米子 西野ピアノ教室 musica felice

米子市のピアノ教室・・日々思うこと徒然なるままに。
幼児から受験生、大人の方いらしてます。
音楽は心の対話ですね。

心理学の講演会・・・「子供の自立に大人はどう関わるか」

2014-01-21 08:07:39 | お知らせ

昨日のレッスンの時、ご父兄の方が

「岩宮先生の講演会がありますね」

と仰るので、詳しく教えて頂きました。

チラシをファックスしていただきましたので、その内容~

今、子供を取り巻く環境はめまぐるしく変化してきています。しかし、その子供たちの安全の確保や健全な育成、そして子供たち自身が自立していくために、私たち大人はどうかかわっていけばいいのでしょうか?

今回の講演は、思春期の子供の心を知り、大人たち(学校・保護者・地域等)に何が出来るか…ということを、おなじみの「アルプスの少女ハイジ」を題材にしながら、分かり易く理解していく内容となっています。

特に保護者の皆さんには是非聞いていただきたい講演です!!

と き:平成26年1月31日(金)  19:20~21:00(開演19:00)

ところ:ふれあいの里  大会議室(米子市錦町1丁目)

講演:『子供の自立に大人はどう関わるか』~「アルプスの少女ハイジ」から考える~

講師:島根大学教育学部心理・発達臨床講座 教授 岩宮恵子さん

住吉小・義方小・後藤ヶ丘中PTA会員に向けてのお知らせですが、当日参加もOKだそうです。

教えて下さったお母様からこの情報を聞いた時、「今回の題材は何ですか?」・・と聞いたところ、

「ハイジのお話だそうです」

実は、先日岩宮先生とアルムおんじについて少しお話したので、なんだかピッタリなタイミングだなぁ~と・・・こういうのは共時性に属するのかな??

小さいお子さんを持たれるお父さんお母さんから、思春期の子供を持たれる方まで、ほんっと!おススメです!~~って私は主催者じゃないっちゅうのに~~

岩宮先生が“アルムおんじ”についてお話されること…とっても楽しみです

皆さまもご興味あればぜひ~

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おくれの神様

2014-01-19 08:13:34 | おもうこと
昨日のblogは、佐野洋子さんのエッセイを読んでいたせいか、辛口文章だったかな?
「100万回生きた猫」の作者、佐野さん大好きなんです
真実も愛も感じます。
佐野洋子さん、白洲正子さん、ユトリロの母シュザンヌ・バラドン・・・真実を見抜く厳しさを持つ女性アーティストですね。
とても惹かれる方々です。
「真実」は時として厳しいものを突き付けてくる。



さて・・“おくれの神様”・・・これは、河合先生の言葉
知的障害・・と言われる・・ものを持って生まれた人。

家族はまず、大変な思いをされるのですよね。
あるダウン症の子供さんを持たれたお母さん。
生まれてみたら障害を持っていた。
染色体異常なのですよね。
「ほんとうに私のもとに生まれてくれてありがとう」・・・生後数年たって心からそう思う、とお聞きしました。

生きるって? 優しさって? 真実の思いやりって? 
とても純粋な目と心で、この子は問いかけてると感じるんです。
今本当にすべきことは何なんだろうと、常に問いかけられている気がします。


ドイツの児童文学「モモ」の作者ミヒャエル・エンデも「サーカス物語」の主人公にエリという知的障害をもつ少女を登場させています。
一般の人たちが常識と思っていることに縛られていない分、純粋に物事の本質を見る人として大切に扱われています。



そして・・・大好きな宮沢賢治の童話の中でも、とりわけ好きな「虔十公園林」…(どういうわけか読むたびに泣いてしまいます)
このお話も、主人公は今でいう知的障害者。

主人公 “虔十(けんじゅう)” の中に、賢治のこうありたい・・という「理想」の人間像を投影しているようです。
実際 “けんじ”…が東北弁訛りで呼ばれると「けんじゅぃ」のような音声になるのだと言われています。

おくれの神様

ふたつ良いことさてないものよ

人の心など分からない

まじめはこわい

まじめも休み休み言え

等々・・・

これは「心の処方箋」と言う本にあります。
とても読みやすく、うんうん・・とうなずきたくなるエッセーがたくさんありますのでご興味ある方はぜひ手に取ってみてくださいね。


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こころの処方箋 (新潮文庫)



サーカス物語 (エンデの傑作ファンタジー)





虔十公園林(けんじゅうこうえんりん) (日本の童話名作選)



昨日今日とセンター試験。
もうひと頑張りよ~
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便利になったがゆえに失うもの・・

2014-01-18 07:18:21 | おもうこと

むかーし聞いた話です。



あれ??



