米子 西野ピアノ教室 musica felice

米子市のピアノ教室・・日々思うこと徒然なるままに。
幼児から受験生、大人の方いらしてます。
音楽は心の対話ですね。

楽譜を読むって・・ピアノを弾くことのすばらしさ

2015-02-24 06:32:06 | おもうこと
最近つくづく「ピアノが弾けるって素晴らしい」と思っています。
綺麗な曲が弾けて心が癒されるとか、脳の発達に良いとか、そんなケチ臭い事(毒舌失礼)を言っているのではありません。

日頃、大人から子供まで、200年300年前の文献を教科書に使う・・なんて言うこと他にあるでしょうか?
「他にはないですよね」
と、お忙しい医師の仕事の傍ら練習を重ねていらっしゃる方とも確認したのですが、当たり前と思って、バッハ、ベートーヴェン、ショパン、、などと言って弾いていますが、これってすごい事だと思うんです。

弾いている曲の難易度や表面的に達者に弾いていることなど、もうあまり意味がないんじゃないかと思う昨今です。
どれだけ作曲者と対話し、理解しようとしているかということ・・むろん大変な天才が書いたものですから、そんなに簡単に理解できるものではありません。だからこそ心を込め誠意をつくし持ちうる限りの力で思考し、更なる勉強を続け、何百回何千回と繰り返し練習や考察を重ね。。そんなものじゃないでしょうか?・・私たち凡人が出来る事というのは。。(私と一緒にしてすみません・・読者の方にはもっと素晴らしい能力をお持ちの方もいらっしゃるとは思いますが・・)


グローバリズム、戦後70年、、国際化、国際理解、、押し寄せる情報の波に飲まれそうになり、そのうち思考停止状態になりやすい。
人間の脳は自分をヒイキしやすい(養老先生談)らしく、その事が相手に対する理解の妨げになる事もあるように思います。
何百年前の異国の人が書いた楽譜を“尊敬の念”を持って日頃読む者にとって、人って何なのだろう。と、いつも考えてしまいます。
そこには普遍的な何かがあって、多くの属性を瞬時に取っ払ってしまうほどの力があるのではないかと思います。
日頃そういうところにしょっちゅうアクセスしている状態・・・だと思っています。

ですから、冒頭にも書いたように、「脳の発達に良い」(これも大切ですが)・・以上に、自分の考えをしっかり持って、しかも小さく固定化せず時空を超えて“人”というものの本質を考え続ける・・(これってどんな職業の人にも大切)・・―――そうして、国際的にもコミュニケーション能力の高い人になっていってもらいたい。。
これ、日本人としての大切な事や日本文化もしっかり持った上でやっていただきたいのです。
むしろそうでなければ、根っこの無い人だと思われるかもしれませんね。


ここからちょっと毒舌蛇足

最近は・・センスなんてクソくらえ(すみません…いささか~いやかなり、乱暴な表現)・・ぐらいに思っています。
センスよくお洒落に弾くことにどれだけの価値があるのか…子供の時は盆栽のように小さく刈り込まないで、輝く生命力をもっと大切に育てるべきではなかろうか?・・ましてやどんなにきれいでも呼吸をしていない造花ではダメなわけで、野に咲く花のように自然に息づいているものであってほしい・・
それと同じ思いで発言された(と思われる・・)のが
「アメリカナイズされた上手いダンスなんて見たくねぇんだよ。もっと不器用なヤツのダンスが見てぇ。そんな奴ら集めてワークショップしてぇなぁ」という世界的ダンサーの声。
「本当にそうですよね!」と、私なぞが言うのも恐れ多いほどすごい方なのですが、普段は地図にもかけないくらい山奥に住んで畑仕事をしていらっしゃるそうです。
これもすごく頷けるんです。。(オマエに何が分かるんだという声が聞こえてきそうですが・・(汗))
先日、兵庫県立美術館で観た“フェルディナンド・ホドラー展”・・スイスを代表する画家ですが、一般的に有名かどうかは分かりません。
倉敷の大原美術館にも収蔵されていて、大変印象深い「木を伐る人」というタイトルの作品があります。
「鼓動を打つように、描いた」「リズムの絵画へ―踊る身体、動く感情」「自然と響きあう生命―ホドラーの芸術」
等々ホドラーの作品群の核心をつくサブタイトルの数々ですが、身体そのもの、躍動する生命体としての体の動きそのものがリズムであり生きている事、、この「木を伐る人」の動きは、世界的なダンサーの目指すことそのものなのではないかと思います。
・・って、私直接お話したことは無いのですが、親しい人が直接何度もお話したことがある人で、ホントホント!と頷きあってしまいます。

