米子 西野ピアノ教室 musica felice

米子市のピアノ教室・・日々思うこと徒然なるままに。
幼児から受験生、大人の方いらしてます。
音楽は心の対話ですね。

サンタクロースの部屋――子どもと本をめぐって――

2013-07-21 06:06:45 | 本の話

この本のお話がしたくて、ひさーしぶりに本の中をチラチラと読み返してみました。



『サンタクロースの部屋』を読んだ20年前以上に、私の実感に訴えてくるもので、非常に非常に共感して、うなってしまっているところです。



もちろん20年前に読んだ時も、とても共感して読んではいましたが、さらに・・と言う感覚を持ちました。。





サンタクロースの部屋・・・とは、見えないものを信じる心の空間、あるいは能力・・・を示すもので、この能力には、「キャパシティー」という言葉が使われているそうです。



心の中に、ひとたびサンタクロースを住まわせた子は、心の中にサンタクロースを収容する空間を作り上げている。



それがサンタクロースでなくても、魔法使いでも、妖精でも、打ち出の小槌でも、鬼でも仙人でも、おまじないでもよい。これらの不思議の住める空間をたっぷりととってやりたい。。この空間、この収容能力、つまり目に見えないものを信じるという心の働きが、人間の精神生活のあらゆる面で、どんなに重要かは言うまでもない。。近ごろの子供は、こざかしく、小さい時から科学的な知識をふりかざして、容易に不思議を信じないという。。子供は本来不思議を信じたがっているのだと思う。。。と、作者の松岡享子さんはおっしゃっています。



松岡享子さんは、神戸女学院や慶應義塾大学で、英文学や図書館に関することについて学んだ後、渡米しウェスタンミシガン大学大学院で児童図書館学を学び、ボルティモア市の公共図書館に勤めた後、帰国し、図書館に勤務されたり、児童文学の研究や翻訳、そして現在は財団法人東京子ども図書館理事長をなさっている方です。



文字を覚えることについても、早期に教え覚えさせることに対して、警鐘を鳴らしていらっしゃいます。



絵本を大人が読んであげることで・・しかも心を込めて・・幼い子供たちは、文字を拾う作業から解放された分だけ、読書という行為のより本質的な部分、すなわち与えられた言葉を使って、自分の中にあるイメージを作り上げて、心の中で一つの経験をすることに入ることができます。



これは文字・・・を、音符・・に置き換えることもできると思います。



リトミックをしていて、本当に思うのですが、心の体験が、どれほど大切かを痛感します。



心からの体験をし、満足すると、子供の顔、しぐさ、目の輝きが、本当に素晴らしく語るのです。



文字や音符は、記号での約束事なので、心の中の体験がまだ未成熟な時に、こういった抽象的な世界に子供の心をさらしてしまうと、心の中の空間の広がりを実現することが難しくなります。



つまり、内面の世界の非常に乏しい人になってしまう・・のだと、思います。



この本の中で、松岡享子さんが、E君のことを書かれていたことが印象に強く残っていました。



E君は、歩く豆百科事典のような子で、この小さい男の子の口から、触覚だの光年だの、ヒョイヒョイ飛び出すので、初めのうちはびっくりして聞いていたのだそうです。



「ゆきがふってきました」というと、すかさず、「日本で一番降雪量の多い市は新潟だよ。気温の一番低いのは十勝市だけど」。。



「おこったつき」という本を読んで。。と、自分で持ってきたにもかかわらず、読み進めるあいだじゅう、E君は、月と地球の距離だの、月の表面の状態だの、成分だの、月に関する彼の知識を次から次へと披露し続けたそうです。



一方では物語に心ひかれつつも、ありすぎる知識と、それを誇示したいという要求に足を引っ張られ、すっぽりと物語に入り込めないでいるという状況。。。物語を物語として素直に楽しむには彼の博識(?)が邪魔をするというわけで、こんなE君の状態を「不幸」だと思わずにはいられなかった。。。と、ありました。。



これは、私の目の前にいる子供たちにも言えることで、知っている知識や世界観の浅さ、知らないことに対する「恐れ」をあまり感じていない。。



そんなことは知っている。。という風に、すぐに考え、発言してしまう。。





やはり、テレビを代表とする「電子機器」から発せられる、力や魂のない音、知識、に対して、よほど気を配らなければ、ますますこの状況は進んでゆくのだと思います。



知っているつもりの、浅知恵、非常に表層的なものの考え方。。これはもはや幼い子供だけの問題ではないように感じているのは、私だけなのでしょうか?



