赤丸米のふるさとから 越中のささやき ぬぬぬ!!!

「勧進帳」の真実、富山県高岡市福岡町赤丸村の消された歴史⇒「越中吉岡庄」から「五位庄」へ

🔴🌙 室町時代の【五位庄赤丸村浅井城】と【足利幕府越中守護・管領畠山持国】け➡五位庄の「相国寺」への寄進と【越中国総持寺】の移転!!

2021-04-18 | 旧町名 富山県西礪波郡福岡町赤丸
📕 【相国寺】の【蔭涼軒日祿】に見える【越中国総持寺】の安堵!!






■【蔭涼軒】
京都五山の一つの「相国寺」山内の塔頭寺院(タッチュウ寺院)「鹿苑院ロクオンイン」の南坊にあった寮舎の事。第三代将軍「足利義満」が鹿苑院内に設けた寮舎に,「将軍足利義持」が【蔭涼軒】と名付けた。1425年(応永32年)に「相国寺」(塔頭寺院 鹿苑寺金閣)が炎上し【蔭涼軒】も焼失したが,1439年(永享11年)に「将軍足利義教」によって再建された。しかし,「応仁の乱」で再び焼失して以後再建はされなかった。【蔭涼軒】は将軍の小御所的なもので,「軒主」は将軍であったが,「留守職」として近侍の禅僧が充てられた。



■長禄三年十月(1459年)の項には、「越中五位庄」に在った「越中国総持寺」の所領が安堵された事が載っている。
(※「能登総持寺」は別に「能登国総持寺」と記載されている。)
長禄年間は康正の後、寛正の前。1457年から1461年。この時代の天皇は「後花園天皇」。室町幕府将軍は「足利義政」。
⇒「衆徳山総持寺」は元々、越中五位庄の赤丸村に在った(※「国宝概説」)が、足利義満がこの庄園を「相国寺」に寄進した時に、「国主の意向で赤丸村を去った」(※「総持寺由緒」池田家伝承)とされるが、その後、「総持寺」は伏木港の六渡寺村辺りに動き、この寺で「室町幕府管領畠山満家」の三回忌が雅楽の演奏で盛大に執り行われたと云う。(※「名古屋大須観音文書」)
➡この時期の河内畠山家文書に在る【越中絵図】には、「赤丸浅井城」に【管領畠山満家】の子供の「越中守護畠山持国」の名前が在り、この時の喪主は越中を統治した【越中守護畠山持国】と見られる。

🔻「足利義持」が五位庄の半分を足利家菩提寺等持院へ寄進した時の文書「等持院常住記録」には「下地は畠山満家に預け置かれた」事が記載されるが、満家の子供の「畠山持国」が「赤丸浅井城」に記載される「畠山文書」の「越中絵図」には逆に「畠山持国上分」と記載され、この時期には「収穫」が「畠山持国」に送られて軍の兵糧を赤丸村周辺の五位庄から調達していた事が窺われる。





■【畠山持国】
室町幕府管領畠山満家嫡男、
応永五年(1398年)生まれ~康正元年(1455年)没。
将軍足利義教の加冠役を勤め、永享五年(1433年)にの畠山満家が没すると河内、紀伊、越中、山城守護に就任(36才)。(※「満済准后日記」)
永享十三年・嘉吉元年(1441年)6月、将軍足利義教が赤松満祐等に暗殺される「嘉吉の乱」が発生。嘉吉ニ年八月、室町幕府管領に就任。長禄元年(1457年)、満家の嫡男「畠山義就」は河内国の「誉田西来院」で「持国」の三回忌法要を執り行った。

▼【応仁の乱】と[畠山持国]
畠山氏は室町幕府管領であった「畠山持国」(徳本)の相続で、弟の持富の子供で養子「弥三郎」(後に弟の政長が継ぐ)と実子の「畠山義就」との争いとなり、家臣団が両派に分裂して、ついには武力抗争に発展した。興福寺大乗院の宗徒の越智氏、古市氏は義就に味方し、筒井・箸尾氏らは弥三郎方に味方して合戦となった。
当初は、遊女の母親を持つ実子の「義就」を畠山家の後継者から外し、持国の末弟の持富系統に相続されるはずで在ったが、「持国」が途中から「義就」を後継者と定めた事が大きな原因で在った。
これが、【応仁元年(1467年)】に拡がって、京の上御霊社に陣取った政長勢を義就勢が攻めた為に【応仁の乱】が勃発した。「畠山政長」は「管領細川勝元」を頼み、「畠山義就」は幕府の実力者の「山名宗全」を後楯とした。【応仁の乱】が起こると古市氏にも両軍から誘いがかけられたが、「古市胤栄フルイチタネサカエ」は筒井氏が東軍に参加したことも在って、「畠山義就」に味方する越智党に属し西軍として行動した。
この都を中心に勃発した紛争は全国に及び、あの「応仁の大乱」となり将軍足利義政は為す術も無く全国を焦土とする内乱に発展した。 越中、能登の畠山勢は「畠山義就」に味方したと言う。






■【越中国総持寺】は「国守足利将軍家の命令で赤丸村から小矢部川下流の海岸近くの六渡寺村周辺へ移転した」と伝わる。




▼高岡市柴野の[臨済宗 三光寺]には、≪「足利義満」が室の業子の追善の為に【越中五位庄】を「臨済宗相国寺」に寄進した時に、臨済宗以外の宗徒は赤丸村周辺からの立ち退きを命ぜられた≫と伝わっている。



【浅井神社古墟図】➡[赤丸浅井城]や[赤丸浅井神社]等が記載される江戸時代の絵図。(※「加賀藩森田柿園文庫蔵」石川県立図書館)




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