素敵な事は悪いことではありません。素敵な事は素敵・・だけど、そこで満足していたら深いところに入ってゆけないので、更にその先の世界があるのだということ。

子供たちには「研ぎ澄ませ」(これはかなり大きくなった子)、「ミクロとマクロの視点を持て」、そして「音符の向こうの世界を感じ表現しよう」・・そんなことを言っています。
簡単に知った気になってはいけません。
ちょっとカッコよく弾けたり、賞をもらったことで慢心するよりは、自分ってダメだなぁ、まだまだだなぁ、と感じている人の方が、理解というか悟ることが近付いていると思います。
表面上の上手さではないのです。
ソクラテスが言うように「無知の知」・・知らないということを知っている人の方がよほど知っていて賢い・・そう思っています。

―――ちょっと寄り道ですが、ソクラテス・・そんなに深く知っているわけだはありませんが、「無知の知」「ただ生きるな。より善く生きよ」「人生の目的は魂の世話をすることである」・・もうこれだけで、ほんとうに‼‼・・と、頷いてしまう私って単純な理想主義と言われるかもしれないけど、歳とればとるほどにそう思えます。やっぱりソクラテス大好き!宮沢賢治くらい好きだわ。河合隼雄先生も! そんなこと考える毎日(笑)―――


「楽譜を表面上達者に弾くことにどのような意味があるのだろうか。そこに縛られてしまっては本当に見るべきもの聴くべきものから遠ざかってしまうのではなかろうか?」また「コンクールにおいて評価基準となるものの中に、そういった深い思考に基づいたものを聴きとって貰っているのだろうか?」「型押しされた一見綺麗な一見良い音の演奏に評価が偏ってはいないだろうか?」 
人の前で演奏する訳ですから、お料理と同じで誠意をつくし、見た目も美しくなければなりませんが、果たしてそれだけで良いのか?

思い違いをしないで頂きたいのですが、楽譜を適当に読むということとは全く違います。
むしろもっともっと楽譜を深いところまで読めるようになりたい・・もちろんそんな簡単なことではありません・・自分自身もそんなにできている訳ではないです・・表面的な字面ではないということ。。
分析もしなくてはなりません。時代背景。人物像。同時期の他の芸術活動や政治情勢。影響を与えた作品や人物。
多くの考察は大切です。

しかしまた、子供たちの演奏に生気がないことを感じる事も多々あるのも事実です。
子供たちも方法論に頼って演奏しようとする子が増えてきています。
そうではなくまず味わう。
しっかり食らいつく。咀嚼する。
それから考える。分析し秩序立てる。
最終的にはその向こうの世界を見る地点に立つ。
心を開放する。
何だかね・・・色々感じてしまいます。


「流暢に英語が話せる事よりも、何を語っているかと言う内容が大切」
海外に留学したり、国際線のCAさんだったり、そんな方々も、これは凄く頷かれます。 

語るべき内容のともなわない言葉では相手にされません。
多少まずい英語(他の言語も)でも、その人となりが大切で、人としてどうあるのか、人として何が語れる人物なのか、そこが重要なのです。


音符の向こうにある世界―――ちょっと補足します。分かりにくいかも知れないので。。
作曲者が何かに感動し、ああ!~そう思ったものを音符として表現したらそうなった~それが楽譜として表現されている世界。
作曲者が違えばまた違うものになるでしょう。もちろん国籍にもよります。ドレミファソラシド・・を使ったらこういう表現となった。その世界観を追体験しているということ。
では、国も違い楽器も違ったら、、お琴なら、バラライカなら、ガムランなら、バグパイプなら、、表現したいものに適した楽器による特性もあるでしょうが、とにかく
「その心は?」
なのだと思います。