ただ「知っている」だけでは、子供の心を動かすことはできない。。想像の世界の中で、心を解き放つことができない。。物を知っていることで、心の働きが弱くなっている子は、むしろ成長への道が閉ざされてしまう。。物を知りたいという意欲、知ることの驚きや喜び、知らないものに対する畏れこそが、人として成長するための、大きな力の中心になるのだと。。語られています。





この本の中に引用されていた本の内容を、またまた引用しておきます。



。。。



子供が音の性質や意味の関連を体験できるようになるまでには、ある年数の内的成長が必要である。その成熟を待たずに文字というものを教え込むと、その読み書き能力はただのテクニックになってしまう恐れがある。その種の早期教育でなされている「学習」というプロセスは、単に記号と音を反射的に組み合わせているだけでしかない。子供は、しだいに、内的な理解なしにこの組み合わせ作業を習得することになる。そういう習性は子供の思考・情操面での成長を妨げるから、決して近視眼的な早期教育を行ってはいけない。



。。。



全く音楽にも言えていることで、町のピアノ教師である私たちは、肝に銘じて、このことを伝えなければならないのだと思います。



社会の様々な動きが作用して、子供の心から、子供が本来持っているはずの、生き生きした生命力を失わせようとしているのではないか。。。みなさんのお子さんは、生き生きしているでしょうか。驚いたり、不思議がったりしているでしょうか。自分で動き、さわり、遊び、つくり、じっと見、じっと聞くことをしているでしょうか。心はテレビに預けっぱなしの、ただの物知りになっていないでしょうか。。



このように、語りかけていらっしゃいます。





じっと音に耳を傾け、表層的ではない、その本質を掴みとれる人になってほしい。



そして、人の話を、じっと心を傾けて聴ける(本質まで)人になってほしい。



もちろん、リトミックなどでピアノを弾く時、魂を込めて弾きます。



上手下手とかいうことではないのです。



でも、細心の注意は払いますよ。



そしておおらかに。。



今日は、マジメになりすぎちゃいましたかね~






ブルーナーの絵本の翻訳なども多く手掛けていらっしゃるようですね。



きっと皆さまのお手元の本にも、松岡享子さんのお名前が、知らず知らずのうちにあるかもしれません。





ちなみに最近読んでいる本は、吉田秀和さんの「モーツァルト」「モーツァルトの手紙」…それに加えて、オペラオタクAさんおすすめの「ロシアは今日も荒れ模様」を読みかけていて、ロシア人の混沌とした分厚い底力・・・のようなものを感じ、ロシア人の音楽は、だからこうなんだなと、改めて思っているところです。。ロシア人ピアニストのゴルノスターエヴァ先生が、「ロシア人はカオスを好む」と言ってたけど…でも、似たものを中国人からも感じるときがあるな~などと思っているところです。。。っていう私って、やっぱりオタク??



では~



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さなぎの時期…「いばら姫」と思春期、心理学をもとに...

2013-07-16 06:32:49 | おもうこと

心理学の本ではよく出てくるこの表現。



ご存知の方も多いのでは・・とは思いますが、今日はこのことにちょっと触れてみたいと思います。



町のピアノ教師というのは、きっと、はた目から見れば気楽そうに見えるのかも知れませんが、意外と大切な役割を担っているのではないか、、と思っています。



。。そういう「自負」のようなものはあります。。



習い事一般なのかもしれませんが、学校の先生や塾の先生に比べ、細くではありますが非常に長いお付き合いをすることになります。



扱っていることが「ピアノ」という「芸術」に関することなので、当然「心」と向き合うことになります。



そうすると、本当に子供たちのいろいろな心の状態に出会うことになります。



特に「子供」から「大人」に代わる転換点ともいうべき10代初め頃から中盤・・・もう少しかかる場合もあるかもしれませんが・・・この時期は本当にご両親にとっては、何が起こっているのか、びっくりするようなことが起こるので、どう扱っていいやら戸惑ってしまうことも多いのではないでしょうか?



