米子 西野ピアノ教室 musica felice

米子市のピアノ教室・・日々思うこと徒然なるままに。
幼児から受験生、大人の方いらしてます。
音楽は心の対話ですね。

ケストナー作「飛ぶ教室」

2013-12-23 23:58:03 | 本の話

昨晩から今日にかけて、立命館大学の100円朝食についてコメント頂き、ありがたく思っています



私・・ずいぶんシンラツなことを書いていますが、まったくもって本心、本音です~



大量のコメント数です



             



さて、先週の読書は、またまた河合隼雄先生の著作の数々・・・いろいろな著者の本を何冊も並行して読むんですが、面白くてつい読みふけってしまうのが河合先生の著作なんです。



きっと私の心に栄養を与えてくれる「心の師」なのかもしれません。。



勝手な片思いですので・・・・もう故人ですし・・生きていらっしゃれば今年で85歳くらいでしょうか?



「泣き虫ハァちゃん」 河合隼雄・著  岡田知子・絵



とても興味深く読みました。



物語としても優れていて、楽しく面白く読めると思います



心理学者、河合隼雄先生の遺作となってしまった、切なく温かな自伝的小説・・途中倒れられてしまったので、まだまだお書きになりたいことがあったのかも知れません。



恐らく河合先生は、もう少し成長するところまでかかれる構想があったのではないかと思うのですが。。



大変読みやすく、子供たちにも充分読みこなせます。



子供の世界の細やかな心の機微が描かれており、おススメです。



子供たちだけでなく、是非お父さんお母さんもお読みいただければと思うのです。





今江祥智さんの「ぼんぼん」をはじめ、子供の世界を細やかな視線で(もちろんそれはご自身が良く子供の頃の心の内を記憶していらっしゃるからこそ)描かれている児童文学は多く、魂の奥深くに問いかけるような、細やかかつ広がりのある世界を描き出してあるのが児童文学ともいえます。



井上陽水さんの歌で有名な「少年時代」



この映画をご覧になったことがありますか?



1990年公開のこの映画、この20数年で、一番泣いた映画です。



子供の世界も切実で辛辣で、そして深く豊かで、大人以上に厳しさも持っている。



以下、Wikipediaから引用しました。



*****************************************



作家柏原兵三の小説『長い道』を漫画化した作品である。



漫画版の舞台は、藤子不二雄Aが戦時中に疎開した富山県朝日町山崎をモデルにしている[1]



『少年マガジン』連載当初は、読者からの反響がまったく無く、作者(藤子?)自身戸惑っていた。しかし連載終了後、読者からの手紙が殺到したという逸話がある。



1990年、東宝系にて篠田正浩監督で映画化され、日本アカデミー賞を受賞する。また井上陽水の大ヒット曲「少年時代」はこの映画の主題歌である。原作者である藤子不二雄?が、友人である井上陽水に曲を依頼した、という。



*****************************************



何が言いたいかと言いますと・・ここまで深く描かれた作品が、国内外問わず多数存在するということです。。



あれ・・??



ちょっとカタかったですかね~



さて、やっとこさ本題の、ケストナー「飛ぶ教室」



河合先生のお子さんたちが子供の頃(思春期くらいだったと思います)学校の先生に読んでほしい本の筆頭にあがったものだそうです。



とても思い入れがあったのだと思います。



子どもの本の作家と大人の本の作家が自由に交流できる場を提供し、従来の児童文学の枠組みを広げることを趣旨とする。。。として、1981年~1995年の間「児童文学の冒険」という副題で、「飛ぶ教室」という雑誌も刊行していました。(その後、復刊しているようです)



そのもとになった、ケストナーの「飛ぶ教室」の“まえがき”が素晴らしいので、これを引用したいと思います。



ぜひぜひお読みください



*****************************************



(略)私は、ある著者からおくられた子供の本を取り上げて、読み始めましたが、間もなく脇へおきました。ひどく腹が立ったのです! なぜだか、いいましょう。その著者は、自分の本を読む子供たちをだまして、はじめからおわりまでおもしろがらせ、楽しさで夢中にさせようとします。このずるい作者は、子どもというものが、極上のお菓子のこね粉でできているようにやるのです。