あらら、、言葉の芸である“なぞかけ”みたいですね。

一番大切なのは「その心」だと、みんなずーーっと長いあいだ思ってきたのでしょう。

103歳の医師、日野原先生も「いちばん大切な贈り物は“心”である」、と、講演会の冒頭でスクリーンから語りかけていらっしゃいました。

楽譜から「その心」を読む。。でしょうかね

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子供たちをどう育てたいのか…音楽に出来る事

2015-02-15 04:31:54 | おもうこと
先日、ちょこっとお休みいただきミニミニ旅行行ってきました。
2つの展覧会と美味しいもの・・の旅でした
色々な旅の目的も果たせて、良かった~


さてさて、今日のお題の――子供たちをどう育てたいのか――よく、子供たち、、ということを言いますが、何故子供なのでしょうか?
それは――我々の未来――に他なりません。
ひとは「育てる」という行為を必ずします。
子供を持つ人持たざる人――に関わらず、子供や若い人を育てます。
何かしら関わる――と言っても良いかも知れません。
人は死すべき存在ですから、その手から手へ、より善きもの・・を伝える・・これが文化なのだと思います。


最近読んでいる本の中で気になる事があります。

気になる本。
養老孟司の大言論シリーズより「嫌いなことから人は学ぶ」・・・本のオビには――実のところ、日本の将来、心配です!――と書かれています。
とても人間的な方ですので、俺はジジイだからもうすぐ死ぬ。知ったことか・・と吐き捨てつつも、ほおっておけない現実を鋭く指摘されています。
本当に賢い!と、私が言うまでもなく周知のことですが。。

幾つか抜き出して引用しますので、頑張って読んでみて下さいね。

 
                                               
傲慢になっていないか――日本人の傲慢――

日本人のボランティアがラオスの田舎に学校を作った。その学校が無事に動き出し、しばらくしてから、そのボランティアの人たちが視察に再度訪れた。その時に国際交流と称して、日本の子供たちも連れてきた。「その子供たちがネ」と、その友人がいう。「ラオスの子供や大人をバカにしているのが見えるんだよ」。行ってみればクーラーが無い、コンピューターが無い、車が無い、云々。学校だってなかったわけである。
それを聞いて、アッと思った。(略)古いものが生きている時には、必ずそこに現代的な意味がある。さもなければ、古いものなんか簡単に消えてしまう。じゃあそこに何があるのか。多くの人は認めたくないかもしれないが、その答えは日本人の傲慢さであろう。子供ですら発展途上国をバカにする。大人が知らず知らずにそうなっているからこそ、子供がそうなる。(略)
ただいま現在のおまえらの態度が悪いんだよ。そういわれていると思えば、いささか納得できる節がある。(略)
私の世代は無一文から出発した。だから少なくともモノが無いことについては、何の痛痒(つうよう)も感じない。と同時に、モノがあるからと言って、誇る気もない。

*******これに関しても、私が都心に住んでいる訳ではないので余計に感じるのかも知れませんが、都会田舎、金持ち貧乏、その他、成績でも何でも等級をつけて差異を確認し、ちょっとでも上のものがあることで安心を得ようとしているように見えます。
私も目の前の子供たちから、そういう感じを受けることがあるので、正直“ザンネンだ”と思ったり、う~んと思ったりすることもあります。やはりそれは“傲慢さ”だと思うのですよね・・・そして、それはとりもなおさず“大人”の態度と考えから来ていると思います。マスコミも面白おかしく取り上げますしね。