子供さんによっては、そこまで大変じゃない子もいますが、強い個性で、非常に手こずるケースもあろうかと思います。



私のピアノ教師歴で、一番初めに手こずったのがMちゃん。



この子が今日は来る・・と思うだけで、気が重くなることも正直ありました。。私もまだ若かったんでね。。



ものすごくふてくされて、しかし休まず来るんですよ。



その子が帰った後、次のレッスンに来ていたEちゃんのお母さんが、「うちのお姉ちゃんも、反抗期だけど、Mちゃんは相当すごいですねぇ。。」と、思わずおっしゃった・・ぐらいひどかったです。



その途中でも、いろんなことがありました。



でも、賢い子だったので、有名大学に決まり、その後は頑張ってたみたいですよ。



音楽で行くことも考えたぐらい、ピアノも弾ける子でした。



私も手こずったけど、おうちの方は相当大変だったと思います。



彼女が卒業の時、お母様が素敵な高級レストランにお誘いくださって、ご馳走してくださって、おっしゃったんですよ。



「私一人(もちろんお父様もいらっしゃいました)では、とてもあの子を育てられなかったと思います。ありがとうございました。」と、、、感激した覚えがあります。



私もまだ若かったので、達観するには至らず、右往左往しながら、Mちゃんと対決したり、寄り添ったり・・・そんな14年間のお付き合いでした。



その子も、もうすぐ40歳になるような年齢。



東京あたりで活躍してるのかな。。



とても強い個性と能力を持った子でした。





Yちゃんの名言もあります。



あまりにも名言だったので、相当数の方に言ったことあるんですが。。



この子もすごーく大変だった。。



この荒れ狂う時期が何年も続いて、私もさすがに・・先生変わった方がいいのでは・・と思ったくらいだったのですが、そうこうしているうちに次第に収まり、落ち着いてきた。。



もう本当に普通のかわいい、でも確かに精神的にも肉体的にも成長を遂げたYちゃんに変貌を遂げた・・と思われる頃、このYちゃんの前のレッスン時間の子が、こう状態で、ものすごくブスッとして、すごい態度で帰って行ったのを二人で見送りながら、「ねえ、Yちゃんもあんなだったよね。あの時ってどういう心境だった?」って聞いてみると、Yちゃんしばらく考えて・・・



ひとこと。



「あの時は、、、子供だった」



。。。



だそうです。。



ピアノ教師って、気付いたら目の前にいる、そして長く付き合う「親以外の大人」としては、もしかしたら、親戚のおばさん以上の存在なのかもしれないなぁ・・って思うんですよ。



なので、ダイレクトに心の状態を、まったく遠慮なくぶつけてくる子も多くいて、本当に大変なこともあります。



最近は、若いころに比べれば随分私も「達観」の境地になれるようになり、落ち着いて見れるようになってきました。



うちの子が本当に失礼な態度をとって。。すみません。。



とおっしゃることも間々ありますが、



失礼な子は山ほどいますよ。そんなこといちいち腹を立てても身が持たないです。それが心の中で、どんな変貌を遂げているのか想像できるので、いろいろな言葉を投げかけながら、あるいは何も言わないで、見守っています。。



。。と。。。



前にも書きましたが、100年の眠りについたら、時が来るまでどうにもならない、、しかし時期が来たら、ちゃんと、その「イバラ」のトゲで生い茂った中から、素晴らしく成長した子供の心が現れます。



本当に、昔話というのは、象徴的に人の心の状態や心の成長、あるいは変化を表現しているようで、先人の知恵は大したものだと思いますし、何百年たっても、人の心の根本はそうそう変わらないのだな。。とも思います。。



「さなぎ」



もそうです。



一見グロテスクとも思えるこの状態。



さなぎになってしまうと、殻に覆われた中で何が起こっているのか見えないし、表面は荒れ狂ってるようにも見えることもある。



ヘタにこじ開けようとしたらダメですよ。



じっと、見守る。



ほっといてもダメ。



とにかく「心」を使って、じっと見守る。



「さなぎ」の内部では、素晴らしい変化を遂げていて、今まさに「ちょうちょ」になろうと、もがいているのかも知れません。



きっと本人も苦しいと思います。



しっかりと見守ってあげてください。



でも、はれ物に触るようでも、あまり良くないのかも知れません。



きちんと、心と心で語ってみてください。



きっとご両親だって、ご自分が子供の時、思い当たることがあるのではないでしょうか?