最近の出だしこういうの多いかな・・



でも昔話をしてるんじゃないですけど・・



大根島の野菜売りをしていたおばあさん。



むかーしのことだから、字が書けなかったそうです。



ただ・・このおばあさんはすごかった。



一日中野菜を売って、何十件も・・しかもいろんな野菜の種類を持って行っていて、誰それさんは大根何本、人参何本、きゅうり何本、でいくら・・・つぎは誰それさん・・つぎは・・



と言う風に、全て覚えているのだそうです。



字が読めないなんて・・・



そんなことで、蔑(さげす)んだり、バカにしたり、気の毒がるのはちょっと違う。



人として、この人の力強さ、賢さ・・



そういうことを思わずにいられません。



これは、むかーし父に聞いた話でした。



もうひとつ。。



9歳の時、「今、何年何月何日何時何分・・・この瞬間は、今しかない。」



と、母に言われた時の衝撃。



どんなシチュエーションだったかもはっきり覚えているぐらい衝撃的でした。



9歳の私はそんなこと考えてみたこともなかったのだと思います。



ああ!この一瞬はもうすぐに過去のものになってしまうんだ!



青天の霹靂でした。



「100万回生きたねこ」の、佐野洋子さんの父は東大(帝大?)出のカミソリとあだ名されたような人だったそうです。



佐野さんは自慢たらしいことや教訓めいたことは一切言われない、、いや、むしろそういうことを嫌悪していた人だと思います。



「鋭敏で頭の冴えた家長など、家庭に必要だろうか?天才的な人間など、どこか人格破綻を持っているに決まっている。出来の悪い弟を執拗にいじめたのも私には異常だと思える。  4歳の子供もいる食卓で、「生涯12冊の本しか読まなかったが真の読書家と言われる人がいる」とか「活字を信じてはいけない」「金で買えるものは誰でも買える」「金と命は惜しむな」等と言う父親が有難いものだろうか。 それより頭の一つも撫でてくれた方が、何ぼか父親らしいのではないか。 父が家に帰ってくると、家中に緊張が走った。」(「シズコさん」より・・)





家族って。。



いろいろ考えます。



遠慮がないぶん傷つけあったりもします。





小さな傷をいくつも抱えながら、真珠のようにそこから美しいものが生まれる。



ああ・・なるほど、雑誌やテレビのコマーシャルのように絵空事の家族像なんてないよなぁ・・って・・



阿古屋貝につけた傷の部分から真珠が生まれてくるようなもの・・なのでしょうか?



佐野さんはそういう父には可愛がられていたようですし、そういう父を好きでもあったのですが・・



きっと、もう、「好き」とか「愛」とかいう次元を超えているのだと感じます。



                      



さて、便利なもの。。



活字を手に入れて、記憶する深い世界を失ったのかもしれません。



ただの、記憶する脳のメカニズム・・「海馬」の話だけじゃなくて。。



モンゴルの平原にすむ遊牧民の人たちは、恐るべき視力を持っていると言われていますよね。



私たちのそれは、必要最小限に退化しているのでしょう。



視力以外の気付かぬ目に見えないところも、例外ではないと思います。



辞書を片手に悪戦苦闘していた時代とは違い、インターネットや電子辞書でお手軽に情報を得られる。



ケイタイではなく電話で・・・と言うけど、明治時代に電話が輸入されたとき、電話線に荷物を繋ぎ「○○まで、この荷物、運んどくれ」と言った人がいる・・と言う笑い話がありますが、なんとなくテレビも電話もある生活はフツウ・・と思うところにも、失ったものがあるのでしょうね。