優れた芸術家――と言われる人たちは、こういう「人としてどうあるべきか」を、鋭く透徹した目で捉えています。
茶人もそうです。
身分の上下関係なく、ワビサビの世界に遊ぶ。
しかし現実は、どれだけ高価な着物に身を包み、高い茶碗を手にするか・・俗人とはそういう人で・・
もちろん私も俗人ですが、自覚はしています。
そして本質的には何に価値があるのか・・物事の本当の意味は・・と・・
「美意識」「美学」・・それは、商業的ではなく見せかけでもありません。
それを嫌ったからこそ、敗れたような型破りな陶磁器もあるのですが、それすら“幾らの価値”に還元されてしまう。
本当に伝えたかったのは、その“心”ではないでしょうか。。


********リヒテルの記事も読んで頂けますか?

 
                                               

スヴャトスラフ・リヒテル(1915-97 ウクライナ出身、モスクワで没)は、単にいちピアニストというだけにとどまらない、巨大で謎めいた存在であった。詩人、神秘家、哲学者、預言者...そういった多様な顔を感じさせる、限りなく尊敬され畏怖される、何者かであった。(略)


 いまロシア・ピアニズムということが盛んに言われているが、結局のところはその核にあるものは、リヒテル・ショックの記憶とノスタルジーなのかもしれない。それほど、鉄のカーテンの向こうからやってきた強大な男のイメージは鮮烈だった。


  「獅子の一撃」ということをある評論家が言っている。リヒテルのピアニズムの、ある特別な瞬間を言い表す言葉として、いかにもその通りだと思う。真の大ピアニストは、どこか帝王の風格がある。そしていざというときは獰猛で的確な一撃によって、不意に音楽の本質を捉え、あらゆる聴き手を震撼させるのだ。

リヒテルは全天にひときわ輝く一等星のように、20世紀の音楽界全体を照らす存在だった。
正直いえば、もっと派手な大曲を弾いてくれればいいのになと思わなくもなかった。「獅子の一撃」が欲しかった。だが、一度弾きはじめたら、もう魔術にかかったかのように、リヒテルの世界に完全に没入させられた。何しろリヒテルは預言者なのだ。その日その場にもっともふさわしいと彼が感じた楽曲をリヒテルは弾く。誰も異論は言えない。

  1994年2月、あれはまだバブルの余韻が残っている頃だった。派手で刺激的なものを求めていた東京の聴衆にとって、あれほど静かで控えめで小さな詩のような音楽をリヒテルが聴かせてくれたとき、忘れかけた大切なものを思い出させてくれたように感じたものだ。ひけらかしやエゴの表出とは無縁に、四季折々の風景、素朴な暮らしの一場面が個人の日記のように書かれた世界。人はいかに生きるべきかという哲学を、あのときリヒテルは教えてくれたような気がする。



リヒテルとともに思い出されるのは、ピアノ音楽がもっと神秘的で深遠で、人の生き方を根本から変えてしまうほどの力を持ち得るものだという事実なのだから。

真の音楽家とは何かということを考える際の、リヒテルは今も道しるべのような存在である。

                                               


子供たちをどう育てたいのか――音楽に出来ること――

今どきの子供たちの演奏を聴いていて、とても残念だと思ったり、がっかりしたり、悲しかったり、時にはイラッときたり、、それを簡単に言えば
“虚飾と傲慢さ”
の表現に、なっていないか?ということかも知れません。
キツイ言い方ですが、子供たちは気付いていないと思います。
大人の世界がそうさせているのだと思います。

例えばプロのアーティストとしてデビューさせるべく――そう思って育てるとします。そうすれば、育てられるピアニストの卵である子供はCD制作会社(レコード会社)からすれば「商品」な訳で、より商品価値のある大衆に迎合したものを求めます。
大衆が賢ければ問題が少ないのかも知れませんが、よりハデなもの分かりやすいもの見た目がキレイ・・つまりビジュアルも求められます。
一部のそういった星の下に生まれた人は、正直もう仕方がない運命なのかも知れませんが、過酷な運命を背負う事もあるかも知れません。
よほど強いものを持っていなければ、まっとうに生き抜くことは難しくなると思います。(CDを出されている全てのアーティストの方のことを言っているのではありません。巨大マーケティングをターゲットにした場合はおそらく大変でしょう。。)
そして現在、競争原理を持ち込む場では小さな子供の演奏にまでそういった傾向の演奏を求めてしまっているのではなかろうか?・・・これが今私が危惧しているところです。(これは音楽に限った事では無く全般的な傾向だとみています。もちろん、目の前の子たちが傲慢だという訳ではないのですが・・)