どうしておとなはそんなにじぶんの子どものころをすっかり忘れることができるのでしょう? そして、子どもは時にはずいぶん悲しく不幸になるものだということが、どうして全然わからなくなってしまうのでしょう?(略)



なんで悲しむかということはけっして問題ではなく、どんなに悲しむかということだけ問題です。(略) 私はただ、つらい時でも、正直でなければならないということです。骨のずいまで正直で。



(略)昨晩、ホテルの部屋で私が読んだ子供の本を書いたずるい作者は、子どもはいつも元気で、ただもう楽しくて無我夢中だと言いますから、(略)  ただ、何ごともごまかしてはいけません。またごまかされてはなりません。不運にあっても、それをまともに見つめるようにしてください。何かうまくいかないことがあっても、恐れてはいけません。(略)



あの二つのたいせつな性質、つまり勇気とかしこさをあらわすことができます。



かしこさを伴わない勇気は、不法です。勇気のともなわないかしこさは、くだらんものです!



世界史には、ばかな人々が勇ましかったり、かしこい人々が臆病だったりした時がいくらでもあります。



それは正しいことではありませんでした。



*****************************************



内容は、ご興味ある方はお読みいただければと思います。



ただ。。



これが発表されたのは、ナチスが台頭し始め、不穏な空気が立ち込めたドイツでのことです。



反骨の作家、非常に厳しい状況下で、、しかもユーモアを失わない。





児童文学は、もはや子供だけのものではなく、むしろ大人が読むべきものなのだと言えます。



是非お手に取ってみて下さい。



では今日はこの辺で~






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気になったこと・・ある大学の100円朝食について

2013-12-19 08:50:13 | おもうこと

先日レッスンの時、一人のお母さんから、夜のニュース番組で、ある大学の100円朝食の話が出て、私も「え?・・・」と思った報道だったので、ちょっとそのことについて書きます。



大学に母の会があり、子供たちがろくな朝食を食べないので、親の会でお金を援助して100円で朝食を提供したところ、多くの学生が喜んで利用して、良かった・・成功だ・・と。



「え?・・・大学生でしょ??」



こう思ったのは私だけではなかったらしく、そのお母さんも「疑問に思う私がおかしいのかな?と思いましたが」



と仰っていましたが、どこまで子ども扱いなんだと、驚くべき現象で、



「私より年上の方だったように思いましたけど・・」



紹介の中に、50代のお母さんもいらっしゃって、こういうことを疑問に思わないこと・・日本ってどうなってるの??



そもそも、そういうことを思いついたのは、自宅通学している学生のところに友人が集まり、食事を出したところ、肉じゃがや野菜が久しぶりだと喜んで食べていた。。



これは何とかしなくちゃ・・と。



学食で260円の朝食もあったりしたのだが、それすら節約するのは、遊ぶお金を捻出するため。。



それを知りつつ、お金を援助してまで、なんで朝食を食べさせようと、思いつくのか
??



小学生じゃないですよ



中高校生だって、安い野菜でも買って来て、自分で作って食べればいいのでは?。。と言う話ですよ。



コンビニで買って食べようとするから高いわけで、友達とシェアするとか、なんで思いつかないんだろう??



そのまま大学出たら社会人になる。家庭も持つ。



これでは、困った人がたくさん出るのも頷ける話で、キャスター(宮根さんも木村さん)も番組の趣旨なのか強い事は言うに言えず・・私が学生の頃は安いラーメンとかで凌いでいましたけどね・・云々



そんなことまでして大学行かせてもらって、何勉強してるのか。



「学ぶ」ということについては、まだまだ書きたいことが山ほどあるのですが、長くなるので、少しずつ、続編を書こうと思っています。



子供に優しくしているようで、実は、その子の人格や存在を見くびっているのでは?と思うんです。



本当の親の愛情は、その人が一人でしっかり生きてゆく術(すべ)を伝え教えること。



生きてゆくって、生半可なことじゃないと思います。



「『人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し』と徳川家康は言ったが、遠き道どころか『人生は崖登りだ』と思う。」



養老孟司先生はこう言っていました。



「君たちだってガンになることはある。ガンになって治療法がなくてあと半年の命だよ。と言われることだってある。そうしたら、あそこに咲いている桜の花が違って見えるだろう。」



「桜が変わったのか。そうではない。それは自分が変わったということに過ぎない。知るということはそういうことなのです。」



「知るということは、自分がガラッと変わるということです。世界が全く変わってしまう。見え方が変わってしまう。それが昨日までとほとんど同じ世界でも。」



何かしら、how-toを学び、マニュアルを手に入れることが学ぶことではないのです。



“雑学”を知識と勘違いしてはいけません。



“知識”にとどまらず、“知恵”も大切でしょう。



本をたくさん読んだとしても、上っ面では意味がない・・とも言えるのではないでしょうか?