電話を発明したベルも、自分のオフィスには電話を嫌って、置かなかったそうですし。。



じゃあ、直接話すべき・・・でも、手紙の方が伝わることもある。



じゃあ携帯のメールは・・



手書きじゃないから心が伝わらないか・・でも、活字となった本から、生きる力をもらうことだってありますし。。



心の使い方、の問題なのでしょう。



メール・・・手紙・・・お知らせ・・っていう意味ですもんね。



メールヒェン(メルヘン)・・・お知らせ・・に、○○ちゃん・・の、「ちゃん」がついた形だそうで、さしずめ「おしらせちゃん」・・みたいな意味でしょうか。。たしかドイツ語だったような・・・??





こうして、なんとなく文明の中で、「人」は、むしろ「退化」しているのだろうか??



~~な~んてね~~



「そんなこと言うんだったら、辻斬りがあったような時代に戻れってことですか?」



と言ったヤツがいるけど、そんな馬鹿なことを言ってるのではありません。



それに、昔は昔で秩序もあった。



義理も人情も。



権利だけ主張して、義務を果たしていないという自覚がない・・と言うことはなかった。。のかな。。??。。佐野さんの言葉です。



辻斬りの代わりに「無差別殺傷事件」が起こったり、「通り魔事件」や「酒鬼薔薇聖斗事件」



・・・おもい事件の話になってしまいましたが、ごく普通・・と思っていた日常は、永続的なものではない。。



みたいなね~



マスコミで騒ぎ立てなければ、そのうち風化してしまう。



私たちの思考も、そういうものに大きく左右されている・・・そう感じます。



                      



昨日のレッスンの時、4年生男子K君が、「時間をかけて、苦労してやんなくっちゃいけないんだ」のような発言をしていて、



「おお!そこ気付いた?」と、言う会話があったのですが、本音のところで分かっているやら~



でも、なかなかイイ顔して弾いていましたよ



このところ、佐野洋子さんのエッセイばかり読んでたので、伝染して「辛口」な文になってしまいました



満州で裕福な暮らしをしていた幼少期の佐野さんですが、引き揚げてきてからの苦労(佐野さんは絶対苦労なんて口が裂けても言いませんが・・)は、なかなかのもので、水はそう近くはない水源から日に何度となく炊事場の貯水場に運び、母が兄の手袋を編みながら幼い洋子さんに教え、そのとおりに、自分と2人の弟3人分の手袋を編んだのは8歳の時だったと・・・



もちろん、さっきの「辻斬り」と言ったバカヤロウはいらっしゃらないと思うので、そんな時代に戻れって言ってるんじゃない・・・と分っては頂けると思います。



でも本能や感(カン)のようなものから離れすぎると、手放してゆくものも多いのかな・・と・・



複雑な道具や機械を使いこなせることが、果たして「進歩」「進化」と言っていいのだろうか?



世界中の人を魅了する、スペインのサグラ・ダ・ファミリア(聖家族教会)・・ガウディは、「私の雇主は急いでいません」と言い、ガウディ亡き後も黙々と制作が続けられている、この有名な観光スポット。



この教会は、森の中にでもいるような錯覚さえ覚える、「自然」をモティーフとし、自然の力学に従って構成、設計されています。



もちろん文明の産物から便利さは享受しています。。が、便利なものに甘え過ぎず、「人も自然の一部なんだ」ということをときどきは思い出そう・・・ってことなのかな??



ちなみに、佐野洋子さんの父が語ってたことは、非常に頷けます。。全くもって、本当にその通りだなぁ・・と思います。



佐野さんほどきっぱり辛口を貫き通せない私ですが・・・



ぁ・・・そうそう、佐野洋子原画展、今福山市でやってるそうです。



何とかして行きたいものだと思っているのですが、、ぁぁ広島県立美術館で行われている“クレラー・ミュラー美術館展”、、あと神戸市立博物館で開催中の“ターナー展”・・・行けたらいいなぁ~



こんな情報要らなかったかな~?



