは、その姿勢というか、背中からいろいろな言葉とアドバイスをもらったような気がしています。その後、高校現場に戻って、間もない頃、京大の数理研の研究発表の帰りに、高校で講演をしていただいたことがありましたが、気さくで高校生にも分かりやすい話をしていただき、私の中では、恩師と呼べる先生です。そういう意味では、以前に書いた、「私の先生」に関してのブログの自分自身の先生はこの佐々木先生かもしれません。

 当時は先生の講義にも出席して、大学3年生の講義では、大学生と一緒に試験も受けたりしましたが、先生の試験は、120点満点の試験で、100点を超えることもある試験で、そこにボーナス問題が入っていて、学生への叱咤激励とも言えるそんな試験でした。なんとか100点越えをとって、先生に恥をかかせなくてホッとした記憶があります。
 また、先生の講義からその後の自分に最も影響を受けたのが、講義をするとき、チョーック1本で行うというスタイルです。先生は、大学のとき、物理学科で、有名な内山龍雄教授の講義を受けた際に、チョーク1本で講義をする内山龍雄教授に影響を受けたと言われていました。ゼミ等でもそうですが、本当に理解していれば、何も見ずに説明はできるので、その一つの指標として、チョーク1本で講義するというのは理解できます。私もその後、高校現場に戻って、チョーク1本で授業できるようになったのは、この経験の後でしたが、このことで、教員としての数学を学ぶことの姿勢を一段高められた気がしています。

 佐々木先生には、先生の退官の際の最終講義に行かせていただき、末席から先生の講義を懐かしく聞かせていただきました。先生も気が付かれていたようで、遠くから来てもらってる人もいると、講義中に言われ、恐縮した次第です。長い研究者生活の中で、当時の先生の専門の話を中心にスライドにまとめられて、それを拝見するだけでも筑波に来た価値があると思ったものです。そのスライドの枚数が108枚で、人間の煩悩の数ですという先生の締めの言葉でした。

大学の微積分の教科書から

2020-08-17 12:09:15 | 数学 教育
 受験生を教えていると、高校と大学の接続という視点から、各大学で1年時にどういう教科書が使われているかを教え子から聞いたりして、大学の1年時の数学教育に関心を持ってきました。

 それらを聞くにつけて、各大学での取り組みや先生方の思いやその指導方法などを参考にして、それが必要な学生を高校時代や予備校で教えてきた自らの反省や課題をそこに見出すことも多くあります。

 私が大学生の頃にあった教科書を使われていたり、教科書を使わずに、自らの講義ノートを作りながらの講義であったり様々です。

 今から、数年前、現行の学習指導要領が改訂された際、ある私立大学の数学教育に携われている先生方と高校現場の数学物理の先生方の有志で、高大接続の数学教育に関して、その大学で意見交換をしたことがありました。その際、新学習指導要領から高校では行列を学ばなくなったことで、大学での線形代数の教育に関しても大きな問題だという認識で一致しました。もっと大学と高校現場での数学教育に関する情報交換があてもいいのではないかと、常に思っています。

 そんなことも含めて、高大接続という視点から大学の初年度の数学教育に興味を持ちながら、微積分等の教科書なども目を通すことが多いのですが、昨年、数研出版から以下のような本が出版されました。
数研出版が大学の数学の本を出版したのにまず驚きました。昔と違って、最近は学生に寄り添った、わかりやすく、試験対策も考慮したような、微積分の本が多く書店の棚には並べられてあり、私の学生時代にもこんな親切な本があればと、正直な気持ちを抱いていました。そんな自分でも、この数研出版の本には少なからず驚きました。高校までの参考書などを発刊する出版社が大学の数学書を発刊することはこれまでもあまりなかっように記憶しています。唯一、私が思い出せれるのが、以前にも書きましたが、「数学精義」の培風館くらいかと。培風館は主体は大学の数学書でして、例外的に「数学精義」という高校の数学の参考書を発刊したものの、今はその高校の参考書も絶版です。

上の写真の右側は、微積分の本で、東工大の加藤文元教授によるものですが、左はその演習書ということで、右の本の練習問題等の解答を集めたもので、高校の「チャート」のイメージとしては、左の演習書になります。右は本格的な微積分の教科書です。高校時代に多くの受験生が利用して、多くの高校では生徒に一括購入させている参考書(チャート)を意識した微積分の教科書という点で、ある意味画期的でもあり、現実的な対応を考えた本であると思います。特に左の演習書は数研出版の編集部が高校のチャートを意識して、解答を作ったり、レイアウトなども意識的に行っていて、加藤教授はあくまでも監修者という立場のようです。一方、右の本は、普通の大学の本格的な微積分の教科書ですが、高校生が使ってきたチャートを考慮してページのレイアウトなども工夫がされています。また、内容的にも決してレベルは低くなく、工夫が凝らされているように思います。

 特に一様連続や区分求積法など丁寧に書かれていて、読み手に親切な印象を受けます。発売以来、かなり売れているようで、版を重ねていて、最近の数学書のベストセラーではないでしょうか。

 著者の加藤文元氏は現在東工大の教授をされていますが、すごく教育的な視点からこの教科書を書かれているような印象を受けました。加藤先生の著書では最初に読んだのが、

です。当時まだ40歳手前の新進気鋭の数学者が、この手の本を書くことが少なかったので、珍しいと思いつつも、その内容にも惹きつけられるものがあり、友人の同じ高校の数学教員も読んでいました。また、氏の本では、訳書で以下のような本もあります。


その後、以下のような新書を書かれていますが、他にも京大の数理解析研究所の望月教授のABC理論に関する解説書も書かれています。
教養的な数学の本や数学史に関する本は、昔は年配の数学者が書かれていたものですが、そのイメージを打ち破るような加藤先生の本は内容的にも書き方にも斬新さが伺えます。写真の右の本は、最初の「数学する精神」の増補版となっています。

 以前、上野先生からも伺ったことがありますが、数学史は普通は数学者が本格的にコミットすることは少なかったようですが、上野先生も少し江戸時代の数学史を調べていくうちに、それまで書かれていた和算のことで、杜撰なことが多くあることがわかってきたと言われていましたが、数学者も積極的に数学史や数学教育に積極的にコミットしていただくことで、数学教育の問題点もさらに浮き彫りになると考えられます。
 
 現状の高校数学では、「データの分析」が必須になっていますが、この内容は数学ではなく、「情報」に移管して、「行列」を再度高校数学に入れることなどなんとかならないかと思っているのは、私だけではないと思います。今一度、現場の数学者や高校の数学教員の意見を交換したりできる場がないかと今の数学の学習指導要領を見るにつけて、そして、それに依存した教科書の数学的な体系のなさに寂しさを覚える毎日です。