龍神村に生まれて

僕は和歌山県龍神村に生まれ、13歳まで龍神村で育った。大人になって、龍神村について何も知らないことに気がついた。

生家

2008-10-21 14:04:56 | Weblog
僕の生まれた家は、まだ龍神村福井の坊垣内という場所にある。
今はお母ちゃんの3番目の妹家族が住んでいる。

お母ちゃんの3番目の妹も他界しているので、今は御主人と子供のまゆが住んでいる。
まゆは、僕が去年龍神に行ったときに“高野山へ行った方がええでぇ”とすすめてくれたいとこである。


生家は赤い瓦屋根だった。
間取りは今で言う5LDKだった。
でも5部屋は広いし、LもDもKも広かった。

中央には、玄関から広めのローカが伸び奥でT字状の廊下になっていた。
子供の頃はこのローカにろうそくを塗って滑って遊んだりした。

ローカの右側には広い部屋が2つあって、間のふすまをはずすと、広々とした部屋になる。
かつて、一時的にこの場所が教会になっていたというのもうなずける。

今はもう無くなったが、昔の生家には“応接室”があった。
おじいちゃんの頃は、完全に応接専用の部屋だったようだ。
僕が小学生の頃は、おとうちゃんの“マージャン部屋”専門になっていた。
入ると煙草の匂いがすごかった。
他に蔵や物置の建物があった。
物置の建物は2つあり、かつておかあちゃん側のおばあちゃんが住んでいて、豆腐を作っていた時期もあった。

入口は勝手口と玄関があった。
実は奥の部屋からもはいれたし、裏の廊下からも入れた。
子供には、いっぱい入口があった。

道路(今は国道425号)から見ると、ツタの絡まる壁が左に10m、右に10mあり、中央に車が登れる広い坂になった通路があり、坂を上がると庭になっていた。


昭和36年頃 おばあちゃん(おとうちゃんのおかあちゃん)と生家の入口の坂道にて
(奥の白い壁が応接室の一部)




昭和38年頃玄関前で 松本三兄弟(よく見ると後ろにもりふみ君)


生家の表は庭になっていた。
裏は一段高くなって畑があった。
生家の周りには田んぼもいくつもある。

ほとんど自給自足だった。
今では自給自足は難しいかもしれないが、もしかしたら人間の本来の姿なのかもしれない。

食に対する不安もないことだろう。


子供にはそんなことは関係なく、田んぼも畑も遊び場だった。







そんな生家がまだあるんだよ! 龍神村!








 






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