今日は立春。あいにくのお天気で、冬へ逆戻りな気もしますね。
昨日は、和田帝釈天の豆まきの合間をぬって、親子で街デビュー「親子で帝釈天で節分☆わだカフェ@帝釈天」を開催。楽しかったですよ☆
江戸時代から、地域の人々によってまもられている和田帝釈天。
初めてあがった本堂には、帝釈天と鬼子母神が奉られていました。
ご住職から節分の由来や帝釈天についてのお話を伺いました。
「デビ婦人のブログにも登場!」という嶋田住職。
帝釈堂は江戸時代に作られ、住職でなく街の人が守ってきたこと。
だからご本尊はいつでも開帳されていて、24時間(だったと思う)街の人を見守り続けていること。
奉られている帝釈様は、元はインド最強の戦いの神。勝負事の祈願はばっちり☆らしく。
さらに並ぶ鬼子母神像の逸話は胸に迫りました。
Wikipediaには・・・・
鬼子母神
「夜叉毘沙門天(クベーラ)の部下の武将般闍迦(パンチーカ、散支夜叉、半支迦薬叉王)の妻で、500人(一説には千人または1万人)の子の母でありながら、常に人間の子を捕えて食べてしまうため、多くの人間から恐れ憎まれていた。それを見かねた釈迦は、人間を救うと共に彼女をも救済することを意図して、彼女が最も愛していた末子・愛奴児(ピンガーラ、プリンヤンカラ 嬪伽羅、氷羯羅天、畢哩孕迦)を隠した。彼女は半狂乱となって世界中を7日間探し回ったが発見するには至らず、助けを求めて釈迦に縋ることとなる。そこで釈迦は、子を失う親の苦しみを悟らせ、仏法に帰依させた。かくして彼女は仏法の守護神となり、また、子供と安産の守り神となった。盗難除けの守護ともされる。。」
とありました。
鬼子母神は1000人いる子どもの一人が盗まれたとき・・・鬼の形相で探しまわった慈愛あふれる母。母が子を想う気持ちにちょっとジーーンとしました。鬼子母神は安産の神様でもあるらしくよ。やはり子育ての街!和田商店街。
鬼子母神が奉ってあるので「帝釈堂では鬼は外は言わないんです」とか。
「福は内」「福は内」というのが、またいいですね。
人の心に住む鬼も、悪い鬼もまるっと受け止めつつ、「福は内」「福は内」とよいものを呼び込むのが和田流なのかもなぁ・・・と一人納得です。
ご住職の姿勢のすばらしさ(見ることころは、そこか!?)にうっとりしつつ、親子で帝釈天で節分はほんわかあたたかい気持ちになって終了しました。
親子もお店も育ちあう和田商店街。
この街で子どもたちが健やかに育ちますように!