1984年。
この年の4月、私は人事異動で札幌へ転勤になりました。
この年は札幌も雪の多い年だったのでしょうか、飛行機から見た札幌の街にはまだ雪が残っていた記憶があります。
そしてまた札幌での生活が始まりました。
ここで、私は社会人のグリークラブに入ることにしました。
このNグリーには私の大学のOBや現役も参加していましたので、大学時代からよく知っていました。私の同期の連中もすでに入っていて、当然のごとく勧誘され、私も迷わず入団したのでありました。
しかし、仕事が終わってから練習に行くのはなかなか大変で、実際に練習に来る人は少なかったと思います。
それでも、久しぶりに札幌に戻り仲間と会えた嬉しさもあってこの頃は練習にもよく行っていました。
しかし、色々な大学のグリーメンが来ているので当然ライバル意識もあります。
それぞれの大学で主力を張っていたと自負する人が多いのですがら当然です。
あきらかに今までのグリーとは雰囲気が違いました。
そんな環境の中、私のグリー史の最終章が始まったのです。
この年の4月、私は人事異動で札幌へ転勤になりました。
この年は札幌も雪の多い年だったのでしょうか、飛行機から見た札幌の街にはまだ雪が残っていた記憶があります。
そしてまた札幌での生活が始まりました。
ここで、私は社会人のグリークラブに入ることにしました。
このNグリーには私の大学のOBや現役も参加していましたので、大学時代からよく知っていました。私の同期の連中もすでに入っていて、当然のごとく勧誘され、私も迷わず入団したのでありました。
しかし、仕事が終わってから練習に行くのはなかなか大変で、実際に練習に来る人は少なかったと思います。
それでも、久しぶりに札幌に戻り仲間と会えた嬉しさもあってこの頃は練習にもよく行っていました。
しかし、色々な大学のグリーメンが来ているので当然ライバル意識もあります。
それぞれの大学で主力を張っていたと自負する人が多いのですがら当然です。
あきらかに今までのグリーとは雰囲気が違いました。
そんな環境の中、私のグリー史の最終章が始まったのです。