NEST OF BLUESMANIA

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音曲日誌「一日一曲」#426 ザ・トロッグス「Wild Thing」(Fontana)

2024-06-05 07:22:00 | Weblog
2024年6月5日(水)

#426 ザ・トロッグス「Wild Thing」(Fontana)




ザ・トロッグス、1966年4月リリースのシングル・ヒット曲。チップ・テイラーの作品。ラリー・ペイジによるプロデュース。

英国のロック・バンド、ザ・トロッグスはハンプシャー州アンドーヴァーにて64年結成。ボーカルのレッグ・プレスリー、ギターのクリス・ブリットン、ベースのピート・ステーブルズ、ドラムスのロニー・ボンドの4人編成。

66年2月、人気バンド、キンクスのマネージャー、ラリー・ペイジに見出されて契約を結ぶ。ペイジの経営するペイジ・ワン・レーベルでレコーディング、CBSよりデビュー・シングル「Lost Girl」を同月リリース。

この曲はヒットしなかったが、次のシングルで大ブレイクを果たすことになる。それが本日取り上げた一曲「Wild Thing」である。

「Wild Thing」は同4月にフォンタナレーベルよりリリースされ、全英2位、全米1位という大西洋をまたがるスーパー・ヒット、ミリオン・セラーとなった。これにより、トロッグスの名が全世界に轟いたのは、いうまでもない。

ヒットの波は他の国々にも及び、全豪1位、ニュージーランド1位、カナダ2位をはじめ、ヨーロッパ各国でも軒並みトップテン・ヒットとなったのである。日本でも「恋はワイルド・シング」というタイトルでリリースされ、その際どい曲調が話題となった。

この曲はもともと、米国のロック・バンド、ザ・ワイルド・ワンズ(むろん日本のGSとは無関係)が65年11月にリリースした曲だった。作者はシンガーソングライターのチップ・テイラー。バンドの依頼で書かれたこの曲は、かなり性的に際どい内容になった。しかし、残念ながらヒットには至らなかった。

この奇妙な曲に着目したペイジは、トロッグスにレコーディングを勧めて、実現させる。トロッグスのメンバーも、「Wild Thing」がそれまでやったことのないようなタイプの曲だったので、好奇心半分でチャレンジしたようである。

英国ではフォンタナレーベルからリリースされたが、一方米国では配給をめぐる争いがあり、フォンタナとアトコの競合リリースという珍しいケースとなった。このレーベル間の争いもいい方に作用して、全米1位が実現したといえる。

デビュー曲の「Lost Girl」はなんの変哲もない普通のビート・ナンバーという感じだったが、この超色物ナンバーにより、トロッグスはよくも悪くも「目立つバンド」となった。

大ヒットの勢いのやまないうちに次のシングル「With a Girl Like You」が7月にリリースされる。作者はボーカルのプレスリー。キャッチーで軽快なテンポの本曲は100万枚以上を売り上げ、全英1位、全米29位と、前作には劣るものの、まずまずのヒットとなった。

翌67年10月にはシングル「Love Is All Around」でも全英5位、全英7位のヒットを出し、三たびミリオン・セラーとなっている。この曲は、「Wild Thing」に似た循環コードパターンで、二番煎じの感は拭えない。

これらのヒット曲により、トロッグスはトップ・バンドとなったのだが、意外とそのブームはあっさりと終焉してしまう。

60年代後半にブリティッシュ・ロックは、よりサイケデリック、ハードでプログレッシブな方向へ急速に変化、進歩を遂げていってしまい、トロッグスのような従来型のガレージ・ロックは完全にかすんでしまったからである。

彼らの十八番「Wild Thing」も、ジミ・ヘンドリックスが67年のモンタレー・ポップ・フェスティバルで演奏して、観客にトロッグス以上の強烈なインパクトを与え、完全にお株を奪ってしまった。

時代の変化についていけなかったトロッグスであったが、その後もメンバーを変えつつ、活動を続けた。ヒット曲を出すことはなかったが、70〜90年代にはアルバムも出しており、今も現役である。そして、パンク・ロックの先駆者としても再評価されている。

プロモーション・ビデオで、いかにも怪しい、さらにいえばいかがわしい雰囲気をプンプンとさせた、トロッグスの当時のパフォーマンスを楽しんでほしい。ロックとは、本質的に刺激的な見せ物なのだ。




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