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京都生活手帖

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車の顔が恥ずかしい

2012-10-03 00:06:41 | オットの料簡
以前、車を買い替えについて検討中の話をブログに書いておりましたが、実はこの夏とうとう買い換えました。何せ、パワーウインドが自動で動かなくなっておりましたし、運転中に何か変な音がしておりましたので。

で、買い換えた車がご存じ日産のキューブ。人気の茶色です。でも、新車じゃないんだなぁ。新車を買うべくカーディーラーめぐりをしておりましたが、結局新車を買う勇気がなくて中古車でした。

で、面白いのがそのナンバープレート。4桁の数字ですが、前2桁も、後ろ2桁も、縁起が悪いとされるナンバープレートです。中古屋さんも、「ホントにこれでいいんですか。好きな数字に変更可能ですよ(有料だけど)」なんて心配してくれましたが、全然気にならないのでそのままで走っております。もうちょっと正直に言うなら、縁起がいいとかゴロが良い数字とかの頑張っているナンバープレートって時々見かけますけど、その頑張っている方向がなんだかなぁ、と思ったりもします。

いや、今日はそういうことが書きたかったわけではなくて。


先日、子どもと二人で、その買い換えた中古車キューブに乗っていて、赤信号で一番先頭に止まった時のこと。
こ初々が「信号で一番前に止まるのって恥ずかしいんだよねぇ」と申します。「えっ? なぜ?」と問うと。「だって、キューブの顔がカッコ悪いんだもん。一番前だとよく見えるでしょ。だから恥ずかしいの」。へぇー。車の顔がカッコ悪いから信号で先頭に止まりたくない、なんて考えてもみなかった。まぁ確かに、今度のキューブの顔はあまり可愛くないですけど、それにしても変なところで自意識過剰・・・・。もちろん車のナンバーが縁起でもない、ってことじゃなありません。あくまでも見た目の問題。

娘から、「なんだかなぁ」とかっこ悪く思われているのはうちの車の顔だったのでした。

otto
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レレレの子ども

2012-09-20 09:41:29 | オットの料簡
「父ちゃん忙しいし、何か自分で楽しいことを見つけて遊びな」とほっておいて、しばらくしてから階下に降りてみますと、新聞広告を丸めてつなげて、丸めてつなげて、長ーい棒を作っておりました。
「おおぉ 面白いもの作ってるなぁ」と褒めてやりますと「ほうきを作る」と言います。広告を一本一本細く切って、棒(ほうきの柄)にくっつけて房を作るのだそうです。そりゃ時間かかるなぁと思いましたのでちょっとヒントを出してやりますと、それからまた、房を作っては巻き、作っては巻きして写真のような立派なほうきができました。かなりお気に入りのようで、次の日もさらに房を作ってはふさふさにして、毛槍のようなほうきができておりました。


ははぁ、子どもはほっておくと勝手の面白いものを作りよるなぁ、と思ったわけです。

2日間ほどはこれで、エア掃除をしてくれておりましたが、やっぱりすぐ飽きました。

otto

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子どもは退屈すべし

2012-09-08 23:43:13 | オットの料簡
子どもはよく遊ぶが、よく飽きる。めくるめくような歓喜のなかにいたって、必ずその興奮は冷め、その後には退屈がやってくる。私自身子ども時代に、「なんか面白いことないかなぁ」と何度言ったことか。

こ初々さんも今年の夏休み、「何かいいことないかなぁ」と言い続けたけれど、だいたい夏休みなんて退屈なものだ。

問題は、「退屈をいかに楽しい時間に変えられるか」なのだ。自分の活動の中に如何にして楽しいことを見つけ出せるか。いつもの遊びの中に新しい面白さを見つけ出せるか。幼児期の遊びとは、新しい工夫によって、いつもの飽きた遊びの中に「面白さ」を見つけ出す訓練の場ではないか、とさえ思う。そして、これこそが幼児期の遊びの意義であり、生きる力ではないかと思う。生きる力とは「自分自身を楽しくさせる力」だ。

どんなことであれそこに「面白さ」を見つけられたらこっちのものだ。勉強や仕事の中にも面白さを見つけることができる。面白くなるように工夫する。面白くなったら続けられる。苦手な人の中にも面白さを見つけられる。面白さが見つかれば付き合える。

