1/26(土)京都サロンでのトコちゃんベルトアドバイザーセミナーを終え、
地下鉄のホームに着いたちょうどその時、長男から携帯電話。
「今日は新年会やで~」と。
すっかり忘れていた~。
烏丸御池から四条まで地下鉄に乗り、そこから東へと歩くこと約20分。
着いた~、スパニッシュバロックの見事な洋館。ここが今日の会場「東華菜館」
↓ ↓
ここは鴨川にかかる四条大橋の南西の角。北京料理の老舗。
↓ ↓
この建物には、日本一古いエレベータが今も働いている。
今から40年ほど前には、すでに、
京都にはこのような手で開閉するエレベータは
東華菜館と京大の旧産婦人科病棟(現在の臨床研究棟)の
2機しかなく、二つはそっくり。
お客さん(特に子ども)が手などに怪我をしないよう、
ホテルの職員が運転してくれる。
これは側面。「指を出さぬように」の注意書き。運転盤もいかめしい。
↓ ↓
豪華な伊勢海老が盛り付けられた前菜↓
食べかけてから、写真を撮っていないことに気付き、パチリ↑
しかし、その後はまたまた写真を撮ることをすっかり忘れ、
気が付いたら食べてしまっていた。
かろうじて撮ったもう一枚↓
四つ折りにした蒸しパンみたいなのに、
焼豚・焼鳥・野菜・調味味噌をくるんで食べる↓
これが本日の主食のようだったが、
食欲旺盛な人間がそろっていたため、焼飯を追加注文。
餃子や揚げたあん入りの中華餅など、
多種多量に食べたが、
中華料理独特の油ギラギラが全くなく、胃もたれ感ゼロ。
最後の杏仁豆腐は、さすがの歯ごたえと香りで、満足。
いつも高輪で食べている杏仁豆腐とは別物。
もちろん、値段も違う。
この建物は昭和元年に建てられたとのこと。柱も天井も手が込んでいる。
京大の旧産婦人科病棟(現在の臨床研究棟)が建てられたのは、
たしか、昭和5年だったと記憶している。
私が働いていた頃の旧産婦人科病棟は、
古くなって、特に産科の病室は「野戦病院」などと言われていたが、
壁の材質は湿度調節の働きがあり、
蒸し暑い夏でも、建物に入ったとたん、スーッと気持ち良かった。
旧産婦人科病棟はスパニッシュバロックではなかったが、
建物に使われている材木や壁なども、
二つはかなり雰囲気が似ている。
玄関や洗面所のタイルも見事なまでに芸術的で、
いにしえの高級ホテルを思わせるほど、豪華に作られていた。
最上階(5階)にあった助産婦学校の教室や屋上は、
ひときわ美しかった。
学生時代は、古めかしい部屋に追いやられているような気分でいたが、
京大病院を辞めてから、最高の教科書を使って、最高の教官に、
最高に贅沢な環境で学ばせてもらっていたことに気付き、
感謝で頭が下がる。
20年以上入っていなかった東華菜館に入り、
若かりし頃を思い出してしまった。
東華菜館の玄関を、内側から見たところ↓
外から見た玄関↓
二人揃って鴨川を見ている孫↓
↑
建物群と鴨川との間を流れる人工河川。夏になるとこの上に「床」が賑わう。
食事中は本格的な降雪だったが、すっかり止んで月が冴え冴え。
↓
↑
京阪電車に乗って帰ろうと、駅に向かう途中、振り返ってパチリ
四条大橋から見た東華菜館と、料亭群。(南座界隈に続く)
昼に鴨川の東側から見ると、こんな風に見える。
↓
私ではなく家族が撮影した一枚です。
地下鉄のホームに着いたちょうどその時、長男から携帯電話。
「今日は新年会やで~」と。
すっかり忘れていた~。
烏丸御池から四条まで地下鉄に乗り、そこから東へと歩くこと約20分。
着いた~、スパニッシュバロックの見事な洋館。ここが今日の会場「東華菜館」
↓ ↓
ここは鴨川にかかる四条大橋の南西の角。北京料理の老舗。
↓ ↓
この建物には、日本一古いエレベータが今も働いている。
今から40年ほど前には、すでに、
京都にはこのような手で開閉するエレベータは
東華菜館と京大の旧産婦人科病棟(現在の臨床研究棟)の
2機しかなく、二つはそっくり。
お客さん(特に子ども)が手などに怪我をしないよう、
ホテルの職員が運転してくれる。
これは側面。「指を出さぬように」の注意書き。運転盤もいかめしい。
↓ ↓
豪華な伊勢海老が盛り付けられた前菜↓
食べかけてから、写真を撮っていないことに気付き、パチリ↑
しかし、その後はまたまた写真を撮ることをすっかり忘れ、
気が付いたら食べてしまっていた。
かろうじて撮ったもう一枚↓
四つ折りにした蒸しパンみたいなのに、
焼豚・焼鳥・野菜・調味味噌をくるんで食べる↓
これが本日の主食のようだったが、
食欲旺盛な人間がそろっていたため、焼飯を追加注文。
餃子や揚げたあん入りの中華餅など、
多種多量に食べたが、
中華料理独特の油ギラギラが全くなく、胃もたれ感ゼロ。
最後の杏仁豆腐は、さすがの歯ごたえと香りで、満足。
いつも高輪で食べている杏仁豆腐とは別物。
もちろん、値段も違う。
この建物は昭和元年に建てられたとのこと。柱も天井も手が込んでいる。
京大の旧産婦人科病棟(現在の臨床研究棟)が建てられたのは、
たしか、昭和5年だったと記憶している。
私が働いていた頃の旧産婦人科病棟は、
古くなって、特に産科の病室は「野戦病院」などと言われていたが、
壁の材質は湿度調節の働きがあり、
蒸し暑い夏でも、建物に入ったとたん、スーッと気持ち良かった。
旧産婦人科病棟はスパニッシュバロックではなかったが、
建物に使われている材木や壁なども、
二つはかなり雰囲気が似ている。
玄関や洗面所のタイルも見事なまでに芸術的で、
いにしえの高級ホテルを思わせるほど、豪華に作られていた。
最上階(5階)にあった助産婦学校の教室や屋上は、
ひときわ美しかった。
学生時代は、古めかしい部屋に追いやられているような気分でいたが、
京大病院を辞めてから、最高の教科書を使って、最高の教官に、
最高に贅沢な環境で学ばせてもらっていたことに気付き、
感謝で頭が下がる。
20年以上入っていなかった東華菜館に入り、
若かりし頃を思い出してしまった。
東華菜館の玄関を、内側から見たところ↓
外から見た玄関↓
二人揃って鴨川を見ている孫↓
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建物群と鴨川との間を流れる人工河川。夏になるとこの上に「床」が賑わう。
食事中は本格的な降雪だったが、すっかり止んで月が冴え冴え。
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京阪電車に乗って帰ろうと、駅に向かう途中、振り返ってパチリ
四条大橋から見た東華菜館と、料亭群。(南座界隈に続く)
昼に鴨川の東側から見ると、こんな風に見える。
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私ではなく家族が撮影した一枚です。
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