そうやって育った子たちの殆どは、音楽以外の職業を選択してゆくのですが、思考の根底にはそういうことが宿ってしまう。
「静かで控えめで小さな詩のような音楽。ひけらかしやエゴの表出とは無縁に、四季折々の風景、素朴な暮らしの一場面が個人の日記のように書かれた世界。」こういうリヒテルが求めた音楽の世界、人として正直でありなさい。誠実でありなさい。澄んだ目と耳で世界を見なさい。自分の足で大地に立ち、自分の頭で考え、謙虚に生きなさい。―――きっと、本物の「芸術家」と言われる人たちは、そんなことを願っている人たちだと思うのです。

心を開放し、ユーモアたっぷりに楽しく愉快。
時として真剣にマジメに物事に向き合い、強い心で命を懸けて立ち向かう事もあるでしょう。

子供は面白い事が大好き。
属性にまだ毒されていない、柔軟な心を持っています。
しかしまた、染まりやすくもあります。
あっという間に、その環境に染まってゆきます。
文化の違う国々の子を見れば一目瞭然でしょう。
裸で素足で暮らす子。
王家に生まれついた子。
幼くして既に武器を手にして戦う子。

自分たちの目の前の子が“フツウ”だと思いがちですが、文化圏が違えばまったく事情は異なるでしょう。
時代が変わってもそうでしょう。
とにかく子供たちは“大人の鏡”です。


子供の「何」を育てたいのか?=未来をどう構築してゆきたいのか?
同義語だと思うのですが、如何考えられますか?

ちょっと今日は長い上にダイレクトな表現でしたでしょうか?

目の前の子供は、健康に生きていられれば、必ず大人になる事を忘れてはいけません。
・・
「今のあなたが未来のあなたへとつながっているんだよ」


まだまだ書きたいことだらけですが、、

すみません

今日はこの辺で~
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これから音楽を始める方たちへ・・・

2015-02-05 02:32:01 | おもうこと

ピアノを習うことの意義について、最近脳科学者の方たちが、なかなか力強い事を仰っていますね。
これは本当に実感として思うことです。
今やっていることが色々な能力に繋がる・・・これを「般化現象」と言うらしいですが、これらを育てることが大切で、ピアノが一番効果を期待されるそうです。
ただね・・・こういうことのためにピアノ・・・と言うのもちょっと抵抗はなくはない(本当は純粋に音楽を感じ楽しむところから入っては頂きたいのですが)・・・が、、とにかく良いそうです(笑)

一番よくないのは何かに特化したものだけをやり続け(例えば計算が早くなるとか)、その成果だけに満足しているのはキケンということ。
本当にそう思います。
いくら計算が早くても、計算機やコンピューターがやってくれますしね。(“そろばん”はとてもいい!!)


受験勉強など、あらかじめ期待される解答を即座に言い当てるような勉強の仕方をしていると、人生を生き抜くための能力が育たない・・・自分の頭で考え、判断し行動できる能力・・つまり地頭を作ることが大事だということです。

そして、どうか目の前の結果や成果、成功失敗に一喜一憂しないで、人生を生き抜く力を育ててください・・・とあります。私の言葉ではなく最近マスコミにもよく出て来られる脳科学者の方です。
テレビに出ている割にはまぁまともな事を言っていらっしゃいますね(笑)
全く同感です!

