maidoの”やたけた”(ブログ版)

ジジイの身辺雑記。今日も生きてまっせ!

2019/08/15

2019-08-15 20:21:34 | Today's maido(日記)

*敗戦記念日、日本が戦争に負けた、というのを肌で感じてるのは、進駐軍が居てた頃に物心がついてた世代までやろうね。
もっとも、子供やよって敗戦がどういう事か判らず、その頃に目にしてた事が敗戦とつながったのは、かなり後になってでしたわ。
大阪大空襲の中を逃げ回った、というても、怖い、苦しい、辛い等の記憶はなく、覚えがあるのは戦争が終わってからやけどね。

繁華街には義手・義足に白い上っ張り姿の傷痍軍人が募金してたし、大阪市内の其処此処に焼け跡の更地があり、靱公園は飛行場やったしね。
其処ら中に米軍の兵隊が居て、心斎橋そごう百貨店に日本人は入れず、白い鉄帽のMPが入口に居ったのも、戦争に負けたからやったんやなぁ。

殆どの同級生は戦争で家族親戚を亡くしてたし、「遺族の家」の小さいアルミの札を貼ったお宅が、近所にも沢山有りましたね。
一軒の家に複数の家族が同居してるのが多かったし、我が家も一時は2家族+夫々の係累で20人近くが一緒に住んでましたわ。
今時の核家族で育った若者に、三世代どころか、親戚も同居してた等と話しても、実感が湧かんのは無理ないなぁ。

小学校時代の写真見たら、肥満児何ぞ一人もおらず、今では驚くほど粗末な物を着るけど、元気に笑ろて写ってまっせ。
混ぜ物の方が多いご飯や、代用食のモソモソしたパン、もそれしか知らんのやから別に苦にならんかったね。

戦前に美味しい物を食べたことがある姉なんかと違い、何しろ味を知らんのやから食べたいと思わん、偶に黒砂糖の欠片を貰えば大喜び。
先日も同級生と、今から思たら考えられへんけど、皆同じやったから別に何とも思てなかったねぇ、と子供の頃の話しをしてましてん。

さてさて、年寄の昔話はさて措いて、一度目を覚ましたのが3時前、是は早過ぎると寝直して、次に目が開いたら4時55分。
是は進歩か、退歩か知らんけど、最近は二度寝というのが出来るようになりまして、ん、まさか寝たきりになる前兆や無いやろなぁ?

それは兎も角、所々青空がのぞいてて、風も昨日に較べると格段に穏やか、ホンマに台風が来るんかいな?という感じでしてん。
朝のお勤めは並の出来で、諸行事をすませて、Webで台風情報を見ると、広島辺りから松江に抜けそうですねん。
ところが東側に強い雨雲が有るとの事で、自宅辺りは20時から22時にエライ豪雨の予想で、これは難儀な事ですわ。

雨が降り出す前にカミさんと買い物に行ったら、ポイント5倍と台風前が影響してか、レジに長い列ができてました。
今まで手直ししながら使ってた、携帯型蚊取り線香容器が遂に駄目になったんで、帰りに薬局に寄って二人分購入。
手に持つたり、近くに置いたりでは仕事にならんし、虫よけスプレーはカブレそうで好みに合わんのです。

風だけをいえば、昨日の方がズ~ッときつかったし、雨も降らんので、高校野球は出来たんちゃうか?というのは結果論やわなぁ。
縁側で空を眺めてて、コットンと2時間余り眠ったらしく、台風の状況を見ると25m/sの暴風域は消え、15m/sの強風域だけになってました。
それやったら、豊中の豪雨予想も消えたんかいな?と見ると。こちらはまだそのままやったなぁ。

18時の予報では豪雨は19時台だけ、20・22時台は強雨になってたんで一寸安心、何しろ瓦と樋がいたって頼り無いからかないませんわ。
勢力が少し弱まったようでも規模が大きいから、大きな被害が出てなかったらエエんですがねぇ。



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