たった1冊の本でも、運命を変える「出来事」「体験」になることだってあるのですから・・



ピアノ・・曲を演奏する・・ということもまた然り(しかり)。



誰かの演奏をまねても、本当の意味はないわけで、楽譜と「対話する」と言うところまで持ってゆければ。。



と思う訳です。



長くなるからここまで・・と思ってからさらに長くなってしまいました。



この事に関して、また続きも書ければと思います。



では~~



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田中泯・・・という人(ご興味ある方への記事)

2013-12-13 09:09:45 | おもうこと

ちょっと興味深かったので、田中泯さんについて、少し載せておきます。

ご興味ある方だけ、お読みください。

こんなカッコいい人なかなかいないですね。。

本も出ているようなので、ご興味あればどうぞ!

それにしても凄い。。圧倒的な存在感です。。

写真:田中泯さん

■今の自分、カッコいいか (いじめについて)

 最初に断っておくが、いじめは子どもの責任じゃない。大人の責任だ。子どもはきょろきょろ大人を眺め、大人のまねをしているに過ぎない。

 大津の問題では、自殺から9カ月が過ぎたというのに、今ごろ大人たちはバタバタしている。学校も教育委員会も警察も自分に都合のいいことばかり言う。

 君は、大人の「見せかけの本音」を見抜いているだろう。言い訳で身の回りを固めた大人たちの姿をカッコ悪いと思うだろう。

 でもね、大人だって、かつては子どもだったんだ。君だって大人になるんだよ。ある日突然、子どもを卒業して大人になるわけじゃない。今の君の生き方が大人の君をつくるんだ。

 今、君がいじめを見て見ぬふりをしているなら、大人になった君もきっと傍観者だ。面倒な問題とは無関係な安全地帯に身を潜めるだろう。それでいいのか。

 僕も小学校時代、散々いじめられた。背が低く、どもりもあったから。土に埋められ、砂も食わされた。誰も助けちゃくれない。でも逃げ場はあった。川や森に逃げ、独りで過ごした。そこで孤独の素晴らしさを知った。

 協調性ばかりが求められる世の中だけど、僕は孤独が大事だと思う。誰にも見られていないときにこそ、本当の自分がいるんだ。 君は親や先生や友達の前ではカッコよくふるまうだろう。でも、周囲に知人がいない孤独なときにこそ、カッコよく生きてほしい。僕が思う「カッコいい」の意味は、自分の生きている理由を自分で考え、自分の意思で行動できることだ。

 孤独なときに考えてごらん。今の自分がカッコいいかどうか。どんな大人になりたいのか。進学先や就職といったちっちゃな話じゃないぜ。いじめられている友達の顔も思い浮かべてごらん。そこで考えた結論が、「大人の君」を決定づけるかもしれない。(たなか・みん=舞踊家)

ところで思春期と言えば、人よりも個性的でありたいと思って、やたらと観念的になったり暴力的になったり、身体に対して抑圧的になったりしがちです。

学校までが個性的であれと言い出したけれど、個性は本当はきついものです。表面的な個性を語るのは大嘘なわけで、本当は深いところにあって、恥ずかしくて本人にとっては恐いものであったりする。「個性を認識しよう」ならともかく「個性的であれ」というのはおかしい。

踊りだと、そういうものを全部取っ払う。みんな身体が個なんです。でも、記憶している自分らしさに人はこだわる。何もしないそのまんまで個です。

だから踊りの極地はそこにいて、「あ、いた!」ということでいい。「そこにいること」を確認したとき、その人が踊りを感じられたらそれでいい。見せるとか見られるという関係もない。

