
今さらですが、クリスマスのときの様子を。去年はめちゃくちゃ忙しかったので、クリスマスケーキを焼く(時間的、心理的)余裕がなく、スポンジケーキの台を買ってきて、飾り付けのみしました。こ初々さんはスポンジに殆ど興味がなく、ひたすら生クリームを楽しんでいたなぁ...
さて去年のクリスマスの「私にとっての」一大イベントは、イブ礼拝の日にミニファミリーコンサートをする、ということでした。子どもと一緒にピアノを習い始めた私ですが、基本的に怠惰な性格なので、何か目標がないと真面目に練習できない・・・なので、クリスマスに披露できるよう、何かクリスマスソングを練習するぞ。そう思い立って、「あわてんぼうのサンタクロース」を練習しはじめました。もちろん一人でひく勇気がなかったので、「こ初々さんは鈴、お父ちゃんは歌ね!」と勝手におしつけ、取り組み始めたのですが・・・とにかく練習している時間がない!途中に入るかっこいい「間奏」なんかも全部省いて、「とにかく曲になってりゃいいや」とばかりにコンパクトに編集した曲をようやく仕上げました。それでもいざお父ちゃんが横で歌うと、それにつられてしまってとちってばかり。「むしろ、耳栓してピアノをひきたい」と言ったら、「それじゃ合奏する意味がない!」とオットさま。はぁ、そうですね。じゃぁもっと遠くに離れて歌ってよ。なんて、これはファミリーコンサートなのか?という感じになりそうでしたが、とにかくとちってもなんでも最後までひければいいや・・・くらいの気持ちで、当日を迎えました。演奏前のオットさんの素晴らしいマイクパフォーマンス後(つまり、どれだけ未熟な演奏かをアピールしてもらった後)、緊張でガチガチになって何度も演奏がストップしながらも・・・なんとか最後までたどりつけた!ふう、やれやれ。教会のみなさまはとてもあたたかい方たちばかりなので、だーれも文句を言わないことをいいことに!?未熟な演奏を聞いて頂いてしまったのでした。ごめんなさ~い。それもみなさん誉め上手なので、「5ヶ月でこれだけひけるとは天才!」とか、「タッチが強くてよかった」とか、かろうじて誉められるところをわざわざ(苦労して)見つけて誉めて下さるのでした。極めつけは教会学校の女の子(小学生)が演奏後にわざわざやってきて、「とても上手な演奏でした」と言ってくれた時には、思わずぎゅーっと抱きしめたくなったものです。ううう・・・こんなにヘタクソでも、それでもよいと言ってくれるのね。
聞かされるほうはたまったものじゃなかったかもしれないですが・・・どれだけヘタッピでも、演奏させて頂けてよかったなぁと私は思っています。そして思うのは、「私も変わったなぁ」ということ。こう見えて基本的に負けず嫌いで、何でも上手にできないと嫌なほうですから、「完璧ではなく人前にたつ」ということに困難を覚えがち。それが、「どうみても練習不足かつ才能もセンスもないようなもの」でも、聞いてもらおう!と思っているのですから、不思議です。それを可能にしているのは、もうどう考えても教会の持つ許容力のおかげ、としか思えません。つまり、「どんなに未熟でも、一生懸命に取り組んでいることを評価してもらえるだろう」と、「私自身が」信じているからにほかなりません。いや、本当のところはどうか分かりませんよ。「本当は」未熟ではダメと思ってらっしゃる方もおられるかもしれませんし、「そんな演奏を聞かせてくれるな」と思っておられる方も、なかにはいないとも限らない。でも「本当のところ」はどうかともかく、ここで大切なポイントは「私自身が」そんなふうに思う人はいないだろう、きっと聞き苦しいところがあっても、喜んで聞いて下さるに違いない、と「思い込んでいること」なのです。それが、「お恥ずかしながらも」一歩踏み出せる・・・つまり、未熟なままチャレンジができる原動力なのだと思います。
この「未熟なままでも、受け入れてもらえるだろう」という世界や社会、他者への「根拠のない」信頼は、きっと人と人が関わりながら生活するうえでは必須の能力だろうと思います。出来ることであれば、子どもにはそんな力を持ってもらいたい・・・と願うのですが、今のところこ初々さんは親が願うまでもなく、根拠のない自信たっっぷりなようです。「みんな、こ初々ちゃんのこと好きだよね~」と自分で言うまでは分かりますが、「こ初々ちゃんのこと知らない人も、こ初々ちゃんが好きだよね~」とまで言ってのける。うん、それが幸せに生きる秘訣だよ。ハハは思うのでした。