むしろ幼かった頃のように、変わらずずっと従順・・な方が心配です。



いつか、幼い頃とは変化している。。と思う時期が来ると思いますが、来るべき時期が来たのだと、心を決めて、じっくり、、少しは右往左往してもいいんじゃないですかね。。覚悟を決めて、向き合ってみてください。



そうしてこちらも一緒に人として成長するのだと思います。



町のピアノ教師・・・なかなか面白い仕事ですよ。。見た目より、けっこう大変ですけどね。。



では~









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あちらの世界こちらの世界

2013-07-10 07:32:29 | おもうこと

先日も書いた、ドイツの児童文学者ミヒャエル・エンデ

ドイツ語は、言語として思考することに向いているようで、哲学者が多いみたいですね。

ベートーヴェンとも親しかったゲーテを初めとし、多くの歴史的哲学者を輩出しています。

児童文学者・・と簡単に言いますが、ミルクにお砂糖を混ぜたようなあまーい言葉が並んでいるわけではありません。

短い言葉の中に、真理がある・・・これが優れた絵本や児童文学のすごいところですね。

もちろんカタイ内容のものばかりではありませんよ。

やはりすぐれた作品には「力」があります。

ドイツの児童文学者の中には、ケストナーなど、ほかにも素晴らしい作家がいるのですが、この話はまたの機会に・・・

で、、ミヒャエル・エンデ

この方も、そうとうに「哲学者」でしたね。

エンデ作品の中に、「はてしない物語」という本があります。

商品の詳細

この本の文字の書き方が、非常に面白いんです。

読みやすいように少しトーンは抑えてありますが、赤い文字と緑の文字が、それぞれの世界を表しています。

「あちら」の世界と「こちら」の世界。

「あちら」と「こちら」・・・あちらとは異界、彼岸とも言えますが、「空想の世界」と「現実の世界」としておきましょう。

母親を亡くしたばかりの少年が、ふとしたことから、「あちら」の世界に行くことができるようになる。

少しずつ「あちら」と「こちら」のバランスが、「あちら」にシフトしてゆく。。

ついに「あちら」だけの住人になり、見せかけの「英雄」になったかと思ったが、ギリギリのところで「こちら」に戻り、父親との和解を果たす。

そして現実を見つめながら、地に足の着いた、「普通の少年」として、歩いてゆく。

簡単すぎる言い方ですが・・・。

素晴らしい作品なので、是非このファンタジー、手に取ってお読みください。

「あちら(空想やファンタジー)の世界とこちら(現実)の世界、このどちらにも自由に行き来できる人の精神こそが、健全なのです。」と。。

ピアノを弾く時も、肉体をどう駆使してどのような音を出すか、、や、楽譜をどう読み解くか、、という現実問題と、作曲家の人生や心に思いをはせ、時にはファンタジーの中で遊ぶ。。。この両方がなされているわけです。

とても素晴らしいことをしているんだなと、つくづく感じます。

フランスの画家、ポール・ゴーギャン

われわれはどこからきたのか われわれはなにものか われわれはどこへいくのか、: D'o�・ venons-nous ? Que sommes-nous ? O�・ allons-nous ?, : Where Do We Come From? What Are We? Where Are We Going?)は、フランスの画家

楽園を求め、家族も仕事も捨て、南の島タヒチに移り住み、絵を描き続けました。

しかし、彼が病の床に伏し、病床の枕元に残されたのは、故郷の雪景色の絵だった・・と・・・

彼が人生をかけて、問い続けたのは・・?