田中 泯さん

ところで、龍馬伝に出てくる吉田東洋役の田中泯も、有名な前衛舞踏家で、ハゲタカでも敵対的買収にさらされる大手家電メーカーの技術者・加藤役で異彩を放っている。

画像画像

無言の裸身ですべてを表現してきた人たちには、しゃべる俳優としての存在感など、造作もないことなのかもしれない。

画像画像

カッコいい。

僕はずっと裸だった

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読みたい本だらけで~

2013-12-09 12:16:39 | 本の話

先日、若いご父兄の方とお話ししていて、お話しくださったのですが、blogの本の紹介を読むだけでも、内容をちょこっとかいつまんだ感じで、お役に立っているようで、私のつたない文でも、まぁ書かせていただいている甲斐があったんだな~と思った次第です~

皆さん、育児に家事に仕事に、本当に忙しく一生懸命日々過ごしていらっしゃるので、手短に情報をお伝えし、興味あれば手に取って読んでみられてもいいし・・・という感じでしょうか?

なので、今日も書かせていただきます

あまりに読み散らしているので、最近の読書なんだっけ??と、一週間前に読んでいた本すら、遠い過去の出来事のようにさえ感じるのですが・・・

先日、岩宮恵子さんの新刊が出たので(昨日12/4新刊出たので~とご本人から教えていただきました)早速買い求め、読んでおります。

本のタイトルは「好きなものにはワケがある・・・宮崎アニメと思春期のこころ」ちくまプリマー新書

これは、子供たちが読んでも読みやすいように、語り口をかなり柔らかくしてあります。

皆さんもこう感じたことありませんか?・・・のような感じで、中高生目線でとらえてあるようです。

2009年発行の、「フツーの子の思春期」も、興味深く読みました。

こちらは、語り口はややハードですが、いっとき「ビミョー」とか「フツー」といった言葉で表現されていた子供たちを取り巻く世界を、非常に深い考察と鋭い目線で読み解いています。

思春期の難しい子供たちの世界を知る手がかりとしては、おススメの書・・・といえます。

大人がまず深く思考しなければと思うのです。

ということで、今日は最近読んだ本を列挙して終わります。

内容についてはまた・・・

商品の詳細商品の詳細

思春期をめぐる冒険―心理療法と村上春樹の世界 (新潮文庫)

生きにくい子どもたち―カウンセリング日誌から (岩波現代文庫)

フツーの子の思春期―心理療法の現場から

好きなのにはワケがある: 宮崎アニメと思春期のこころ (ちくまプリマー新書)

佐野洋子さん、宮沢賢治、ミヒャエル・エンデ、シュタイナー教育・・・それから何十冊も読みふけった河合隼雄先生

それで今、中高同級生の岩宮恵子さんの本を読みつつ、ご本人からもお話を伺えるという幸せ・・・

そして、もう一つ情報・・・

2014年9月労音のコンサート

黒田先生とイタリアイケメンのカルテットのプロメテオ決定したそうです!

