赤丸米のふるさとから 越中のささやき ぬぬぬ!!!

「勧進帳」の真実、富山県高岡市福岡町赤丸村の消された歴史⇒「越中吉岡庄」から「五位庄」へ

🔴【後鳥羽上皇の法名が書かれた国指定重要文化財】 「衆徳山総持寺」(高岡市関町)の『国指定重要文化財木造千手観音像 特別御開帳』 「毎年11月15日一日限り]!!

2021-04-14 | 旧町名 富山県西礪波郡福岡町赤丸
● 「衆徳山総持寺」(高岡市関町)は元、「五位庄赤丸村」に在った古刹で、南北朝時代に後醍醐天皇の庄園で在った「越中吉岡庄」に河内国から伝わったと云う『国指定重要文化財木造千手観音座像』を祀っている。この赤丸村の旧地は赤丸城跡の麓で、「観音堂遺跡」と呼ばれ、隣地には「宇多刀工」が南北朝時代から江戸時代迄作刀したと云われる「鍛冶屋町島」が在る。
この観音像については年一回の『特別御開帳』が行われており、例年11月15日11;00~から終日公開される。
(※11月15日の御開帳は続いていますが、スケジュールはhpで事前に御確認下さい。)



■【国指定重要文化財木像千手観音座像】
高岡駅南に在る【総持寺】には、鎌倉時代に慶派仏師「幸賀」によって【後鳥羽上皇】の祈願仏として造られた【千手観音座像】が祭られている。この尊像は「後白河上皇」が創建され、代々、皇室の尊崇を受けて「女人高野」とも呼ばれた「河内長野市の「金剛寺」から、当時、「後鳥羽上皇の庄園」で在った「越中吉岡庄」(※高岡市福岡町赤丸)の「高岡山総持寺」に伝えられた。
この木像の胎内には、「金剛位理卿」と【後鳥羽上皇の法名】が記載される。











■「真言宗 総持寺」の秘仏の数々。後白河上皇御創建で南朝の行宮「河内国金剛寺」から伝わった「千手観音像」を初め、本堂の「観音像」、「不動尊像」、前田家寄進の「薬師如来像厨子」、「不動尊像」、「毘沙門天像」や[天正元年]の銘が在る古い仏像等が在り、寺の外の石垣の上にも多数の石仏が祀って在る。年一回御目にかかれる尊像の数々です。













































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