私たちも、日常的・現実的な世界に引き寄せて、あれこれ考えてみるのも良いかも知れませんね。
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バッハの人気ランキング

2013-07-09 12:04:46 | おもうこと

少し前に、調べたいことがあって、ネット検索をしていたら、J.S.バッハの時代の人気ランキングというのがあって、1位はテレマン、2位ヘンデル、、肝心のバッハは7位であった。。という記事があって、興味深く読みました。



J.S.バッハは、10代の時に、両親と死別し、長兄のところに身を寄せました。



この事は、私も小学生の時に読んだ子供用の本で読み知ってはいたのですが、なんとなく当時のことだから相当な年上のお兄さんだったと、勝手に解釈していました。



でも、このころの長兄は、まだ20代の若者で、家庭を持ったばかり。



そのうち子供も生まれるし、自分自身の生活だって大変だったと思います。



出来る限りの教育は受けさせてもらってはいますが、どこまでも高学歴を望むこともできず、バッハは10代後半(17歳から)で既に仕事についています。



もちろん才能あふれる若者でしたし、教会オルガにストなどの仕事に就き、生徒を指導する立場だったバッハですが、自分より年上の生徒もいて、ちょっとした争いごとになったという記述が、克明に残されているようです。



なんでも、「へっぽこファゴット吹き」と、バッハになじられた3歳年上の生徒が、それを根に持ち、待ち伏せして襲撃したというのです。



樋口先生のお兄様である、樋口隆一先生の「バッハの風景」(小学館)に、詳しく書いてあります。



少し引用。。。



4回にわたって開かれた長老会の記録には、その顛末が克明に記録されている。長老会に訴えたのはバッハの方なのだが、結果はどうも「けんか両成敗」の方向に流れてしまったようだ。なんといってもバッハは生徒を監督する立場なのだから、そんな挑発に乗ってはいけないのだが、ガイヤーズバッハは生徒と言ってもバッハより3歳も年上だったというのだから、無理もないと言えるのである。・・(略)・・いくら才能があるといったって、大学にも行かず高校を出たばかりで新しい教会のオルガにストという華やかな地位を得たバッハに「へっぽこ」呼ばわりされてはつらかろう。「人間はみな不完全さをもって生きているものだ」という長老の意見には、妙に合点がいく。・・・



もう、ここを読んで、大笑いしてしまいました。



隆一先生が、「妙に合点がいく」・・・と書かれたことも、なんだか私にとっても合点がいって、ツボに入ってしまったので、紀美子先生に「お兄様のここの文が良かったです」と言ったら、「あら、そう!?」はははっ、と笑っていらっしゃいました。



余談ですが、樋口隆一先生の本って、かなり詳しく専門的にもかかわらず、たいへん読みやすいのです。



バッハに対する「愛」を感じます。



私の好きなドイツの児童文学者に、ミヒャエル・エンデという人がいます。



白い竜が出てくる映画「ネバーエンディングストーリー」の原作者としても有名ですが、代表作に「はてしない物語」「モモ」(・・その他著者多数)等があり、多くの本を世に出しました。



「エンデと語る」という、子安美智子さんの本があるのですが、この中でエンデは、作品を書くときに、一度得た知識を自分の体内に取り込み、まず忘れる。。。そして本当に自分のものになったところで書く。。



というようなことを述べていましたが、説明的に感じる作品は、この「忘却する」「体内に取り込む」という作業が未完だったのではと感じます。



よく生徒さんの演奏にも、「説明的に弾かないで!」と、注意することがあるのですが、言われたとおりに、少しアクセントをつけよう、などと頭で考えただけで弾いてしまうと、そういうことになるのだと思います。



自分のものにしなければ、本当に「作品」にはならないのでしょう。



エンデの言葉の中に、「愛」は、「にもかかわらず」という感情だと。。こんなに素晴らしいから、、という理由づけでなく、出来ないところがある、ダメなところがある・・・長老の言葉を借りれば「不完全さ」にもかかわらず・・・愛するのだと言っていました。



そうなのかも。。。ですね。。。



マスコミや宣伝や・・いろいろなところに、こんな素敵なことがあります!と、「光」の部分だけを強調するような流れがありますが、物事には「光」があれば「影」もあるわけで、それがないものは、「実像」ではなく「虚像」なのではないでしょうか?



