米子 西野ピアノ教室 musica felice

米子市のピアノ教室・・日々思うこと徒然なるままに。
幼児から受験生、大人の方いらしてます。
音楽は心の対話ですね。

本の話・・・『ハーバード大学は「音楽」で人を育てる』 『アートは資本主義の行方を予言する』

2016-01-14 00:57:19 | 本の話
最近の読書・・・いつものように乱読です


ほしい本が何冊かあったので、いつも行く錦町の今井書店ではなくケヤキ通りにある本の学校(これも今井書店ですが…)に行ってみました。
2冊ほど買う予定だったのですが、ついつい買い込んでしまい、またまた予算オーバー
年末年始にかけてこれを3度もやってしまいました


今日はその中より2冊ほどご紹介したいと思います 


『ハーバード大学は「音楽」で人を育てる』菅野恵理子

『アートは資本主義の行方を予言する』山本豊津(ほづ)


どうしても音楽やアートはエンターテイメント・娯楽・嗜好品のようなもの・・と思われがちですが、ある意味学問でもあるわけです。
ピアノを弾く人はみなピアニストですが、プロのピアニストになる人は一握り。
もちろんそういう方々をとても尊敬していますが、皆が皆なる必要はありませんよね。
それぞれの分野でそれぞれの道を極めれば良いわけですから。。

ただ、聴衆としては、鋭く研ぎ澄まされた感覚を持っていたいものですよね      


               

 
『ハーバード大学は「音楽」で人を育てる』菅野恵理子――の中からすこーしだけ抜粋したもの  

~音楽院でも高まるリベラル・アーツ教育の需要~
     ―――ジュリアード音楽院副学長の言葉
音楽院なのでやはりパフォーマンス(オーケストラ・室内楽・ソロ・作曲など)が、カリキュラムの主要な部分を占めています。
ただそれだけではなく「アーティストの人格を形成すること」というのがモットーであり、音楽史、音楽理論、ソルフェージュ、ハーモニーなどの音楽科目以外にもリベラル・アーツの学びを広げてほしいと考えています。他の音楽院と比べると、少し多いかも知れませんね。音楽博士号を取得する為には、例えばシェイクスピア、ローマ史、中国史、日本史、文学、哲学、心理学…と言った勉強が必要になります。こうしたリベラル・アーツは演奏家としての芸術性を高め、思想を深めてくれます。これまで受け継がれてきた偉大な歴史遺産の解釈者となり、想像力を働かせてそれを新しい方向へ導くこと、それが“主張ある音楽家(Artist who has something to say)”なのです。


~違う視点から音楽を見るリベラル・アーツの学び~
      ―――諏訪内晶子(ヴァイオリニスト)
私の場合は江藤俊哉先生がいらしたおかげで、日本にいながらにして世界と同等に競うレベルにいられたと思います。ソルフェージュ、ピアノを幼少から訓練しておりましたので、ヴァイオリンのパートだけでなく全体を見ながら、苦労なく現代曲にも取り組むことが出来ました。ソルフェージュ、テクニック、ピアノ、読譜力…総合的な力を初期の段階でまんべんなく身に付けておくことが大事ですね。――略――哲学、文学、宗教などの一般的な教養は、ジュリアード音楽院本科では人文科学という教科が必須科目としてあり、その他、美学の授業もありました。しかし、政治思想史の授業は、ジュリアード音楽院にはありませんでした。
エリザベート(コンクール)を受けた時、ソ連(現在ロシア)の参加者がペレストロイカの話をしていました。ロストロポーヴィチなどがショスタコーヴィチやプロコフィエフの話をするときも、必ずそこには政治の話が関わってきます。音楽も美術も政治も、人間社会が必ず反映されています。ですから政治思想史ではまず歴史を学び、その中で政治家たちがどういう哲学を持って国家を治めてきたのかという勉強をします。たとえばバッハの時代背景を全く違った視点から見ることで、より深い理解につながってゆくと思います。