片田舎の米子にいても、色々情報が入ってくる時代ですね~

新しい年に向かって、もうワクワクしてきました。

まだまだ年末に向けて、たくさんのデートのお約束や、子供たちやOBOGとの楽しみなクリスマス会やら~

まだまだ長生きせにゃぁ~~

ではまた――

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習い事

2013-12-04 07:18:13 | おもうこと

お久しぶりです。

先週、猫が死にかけました・・

なんだかいつもと違う・・・ご飯もねだらないし、呼吸が変だし、足もちょっと冷たい感じがする・・・水曜日の夜でした。

次の日の午前中、たかもり動物病院へ連れて行って、「良くないですか?」と聞いたら、「はっきり言って、死にかけています」と・・・

レントゲン撮ったら、肺が真っ白・・・血栓ができてどこかで血流が止まり、肺水腫も起こしていて、大変なことに

木曜日に入院して、酸素濃度の高いケージの中で、点滴をしてもらいながら経過を見る

何かあったら緊急の電話をしますと言われたので、ケイタイははなさず。。

猫のショックからか、私も発熱。

どうにもこうにも力が出ず、金曜日、土曜日と、休ませていただきました

気付いたのがまあまあ早かったようで、何とか一命をとりとめ猫は帰宅

毎日嫌がる猫の口に、スポイドでミルクで溶かして薬を流し込み、ちょっと回復。

昨日久しぶりにご飯を食べていました。

ただ、予後はよくないそうで、命の期限は迫っているようです。

ちゃんと看取ってあげようと思っています。

さてさて、前置が長くなってしまいました。

今日のお題、、、習い事・・・

ピアノはこのカテゴリーに入るんでしょうね。

むかし市役所の何かの調査で、ピアノレッスンはサービス業・・・って知った時のショック・・・私、サービスしてんのね~~みたいな・・・

そう割り切ることもできるのですが、やはりここの境界線が難しいところ。

何故そう思うのかと言いますと、、、分かり易く言えば、たとえば歌舞伎の世界での、子供の時からの修行や、歌舞伎でなくともテレビや映画に出る子供たちの「稽古」をつけられているところが時々お茶の間にも、ドキュメンタリーのような形で放送され、私たちも垣間見ることができますよね。

ちょっと似ているな・・・と思う時があるんです。

いかに子どもとはいえ、感情を呼び起こしたり、体をいかに使うか・・・など、子供だから出来なくても仕方ない・・・ということにはないこともありますね。

孤独な役柄なら、わざと誰ともしゃべったりご飯を食べたりしないで、「そこに一人でいなさい」と、監督に指示され、役の気持ちを作っていくとか。。

歌舞伎も、詳しい事は何も知らないですが、「型」を覚え、中から出てくる何かを磨いてゆかなければ、普通の人では出せない、あの得も言われぬ華のある感じは出てこないのだと思います。

特別ハンサム・・とかではないのに、独特の物凄い存在感がありますもんね。

どこかの学習塾に行き、今日はプール、明日はそろばん、お次は英語・・のような中にピアノも属しているのでしょう。

もちろんこれらのことも、とことんやれば、それなりの「深さ」があるのも理解はできます。

小さい時は浅く広く・・・次第に絞ってゆくのも一つの方法でしょう。

その子に向いたこと・・・というのを探してあげるのも、良い方法なのだと思います。

ただ、芸術・・・というところまでにならないにしても、芸事・・・ではあるので、「歴史」やら「心理」やら、多くのことを学ぶ必要があることでもあります。

最近この事に、非常な価値があるのだな・・と、改めて思っているのですが・・・

「体」をいかに使い、「心」をいかに使い、「知識」「知恵」あるいは「直観」を磨いてゆくことが、本質に近づいてゆくことなのでしょう。

長い道のりだと思います。

でも、楽しい事でもあるんです。

う~ん。

いつものクセで、難しいこと書いてしまいました。

もちろんゆっくり・・・でいいんです。

どこの段階までやるのか、、も、人其々ですし。

その可能性を、探り、寄り添い、案内してゆく、、そんな役割なのかな。。

ピアノ教師って・・なぁんてね。

いろいろ思う訳です。

今の「心」や「思考力」の段階は??

これを表現するための、技術の習得に必要な体の使い方、テクニック・・・筋肉や関節や体そのものの使い方。

「心」の成長段階も、人其々。

目に見えないけど、ちょっとした気配や言葉や立ち居振る舞いに出てきます。

そういうことを「察する」のも大事なこと。

一人ひとり違いますもんね。

分かりにくかったでしょうか?

ちょっと角度を変えて・・・

英語の発音が良く、達者に話せるのだけど、内容がない・・・こういう人は、相手にされない。。発音は今一つなんだけど、話す内容に深さがある・・・こういう人が求められる人です。

もちろんスラスラ話せたら、楽しいですし、旅行では役立つでしょうね。

でも、一番大切なことは、内面を磨き、語るべき内容を持っている人を育てることです。

もちろんスラスラと言葉も出てくるし、内容もあればいうことなしですが・・

ピアノを習わせるのは、「情操教育」と、昔よく言っていましたが、「情操」とは??

この事を今一度考えてみる必要があるのではないでしょうか?

私たちは皆、欠けたところを持って生きている。。不完全な存在。

それを分かり易く表現している絵本が、シルヴァスタイン作「ぼくを探しに」

新装 ぼくを探しに

ぜひ、気楽に手に取ってみて下さい。

芸術・・・或いは、人生・・・というものを私たちが求める究極の意味を感じることができる、ステキな本です。

お持ちの方も多くいらっしゃるとは思いますが、、

いつも“ややこしい”話にお付き合いいただき、ありがとうございます

では、今日はこのへんで~~

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