母は心の中で生きてる

母が難病(原発性アミロイドーシス)と診断を受け、母の性格を考え告知せず、母の生との別れの後の家族の生活

10月9日 続き

2006年10月09日 20時27分57秒 | Weblog
11時頃には病室に到着。
心配していたが(昨日が悪かったから)、全く体調が違う。
昨日の記憶は殆ど無い状態。うっすら覚えているらしいが、かなり記憶は飛び飛び。
昼食は3分の1程度食べた。
夕方の血圧は100を超え、利尿剤の点滴をした。
尿は管を入れているので、量は分かる(夕方4時半で800ML)
普通に話ししたり、冗談言えたり、これが続けば良いのだが・・・・。
睡眠薬のせいに 今回は出来たが、私は睡眠薬の副作用だとは思えないのだ。
副作用だとしたら、せいぜい残っても午後、夜に持ち越す事って少ないと思うし。

夕方4時半・父到着。
子供達は義母の所なので、父と交代。
父はさっき帰ってきた(8:20)

昨日みたいな状態ってこの先もあるんだよね~。
義母も言ってたけど、今までもいろんな波があったからね~。
それでも良いと思う。今日みたいに話しが出来る・笑える・冗談が言える 事が出来るんだもん。

他の人のブログ見たら、同じ病気でその人も昨日記憶が飛んでいる って書いてあった。
発症が似た時期なのかなぁ? でもその人治療してるし・・・。



10月9日 入院17日目

2006年10月09日 09時49分20秒 | Weblog
昨日の続き・・・・
 
 午後病室に行くと、母は寝てた。
母は【睡眠薬が残っちゃって・・・】と言う。
かなり眠そうで、殆ど目は開かず。
薬の副作用にしては 変だな と思ったが、かなり体力は無いので、その可能性も無い事もない。  と思い、一旦部屋を出て、夕方病室に来る事にした。

夕方4時半 病室に行くと、母は立ちトイレの様子。
だが、子供が寝ぼけている状態で、フラフラ&意識朦朧としている。
言っている事と身体が動く方向が違う。
極度のふらつき・と言うだけあり、完全に支えないと歩ける・立てる状態ではない。
支えているので、ナースコールも私が出来ない・
隣の患者にナースコールを頼んだが、看護婦さんが来た時には、用事は済んだ。
看護婦さんに相談し、血圧も100を超えたので、利尿剤点滴をするので、道尿する事にした。

時々変な会話をする。
母【今何時?】
私【夕方の6時だよ】
母少し目を閉じ・・・5分か3分
 【12時かぁ~】

とか

母 急に大きく目を見開いて
 【こんな事してられない】

とか
母 【人間こぅやって死んでくんだね~、ママ・・もぅ頑張れないよ】
と言うのだ。

会話が成立する時もあるが、成立しない時もある。

10月9日 朝の様子(父のメールにて)

【前の日より数段良化
朝ご飯は
夢ご飯 50%のと味噌汁
イワシの缶詰 2コ
血圧 103~
体温 36.?゜
カレンダーが欲しい!
食べたい物は先生に聞いみるって。
取りあえず[茶色のさつま芋]の和菓子をよろしく】
とメールが来た。

ホントに波がある。
昨夜の調子だと、このまま昏睡状態になる様な気配だったからだ。
夜中に呼ばれる 事もある と思ってたし。

茶色のサツマイモ ってのは、パパが福島の大黒屋から買ってきた物だ。
妹には、明日来て貰うので、いつでもに泊まれる様に荷物をまとめるよう伝えた。
往復で2時間掛かるからね~。ちょっと荷物取りに行ってくる って訳にいかないし。

この連休ではゴチャゴチャ
何故って・・・男2人・子供2人は片づけ無いし
お菓子のカスまで散乱
掃除を終わらせ、一段落した所だ。
今日も強風、パパは福島に戻ったが、この風じゃぁ~クレーンは動けないからきっと待機だね。
洗濯物も 風ですぐ乾くだろぅから、11時頃に病院に向かう予定。
子供達は 義母の家に預けます。

医師とも話しがあるだろぅ・・・生命維持装置とか。
蘇生措置って、交通事故みたいに、すれば元気になる可能性があるのならやって貰いたい。
だが、ただ辛いだけならば、現状維持がずっと出来るならやって貰いたいが。
スイッチだって、家族が決断して切る 事になる。
絶対そんなの出来る訳無い。これさえ動いていれば生きている って思ったら 機械に頼ってしまう。 母はそんなこと望んでいなかっただろぅし。
苦渋の選択だが、私は、生命維持装置は付ける事はしない。
辛く感じず、痛みも無く、穏やかに過ごせる事が一番。