~音楽と多科目を繋げる―――新しい学際的教育プログラム~

「音楽学ぶ」は、音楽そのものを如何に学ぶかという考え方である。いっぽう、「音楽学ぶ」とは、音楽を通して人間や世界をどう学ぶかという考え方である。従来主流だった前者に加え、後者の研究は21世紀という現代社会の中で、音楽を見つめ直し、新しいフレームワークの中で再構築する試みである。それは音楽の持つ文化的資源をより幅広く生かす、ということに他ならない。音楽はそれだけ、社会に多様性をもたらすものとして期待されているのだ。―――



アメリカでは「音楽や芸術の潜在的価値とは何か」という問題提起や、それに基づく研究調査や政策提言が活発に行われているそうです。
音楽を軸として、言語・算数・科学・社会学・人文学を組み合わせたアクティヴィティーが提言され、人間のさまざまなスキルや能力を高めるための手段として芸術を活用している学校もあるようです。


まだまだご紹介したいことはありますが…
目次よりほんの一部分だけ示しておきます。
かなり興味深いですね。

目次より――
☆音楽で「多様な価値観を理解する力」を育む―――ハーバード大学
☆音楽で「人間の思想力」を学ぶ―――コロンビア大学では全員必須?
☆音楽で「歴史を捉える力」を学ぶ―――ニューヨーク大学
☆音楽で「創造的な思考力」を高める―――マサチューセッツ工科大学
☆音楽で「心理に迫る質問力」を高める―――スタンフォード大学
☆大学入試にも重視される芸術活動    etc.


                 
 
『アートは資本主義の行方を予言する』山本豊津(ほづ)――

目次より――
☆権力や体制が芸術家を恐れる理由
☆有用性ばかり求めると男性は力を失う
☆近代で断絶している日本の文化
☆室町時代と様変わりした日本の埴生
☆美しかった江戸時代へもう一度還ってみる
☆芸術が神やイデオロギーにとって代わる
☆美は「距離感」から生まれる
☆自然との関係を再び見直す時代に
☆アートの力が新しい時代の価値を生み出す

これもほんの一部ですが…。

文章の中の一部を載せておきます。
これからの社会、これからの子供たちのことに関心がおありの方は読んで頂ければと思います。


―――(本文より)これからの日本、これからの世界を考えた時、アートの力が大きな意味を持つのではないかと考えています。激動の時代、閉塞した時代だからこそ、これまでの価値に捕らわれない自由な視点が大切なのです。
その意味で私は芸術教育、美術教育にもっと力を入れてほしいと思います。ところが国はなかなかそれをしないでしょう。何故なら権力や体制がもっとも恐れるのは、自由に「感じ」「考え」そして「表現する」人間が増えることだからです。
彼らが推奨する教育とはどんな教育か?要は全員が同じような考え方をするようになる教育です。答えが決まっていて、皆がその正解を導くように指導される教育では、新しい時代を切り開くのは不可能です。明治開闢以来日本の教育の目的は一貫しています。それは画一的な人間を作り出し、そのヒエラルキーの中で最も優秀な人間を国家が独占することで、体制強化を図ろうとすることです。
ところが芸術や美術教育は違います。人と同じようなことをやってもダメなのです。自分なりの感性や物の見方を身に付け、自分なりの表現をすることが芸術の世界です。そこでは他者と同じになることでは無く、違いを作り出すことが求められます。そしてその違いをお互いが認め合うことに価値を置くのです。
芸術のこの価値観があれば、今学校で起きているような陰湿ないじめはなくなるのではないかと思います。いじめの本質は、他者の違いを認めない、異質なものを排除するという偏狭さからきているからです。ついでに美術教育で言うならば、現在の教育は絵画にしても何にしても、作ることに主眼が置かれています。しかし私に言わせれば、もっと作品を見ること、鑑賞することに力を入れてほしい。

 
                  

