マオ猫日記
「リヨン気まま倶楽部」編集日記
 




 フランスに2年(幼少時を入れると4年半)、ベルギーに3ヶ月住み、欧州各国を旅して廻った結果思ったこと。それは、「欧州を旅するならフランス」ということです。こう書くと、フランス以外の欧州各国に在住の皆様から批判を受けそうですが・・・。

 フランスに住んでいた際、日本とのあまりにも大きな差を体感し、またフランスの経済、社会が抱える問題を目の当たりにし、「よくまま、これで先進国でいられるなあ」「フランス経済、恐れるに足らず」等と思っていました(例えば、この記事このエントリーこのエントリー参照)。無論、その印象は一部現在でも持ち続けているのですが(笑)、他方で、ベルギーに移り住んでみると、フランスのよいところがまた浮かび上がって来ます

 その一つが、文化における保守性。建築や都市計画を巡る極端なまでの規制(例え名も無い町や村であっても、役場によって建物の外壁色が規制されている)、古いままの旧市街は、時に欧州の他の大都市と比較して見劣りすることもあります。

 しかし同時に、こうした頑固さが、現在のフランス観光産業にプラスに働いていることもまた、否定できません。
 例えば、同じ欧州の街並みでも、スペインは、(財源的限界から)修繕し切れずに老朽化した建物(北東スペイン)と、戦後の経済成長で新築された建物(マドリッド)、南部の灼熱の太陽に耐えるための白い家(ネルハ)が入り混じっており(かなり大雑把な印象論ですが・・・)、全ての町村が古い町並みを整備・保存しているというわけでもありません。オランダは、綺麗に整備された伝統的なレンガ建築が地方に残っているものの、戦災復興に際しては近代的な都市建築を優先したためか、ロッテルダムなどに行くと超近代的な建物が多く見られます(アムステルダム西郊には、日本の幕張新都心に似たような場所も)。ドイツはフランスと並んで伝統的な街並みの保存に熱心ですが、残念ながら第二次世界大戦で徹底的に破壊されているため、どの街並みも戦後に復興させた「新しさ」が感じられます(つい最近まで東西に分断されていたベルリンなど、都心部のポツダム広場の空き地に超近代的なビル群が建設された)。
 そこへいくと、フランスの町は、大はパリから小はリヨン近郊の寒村まで、伝統建築の保存に極めて熱心で、各町の教会は建設当時のままの姿で維持され、どこへ行っても観光資源となり得るような景色ばかりです。モンサンミッシェルのような世界的知名度があるところはもちろん、ちょっとした農村や山村であっても、古い建物をなるべく壊さず今でも活用しており、「新しもの好き」の日本とは対象的です。パリはパリで、中心部のスペースの取り方、大型建築物の多さからしても、他の欧州の大都市を凌ぐ規模があり、さすがは「文化の都」と呼ばれるだけのことはあります。
 ちなみに、当地ベルギーはというと、仏語圏地域も含めて建築文化的にはオランダの伝統(赤レンガ造り、同一デザインの家を並べて建築)を色濃く反映しています(ベルギーが1830年までオランダだったことを考えれば、当然といえば当然ですが)。以前ご紹介した仏白国境の町ゴグニー・ショセ(Gognies-Chausseeにしても、ベルギー側はオランダ風の家並みであるのに対し、フランスは一軒家にしても違うデザインのものが一つ一つが間を空けて建築されています。

