マオ猫日記
「リヨン気まま倶楽部」編集日記
 



(写真)22日にデモ終了後暴動があったパリのオテル・デ・ザンヴァリッド(廃兵院)

 仏全国に広がっているCPE(新社会人労働契約)制度反対デモ。18日には全国で50万人(警察発表。学生側は150万人と主張)規模のデモが開催され、終了後の混乱やデモ隊に混じった暴徒らによって略奪や車両放火、治安部隊との衝突も各地で発生しました(リヨンでは、たまたま同日に開催されたトルコ系住民約3000人によるアルメニア虐殺記念碑反対デモと衝突)。運動の広がりを受けて「フランス全国学生連合」(UNEF、Bruno Julliard会長)や主要労組は、ドミニク・ド=ヴィルパン内閣に対して「48時間以内のCPE制度の撤回」を求める「最後通告」を発し、政府が受け入れないときは28日(木)にゼネストに突入する、としています(ちなみに、法制度上、CPE制度を含む法律は現在野党・社会党の提訴で憲法評議院による審査を受けており、審査結果が出る4月上旬まで政府はこの法律の廃止を議会に提案できない)。もっとも、一口に「大学生」といってもデモ賛成一色ではなく、中には日本の大学紛争時代の「学園正常化委員会」のようなノンポリ、デモ反対派もいて、「ストをやりたければ校外でやれ」とパリ市役所前で1000人規模の座り込みを企画したりしていますが・・・。また、22日のパリでのデモでは数百人の暴徒が乱入してアンヴァリッド地区で放火、略奪を働き、デモは徐々に昨年11月の都市暴動に似た様相を呈しつつあります。事態の進展を受けてド=ヴィルパン首相は23日、主要労組や使用者団体の代表を招いて会談を行い、CPEについても試用期間の運用レベルでの短縮や解雇理由の説明等の「修正」で決着を図りたい意向を示しましたが、「フランス全国学生連合」(UNEF)は依然としてCPE自体の撤回を求めて対話を拒否しています。

 今回のCPE(新社会人契約、contrat premiere embaucheは、CNE(新規雇用契約contrat nouvelle embauche、従業員20人以下の企業が新たに従業員を雇い入れる際、締結できるもの。2年間は容易に解雇可)と供に、既存の研修契約stage=インターン。賃金は最低賃金の0~30%しか支払われず、正社員としての地位もなし)、CDDcontrat a duree determinee=有期雇用契約、期限の定めのある労働契約。いわゆる「契約社員」。但し、正社員の病欠時の代替等、例外的にしか認められない)とCDIcontrat a duree indeterminee=無期雇用契約、期限の定めの無い労働契約。いわゆる「正社員」)の間隙を埋める制度と言えます。フランスでは、特に若者の失業率が20%を超え(大都市近郊の問題地域では4割近い)、正社員契約(CDI)にありつく前に研修(インターン)を何度も繰り返したり、契約社員(CDD)として働くこと(本来、CDDは上述したようにCDI社員の臨時休暇等に対応するための例外的制度なのだが)を余儀なくされたりしており、政府としては無給に近いインターンに代ってこのCPEを設けることで、より柔軟な労働法制を求める企業側とより安定した地位を求める求職側のニーズを満たすことを狙っています(CPEについては、こちらも参照して下さい)。

 このCPE制度について、反対デモを主催する学生らは、「2年間もの間、正当な理由なしに解雇され得る等という制度では、若年労働者の一層の地位不安定化に繋がる」と主張しています。しかし、実際のところ、上述したように若年失業率が20%を超える現在のフランスでは既に労働市場は完全に買い手市場になっており、この構造は現下のフランスの経済的停滞に裏打ちされているものであるため、CPEが導入されても若者の構造的な雇用不安は基本的には変わりようがありません(この点は、複数のフランス人の友人も同意見)。むしろ、これまで厳格過ぎる労働法制の故に新規採用を躊躇していた企業にとっては、より柔軟な新しい選択肢が増えることで、わずかながら採用増(あるいは従来の契約形態からの転換)が見込め、これを起爆剤として経済の再活性化が期待できるもの、と言えます(もっとも、CPEによる解雇といえども、労働審査委員会による適否の審査は受けるので、使用者に100%のフリーハンドが与えられるわけではない)。しかも、これまでのインターン契約とは違い、新社会人契約は2年間の自由解雇期間がある以外は全て正社員契約(CDI)と同じ立場となるため、(最初の2年間を含めて)給与水準や社会保障も他の正社員と同じとなり、インターン契約ばかり強いられていた層にとってはむしろ朗報と言えます(CDDしか得られなかった層も、CPEは2年後には完全なCDIになる以上、単なる期限2年のCDDよりは価値がある(ちなみにCDDは18ヶ月までで延長不可))。潜在的にCPEの被害を受ける可能性があるのはこれまでCDIを獲得していた層ですが、構造改革で経済全体の調子が上向けば、結果として雇用も増えてCDIにありつく可能性も増える訳ですから、必ずしも悪いことずくめではありません。学生らが問題視する「2年間の自由解雇期間」にしても、実際問題として優秀な社員であれば解雇されることもないですし(会社としても社員が戦力になるまで投資するので簡単に解雇と考えるのはやや早計)、また地位の不安定さはそれこそインターン契約のほうがより重大です。