本文中の・・・作品を見ること鑑賞すること・・・というのは音楽ではそのまま「演奏を聴くこと味わうこと」と言えると思います。
質の良いインプットが出来る機会を与えてあげて下さい。
必ず良いものがアウトプットされる時が来ます。
じっくり時間をかけて見守ってあげてほしいと思います。



引用が長くなってしまいました~

ふ~む・・・と思うことばかりで。。
著者の山本豊津さんは、日本で初めて現代アートを扱う画廊の家の方ですが、美大出身でありながら、はじめは大蔵省の秘書・・と言う政治の世界に身を置いていた方です。
ですから政治的な側面からの洞察も鋭く、考えさせられることだらけです。

そして芸術の価値について最後に語られています。

それは「品格」だ・・と。

―――「品格」とは、何事にもおもねらず、はったりを利かせたり、ごまかそうとしたりすることが全くなく、それにより利益を上げたりことさらよく見せようという気持ちもないものだ、と書かれています。
おもねったり、取り入ったりしようとしない。その態度を維持するためには、自由であること。自分の価値と感覚で「自立していること」が必要です。何かの価値や権威に依存していたり頼っていたりするうちは、その自立性は生まれて来ないのです。品とか品格というのは、そういうところからおのずとにおいたってくるものなのではないかと思います。

                  

たまたま音楽ということに関わることになった自分のライフスタイルですが、とても意味深いものを感じます
殊に最近、考えれば考えるほど、やはり音楽をすることには大きな意味があるなぁ~と思ってしまいます    


より豊かで才気溢れる人材を育成する為にも、音楽を始めとする芸術は重要です。
これからの人たちは、激動の現代社会、世界的な視野を持たなければならないと感じます。
情勢の変化は加速度化しています。
良い方向へ舵を切るのは、大人たちの考え方にかかっているのではないでしょうか?
私の世代はおろか、若いご両親の受けた教育と同じ・・と言う視点を打ち破っていく必要がありそうです。
そして、学びは「喜び」と「感動」が必要です。
愛や喜びや感動のない学びは、本当の力になりません。


アート=「自由」「品格」
物事に捕らわれず、Artist(=Person) who has something to say・・・語るべきことを持っている人、そういう人が世界と繋がれるのだと思います。


親子で楽しむというスタンスで、音楽やアートとともに自由に日常を豊かにお過ごしくださいませ   

今日の語り口はちょっと熱かったかなぁ~~       



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入試問題の著作(鷲田清一さんの対談など)

2016-01-05 18:36:07 | 教育
入試時期になりましたね

高校入試、大学入試、其々大変だと思いますが、体調万全に臨んでほしいです。


さて、最近私も良く手に取って読む本のうちの一つですが、鷲田清一さん・・・入試問題に多く登場される著作者ナンバーワン、現在トップだそうです。


日本の哲学者(臨床哲学・倫理学)。 京都市立芸術大学理事長・学長、大谷大学客員教授、大阪大学名誉教授。 関西大学 文学部教授、大阪大学総長などを歴任されました。
河合隼雄学芸賞選考委員もなさっています。

何冊かは(かなりの頻度で)、郷土の芸術家、植田正治さんの写真が表紙にも使われていますね。

興味深い対談が載っていましたのでシェアしてみました。
本は標準語で書かれていますが、京都出身なので対談は関西弁。
何だかいい感じです~

余談ですが、阪大から京芸にかわられる時、阪大の学生さんが大変残念がっていたらしいです。
とても人気だったのですね。
本を手に取ってみれば分かる気もします。
シャープな思考を、柔らかな言葉で、しかも的確に綴っていらっしゃいますね。

宜しければ読んでみて下さい。

  

          




第97回 「教育」なんてありません。(鷲田清一さん編)



子どもは勝手に育つもの

―― 『おとなの背中』は、国民皆読書だと思いました。先生、このタイトルはどのような思いでつけられたのですか?

