赤丸米のふるさとから 越中のささやき ぬぬぬ!!!

「勧進帳」の真実、富山県高岡市福岡町赤丸村の消された歴史⇒「越中吉岡庄」から「五位庄」へ

🔴 🎌 越中での【南朝後醍醐天皇の拠点】-⇒-【吉岡庄赤丸村】異聞!!

2021-04-20 | 富山県高岡市福岡町赤丸村

■近世の「五位庄」の範囲→加賀藩時代には57ケ村を含んだとされ、奈良時代創建の「延喜式内社赤丸浅井神社」の由緒には「53ケ村総社」と記載されている。









■富山県立公文書館に「皆月家文書」として「浅井神社由緒」が残されている。それには、「近郷五十三箇村 旧五位庄廿五ケ村國吉郷廿六ケ村宮島郷二ケ村」と記載され、高岡市の国吉郷、小矢部市の宮島郷を含む地域に初穂米徴収の権利を持っていた事が判る。


■「浅井神社由緒」【富山県立公文書館「皆月家文書」】
富山県越中国礪波郡赤丸村字古屋五千三百二十四番       
延喜式内 浅 井 神 社 
一 祭神 高皇産靈命
  一 由緒 本社ハ元正帝ノ御宇養老元年皇子二ノ宮 元正帝ハ女帝ニシテ御子在サス 先帝ノ御子ナルカ又計 當國ヘ御下向淺井ニ御在城 城址ハ神社ノ巽位ニアリ古人古ヨリ北辺ノ山地ヲ總称シテ淺井谷ト云フ三州志古墟考ニ曰ク淺井トハ淺井神社アレハナリト 之砌郡村へ令シテ材石ヲ募リ宏壯ノ社殿ヲ創建シ玉ヒ越ノ大社トナシ又清水加茂山王等ノ數社ヲ欇祀シ此數社現今本村及隣村ニアリ 別當數十僧ヲ置キ祭祀ヲ司トラシメ玉フ 當時數十坊ヲ総偁シテ川人山鞍馬寺ト云フ内大坊ナリ 寺跡城址ノ梵字寺谷内ニ存ス 即チ延喜式神名牒等ニ越中国利波郡鎮座淺井神社トアルハ是ナリ而シテ上古世々ノ帝ヨリ神位ヲ授ケラレ時々奉幣使ヲ立玉ヘキ文徳實録等ニ見ユ 中古武門強盛神事随テ衰フト雖モ而モ國主地頭ノ尊崇厚ク許多ノ社領ヲモ寄附ナリタリ然ルニ天正中上杉謙信淺井城攻ノ時 淺井城ハ二宮ノ在セラレシ城址ニシテ當時中山治部佐衛門尉國松居城セシナリ 及豊臣秀吉佐々成政征討ノ際両度放火ヲ蒙リ社殿堂宇記録縁起等悉皆焼失社僧各処ニ散逸シ本社ノ衰頽實ニ此ニ至リテ極レリ 然ルニ數十坊ノ中唯一坊ノ存セルアリ 是即チ現今社家ノ先祖ナリ 再ヒ社殿ヲ造営シ僅カニ祭式ヲ執行シ來リシカ尚往昔ノ社格全廃ニ至ラス領主前田氏累世崇奉不残時々幣帛ヲ捧ケラレシ砺波北郡ノ総社ト尊崇アラセラル特ニ大納言利長卿ノ時神社維持ノ為メ近郷五十三箇村 旧五位庄廿五ケ村國吉郷廿六ケ村宮島郷二ケ村 各戸ヨリ毎年玄米壱升宛取立ヘリ㫖(※旨)裁許アリ社人永続仕來シモ明治元年之ヲ被廃候ニ付氏子并信徒等協議ノ末金七百余圓ヲ積シ以テ該社維持金ニ充テタリ然ル處尚々今明治二十年三月金四百圓余リ積シ益々神社維持ノ方法ヲ鞏固ニセリ
  明治六年全國神社改変ノ際旧新川県ヨリ村社格ヘ列ス
  明治十四年六月旧石川県ヨリ郷社ニ列セラル
  明治二十年七月縣社加列之義出願
一 本社間數 前口九尺   奥行七尺五寸
一 幣殿間數 前口四間中央ヨリ二間   奥行三間
一 拝殿間數 前口三間半   奥行三間
一 社務所  前口三間    奥行三間
一 境内坪數 九百七十五坪   地種官有地第壱種 
一 氏子戸數 弐百四十八戸
一 信徒人數 壱万五千八百廿八人  
一 富山懸廰迄 距離程八里       以上 
     礪波郡赤丸村郷社浅井神社祠掌 訓導 川人久良麿
明治廿年七月  (祠掌 = 明治時代神祇省郷社三等)(訓導=教諭)

■富山県の西部で石川県と接する場所に「五位庄」が有る。元は藤原氏長者の「藤原頼長領」だったが、「保元の乱」で敗れて「後白河上皇」の庄園となり、「現役を退いた天皇の所領」という意味で「後院領」の「吉岡庄」と呼ばれていたが、後醍醐天皇の第八皇子「宗良親王」が越中石黒氏の居城の「赤丸浅井城」に在城された時に「吉岡庄」を「五位庄」と名付けられたと云う。名付けられた根拠としては「御いしょう」とも呼ばれていた事から「五位庄」になったとも云われるが、赤丸には古くから空海の思想が色濃い真言宗の「川人山鞍馬寺」が有り、宗良親王自体も妙法院では「尊澄法親王」と呼ばれ、後に天台座主にもなられたが南朝の危機に際して還俗された方であり、宗良親王開基と伝わる「高岡越中宮極楽寺」でも「尊澄法親王(宗良親王)の開基」と伝えており、親王が「五位庄」と名付けられた意味は他にも有ったと思われる。密教では「金剛界」と「胎蔵界」のふたつの修業の方法が有り、「金剛界」は修行のレベルを表し、「胎蔵界」は心の中の修業レベルを示すと云われる。「金剛界」では「五相成身観」という考えが有り、最高の五段目の修業のレベルを「仏身円満」と云い、「私は仏になった。満月であり、宇宙で有り、仏である。」という「即身成仏」ができるというレベルに達するとする考えである。僧でもあった「宗良親王」が名付けたとなると「五位庄」も巷間言われる様に単純に名付けられたのではなくこの「五段階の最高レベルの世界の実現」が背景に有ったものか?
元々、赤丸村に創建され、現在は高岡市関町に在る「総持寺」は高野山真言宗の古刹で在り、この寺院の祀る黄金の「千手観音像」には、胎内に「後鳥羽上皇」が「本願聖人」で有ると記載されている。天皇家庄園で在った「越中吉岡庄」には、京都の鞍馬寺や清水寺等数多くの京都の寺社が勘請されており、高度な仏教文化が発展していた事が分かる。

写真は「金剛界曼荼羅」


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