医療と適当に折り合いをつける内科医

医師国家試験浪人後の適当な医療を目指す内科医を追います

最後のプロデュース、時間との出会い

2004-12-30 03:48:08 | 日記
でした、感染症勉強会。相変わらず至らないところが多くてすみまで気を配れていなかったこと申し訳なかったです。でも本当に素晴らしい感染症でした。一応これで僕らが教えた学生さん達が次に教えることで一周させる事が出来、もう僕らのここでの役割は終わりかなぁと。しかしびっくりしたのは2世代目になると本当に個性的な講義が増えてきます。もし、万が一この会が続く事があればしばらくは面白い、工夫された講義が次々とでてくるのでしょうね。

組織の世代論としては有名な話ですが、1世代目というのはエネルギーのあるやつらが集まってなんかやってみよう、みたいなノリがあるわけです。しかも1からのスタートなので試行錯誤も本当に多い。毎回反省しまくりながらやっていくわけですよね。ここで育っていく2世代目は当時のまだトライアンドエラーの時期かつまだ人材がそろっていないところに集まってきた人たちなので結構ノリとしては「お、なんかおもろそうなことやってそうやん。」みたいな感じで適当系も多いのでやや無責任に(いい意味でです)自由に面白い発想を試してくれたりします。土台が出来てるから出来るわけですが。場はダイナミズムに溢れ面白くなってきます。次にこういう場にやってくる3世代目はある意味で完成されてきた場所だから参加しているところがあるわけです。しかも2世代目はそこそこ適当なので、彼らの意識にはきちんとこれらを守っていこうという発想で運営されていきます。彼らの持続させようという工夫がモチベーションになりえるのです。ところがです、ここで物事のダイナミズムは終了してしまいます。一度こわしてしまわない限り。。。

参加するときの場の状態、その時の参加者の意識(動機)、どこに楽しみを見つけていくか、の3点は常に連携していてそれが次の場を作っていく。そうしていくと何れは終焉が来るのではないかと。その通りで組織は衰退していくものなのです。3世代以降の人たちは先の3点が何に当てはまっていくかは恐くて書けません。一つには権威主義につながるパターンがあります。ただ、全く衰退していかない組織というものも沢山あるわけで、例えば最近見にいっていた「歌舞伎」業界なんかはそうですよね。ほとんど同じようなことを何回も何回もやるわけで衰退しないのかと思いますが、あれは理由がありそうです。習得に身体と時間が関係しているからですね。決して楽にするためにどこどこをはしょったり、などできないし、世代を超えて蓄積していくと言う事もないのです。実は科学と言うものは常に再現性があるとかいろいろ定義がありますが、私は一つに必ず次に蓄積していけるもの、という概念もあると思います。科学の知識は常に蓄積されることで発展してきました。そして蓄積していけるものを重視しすぎたあまり、蓄積できないものを見逃すようになってきています。それは言語化(記号化)できないもの、ということです。「悟り」という言葉がありますよね。大昔知り合いと早く悟る方法を編み出したらすごいよね。脳の研究が進んだら悟りの状態を理解してできるかも。みたいな話をした事があります。でも今思えば問の設定事態が間違っていましたね。たぶん「悟り」は状態ではない。どちらかと言うと「悟った」と思うまでの道のりすべてを含んだ概念、例えると音楽のようなものなんじゃないかと。音楽は終わりだけ取り出してもそれはその「曲」じゃないですよね。こう、ずーっと曲を聴いていて最後まで聞いたところで「あぁ~よかった」と思える。それが「悟った」に近いのじゃないかと最近は思うのです。音楽ははしょれません。「わかる」という概念も同じのようなきがします。

長くなったので話をまとめましょう。その記号化できないなにか、を大切にする限り物事は続いていきそうな気がします。何かをみんなでする時、自分の中でその音楽を奏でてください。きっと途中で終わったり、納得できない曲になってしまったり、あるでしょう。大丈夫、僕らには時間があります。また続きを奏でましょう。時間と言うものは意外といいものですね。

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