鷲田:「教育」という言葉があんまり好きではないんです。「教え育てる」ってなんかモノ扱ってるのか、植物の栽培でもやってるのか、という気持ちになるので。
 教える、育てるいうよりも、そこに子どもがいたら勝手に育つような場を作る、空間を作る、それが教育やと思ってます。直に「これせえ」「これをしたらいかん」とか、いろいろ教えるんやなしに、ここにいたら子どもが自ずと育っていけるような場を、あるいは空間を作るのが大人の仕事です。

―― 心から共感いたします。

鷲田:昔の学校は、特に京都の場合、地域の人の寄付でできました。ぼくらが子どものときは、学校のほうがたいていのクラスメイトの家より上等やったんです。

―― あぁ~。

鷲田:だって石造りでコンクリートがあって、階段の手すりにも彫りがあるんですよ。そんな家ってあらへん。今は学校のほうが普請が安もんでしょう。それは、どうせ子どもやからすぐ壊すやろう、という感覚。それなら安もんの丈夫なもの、プラスチックでいいやろ、というふうになってくるでしょう。

―― そういうことなんですねぇ。

鷲田:明治の大人は、どうせ子どもやからとは考えなかった。子どもが一日のうち大半の時間を過ごすんやから立派に造ってやらねば、という発想です。まったくフィロソフィーがちがうわけです。

――― ホントそうですね。

鷲田:子どものときはわからへんのですよ、そういう贅沢してるいうことが。でもなんとはなしに、大人が大事に作ったもんやから粗末にしたらあかん、傷つけたらあかん、あるいは自分らがそんなふうに大事に思ってもらえてるのやから命は粗末にしたらあかん、っていうような気が、言葉ではわからなくても感じる。それが、そこにいたら勝手に育つということです。

―― ホントにそうですね。子どもは勝手に育つ。わが身をふりかえっても、そう実感します。

鷲田「背中」と言ったのは、子どもはなにも正面から「こうせぇ」とか教えなくても、そこにいたら大人が何してるか勝手にわかるものという意味を込めてです。「うちのお母ちゃん、隣の家の前まで掃いてるわ」「お父ちゃん忙しいのに今年は祭りの当番でえらい大変やなぁ」とか。ふんどし意外とかっこええなあとかね(笑)。子どもはちゃんと見ていて、その大人の姿を見て勝手に覚えるのです。




大人の背中がいっぱい


鷲田:「背中」のもう一つの意味は、いっぱい違う背中があるというのが自ずと教育になるということです。

―― あぁ~。

鷲田:昔は学校というのは、うちの家族にはいないような人、地域にはいないような人に会いに行くもの。だってぼくの周りには大学なんて卒業した人1人もいいひんかったからね。

―― ああ、僕の周りも同じかんじでした。

鷲田:そうでしょ。職人さんと商人ばっかりよ。で学校行ったら大学院を出てる人がいる。だから地域では触れられないような別な大人に会いに行く。しかも大卒の先生でも全然人によって違う。もうそれだけで学びなんですよ。

―― ええ。

鷲田:たとえば将来設計して、自分なりに夢見て、こういう人になるためにこんな学校に行って、と考えます。けど、うまいこといかなくて、ぺしゃんとなったとき、オール・オア・ナッシングにならないこと。こんなおっちゃんでも、こんなええ加減でも生きていけるんやとかね(笑)。
 一つのことをちゃんとやったら、他のことはええ加減にしてても生きていけるんや。

―― そういう学びは、たくさんの「背中」を見てないといけないと。

鷲田:そう。生き方のオルタナティブ、生き方の選択肢をできるだけたくさん見たらそんなにぽきっと折れないものです。ところが、「教育」という考え方をすると、「先生はやっぱり立派でないといかん」となる。こんなんでも先生になれるっていう、大人って意外とええ加減やなぁっていうのも学べないくらいに「先生らしく」行動し、それに評価なんかも入ってきて......。授業のやり方とかシラバスの作り方とか点数の付け方とかみんなワンパターンになって、大人の背中が一種類になっている。
 職住が離れて、直にお父さんお母さんが働いているのを見てないから、働く人っていうイメージはみんな「ひとつ」になってしまう。そういう多様性がホントに学校からなくなってしまっている。

