波士敦謾録

岩倉使節団ヨリ百三十余年ヲ経テ

『徳富蘇峰 終戦後日記-頑蘇夢物語』平成18(2006)年 講談社刊

2006-08-03 23:41:21 | 読書感想

 先月末,網路書店の新刊書頁を覘いてみた際,徳富蘇峰の終戦後日記が出版されたことを知った.早速航空便で入手し,昨夜早足で捲ってみた.終戦直後において,皇室の短期的な行末だけでなく長期的な危機まで蘇峰は予想し警告を書き留めているが,昨今日本から伝わる主要報道機関等の皇室への不遜な態度・扱い等を思うと,蘇峰の心配が正に的中したと言わざるを得ない.戦前を知る日本人が老齢化或いは鬼籍に入るに従い,占領時に蒔いて置かれた種が今満開になったという趣だろうか.今の日本社会を実質的に取り仕切っている世代は,凡そ約四半世紀前「戦争を知らない子供たち」に共感した世代であり,それ以前の世代,戦中・戦前の焼きが入った先輩達と違い,「大日本帝国」の尻尾の痕跡を留めない者達である以上,理の当然の事態の出来(しゅったい)だろうか.
 米国占領時代の洗脳が未だ抜けない同時代体験者やその洗脳継承者達は,蘇峰を戦前の便乗国粋者の代表として切捨て,完全に忘却している.彼の原典を一応読み直すという労を厭い,占領軍やその御先棒を担いだ日和見日本人の言を相変わらず鵜呑みにして,占領の洗脳の継承を無意識或いは意図的に拡大再生産しているのだ.今回蘇峰の主張を読み,彼が,戦前・戦中に跋扈した時局便乗的な国粋主義的知識人というような安っぽい標簽では代表出来ない思想・行動規範の持ち主だったことが良く分かった.彼の主張する日本人の拠り所としての皇室中心主義は,戦前の昭和を席捲した皇国史観とは全く趣を異にしている.又,国家元首としての天皇陛下の責任について,明治天皇との比較で,昭和天皇御自身の統帥責任,強いて言えば先帝の君徳輔導の任に在る臣たちが陛下の統帥責任について為すべきことを為さなかったのではないか,という批判を展開している.即ち,[日本の皇室を取り巻く特殊条件を認識することなく],英国王室の「君臨すれども統治せず」の表面的模倣に終わり,開戦及び終戦における関わりは別としても,重大な戦中において,明治天皇のような腰の入った役割を果たさなかったのではないか,という神懸り的な右翼からすると非常に「不敬」的な評価で,明治,大正,戦前昭和の日本を同時代的に体験し,各時代の各界指導者との面識を有し,言論人だけでなく歴史家としての側面を持つ蘇峰ならではの真骨頂が発揮されている.
 軽く目を通して気になったのは,日記中に,「(以下,省略)」という終わり方のものが少なからず存在することだ.蘇峰が後世の日本人の為に残した日記にもかかわらず,同書冒頭の「凡例」において,『...日記『頑蘇夢物語』一巻から五巻までの内容を吟味し,小社編集部で選択,収録したものである』,と断っていることだ.昨今の日本の報道機関・出版社で横行中である,著作者に断りなしの内容改変・割愛を考慮すると,講談社が,本日記の刊行後,関係者の抗議を恐れる余り,自己検閲し割愛したのではないか,という揣摩臆測に陥りそうだ.
 同日記には,味わい深い件が沢山含まれているので,後日の記入において触れてみたい.
 
  © 2006 Ichinoi Yoshinori. All rights reserved. [Last Update:08/03/2006/ EST]