これをしさえすれば、上手くいく。。とか、幸せになれる。。。ってことは、まずなく、そのどちらも見つめてこその「本物」なのだと感じています。



「光」の部分しか見つめない姿勢でいることは、「精神の幼さ」につながってゆくのではないかと、危惧しています。



ぁ。。。また、難しいことを言い始めてしまいました。。。



さて、バッハ。。。



凄すぎる人なので、「教科書」を「勉強」する感じになってしまいがちですが、彼だって、より待遇のいいところを求めて、仕事場を移っていったり、老境に入り、若者にとって代わられようとしているときに、売り込もうとしたり、、それはもちろん「生きていた人」なわけで、いろいろな葛藤があったに違いありません。



次第に息子たちや、ハイドン(バッハの息子の一人と同じ年に生まれた)など若手の新しい曲がもてはやされるようになり、世間から忘れ去られたかのようであった時代が過ぎ、新たにメンデルスゾーンによって、世間に知らしめられた・・と言うのは有名な話です。



その間の多くの作曲家などは、バッハの平均律をいつも傍らに置いて勉強していた・・という記述にしばしば出くわしますが、一般的には演奏会で取り上げられることも、ほとんどなかったのでしょう。



お客さんが入らなくては、演奏会は成り立ちませんからね。。



いつの時代も、世間というのは、そんなものなのかも~



なーんて思いながら・・



ちなみに、子供たちにとっては「プレ・インベンション」の中で、ちょっと弾くこともある・・程度のテレマンですが、当時は実力者で尊敬される大人物で、バッハも息子の一人がテレマンに名付け親になってもらっているようですね。



今日は、ずいぶんカタくなってしまいました~~



我慢して読んでくださった方、ありがとうございます











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美しい野菜たち

2013-07-07 06:09:45 | 美味しいもの

「私のおじいちゃんが作ったので食べてください。」

と言って、美味しそうな野菜をたくさん持って来てくれました。

本当に自然の造形は美しいなと感動します。

野菜たちも、ひと月もすれば色も変わってしまいますし、それより先に私のおなかの中に入ってしまいますので、画像に撮っておきたいな・・と思いまして。

Img_4199美しい色彩・・猫のちーちゃんがなにげに写ってる


Img_4015造形美も抜群・・もちろん味も抜群!

絵が描ければ、描きたいと思う・・画家の気持ち~

友人のお父様が、せっせと野菜を作って孫に送っていらして、「おじいちゃんは、たくさん野菜を作っていて、僕たちにいつも野菜を送ってきてくれます。」と作文に書いていたそうな・・しかし、ジイジの本業はお医者さん・・・みたいな面白い話もあります。。。そうそう、「今日のお鍋にスーパーで買ってきた白菜を入れてもいいですか?」と、確認しないとダメだったそうです。

うちの生徒さんのおじいちゃんたちも、リタイア―の後、第2、第3の人生の友として、畑に精を出していらっしゃる方も多く、「プロか?!」と見まごうばかりの腕前で、素晴らしい野菜を育てていらっしゃいますね~

「先生、ねこ見せて~」

と、子供たちにせがまれるんですが、猫が嫌がるんですよ・・

私の前だと、おなか出して寝てるくせに、母や妹が来ると怖がってベッドの下にもぐってしまう仔もいるんで、画像でゆるしてね~

Img_4202よく見ると壁紙やられてる~猫と子供には勝てません

Img_4203トコたん、お手!この仔はすごーく優しい仔です

Photoいろんな物を散らかし、おなかを出して寝る~日常定番!

他にも全部で6匹の猫、1匹のわんこがいます。

さて、皆さんが旅行など行くと、猫グッズを見つけてはお土産に買って来てくれます

Img_4192あ~ピンボケだった。。

Img_4069


Img_4075


その他、よく見れば猫グッズ・・だらけ・・時計まで~

さーて、今日はこの辺で終わりにしときます。。

画像多いから、美絵ちゃんのご主人大丈夫かもね~~

では~~







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世界がおまえたちの舞台だ

2013-07-03 07:55:20 | 本の話

世界がおまえたちの舞台だ―チョン・ファミリー物語

世界的指揮者チョン・ミュンフンを筆頭に、チョン・キョンファ(ヴァイオリン)、チョン・ミュンファ(チェロ)、3人のビッグアーティストを育てた、韓国の肝っ玉母さんの本です。