―― そうですよねぇ。それは本当に怖いことです。

鷲田:だからぼくは職住を少しでも近づけてね、せめて15分くらいにすべき。なんかあったらすぐ帰れる、「昼飯今日はちょっと家で食うわ」と言って帰れる。そうしたら、子どもはお父ちゃんの休憩してる姿を見られるし、そこら中に働いている人もいっぱい見れるようになる。それを反対に、鉄の門でばしゃーんと閉めて大人が入ってこない学校にしてしまったら、学びとか育ちなんて、起こらないと心配してしまいます。

―― ホントそうですよねぇ。




消費者としての大人の背中しかなくなった。


鷲田:ぼく10年くらい千里ニュータウンにいたでしょ、単身赴任で。そのときは、働いてる人って、キヨスクのおばちゃんだけやもん。

―― えぇ~!

鷲田:大阪の千里は府営住宅が多いから一階にお店が入れない。レストランもないし、もちろん魚屋もないし。そうすると大人の働いてる姿は、全部非正規の人がやってはるレジで働く人の姿しかない。働いてる人の姿って皆無。帰ってきたらお母さんは時間つぶしにスポーツしたり、エンターテイメントの消費をしたりと、要するに消費活動しかしていない。お父さんは帰ってきたら労働を免除された暮らしばっかりで、ぐうたらと(笑)。

―― 食べて寝るっていう。

鷲田:そう、それとテレビ見るだけ。大人が真剣になってる姿を見るチャンスがない。だからねえ、働く場所と消費する場所がこんなきれいに分かれてしまって、子どもがその消費する場所にいる。
 消費マインドって、大人と子どもの差をなくすでしょ。だって同じ行為やもん。子どもも小遣い持ってるから。親に頼んで買ってもらうってのが昔、今は自分で買うから子どもが生意気になってくる。大人と同じ行為をするですから。で、そうするとお金って、何でも買えるっていう万能感を持ったものになる。

―― なるほど~。もう子どもの頃から万能の消費者になってしまうのですね......

鷲田:何でも買えるっていう万能感を異様に持つから、一度思う通りにならなかったり買えなかったりするとガーンッ! と無能感のほうに揺り動かされる。
 算段するとか相談するとか、懇願する、お願いするとか、いろいろ手を考えてあーだこうだやりながら、すぐには買えなかったけど一カ月後には実現したい、というようなモノの買い方とかがなくなる。あれが買えなかったらうちは貧しい、あるいは、うちは親の愛情が薄い、なんてふうに、急に悲劇の主人公みたいになり、「もうだめだ私は...」と無能感のほうにいってしまう。

―― 極端から極端ですよねぇ。

鷲田:何でもできるか、何にもできない、そのどちらか。昔は大人の姿を見て、小ずるいこととか辛抱とか、いろんなことを覚えていきました。ぼくのとこは職人やったから仕事ないときやったら、やっぱり人に頭を下げて借金に行ったりもしてる。惨めなものを含めてお金のやりくりを見てる。子どもがそういうのを見なかったらね、そんなんたくましくなれないやん。

―― たくましくなれないですよねぇ。それこそ消費者としての大人の背中しか知らない。

鷲田:そこは器用器用。早くから自分も主体になってるんで、かえって大人よりも上手いかも。

―― そうですね。


鷲田清一「おとなの背中」(角川学芸出版)

                               『本屋さんと私』より

          


入試出題著作に、この様なランキングが掲載されていました。
入試に関わらず、すごく興味深く、好きな傾向の著作や作者ばかりです。

1 鷲田 清一   <ひと>の現象学
2 外山 滋比古  ことわざの論理
3 内田 樹    日本辺境論
4 河合隼雄   日本文化のゆくえ
5 平田オリザ  わかりあえないことから
5 齋藤 孝    コミュニケーション力