では~~























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とある高校生との会話

2014-01-15 00:15:52 | おもうこと

以前、高校生と会話していたこと・・





この子が、休みの日にマニキュアを塗ったら、家の人に非常に怒られ、すぐにリムーバーを買って来てマニキュアをとるように言われた。。友達の家ではいいと言われているのに、ヘンじゃないですか?



って言うんです。



それはどちらでもないのよ。。大事なことはそういうことじゃない。。



それは、あなたの親が、何にこだわって、あなたを育てようとしているのか、何からあなたを守ろうとしているのか、そういうことから出たことなんだわ。



塗ってもいい・・塗ったらダメ・・



どちらがいいとかは言えない。



これから何十年も親の言いつけどおりに生きるってわけじゃないでしょ。



あと何年かしたら、今より自由に出来る事も増えてくる。



そうして、私の親は私を何から守ろうとしたのだろう・・とか、どういうことを大切だと思ったんだろう・・とか、ずっと考えながら生きてゆくんよ。



ケイタイを持ってもいいとか、持っちゃダメとか、色々あるけど、色んなせめぎあいの中で、親も考えてくれる。



文明と言われるものの中には、善なるものと悪なるものが混然一体となっている。



そのもの・・は、ただの事象であったり、物体であったりするけど、それを使う人間が、その価値を決めてゆく、善を引き出したり、悪を引き出したり。。それは使う人間の問題。



そういうことを何も考えないで使うことは、危険もはらんでいるからね。



親だって完全じゃない。



もちろんそういう私だって。



大きくなってゆけば、いろんなものが見えてくる。



親に対してだって、なんで?・・と思うことも出てくる。



それもひっくるめて、私を愛し、なにかから守ってくれているのだ・・何に価値を見い出し、こだわって育ててくれたのか考えればいいんだよ。



と。。



高校生になればいろいろ言います。



考えます。



今どき反抗期のない親子関係もあるようですが、これは社会に順応するためには乗り越えなきゃいけないことで、無かったら逆に心配した方が良いのです。



大人は壁になって、当たってくるものに応えなければなりません。



非常に手ごわい場合もありますし大変ですが、大人になる為のイニシエーションです。



順調に大学まで行きました。



就職できました。



職場の人間関係に悩み、引きこもりになりました。



近年こういうことが多いんです。



NPOで、引きこもりの子を持つ親は、最低でも1500万は残しましょう。。ご飯の炊き方は教えてから死にましょう。。みたいなことを言っていて、「バカな?!」と思いますが、これが出来ずに命を絶つ例もあるのだそうです。



自分の手を広げ、ふわりと大きく包む・・それが親の愛と言えるのかも知れません。



そうしてその手を少しずつ広げ、時に強く抱きしめ、時に緩やかに手放し・・・そういうことの繰り返しをしながら、その手を大きくどこまでも広げてあげられるのが、親の役割なのかもしれませんね。



どんなに遠くへ行っても、心のどこかで繋がっている。



それは、出来る限り長くのばされ、時には遠く見えないところまで行くこともあるけど、どこかでは繋がっていて・・・



強く抱き、抱え支えることも大切ですが、その手を次第に広げ、どこまでも大きく開いてあげることも愛なのでしょう。



独り立ちした子たちが、自身の力で羽ばたけるように、頭だけでなく、身体だけでなく、心も育てなければならない・・この目に見えないものを育てることが、一番大切な課題なのだと思います。





コメント (2)
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なるほど・・と思った話から(是枝裕和監督のことなど・・)

2014-01-14 08:24:53 | おもうこと

最近あまりテレTVと言うものを見ていなかったのですが、久しぶりにNHKのスイッチインタビュー達人達を観ました。



昨年10月放送の再放送。



この時も番組の途中から観ていましたが、改めて是枝監督が話されていたことで、なるほど~と思ったことを書いてみます。



「そして父になる」



主演は福山雅治さんですが、実は福山さんの方から是枝監督に、一緒に仕事が出来たら・・と言うことをおっしゃっていたようですね。



福山雅治演じるエリートサラリーマンの一人息子は、実は赤ん坊の時に取り違えられた子供だったと分かった。。血を分けた子供は、地方の電気店を営む一家に育てられていた。。