 そもそも、近年のフランスの経済的停滞は、一部有名大企業を除き、経済社会の急速な変化、IT革命や物流の全世界化といった流れに対応できておらず、経済社会の構造改革が一向に進まないことに原因があります。手厚い労働者保護制度(週35時間労働制、長期休暇、解雇法制)や社会保障制度(失業保険、健康保険、各種手当て)は「フランス型の社会モデル」として称揚され、「英米の『弱肉強食』型の経済自由主義に対抗して、このフランス独特の社会モデルを守らなければならない」というのはフランス国民のコンセンサスにすらなっています。しかし、そうした美しい理想と経済の現実の乖離は覆いがたく、労働力集約型の産業だけでなく先端産業まで人件費の安い東欧や中国へ拠点を移し、逆にフランス本土には合法・非合法の移民が安価な労働力として流れ込み、正社員のフランス人が35時間労働制に胡坐をかく一方で不法就労の外国人が厳しい労働に長時間従事する二重労働市場が形成されています(「フランスが終身雇用の国」というのは、あくまで表面的な話)。この理想と現実のギャップは、まさにフランスの国民意識や社会制度が自由化、グローバル化した実体経済に追いついていないために拡大しているのであり、フランス経済がフランソワ・ミッテラン社会党大統領の大規模な国有化で傾いて以来、歴代政権は細々と自由化政策を推進してきましたが、まだまだ実体経済によい影響を与えるところまでは来ていません(90年代から2000年にかけては、それでも好調な外需と国内消費に支えられて年率3%超の経済成長を達成していましたが・・・)。「フランス型社会モデル」を守護するフランス人の保守性は際立っており、昨年5月の欧州憲法条約批准を巡る国民投票でも「欧州拡大で国内産業が空洞化する」と懸念する人々が「ノン」に投票、ド=ゴール以来の欧州統合政策に水を差した他、二重労働市場の矛盾が噴出した昨年11月の都市暴動事件以降も、この傾向は基本的に変わっていません。

 しかも、そうした経済情勢にあって、「持てる者」、即ち既に正社員として一定の仕事を持っている者の地位は労働法制や労働運動で既得権益化され、労働組合は既得権益を侵す可能性のあるあらゆる改革に反対する「抵抗勢力」に成り下がりました(不況下、高齢で一旦解雇されてしまえば再就職は極めて難しいので、「持てる者」も守るのに必死ですが)。ちなみに、やや古い情報ですが2002年11月の時点での失業率は、25歳未満の労働者21.6%であるのに対し、25歳~49歳7.4%、そして50歳以上5.9%に留まっており(独立行政法人「労働政策研究・研修機構」サイトによる)、これらの数字からも「持てる者」による既得権益化が見て取れます(全体の失業率は9.0%)。
 その結果どうなるかというと、やむなく企業は採用抑制や新規採用者の待遇格下げ(正社員を契約社員、インターン学生に)、生産拠点の海外移転等で対応せざるを得ず、結果としてしわ寄せが若年層や単純労働者が多い移民出身層に来ています(逆に、求職者の側で、閉塞感の漂うフランスを見限ってイギリスやスペインに渡る人も多い)。今回の政府のCPE制度導入に学生らが反発しているのも、「またしてもオトナは若者層にしわ寄せを押し付ける気なのか」と感じているからに他ならず、そしてその感情自体は決して理由の無いことではありません。やや苦笑を誘われるのは、そうした学生たちが、既存の勤労者層の地位を守ることで若者層にしわ寄せを押し付ける原因の一つを作っている「抵抗勢力」である労働組合と「共闘」していることで、本来であれば学生らと労組は対立関係にあるはずのものが、学生らはCPEに対する怒り、労組は既得権益の守護という同床異夢の中で結束しているのは奇妙と言えば奇妙です。

 無論、若年労働者の失業問題は、労組らによる既得権益維持だけが原因ではありません。大学教育と雇用市場のミスマッチも大きな原因の一つであり、今回のデモに文系学部学生が多く参加しているのも、彼らがこの雇用不安の被害を一番大きく受けているからです。無論、こうした問題は日本でも存在しますが、「大学は学問の場」「全ての大学の学位は等質のもの」という建前が(いい意味でも悪い意味でも)崩れ、また入試での激しい競争で序列化が進んでいる日本の大学とは異なり、フランスでは一般の「大学」には入試制度は無く(バカロレア合格資格のみで登録・入学可)、また「全ての大学は全て等質・平等」という建前がより強く維持されているため、その分学生間の競争も激しくなく、それだけ現実社会とのギャップも大きくなりがちです(無論、理系学部の学生や、「大学」とは別に存在し、入試を勝ち抜いた学生に高度専門教育を施す「大学校」の卒業生は、文系でも一般大学卒業生と比べて遥かに恵まれていますが)。実際のところ、フランスの大学を覗いて見ても、学生は日本ほど遊んでいるようには見えないのですが・・・(日本ほど刺激的な遊びが無いだけで、学業に専念しているかどうかは別?)。