これって、若い時には見えにくいのですが、ある程度歳をとって、自分も含め多くの人の人生を見つめてみると、本当に実感としてあります。
まだまだ先は長いですよ。。果てし無い道です。。しかも予期せぬことに遭遇することばかり。。絶対に計画通り思い通りにいかないのが人生ですよ。。と。


さて、脳を解剖したってどうなっているか分からない話ですが、、
優れた能力と感覚を持っている第一級の方たちは、自分の身体感覚としてお持ちのようです。

例えば作家の方が、書く作業だけしていると脳の働きが偏ってしまうので・・・おそらく脳のある部分だけ特化して酷使してしまうことになるのかも知れませんが・・・必ずランニングして体を動かす(ホノルルマラソンにも参加されているぐらい)・・・これはおそらく動物として生きていくために必要な身体機能、呼吸とか運動を司る??(小脳・脳梁・脳幹??専門知識はほとんどありませんが)・・・シリアスなものの他に笑える別の作品を書いてみたり・・・そうやって、バランスをとっていらっしゃるのだそうです。


最近パパッと読んでみた「虫眼とアニ眼」養老孟司、宮崎駿の対談集でも、人が認識する・・・つまり脳での捉え方なども書かれていましたが、宮崎駿監督は作品が出来上がった後は、閉じない部分があるのでしばらく自然の中で籠っていらっしゃる・・・ということが語られていました。


これ、どういう事かお分かりでしょうか?

何かの作品を作る時、かなり深いところまで潜っていかないと、つかまえて来れないものがあるんです。
創作すると言う大きな仕事を終え、日常生活に戻る時、ある程度その部分から戻り、蓋を閉めなければならない・・・感覚的な例えですが、そういうことです。
日常が創作に向けられる芸術家の方は、殆どこの世界に行ったり来たり、頻繁に行き来を続けている人達・・と言えます。
監督の作品などに関しても、私たちが何気なく見逃しているワンカットの中にも、相当深い思考の痕跡が練り込まれていて、深く読み取れる人には、そういうところまで分かる・・・でも、理屈では語れないことも沢山あるので、感度のいい子供たちには感覚で分かる・・・のかも知れません。

と言っても宮崎駿監督は、子供たちがバーチャルな世界に身を置くことを非常に危惧されているので、アニメばっかり見るのはちょっとキケンです


ついでに書くと・・・その事はずっと以前から憂慮していらっしゃって、「うちの子はトトロが好きでずーっと見てるんです」と言われると、「いけません!だめ!やめてください。年に一回ぐらいにして下さい」と、、(言いたいのを我慢しつつ小出しに出しているのかな・・?)
―――そんな事をしているうちに、子供たちにハッキリ結果が出てきた―――若い人が恐ろしくやさしく傷つきやすく、恐ろしく不器用でグズで、、いい子なのだ―――と。。
小さい頃から非現実のバーチャルなものばかりに取り囲まれてきた結果、“イ、イカン・・・恐ろしいことになっている”と感じていらっしゃるようです

良い環境を与えて、手出し口出ししなければ子供たちはすぐに元気になる。大人たちがオロオロしないでじっくり見てあげることだと、アニメを交えて語っています。



さてさて、本題、、
今さら??・・・と言わないで~~なるべく手短に


先ほどの宮崎駿監督の、開いた部分・・・と言う話をしましたね。
これにちょっと近い事なのですが、音楽をするとき“自己解放”は、大切な一つの目的と言えるかもしれません。
目的・・・と言ってしまうと、ちょっとつまらない表現ですが、何ものにも捕らわれない自分・・・あらゆる属性から解放された状態で、音の中で遊ぶ事が非常に大切なのだと思います。

よく“魂の洗濯”などと言いますが、なかなかいい表現かもしれません。

「心の栄養」だと思っています。

これは芸術全般に言えるでしょうか?


幼い時は、大いに笑って、夢の中で戯れてほしいのです。

しかしある程度、児童期から思春期になる頃、冗談やたとえ話をしていても開かない状態になった時、叱咤激励する場合もあります

分かりやすいのはTVでおなじみの俳優さんが、自らの主催する子供の俳優養成所で、子供たちにかなりひどい罵声を浴びせかけている場面・・・ご覧になったことがありますか?
なぜ、そんなことをするのでしょうか?
誉めて育てればいいのに・・・と、思われますかね??一般的には。。

