高田博厚の思想と芸術

芸術家の示してくれる哲学について書きます。

演奏鑑賞 

2023-03-05 22:41:22 | 日記

演奏鑑賞 2023.3.5

2023年03月05日(日) 22時

 
不思議だ。ぼくの聴く力が進化している。きみの演奏は均整がとれていて、かつ、メカニックなところが全くなく、すべてが、どんな細部も、生命に満ちている調和の美であること、彫刻の傑作の美であることを、ぼくはますますクリアーに感知するようになっている。いま、聴いていたのは「愛が見えない」。
 
 
 
 
 
 




悪魔も天使も存在する

2023-03-05 18:22:25 | 日記

悪魔も天使も存在する



 
もの(現象)の見方なんじゃないか。否定的なものも、積極的なものネガだと解することは常に出来るのだから。じぶんに自信がある者はそうすればよい。めったにいないけれども。
 ある本来的な方向にじぶんをもって行ってくれるものは、その面構えがどうであれ… だ。
 
 
 
 
 
 
 

人格と不釣合いな美的力を誇る高慢

2023-03-05 17:32:55 | 日記


 
じぶんの単なる意志力いがいのものはすべて恩寵である。それをじぶんの所有のように思うことはすべて傲慢であり、傲慢にふさわしい報いをうける。ぼくはこの場合、とくに美的感受性のことを言っている。この面で高慢で、人格と不釣合いな者がはなはだ多いからである。
 
道理に気づけば自然に慎む。 
 
 
 

 
人間の器量というのは、じぶんの持っている嫌な面にどれだけ気づけるかということだ。その嫌な面を否定する必要はない。そういう面が表に出ないよう慎むことが器量だ。具体的な例を出すが、ひとが純粋に精魂傾けているものをけなし、否定して、純粋な心を汚すなら、どういう哲学を積んできたのか、否定され離反されるのは当然ではないか、と、嘗てヤスパースに打ち込んでいたぼくをけなした教授に、ぼくはいま言う。
 ぼくにふさわしくないただの俗物じゃないか。 
 

この大学とは人間面でぼくは折り合いがわるかった。だから出ることになったのだが、その際の負の念波は、離脱して違う路に進むぼくの背中を押してくれたと思えばよいことに、いま気づいた。ネガな祝福だったのだ。