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【京都散歩4】 吉野大夫

2024-03-26 16:14:34 | 京都散歩

稀代の名妓、吉野大夫の墓を訪ねてみました。
毎年、四月の第二日曜日に行われる吉野大夫花供養の舞台でもあります。
平日で客もおらず貸し切りで撮影できました。
吉野をご存じの方は、どうぞ彼女にたっぷり感傷しご覧ください。
ご存じない方は、以下をお読みになってからどうぞ。

↓常照寺(吉野大夫の墓)
クライマックスの墓へ向かうルートはタイムカウント 12:20 からです。
動画中に若干の解説を入れました。
吉野大夫の本名は松田徳子、西国の武士の娘です。墓はここ北区鷹峰の寂光山・常照寺にあります。
14歳で二代目吉野大夫を襲名し、あらゆる芸に秀で、御所に上がれる唯一の妓女として天下随一の美貌と才覚を有していました。

当時、客は大夫が選ぶ時代でした。
お大臣さまがどれだけ金子を積もうと、席に揚げるかどうかは大夫が決めます。今でいうサロンに似て、大夫が主催するサロンに招かれる客は文芸一流の証とされていました。

吉野大夫の名声は遠く明国(中国)まで馳せ、皇帝が句まで詠むに至ります。
京では、吉野の身請け話が盛り上がっており、天皇の息子で名門貴族・近衛家の当主である近衛信尋と、京都の豪商・灰屋紹益との間で激しく争われます。
この身請け合戦は紹益が勝ちますが、公家である近衛家の圧力も強く、吉野は駆け落ち同然で紹益の妻となります。

豪華絢爛、誰もがうらやむ大夫の座を捨てた吉野は、紹益を愛し支え、質素な生活に努めてゆきます。

12年後、吉野は38歳で病没。
悲嘆の紹益は、吉野の遺骨を前に毎夜その遺灰を酒盃に入れ飲み続けたと云われています。

吉野が居た旧花街の島原(六条三筋町)には、今でも揚屋が残されています。
島原七人衆の筆頭として圧倒的な人気を誇った吉野、当時の面影を探しあるって見ました。

↓花街の入り口、島原大門


↓揚屋(右が有名な角屋)


この寛永の時代、三大名妓といわれたのが、二代目吉野大夫(京都)、二代目高尾大夫(吉原)、夕霧大夫(大阪)です。
中でも吉野大夫は別格で、妓女文化の基礎的な存在。現在全国各地で開催されている花魁道中で鑑賞客から「よしの~」の声が上がるのは鉄板の習慣になっています。

高尾大夫については別記事に起こしてありますのでご興味ある方はどうぞご覧ください。

まもなく四月の第二日曜日、常照寺は吉野大夫花供養の日を迎えます。
動画にある吉野門では大夫道中が行われ、庭では大夫によるお茶会、本堂では献上儀式、墓前では供養が厳粛にとり行われます。
若いころ見たその道中は、吉野大夫に扮した島原芸妓の俗世を刺すような一点を見つめる不動の目、その視線は限りなく深く、麗しく、、花の覚悟を見事に再現していました。
全国でいろんなイベント道中を見てますが、全てエンタメ。ここが本家本元、本物の道中のように思います。

来月いっちゃおーかなあ・・
吉野、、いつまでもこの世の花であれ。

あ、関係ないけど、
ポンス・ブルックス彗星が見ごろになってきました。
雨天が続くので、一回撮っておこうとほぼ満月に邪魔されながら250mmで撮ってみました。光度:5等級。大気の月光乱反射でイオンテイルが台無し。
海外の好条件場所ではこんな顔を見せています↓

4月初旬にかけて4等級前後まで増光の見込みで、肉眼でもギリ見えそうです。
日没後から20時くらいまで西北西の空に現れます。高度は15度以下。
おすすめは4月10日、19:30、高度8度、光度を上げた彗星が新月(月齢1.4)とほぼ重なり、20時には地平線に沈みます。
両者は視野角的に3度ほど離れますが、標準から望遠レンズまで問題なく画角に入ります。新月でリング状に浮く月の隣に彗星が位置します。大変レアなこの共演を是非。

(^^)/


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