《 わたしは、天空(エーテル)の静けさを理解していた。
人間たちのいうことは わからなかった。
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静けさとは単に音がないということではない。耳をすますことによって生ずるもの、すなわち、やさしいものがその音調を見いだし心を通わせることのできる空間のことである。
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真に教育の業を行なうものは、林苑(もり)の音をじっと聴くことだ・・・
それは人間への聴従とは別物で、あの天上からやって来るものに精神を集中して聴くことである。
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静寂のなか、そのなかでやさしいものは育つことができるのだが、そこにこそ愛はその場をもつのであって、愛が《命令》されるところにその場があるのではない。花に「まじって」愛は学ばれるのである。
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大地、光、大気との出会いのなかで点火された宗教的な根源体験に対する恭順がある。そこには、じっと心を澄ませ、真実なるものの音調を選び分ける鋭敏な感度と、ありきたりの「互いに知っている」を基盤としたどのような了解にも目をそむける悲しげな懐疑がある。われわれはヘルダーリンの生涯を通じて、くりかえしくりかえしこれらの痕跡に出会うであろう。》
ウルリッヒ・ホイサーマン「ヘルダーリン」 51-53頁
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