米子コンベンションセンター・ビッグシップの「こけら落とし」で、チョン・キョンファの素晴らしい情熱的なヴァイオリン演奏を聴いてから15年経つんだな・・・と思うと、感慨深いです。

実は7人きょうだい。。漢字にすると、姉兄妹弟・・どんな組み合わせがいいのか迷ってしまいます。

3人クラッシックアーティスト、医者、事業家、大学教授(おそらく3人)・・様々な分野で活躍しているようです。

歴史的な背景もあり、そうとう苦労されたようですが、揺るがぬ信念を持って教育を施し、成功した人と言えるのでしょう。

人からもらったスカートを穴があくまではいて食堂を経営し、子供たちもそれにこたえて勉強に励んだし、親の手伝いもたくさんしていた。。兄弟が多い分、きれいごとでは済まされないこともあった。。それにどうやって立ち向かったか。。子供たちがコンクールなどで演奏してくると、必ず「よくやった」と心からの褒め言葉で迎えていた(失敗した時も)。。やめたいと思った時、お前自身が一番大切な存在なのだからよく考えて辞めたかったら、その選択もある。やっている楽器などに執着することはない。。

等、印象に残っています。

読んだのは、ビッグシップこけら落とし公演より何年も前だったので、20年近くになるんでしょうかね。。

この示唆に富んだ教育方針や言葉の数々は「聖書」に基づいているようで、敬虔なクリスチャンであるチョン・ファミリーのゴッドマザーは、世界中で多くの講演会もしていらっしゃると聞きました。

事実、米子市でも行われたようですが、私は聞きに行ってはおりません。

。。。

面白かったですよ。

。。。

そうそう、こういう類では「千住家の教育白書」も、大変興味深く読みました。

養老孟司さんのお母様の自伝書「一人では生きられない」も、この母にしてこの子あり、、人の何倍もの濃密な人生を送られた、パワー溢れる女医さんでしたね。

黒柳徹子さんのお母様もすごかった。

もちろんそこには、素晴らしい「父親」という存在もあるわけですが、母は強し!です

今日、書きたかったことの本題ではなかったんですが。。

また長くなってしまいました~~・・・あとちょっとだけ・・

初めにお話ししていた、チョン・ミュンフン、素晴らしいピアニストであり、指揮者でもあるんですが、日本のジュニアオーケストラの指導をする。。という番組がやってたことがあります。

これもそうとう昔の話ですが。。

ベートーヴェンの「運命」・・ゥジャジャジャジャーン!

の出だしで、超有名な曲ですよね。

チョン・ミュンフンの指導で印象的だったのが、この出だしの呼吸

その為に、子供たちを体育館に連れてゆき、スタートダッシュの練習をさせるんですよ。

この呼吸だ!と。。

素晴らしかったですね。

そのあと、子供たちの演奏は飛躍的に上達した・・と記憶しています。

感覚を掴んだのでしょう。

よしもとばななさんも、河合先生との対談で、「何か小説を書くときの、よし!と決心して始めるときの感じが、子供の頃に屋根から屋根に飛び移って遊んでた(やっちゃダメですけど)感覚と同じなんです。」と言ってらっしゃったけど、ただ机に向かって勉強してる、とか、部屋でマジメにピアノ練習してるとか、そういう事では得られない感覚というものも、大いにあると思います。

さて、チョン・ミュンフンですが・・・子供たちの別れ際に、一人一人に「スコップ」をプレゼントしていました。

どういうことだと思われますか?

「掘り下げて」

このメッセージを託されたんです。

これは音楽に限ったことではないのかも知れません。

あれから時間がずいぶん経過しました。

きっとこのころの子供たちは、立派に成長していることでしょう。

世界的な指揮者からプレゼントされた「スコップ」

きっと、掘り下げて掘り下げて、「物事の本質」を見極めようと、見るたびごとに思うんでしょうね。

あ――また長くなっちゃいました~

今日も美絵ちゃんのご主人には読んでもらえなさそうだ・・

文字数多くてスミマセンでした~~

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