NEST OF BLUESMANIA

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音曲日誌「一日一曲」#423 ナッズ「Hello, It’s Me」(Colgems)

2024-06-02 08:03:00 | Weblog
2024年6月2日(日)

#423 ナッズ「Hello, It’s Me」(Colgems)






ナッズ、1968年7月リリースのシングル・ヒット曲。トッド・ラングレンの作品。マイケル・フリードマン、ナッズによるプロデュース。

米国のロック・バンド、ナッズは1967年、ペンシルバニア州フィラデルフィアにて結成された4人組。メンバーはボーカル、ギターのトッド・ラングレン、ベース、コーラスのカースン・ヴァン・オステン、ボーカル、キーボードのロバート・スチューキー・アントニ、ドラムス、コーラスのトム・ムーニー。Nazzというバンド名は、ヤードバーズの曲名「The Nazz Are Blie」に由来する。

68年7月にシングル「Open My Eyes」でレコード・デビューしたが、本日取り上げた「Hello, It’s Me」は、そのB面だった曲だ。

B面ながらA面曲よりもウケがよく、ボストンのラジオ局でよく取り上げられてそこで1位となり、他局にも波及していく。全米でも翌69年2月に71位になったのち、70年1月に66位まで再浮上している。

本曲は失恋の思い出を歌ったスローなラブ・バラードで、そのメロディとコーラスの美しさが、リスナーを惹きつけたのだろうか、ヒットを狙ってアップテンポに作られた「Open My Eyes」よりも断然支持を受けるという意外な結果となった。

そしてこの曲のヒットにより、バンドのフロントマンであり主要なソングライターでもあったトッド・ラングレンの名前は広く知られるようになったのだ。

トッド・ハリー・ラングレンは1948年6月フィラデルフィア生まれ。現在も第一線で活躍中のミュージシャン、プロデューサー、マルチメディア・アーティストである。

ビートルズ、ストーンズ、ヤードバーズといった英国バンド、米国のビーチ・ボーイズ、ジミ・ヘンドリックス、そして地元フィラデルフィアのソウル・ミュージックなどに夢中になり、ギターを独学で習得する。ナッズのレコードデビュー時は20歳になったばかりだった。

彼はナッズの心臓とでもいうべき存在で、その音楽性のほぼ全てを、彼ひとりがリードしていた。

ナッズは彼が影響を受けたアーティストを反映して、いくつもの音楽的側面を持つ。サイケデリック・ロック、ガレージ・ロック、ポップ・ロック、そしてソウルである。

エレクトリック・ギターをフィーチャーした最新のサイケデリックなサウンドを押し出しているかと思えば、ビートルズやビーチ・ボーイズを思わせるコーラスもこなし、さらにはメロディアスでソウルっぽい一面も兼ね備えていた。

そういった多面性が、ナッズのウリであり、魅力であったと言える。

デビュー・シングルのリリース後、10月にアルバム「Nazz」をリリース。ジャケット写真でビートルズの「Meet The Beatles」をもじったこのアルバムは、全米チャートで118位となり、シングル・ヒットには及ばなかった。

翌69年4月、セカンド・アルバム「Nazz Nazz」をリリース。こちらは前作よりはセールスを伸ばして全米80位となる。しかしナッズはバンドとしては長続きしなかった。

セカンド・アルバムのレコーディング中にメンバー間の軋轢が生じて、ベースのヴァン・オステンがその完成後に脱退する。サポート・ミュージシャンを入れて活動を続けたもののうまくいかず、同年中に解散となる。

その後、ラングレンはソロ・アーティストとして、活動を再開する。バンドに頼ることなく、ほぼ全ての楽器を自分で演奏し、レコーディングするマルチ・ミュージシャン兼プロデューサーとなったのである。70年リリースのファースト・アルバム「Runt」以降、彼はその路線をしばらく続ける。

72年2月リリースのサード・アルバム「Something / Anything」は2枚組の大作となったが、これが評判となり、全米29位にチャートインするヒットとなった。

そのアルバム中で、ラングレンはこの「Hello, It’s Me」を再び歌ってみせたのである。

シングルとしても2度リリースされる。最初は同年11月、2度目は73年8月。後者は全米5位の大ヒットとなった。ラングレン最大のヒット曲であることは、いうまでもない。

オリジナルのナッズ・バージョンがかなりスローで、やたらもったりとした感じであるのに比べて、ソロ・バージョンの方はだいぶんテンポをアップして聴きやすくなっている。これが功を奏したのだろう。非常にキャッチーで、ヒットしたのもむべなるかな、の出来映えである。

ここでラングレンは、あえてひとりバンド方式にこだわらず、自らはボーカルとピアノに専念して、他のパートはスタジオ・ミュージシャンに演奏を任せている。ホーン・セクションには、ブレッカー・ブラザーズも加わっており、なかなか豪華な布陣である。

ナッズ時代は、さすがにこのゴージャスな音とは比較のしようがないシンプルなサウンドであるが、弱冠はたち前後の若者が、こんな成熟したメロディ・ラインを書いたのかと思うと、その才能には文句なしに敬服してしまう。

天才、トッド・ラングレンが若き日に初めて書いたバラード・ナンバー。その完成度の高さを、オリジナル・バージョンに感じ取ってほしい。

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