また、中学入試問題でも、重松清、池田晶子、養老孟司、内田樹、茂木健一郎、伊集院静、小川洋子・・・

こうしてみると、とても良い著作が並んでいて、入試に関わらずもっと時間を使って読んだらいいのに(というより純粋に読書として)・・・と、思う作品ばかりです。

もちろん小林秀雄の文章も素晴らしく、大学入試なら村上春樹の作品も取り上げられているようですね。

あまり目先の結果に右往左往しないで、ドーンと構えてじっくり本を読んでもらえたらなぁ。。

ちゃんとそれなりの時期に、結果が現れてくるものです。

これは、ピアノも同じなので、そこのところ、大人が考えてあげたいですね。

さてさて長くなってしまいました。

今日はこの辺で~
*今回は多くの著者のお名前を挙げたため全て敬称は略させて頂きましたことご了承くださいませ。。
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あけましておめでとうございます✨(1月の予定)

2016-01-05 07:58:25 | お知らせ

新年あけましておめでとうございます
 
みなさんどんなお正月を過ごされましたか?


さて、1月の幼児グループ&リトミック&聴音グループレッスンなどのお知らせです



聴音Aグループ(4~6歳)・・・・1/17、1/31(日)9:45~10:30

聴音Bグループ(小1~2年)・・・1/9、1/23(土)9:45~10:30

聴音Cグループ(小3~高学年)・・1/16、1/30(土)9:45~10:30 

聴音Dグループ(高学年・中学生)・1/16、1/30(土)16:45~17:45


楽典初歩(希望者)・・・・・・・・1/9、1/23(土)16:45~17:45 

受験生の聴音楽典は其々の時間帯

ちびっこリトミック・・・・・・・1/18、1/25、2/1(月)2:30~3:20(月3回50分)*2/1を1月3週目とさせて頂きます。

幼児グループレッスン(月イチ)・・1月は無し。3月に2回致します。

幼児グループレッスン(通常)・・・1/12、1/19、1/26(火)2:30~3:30(月3回60分)


リトミックレッスン、幼児グループレッスンは、3月で修了、次のステップとなります。
質問等あれば、お気軽に声かけて下さい


また、オープンクラスを予定しています。
子供達がどんな風に成長しているのか、ピアノを弾いているのか、質問等も交えて出来ればと思っています。
殊に、これからピアノを始めようと思っている方、少し年齢が上の人がどんな風に練習しているのか、お互いお話が出来るのも良いことかも知れませんね。
気楽な感じで~


今のところ、1/24(日)、2/21(日)の2回、両日ともいつものように米子市文化ホール練習室で、お昼から予定しています。

内容

ミニミニ・コンサート(子供達の演奏&コメント等)

楽典(音楽の理論)の入り口、ミニ講座

ミニミニ・リトミック

脳科学的な観点から…(すごく簡単にお話すれば)



1、2、3月リトミック&幼児グループレッスンは日程が少し変則的になっています。
ざっと予定をお知らせしておきます。

リトミックレッスン
1/18、1/25、2/1 
2/8、2/15、2/22
2/29、3/7、3/14

幼児グループレッスン(月イチ)
2/2、3/1、3/29

幼児グループレッスン(通常月3回)
1/12、1/19、1/26
2/9、2/16、2/23
3/8、3/15、3/22


オープンクラスでは、脳の発達と音楽や芸術的なアプローチについてのお話が出来ればと思っています。
何故、優秀な学者の方は音楽の素養があるのか?
いま、脳科学も発達し、かなり多くのことが解き明かされてきました。

こころ豊かで幸せな人生をおくるヒントが隠されているように思います。

また、ちびっこリトミックや幼児グループレッスンは、次にどのようにピアノへ繋がってゆくのか、ということが熟慮されていなければ有効ではありません。
楽しい!はとても大切なことですが、それがどのように発展してゆくのか、子供達の様子をじっくり、ゆっくり、よ~く見てあげて下さいね



・・・とまぁ、そんなことを少し簡単にお話しできればと思っています







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