 ではフランスが、北はフランドルから南はカタランまで、一様にフランス式の都市景観、建築文化であるのかというとさにあらず。中央部分は別として、フランスは国境を接する周辺部を中心に、実に隣国に極めて類似した豊かな地方文化を持っており、それが「フランスの文化」として、これまた実に大切に保存されています。政治的には中央集権国家、近代国民国家の権化のようなフランスですが、北西部の(直接国境を接しているわけではないものの)ブルターニュ地方にはじまり、北部のフランドル地方(ベルギー隣接)、北東部のアルザス・ロレーヌ地方(ドイツ隣接)、東部のサヴォワ地方(スイス隣接)、南東部のニース付近(イタリア隣接)、南部のカタラン地方(スペイン隣接)、そして南西部のバスク地方(スペイン隣接)では、それぞれ隣国に類似した建物群がよく保存され、似た食べ物が食され、そして似た方言が話されています。例えば、アルザス地方に行けば、ドイツ語系の「アルザス語」が住民の間で今なお会話され、「ストラスブール」などのドイツ風の地名が数多く残り、「ザワークラウト」は「シュークルット」という名前で「アルザスの伝統料理」とされ、建物はストラスブール中心部から「アルザス・ワイン街道」の村に至るまでドイツ風の木組みの家が見られるといった具合(戦災被害の大きかったドイツ本土より、昔らしい街並みが残されているかもしれません)。南部カタラン地方はかつて隣のスペイン・カタローニャ地方の一部でしたし、バスク地方では同じくスペイン・バスク同様、バスク料理や方言が話され、道路標識もバスク語が併記されています(歴史的理由によるためか、フランス・バスクのほうがスペイン・バスクより「バスクらしい」建物を多く見かけます)。地中海に浮かぶコルシカ島に至っては、イタリア系の文化が今でも相当程度色濃く残り(もっとも、当のコルシカ人に「コルシカ文化はイタリアに似ている」等というと怒り出しますが・・・)、今でも一部で分離独立運動が燻っています。「チーズフォンデュ」は、フランスでもスイス仏語圏でも「地元本場料理」として食べられます。

 フランスの歴史を紐解けば、現在の「フランス」にあたる国が徐々に国境を拡大し、あるいは縮小させ、周辺部にフランス文化を残していった経緯がよくわかりますが(その名残りで、今でもルクセンブルクやベルギー(南部)、スイス(西部各州)、イタリア(アオスタ特別自治州:こちらを参照)の一部に「仏語圏」があるわけです)、面白いのが、これらの「隣国類似文化」は、国境を越えた隣の「本場」に極めて類似しているものの、少しばかりの独自性もまたあるということです。例えば、バスク料理を食べるにしても、フランスで食べるとどうしてもスペイン・バスクよりも味が薄味になりますし、「シュークルット」(アルザス料理)も「ザワークラウト」(ドイツ料理)よりは酸味が(一般的に刺激的な味が嫌いなフランス人好みに)抑えてあります。ニース周辺にどの程度イタリア食文化が残存しているかはよく知りませんが、今まで仏国内のレストランで、(他ならぬイタリアが隣国にあるのに)アルデンテのパスタを食べられたことがありません(仏人はアルデンテが嫌い)。「隣国にはあるのにフランスには無いもの」もまた多く、例えばオランダ、ベルギー、ルクセンブルクでよく見かける「フライドポテト屋」や、ドイツで見かける「生クリームたっぷりのケーキ」(日本の欧風菓子と同じ)は、フランスではお目にかかれません。

 というわけで、国土に欧州の多様性を内包しているフランス。無論、言葉の問題等もあって必ずしも「欧州一、観光客フレンドリー」という訳ではありませんし、直接国境を接していない東欧や北欧はまた随分違った景観がありますが、フランスの四週を旅すれば、それなりに複数の欧州文化と邂逅できるのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )



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コメント
 
 
 
旅をしないと (momo-tti@奈良)
2006-12-21 08:57:41
人間がくさる、というような意味のことを、確かモーツアルトさんがいっておられたと記憶しております(小林秀雄の評論かな?)

またお邪魔させていただいております~

ヨーロッパを旅するならフランス、ですかー☆

わたしは、欧州に足を踏み入れたことがありませんが、ドイツ語をまなんで、フランス人と結婚し、イタリアに住むといういささか壮大なユメを持っております。。。

すてきなフランスの方がいらしたら、ぜひご紹介くださ~い♪なんちゃってw

すみませんでございます
 
 
 
欧州に住む (菊地 健(マオ猫日記))
2006-12-27 06:17:42
 はじめて欧州に住むと、不便なところやら慣れないことやらで大変でしたが、慣れれば慣れたでこの空気が生きやすい気がしてきます。

 ぜひ、学生生活の最後に、欧州を旅してみては?
 
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