あれは、子供たちの演技が“こんなもんでいいでしょ”と言うところで留まっていて、本当の心からの感情に本人も気付いていない時、ああいう風にしか開けない事もあるんです。。恐らく宮崎監督の開きっぱなしになるところと近い。
でも、監督の場合は、製作する時の日数(年数)の長さから考えると、これはもう相当で、命がけかも知れません。
一般人にはとても行きつけない領域です。

演技したり演奏する時も、そこまでのスパンでないにしても、ここの部分を開ける必要があります。

ちょっと常識的すぎて、優等生過ぎると、この部分が開きにくく、「なんでマジメにやってるのに怒られるんだろう」と思われるかもしれませんが、そのマジメこそが取り去りたい部分、かえってジャマになってしまう部分で、お利口さんを取り除くと、ピッカピカに“ステキな何か”が表れてくるはずなのです。

このステキな何かは、良い人との関わり、絵や本や自然・・・あるいは心を砕いてやったこと、、料理を作ってみんなに喜んでもらったとか、ケンカして泣いた、、仲直りして気恥ずかしかった、嬉しかった、、ドキドキしたりションボリしたり、やったーと思ったり、、そういう多くの感情に支えられ育ってゆきます。


全部お膳立てされると、育たないのです。


よくお料理に例えますが、良い料理人に育てたければ、良い「舌」を育てること・・・「味覚」を育てることです。
小さい頃は、毎日毎日野菜を刻む事ばかりしていても良い舌は育ちませんよね。
感情を動かすことなく日がな一日キーボードをたたいている状況では、ピアノが楽しくなるはずもないし音楽好きも育ちませんよね。

まず「なんて美味しいんだ!」「きれいな彩りだなぁ」から、もっと複雑な味わいまで感じ取り、本当に美味しいものを知ること。まがい物でない「本物の味」を知ること。
情感に支えられた味覚・・・音楽なら聴覚を育てる。もちろんそこには情感・・・「心」が充分に伴うこと。
筋力など身体的に未発達な時にムヤミにトレーニングし過ぎない事。
細かい筋肉より、まずダイナミックな身体的機能を発達させる、、まぁ簡単に言えば全身を使ってよく遊んでください

細かいトレーニングをするのはその次です。

良い音楽を聴かせてあげる。
音楽会にたくさん足を運ぶ。
楽しかったね、素晴らしかったね、と、親子や友達と喜びを共有する。


うちの生徒さんの場合を考えてみても、ある程度頑張って小学校高学年から中学生以上になると、ソナタやそれに匹敵する多くの名曲といわれるものを手がけるようになった時、この「心」の部分がそれに伴って成長してゆかないと、心からの表現に行きつくことが難しくなります。もちろんそれ以前の幼い段階から育てるべきことです。。

すこーしずつ、一人称から三人称にむけてシフトチェンジしてゆく必要があります。
これって、成長期に伴う心の発達と、とてもよくマッチしているんです。
演奏する曲の内容とともに、心も次第に大人に向かう・・と考えて頂ければ良いのかな。。

宮崎駿監督が感じておられるように、やはり強くしなやかな心・・・すぐポキッと折れないで、しなやかにたわみたくましく成長し続けてもらいたい・・・いや、そうでなければ、、未来は空恐ろしい事になりつつあるカモ・・・恐ろしがらせてスミマセン・・・が、ホントウのことです

さいごにオマケ
先日ネットで見つけた江戸後期からの言葉・・かな・・おそらく・・
(インターネットも使い方・・とも思いますが、バーチャルな世界は自然には遠く及びません。たまーにもらう情報の中に、皆さんにご紹介したいものもあるにはありますが・・)


【子育て四訓】

乳児はしっかり肌を離すな。

幼児は肌を離せ手を離すな。

少年は手を離せ目を離すな。

青年は目を離せ心を離すな。


【子育てに関する格言】

三つ心 六つ躾 九つ言葉 十二文(章) 十五理で 末決まる

しっかり抱いて 下に降ろして 歩かせる

三つ子の魂百までも

可愛くば 二つ叱りて 三つほめ 五つ教えて良き人にせよ


ではでは~
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