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音曲日誌「一日一曲」#432 ビッグ・ジャック・ジョンスン「I’m Gonna Give Up Disco and Go Back to the Blues」(Earwig Music)

2024-06-11 07:22:00 | Weblog
2024年6月11日(火)

#432 ビッグ・ジャック・ジョンスン「I’m Gonna Give Up Disco and Go Back to the Blues」(Earwig Music)



ビッグ・ジャック・ジョンスン、1987年リリースのファースト・ソロ・アルバム「The Oil Man」からの一曲。ジョンスン自身の作品。マイケル・ロバート・フランクによるプロデュース。

ビッグ・ジャック・ジョンスンことジャック・N・ジョンスンは1940年7月、ミシシッピ州ランバート生まれ。18人兄弟のひとりとして、小作農の一家に生まれた。バンドもやっていた父親の影響で、幼少期よりブルースやカントリーに親しみ、マンドリンを弾き始める。

10代からはB・B・キングに憧れて、エレキギターを弾くようになる。シェル石油のトラック運転手として生計を立てるようになったジョンスンは「オイル・マン」というニックネームで呼ばれていた。彼もまた父親として13人の子を持つことになる。

父親のバンドでギターを弾くだけでなく、ローカル・ブルースマンとの共演が増えていく。そして62年、22歳の年にハープのフランク・フロスト、ドラムスのサム・カーらとともに、ジェリー・ロール・キングス・アンド・ザ・ナイトホークスを結成する。ジョンスンの当初のパートはベースだったが、のちにギターとなる。

このバンドで15年間活動したのち、ジョンスンは自らのバンドを持って活動し、ギターだけでなくボーカルも聴かせるようになる。79年にはジェリー・ロール・キングスとしてもレコーディング、歌を披露する。

地道なライブ活動を重ねて、ようやく自らのファースト・アルバムのレコーディングにこぎつけたのが1987年、ジョンスンが47歳となった年であった。

シカゴのインディーズ系レーベル、イアーウイッグでリリースされたこのアルバムにより、ようやくジョンスンは世間にソロ・アーティストとしての存在を知らしめたといっていい。

イアーウイッグの創設者、マイケル・フランクのプロデュースのもと、ピアノに盟友フランク・フロストを迎えて、ベースのウォルター・ロイ、ドラムスのアーネスト・ロイとともにレコーディング。なかなか濃い内容の一枚に仕上がった。

本日取り上げた「I’m Gonna Give Up Disco and Go Back to the Blues」は、その中の一曲である。

聴いていただけるとすぐに分かると思うが、本曲はジョンスンの自作曲とはいえ、明らかに元ネタがある。そう、ジュニア・パーカー1953年リリースのシングル・ヒット曲「Mistery Train」である(当時はリトル・ジュニア・パーカー名義)。

この曲はパーカーによるヒットののち、55年にエルヴィス・プレスリーがカバーシングルを出して、カントリーチャート11位となり、全世界的に知られるようになる。

また、この曲を下敷きにしてマディ・ウォーターズが作った「All Aboard」は、69年リリースのヒット・アルバム「Fathers and Sons」に収録されて、「Mistery Train」の影響力の強さを感じさせた。

ジョンスンの「I’m Gonna Give Up Disco and Go Back to the Blues」では、最初のコーラスはほぼ「Mystery Train」といってよく、次のコーラスからは彼のオリジナルな歌詞になっている。内容はタイトル通り「オレはディスコをやめて、ブルースに帰るぜ」というユーモラスなもの。

かなり露骨な本歌取りなのに、クレジットにはジュニア・パーカーの名を入れていないので、その辺りパーカーの権利者サイドから突っ込まれないかなと心配する人もいるだろうが、実は大丈夫。

というのも、このアルバムには本曲の前に、パーカーの曲「I Like Your Body Style / Too Many Drivers」「Driving Wheel」と2曲もカバーを収録しており、パーカーへのトリビュートの姿勢を明確にしているからだ。

このくらいやれば、お目こぼしされるだろうね、十分に(笑)。

本曲でのジョンスンの歌、そしてギターはハイ・テンションそのもの。猛スピードで突っ走る列車の如し、である。

彼のステージ映像を観たことがあるならよく分かると思うが、とにかくそのボーカルやギター・プレイは、アグレッシブでノリがよいのだ。

ブルースは時代とともにそのサウンドを大きく変化させていったが、ジョンスンは洗練や変化といったものを望まず、若い頃から自分がやってきたデルタ・ブルースのスタイルを大きく変えることなく、ひたすら突き進んでいった人である。

2011年3月、70歳で亡くなるまで、彼はアルバムをコンスタントに作り、ライブ活動を続けた。

特にヒット曲もなく、ヒット・アルバムといえる作品もなかったが、確かなテクニックのギター、ワイルドなボーカル・スタイルの魅力で、一定数の支持層、ファンを持っていた。

人気アーティストとは言えなくとも、十分に「本物」であったビッグ・ジャック・ジョンスン。

筆者はブルースを愛する者のひとりとして、彼のような濃厚な味わいのあるブルースマンこそ、のちの時代にも聴き継がれてほしい、そう熱望するのである。






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