対するこの父に、リリー・フランキーを抜擢するにあたり、悪人にも善人にも見える、そして、ああ自分の血を分けた子が、こんな奴に育てられていたのかと思わせるようなキャスティング・・と言うことだったそうです。



ところが、父性としては、リリー・フランキー演じる父親の方が上だった。



時間の経過とともに、父性と言うものを見つめ直してゆく。。と言うように組み立てられているようです。



電気店の一家の部屋は、ゴチャゴチャ感を出して、時間の経過を感じさせるように、エリートサラリーマンの家は、なるべく無駄を省きそれを感じさせないという演出が施してあるそうです。



子役については、日本の映画の中で、課題だと感じているそうで、ドキュメンタリー出身の監督は、「誰も知らない」「歩いても歩いても」等、多くの話題作を世に送っていますね。



映画はあまり見ない方ですが、「誰も知らない」は、観たことがありました。



主演の柳楽優弥が史上最年少の14歳という若さで、2004年度カンヌ国際映画祭主演男優賞に輝いた作品で、実際に起きた、母親が父親の違う子供4人を置き去りにするという衝撃的な事件を元に構想から15年、満を持して映像となったそうです。



内容もさることながら、子役の演技は非常にリアリティーが高く、作品を描く時の監督の視点がどのようなものなのか・・と・・



今どき、子役がもてはやされていますが、彼らの演技に違和感を感じているのは私だけではないようで、あれは大人が子供に対して、こうあるべき・・を押し付けているとさえ感じてしまいます。



或いは子役の子たちが、親や世間がこのようなものを期待しているのだろうということを演じている。。演じさせられている。。



「わざとらしさ」



ひとことで言えばそういうことで、「リアリティー」からは程遠い。。



その事が、監督の子供の演技に対する課題のように思いました。



演出、考え方など、非常に興味深く共感できるものでした。



「歩いても歩いても」



樹木希林さん演じる母親像。



是枝監督が、母の死をこの作品を通じて消化・・あるいは昇華していった作品のようです。



この映画を、海外で上映したら、「お前はどうして自分のママのことを知っているのか?」



と、言われるそうです。



ひとつのことを掘り下げることで、逆に普遍性につながってゆく。



自分の足元を見つめ続け深く掘り下げることで、インターナショナルな世界観へ通じる。。まさに今、私も日々考えているのですが・・ぁ・・そんなに大それたことじゃないですよ・・



ただ、私たちが日頃親しく接している作品たちは、あらゆる国のあらゆる時代のもの。。



時代考察ももちろん大事で、これも興味深いことなのですが、人として変わらない「何か」もあるわけで、そういう「本質的」なものが、時代の波でそぎ落とされ、結晶となっているものが、今の時代でも、生き残り愛されているのではと思うのです。



子供たちには、甘くてふわふわした口当たり良いものがいいのでしょうが、一見そうでも、ある意味、食べ物のように、色々な歯ごたえ、味、栄養素・・などを、心の栄養として与えてあげられれば良いのかな・・などと思ってみたり。。もちろんお菓子ばかり与えるなんて、お話になりません!



近代科学は、主体(人、あるいは自分自身とも考えられます・・)と客体が分離され、そのことで非常にうまく行ったこともあり、多くの症例から、共通する事象だけを取り出し普遍化し、それに当てはめて物事を見て判断する・・ということに、あまりにも傾き過ぎたことによる歪もきているといいます。



近代の心理学も・・と言うか、哲学などに比べ、心理学は非常に新しい学問で、試行錯誤がなされているようですが・・多くの症例から普遍化してゆくという方向より、一つの事象を非常に深く掘り下げることで、共通するもの、本質的なものを見極めようとしている・・と言えましょう。



心理学も色々な方向で試みがなされているので、事象により直接的に(物質的に・・と言えるのかな・・)関わってゆくということが、アメリカを中心とした国では重点が置かれているようで、一概には言えません。