大事なのは、「面白さ」が与えられたものではなく、それを自ら見つけ出せることだ。ゲームも面白いけど、それはあらかじめプログラムされたものだけに、自ら見つけ出す余地が少ない。

面白いことを見つける力、自らを面白くする力、この力を育てるためには、“飽きてる子ども”をほっておくことだ。言い換えれば新しい刺激を与えないこと。そうしたら子どもは自分で刺激を作り始める。


otto・ouioui
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キヌカ塗り

2012-09-02 10:12:30 | オットの料簡
我が家で建材として使われている木材は、床、階段、手すりから建具に至るまで全て無垢材。ですからワックスなどの処理がなされていませんので、美しく保つためには手入れが必要になります。

で、手入れの方法として工務店の方から言われたのが、1年に一度キヌカを塗ること。
キヌカは米ぬか油で作られた自然塗料です。これで家中の床、柱、建具を磨くのが私の夏の仕事です。キヌカを塗って2時間ほどしたら、床がピッカピカのツッルツルです。家中をいっぺんに塗るのは無理なので、塗る場所を区切って少しずつ塗ってゆきます。夏の間にこの仕事を終えて、秋には外回りの無垢材にオスモ塗料を塗らねばなりません。手間のかかる仕事ですが、ハウスキーピングは気分転換を兼ねたたのしい仕事です。

otto
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全力で親にぶつかる

2012-08-14 01:35:27 | オットの料簡
我が家でも(というか、私だけ?)この17日間、連日オリンピックに明け暮れておりました。こ初々さんも、いままで見たこともなかった競技を目にして、いろいろと興味を持ったようです。「これはどういうこと?」、「どんなルール?」、「どうしたら勝ちなの」と質問してきます。

中でも一番興味を持った競技は何だと思います?

基本、乙女モードのこ初々さんですから、体操女子? 新体操? シンクロナイズドスイミング? いえいえ違います。なんと、女子レスリング! 始めて見たときからどういうわけか「これ好き」「もっとみたい」「どんなルール」と尋ねてきます。基本的なルールを教えてやりますと、何が気に入ったのか「父ちゃん、これ、やろ!」

で早速、敷布団をマットにしてレスリングの開始です。
やってるうちに彼女の何かに火が付いたようで、「うりゃぁ、おりゃぁ、ぎょぇぇ」と雄たけびを上げながら私にかかってきます。

もちろん私は大人ですから、5歳の子どもに負けるわけはありませんが、それでも、片足タックルを受けて、片足でケンケンしながらリング外に押し出されて1点、バックに回られて2点と負けてやったりしますと、さらにヒートアップ。もう二人ともはあはあ、ぜいぜい言いながらかなり長い間レスリングをしておりました。

「あぁ、もうわたし、ものすごく筋肉が熱くなってきた!」「ほら見てこの汗!」「子どもなのに筋肉モリモリになるかも」「私子どもなのにどうして大人に勝つの!」「わたしオリンピック出よかなぁ」とまぁ、全能感の塊です。

で、このところお風呂に入る前にお布団の上でのレスリングが日課となりました。5歳の女の子とは言え、10分、15分続けていると私も汗びっしょりかいて、へろへろです。

でもなんかね、彼女が全力で自分の力をぶつけてくるっていう経験は、彼女にとっても私にとっても必要なことなんじゃないだろうか、と思います。さらにそれを、遊びという形で双方が受け取れることも含めてね。自分の全力を親にぶつけること、それを親が受け止めること、そしてたまには親を負かすこと。自分の持てるすべての力を表現すること。
一方、親の私としても、いずれは乗り越えられる存在として、いつの日か手加減しなくてもやすやすと負かされる日がくるための予行演習として。

何れにとっても、大切な何かをやり取りしているような気がします。


人が自分の力を感じる時って、自分の力の反作用を経験するときなのです。反作用としてしか自分の力は感じられない。つまり、壁にぶつかって跳ね返された時、初めて壁にぶつかる自分の力を感じることができる。逆に言えば、暖簾に腕押し、糠に釘では自分の力を感じられない。

だから、父ちゃんは、いつでもキミにとっての「抵抗」になる所存であります。

そしてこういう時母ちゃんは、いつも「それは父ちゃんの仕事でしょ」的な立場で父娘を眺めているのですが、たまには初々さんもレスリングやったら?
otto
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