母は心の中で生きてる

母が難病(原発性アミロイドーシス)と診断を受け、母の性格を考え告知せず、母の生との別れの後の家族の生活

10月1日 入院8日目

2006年10月01日 21時17分48秒 | Weblog
今日は 朝はいたけど、いつ降り出しても良いような妖しげな空。

パパと子供達と一緒に 早お昼を食べ、病院に向かう。

血圧は上がらず、昨日・今日と体調が優れないと言う。
血圧の上が96等 100無い状態。
血圧を上げる薬は効果が無くなってきてしまったのかなぁ?(推測)
今朝5時頃 吐き気がしたので、朝食と昼食は食べてないと言う。
氷が食べたい と言うので、看護婦さんから 氷を3つ程貰い、ガリガリかじっていた。

利尿剤は増え(粒)、朝2粒(昨日迄1錠・入院前は半錠)・昼1錠・夜1錠(今まで同様)

医師の話を今日聞いた訳ではないが、木曜の医師の話を考えると、
血圧が有る程度安定する か 利尿 の状態で 急遽透析を開始する事も考えられる。

あらゆるコードや点滴チューブがあるので、母は眠れない と言う。
多分 それは口実・・・・。
家に居るときから、ずっと 眠れない と言うのは聞いていた。
夕方、母が眠そうだったので、聞くと、ゆっくり【うん…】と言う。
瞬きも感覚的に眠そうな・・・と言うか、眠りに入れそうな気配だったので、
一旦引き上げる事にした。
その間、ホントに寝ていたかはわからない。
私は パパを呼び(パパと子供達は先に帰った)、明日の学校の支度や、子供のケアにあたる。
この半年間、子供は子供なりに解釈はしていたと思う、我慢もしたと思う。

病室に戻って 覗いたのだが、外の方を向いているので、寝ているのか全くわからない。
もし寝ていたら・・・ と思うと母の所まで行っては 睡眠妨害だ

悩んだが、そのまま帰る事にした。

義母の所に行き、かなりお世話になっているので、ご挨拶。

また明け方 パパは福島の現場に戻る。
Myで戻るのだ。
ほんと、交通に不便な所で…………駅まで1時間掛かるらしい
と言うよりも、広い敷地が無いと 40本以上の風力発電は立たないもんね~。

早く血圧が安定すれば 身体も楽になるんだろぅけど・・・。
内臓的には かなり衰弱している。
病気発覚時点で 1つの腎臓は機能せず・肝臓も腫れ・心臓にも付着があった。
あれから 今回の入院は丁度半年だ。
大学病院で告げられたのは 余命半年から1年。
誰でも思う事だと思うが、最大は完全に治して欲しい と言う願いはある。
だが、それがムリなら、家に居られる程度迄どぅにか回復して貰いたい。
それがムリと言うならば、病院に居ても良いから生きていて欲しい。

人工透析するには 腕に外科的手術が行われる。
外科手術に関して、まだ話が終わってないので、順序のある透析は今週前半には無さそうだ。
利尿の程度によっては緊急の透析は有る。
緊急の透析となると、太い血管を使うので、首や大腿部を使うと聞いた。
専門知識が無いから 何とも言えないが、首になんてそんな手術をしたら、生還出来るのか??

もぅ母の身体の事は 医師に任せる事しか無い。
決して 医師に疑いや信用性が無い って訳じゃない。
ただ・・どっちに転んでも 母は辛いのだ(尿毒症・人工透析)
少しでも楽になるように、血圧が上がることを期待するしかない

母の側にずっと居たい気持ちはあるのだが、平日はかなり難しい。
子供達はかなりの情緒不安定、義母に預けたが、御飯を食べないのだ。
子供が学校に行き、そのまま病院に向かっても、道が混み合い、駐車場は長蛇の列で
病室に到着するのはかなり遅くなる。
毎日、仕事に行き 日々メンテナンスだけをこなし、申し送りをし、11時頃病室に着くが、
下校時間が2時の日は 殆ど居られないので、妹に頼んである。
月曜と火曜は 下校が早いので、妹に依頼。
私は水曜から日曜に行っている。
行っていると言っても、2時迄しか居ることは出来ない

今日は体調、血圧も100無し、浮腫はある、未だ腹水有り、目のぼやけ、手のしびれ、睡眠障害、口の味がする。

夕食は食べられたのかはわからない(覗いたら外向いていたから逢わずに帰った)
明日は少しでも食べられることが出来れば良いのだが、テレビを見たいって気持ちも無く、逆にテレビを拒否する。 ミカンの匂いを嗅ぎたい と言うので、ミカンは持参した。
ミカンの皮を剥き、ビニールに入れ(皮ごと)ビニールに穴をちょっと開けた。
手が不自由なので どぅしてもそぅするしか無いのだ。