現実目の前のことを考えると、深く掘り下げることに非常に共感を持ちます。



養老孟司先生も、「身体」「無意識」「共同体」・・と言う3つの要素を重要視していらっしゃるように、心の奥深くにあることに、目を向けてゆかなければならない時代なのでしょう。



何となくできていた昔・・と違って、物質と情報に溢れかえっていて、「深める」「本質を見極める」と言うことが、非常に難しい時代なのだと思います。



何となくできていた・・と言うのは、出来なかった・・とも言いかえられます。



便利なものがなくて、炊事も洗濯も掃除も道具ひとつとってみても手間がかかり、子供も多く、物もお金もなく、、かけようにもかけてやれなかった。。手出し口出し、物を与えお金をかけること。。



今は出来てしまうぶんだけ、もっと多くの心を使い知恵を使わなければ、子育ても難しい時代と言えるのです。



ぁぁ・・・また難しい話をしてしまいました。。



すみません~



さて、もう一つ・・「金スマ」より。



瀬戸内寂聴さんが出ていらっしゃった回。。



ぼけーっとみていたのですが、終わりの方で、素晴らしい物まねでブレイクした青木隆治さん・・が出てこられまして。。



美空ひばりやら、何でもかんでもそれらしく歌い、見た目もなかなかのイケメンなので、よくテレビに出ていたけど、最近はあまり見かけない。



実は物まねではなく、自分の歌で勝負したいのだけど、何枚か出したCDはかんばしくなく、同じ事務所の先輩で、芸能界に彼を入れるきっかけを作った研ナオコさんが指導する・・と言う趣旨での撮影。



あとどれくらい時間使うんですかね~という、番組の尺の話をする青木隆治さんに対して、どれだけのスタッフがあなたのために動いていると思うの・・と、研ナオコさんが激怒する・・みたいなところで、テレビからは離れましたが。。



ただ、研ナオコさんが言っていたことは、非常にまっとうなことだったと思います。



この「あたりまえ」なことが、分からずに、歌はうたえないよなぁ・・とも思います。



上手に歌うとか、いい声で歌うとか、そういうことじゃない。



歌詞の意味を深く読み、伝えるということ。



技術が先行してはいけない。。(もちろんこれはある程度技術があることが前提ですが・・)



感謝する心がなくて、人の心を揺さぶる歌がうたえるはずがない。



非常に共感・・当然ちゃぁ当然の話で・・



何を見ても、何を聴いても、ピアノ、音楽と、通じるんですよね。。



ではこの辺で。。



ぁ・・・



猫は、獣医師の予言通り、、、



先週看取りました。



何度も入退院を繰り返し、昨年11月末よりひと月以上通院し、薬を欠かさず飲ませ、一喜一憂しながら過ごしていましたが・・・



さすがにこの一週間は辛かった。。



うちの殆どの犬猫は、生涯を全うし寿命と言われる年まで生きて、眠るように閉じていきましたが、、、今回はそうはゆかず。。



本人(猫ですが・・)にとっては、今回は安楽死を選んだ方が楽だったのだと思いますが、それもできず、最後は癲癇(てんかん)を抑えるための座薬を頂き、少しでも楽なように・・とは思いましたが。。



縁がなければ、悲しくもなんともないのですが、居るべきところに居ない。。



ほかの猫も、分かるのか、呼んでいるようにないています。。



まぁ、だいたい心の方は回復しています。



今日も元気に!



ですかね~



では~~



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あけましておめでとうございます!

2014-01-01 07:34:10 | インポート

2014年1月1日

幕開けですね

今年もみなさまにとって良い年になりますように!

。。。

大人になると、みんな口々に言うこと。。

年が変わると「何かが新しくなる」・・新しく生まれ変わる・・空気が変わる・・ていう感じがしたのに、今は「昨日が今日になる」と言う風になってしまうねって。。

きっと子供たちは、ピカピカの気持ちで“2014年”を迎えていることでしょう。

神さまから「愛」をたくさん受け取って。。

あらためまして~

Happy New Year !!

良い一年をお過ごしください!

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