龍神村に生まれて

僕は和歌山県龍神村に生まれ、13歳まで龍神村で育った。大人になって、龍神村について何も知らないことに気がついた。

もう一つの教会

2008-09-17 19:15:40 | Weblog
もう一つの教会は35年ほど前に無くなった。
過疎化によって住民が少なくなり、その役割を終えたのだろう。
ほとんどの記録からも無くなってきている。


僕が生まれたのは龍神村の福井地区。(現在は和歌山県田辺市龍神村福井)
隣接するのは北の「甲斐ノ川」地区と東の「柳瀬」地区。

カトリック龍神教会は柳瀬にある。
もう一つの教会は福井にあった。

昭和30年代は多くの人で賑わっていた。
おかあちゃんが狭い部屋の中に入って、懺悔をしているのを覚えている。
いったい何を懺悔していたのだろう。
おかあちゃんは、29年前に死んだ。
まだ45歳だったが、最後までロザリオを持っていた。
ロザリオは五木ひろしのレコードとともに、お棺に入れられた。


もう一つの教会は、僕の家から西に5分歩いて福井小学校を過ぎて少し行った右側にあった。
大きな滑り台が特徴的だった。
正面にマリア様が立っていた。
入口は右側だった。
中に入ると、教会独特の“別世界のにおい”がした。



日曜日だったと思う。
昭和30年代の終わり頃に、そこで英語を学んだ。
学んだといっても・・・「ドッグ」「キャット」レベルだったのを覚えている。

昔の写真を見ると、教会の中いっぱいに人が集まって“ビンゴゲーム”をしている場面があった。
神父さんも一緒に写っていた。

この頃の福井カトリック教会は、住民の集まる社交場のようだった。
今でいえば公民館のような役割があったような印象がある。

子供が集まる福井カトリック教会(神父さんもいる)


僕は最前列右端

 

もちろんミサもあった。
小さい時は“ゴミサ”と呼んでいたように思う・・・“御ミサ”なのか???

この教会でも、学校とは別に学芸会のようなものをした覚えがある。

はちまきをして踊っている写真が残っている。
モリフミ君、ヒロシ君、クミコさん・・・福井小学校の同級生と一緒に写っていた。

証拠写真



モリフミ君は一番近くに住んでいた男子で、クミコさんは一番近くに住んでいた女子だった。

教会の西にはミホさん、東にはシズヨさんという同級生が住んでいた。
シズヨさんは人気者だった。


・・・教会の話から外れたな。


福井カトリック教会の前には、それはそれは綺麗な日高川が流れていた。
夏には毎日そこで泳いだ。
みんなはその泳ぐ場所を「カトリック前」と呼んでいた。

「今年泳ぐのはカトリック前やで。」

他にもスイミング・ポイントがあり毎年場所が変わっていた。

カトリック前、こぶけ、うしぶち。

この三つの中で変わっていたが、カトリック前が一番人気があった。
そこには川底に大きな岩があり、それに乗って流れに流されないように遊ぶのが面白かった。
深さは2mくらいだったと思う。


昭和30年代に大賑わいだった福井教会も、だんだん信者が減っていき、今の龍神教会と統合されていったんだろうな・・・と今になって初めて感じた。

もしかしたら、福井教会にも保育園があったのかもしれない。
その記憶は全くないけど・・・。


教会の話はいったん終わり。
1995年ごろ非常に不思議な出会いがあり、その話を書くときにまた教会が登場するでしょう。
1995年頃、引っ越した先の埼玉で、“オーエン”というアイルランド人と会うことになるのだが・・・・・この先はあとのお楽しみ。




僕の家から福井教会に行く中間に僕の通った福井小学校があった。

次回からは福井小学校(去年の夏に知ったが、今は咲楽小学校サクラショウガッコウ という。)について記憶をたどってみたい。


福井カトリック教会
(なる坊、けい坊、しょう坊ら)


僕の2学年したの連中 僕は写ってない。




待っとれよ! 龍神村!

最新の画像もっと見る

コメントを投稿