ここ数日 母のリクエストで 小さめおにぎり(回転寿司の握り程度)とカステラを持って行っていたが、明日は要らない と言う。食べ物を見ることも・匂いも拒むのだ。

明日は何かリクエストが有ると良いんだけどな~。


9月30日 入院7日目

2006年10月01日 09時57分18秒 | Weblog
母は 血圧が安定せず、昨日まで少し体調が良かった と言うが、30日は目の見え方が悪いと言う。
やはり血圧のせいか・・・血圧が下がり気味なのだ。
100にならず、88や92等なのだ。

利尿剤を1錠(今までは半錠だった)にした。
1日で3リットルの お小水が出た と看護婦さんから聞いた。
だが、水分制限はあるので、当然3リットルも飲んでない。
飲んでいると思う量は 1リットル程度だ。

人工透析には 外科的手術(腕等に管??を繋ぐ)を局部麻酔で行うらしいが、
外科の説明はまだなので、もぅ少し後なのかなぁ?
土日は先生も少ないし、まさか月曜に医師に呼ばれて月曜に外科手術をすることは無いと思うし。
・・・あくまでもそれは 私の予想であって;^_^)

午後から 横浜の叔父が(母の弟)来てくれた。
40分位話したかなぁ~。
母は話しの途中に 【疲れた】 と横になった。

これで母の兄妹は全て母に会う事が出来た。

母は 父の兄妹を嫌う。 それは私も同じ事だ。
それまでには 色々な嫁姑がらみから、兄妹の確執がある。
簡単に言えば、父は次男で2人兄弟。 だが、父の母(私の祖母)を面倒見て、同居を30年やったのは母である。
祖母が亡くなってから 6年が経過するが、市内に住んでいて 逢った事も無い。
そもそも、 祖母が入院したときの言い方・祖母に対する接し方・祖母が亡くなってから
仏様はウチにある・墓地は長男が面倒見る と言うのが、非常識なのだ。
いつか絶対 あの家ともめる。
と思っているし・・・。父が言わなかったら私はハッキリ言うつもりだ。
あちらさんは、男の子2人(35歳くらいになっている) そりゃ頭脳は叶いません・・・
あっちは国立大学(しかも2人)を経ていますから・・・。
だけど、常識的な判断にはかなり欠け、口では勝てる自身はあるし。

全然 簡単に説明してないよね・・・この話。

でも、父も自分の兄弟なのに、母が入院している事も話してないと言う。
ほぼ一人っ子だと思って良い状態。
母に万一の事があれば、今家にある仏壇は お墓を守る と言い放った父の兄に持っていって貰う都合上、伝えなくてはならない。

母が更年期障害で辛かった時期、何度も父も私も 祖母を一週間で良いから預かって欲しい と頼んだ事がある。
断りの理由は【こっちには受験生がいるからムリだ】
と言うのだ。 たかが1週間・しかも受験するのは叔母でも叔父でも無いのに。
大家族で同居している家族は 受験に失敗するのか?? と言いたかった。

私が長女を出産した時、祖母は入院していて、退院目前だった。
丁度、私の退院と祖母の退院が数日違い。
その事も含め、私の両親は 【床上げ迄とは言わないからせめて1週間でも5日でも面倒見てくれ】と頼んだが、【出来ない】と却下されている。
それだけ、祖母が 長男嫁にしてきたことが 拒む理由なのだが・・・。
でも、母もそれなりに 祖母に言われたり、やられたり と
【渡る世間に鬼はない】のTVと同じだった。

ともかく、勝ち気な私なので、譲歩するつもりは一切無い。

母は、黄色い点滴(タンパク質)を3日間入れた。
1日2本を3日。
タンパク質を入れるッてことは、身体にとっては良くない事だ。
糖尿の人に糖を入れる事と同様だからだ。
だが、それをすれば 血圧が上がるのだ。
実際上がったし、だけどそれも3日間。
看護婦さんが母に 1本10万円すると言ったらしい。
それは4人部屋で 誰かが金額を聞いたらしいのだが、他の人もその点滴をしたので
ドンビキしてた・・・・。
母はその金額を父に言ったと言う。
父は【命に替えられないだろ】
と言ったと言う。
私は【これで元気になったら、もぅ打たなくて良いんだから 打たないようにすれば良いじゃん】と・・・
基本的には 母がこれで生きていられれば と思った言葉なのだが、
母は【まったくママは冷たいのね】と言うのだ。。。

母が疲れたと言うので、私は家に帰ることにした。
予定では、夕方 子供達を義母に預けて 夜まで居る予定だったのだ、
疲れた。と言うので、そのまま帰った。

パパは新幹線で出張先から帰ってきた。
新幹線なので、洗濯物は無い と思っていたのが 甘かった・・・
いつもより多くて
しかも天気悪いから 乾燥機かけてる。

今日は10月1日。
今はパパ、美容院に行った。
子供達もカットするので、連れて行って、パパ自身もカットと染める。

父の車も不調で・・・