 今後、このCPE導入問題がどのように推移するのかは分かりません。ある識者は、若者をターゲットに「CPE」という目新しい制度を敢えて創設し、若者らを「挑発」してしまったド=ヴィルパン首相の戦略ミス(CPEという新しい契約形態を作るのではなく、既存のCNE(新規雇用契約)を従業員20人以上の企業にも拡大することにすれば、これほど集中砲火を浴びることも無かった)だと批判していましたが、議会は国民議会、元老院とも与党UMP(国民運動連合)が過半数を制し、その下でCPEを導入する「機会の均等のための法律」が既に議会の承認を受けて既に成立しており、ジャック・シラク大統領もニコラ・サルコジ内相兼UMP総裁も首相支持を打ち出している以上(もっとも、サルコジ内相等はここへきてやや独自色を出そうとしている観もありますが)、大勢としてはCPE導入は動かしがたいでしょう。学生側は労組も巻き込んだゼネストを28日に計画しているようですが、「親方三色旗」経営で倒産の可能性が無い公共企業体の労働者(というより、最近は大規模なストをやらかすのは公共企業体の労働者の場合がほとんどで、倒産や工場廃止といった切羽詰った状況でも無い限り、政府の政策に反対するためだけのストは民間労働者はやらないしできない)はともかく、それ以外の民間企業労働者がこの学生の騒ぎにどこまで本気でついてくるのかは甚だ疑問というべきでしょう(勿論、既得権益を守るという観点から、改革を遅らせるべくCPEに反対するということはあり得ますが・・・)。もっとも、公共企業体の労働者のストだけでも、相当混乱が予想されますが・・・。

参考:フランスの主な労働契約形態
 



コメント ( 7 ) | Trackback ( 0 )



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コメント
 
 
 
Unknown (グレゴリー)
2006-03-27 04:40:00
フランスの現状を端的に分かりやすくまとめられてあり、大変興味深かったです。新聞社にでも売りつけたら?

昨今のCPEに関しては、フランスの社会モデルの限界が見えるような気がします。それと個人の表現の自由に対する寛容さに対しても日本人として驚くばかりです。

solidariteもいいですが、政府がイニシアティブをとりにくい社会というのはどうなんでしょうか。その点日本人はおとなしくて統治しやすいですよね。
 
 
 
フランス社会モデル (菊地 健(マオ猫日記))
2006-03-29 07:44:08
 まあ、どんなモデルにもいい点と悪い点があって、今回はその悪い点が大々的に出てしまった観がありますね。

 もっとも、例えば文化・伝統の保存の分野では、フランスモデルは「何でも吸い込み」式の日本よりはいいなあと思う場合もありますが。例えば、前のエントリーで取り上げた命名権などがそうで、いくら赤字になっても「Stade de France」を「Coca-Cola Stadium」にはしないでしょう?
 
 
 
Unknown (KNTY)
2006-04-09 11:17:58
TB有難うございました。

大変勉強になりました。
 
 
 
TB有難うございます。 (kahana)
2006-04-09 12:53:18
新聞よりも詳しい解説を有難うございます。

私も大変勉強になりました。

レミゼの舞台は大盛況ですが、実際のフランスの現状には関心がいかないように思います。

上の写真を見てパリに行きたくなってしまいました。

また伺いますね。
 
 
 
Unknown (balalaika)
2006-04-09 16:50:10
TBありがとうございました。

ニュースだけからは分からない事まで丁寧に書かれていて、大変勉強になりました。

自分と違う視点から書かれた記事は、刺激になりますし、興味深かったです。

また見にきます。
 
 
 
TBありがとうございます。 (take_uu2004)
2006-04-09 20:00:34
何となく思っていたこと、感じていたことを明快に書かれているので、大変参考になりました。

早期退職してのフランス暮らしはまだ7ヶ月。まだまだ新参者です。これからも、勉強しに時々お邪魔させていただきます。
 
 
 
皆様、 (菊地 健(マオ猫日記))
2006-04-13 01:41:56
 コメント投稿、ありがとうございました。



 既に皆さんご承知のとおり、4月10日の首相演説でCPEは撤回され、別の措置で代替されることになりました。



 私自身、今回の問題を契機に仏人の知人らと話したり調べたりする機会を得、とても勉強になったと思っています。



 今後とも、宜しくお願い致します。

 それでは。
 
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