(写真)シェンゲンの町。撮影はいずれも2006年4月。
欧州連合(EU)が進めてきた欧州統合のひとつに、「加盟国国境の移動の自由化」があり、1985年6月14日に調印されたシェンゲン条約及び関連条約により、現在では、非EU加盟国のスイス、ノルウェーを含め、25ヶ国間で同協定に基づく国境検問の撤廃と人の移動の完全自由化が行われています。
この「シェンゲン」(Schengen)というのは、ルクセンブルグ大公国南東端・レミッヒ(Remich)郡にある自治体の名前で、この地を流れるモーゼル(モゼル)川(ルクセンブルグ、ドイツ間の国境になっており、さらに南下すると、両岸ともフランス領になる)の船「マリー・アストリッド女王号」上でシェンゲン条約が調印(調印したのは、国境の3国のほか、オランダとベルギー)されたため、自治体名としてよりもEU用語(シェンゲン領域、シェンゲン・ビザ、第二次シェンゲン情報システムなど)として広く知られるようになりました。
(写真)シェンゲンの町を示す道路標識。フランス語とルクセンブルグ語で書かれている。
(写真)シェンゲン付近のモーゼル川と記念碑
(写真)ドイツのアウトバーンA8号線のシェンゲン・インターチェンジ道路標識と、モーゼル川にかかる国境の高速道路橋。橋をこのまま渡るとルクセンブルグ高速道路A13号線で、その最初の出口がシェンゲン(出口番号13番)。国境検問撤廃後に建設された高速道路であるため、検問所の跡地などはなく、まるで県境を超えるように国境を超えている。
シェンゲンの町自体は人口約1600人の小さなものですが、モーゼル河岸には、条約の調印を記念した碑が建設されており、一体は公園のように整備されています。もっとも、フランス、ドイツ、ルクセンブルク3カ国の国境が1点に集まる地点は川の上であるため、特に目印がある訳でもなく、陸上から観察してもはっきり視認はできません。そのかわり、モーゼル川沿いに南下する道路に自動車を走らせると、市街地を出て間もなくしてフランスの国境を示す道路標識があり、国境の存在を意識させられます。
(写真)シェンゲン南郊のフランス国境標識
(写真)本当の国境線があると思われる地点。道路の舗装やデザイン、ガードレールの色が異なっている。
もっともこの標識、本来の国境線上より少し北に設置されているらしく、本物の国境線ではないようです。それが証拠に、この道路(ルクセンブルク側は「ロベール・ゲッペルズ通り」、フランス側は県道D64F号線)をさらに南下すると、仏国内での制限速度を示す別の道路標識(通例、国境付近に設置)があり、そのヨコから、道路の舗装やペイントの仕方、さらにはガードレールの色まで変わる地点があり、こここそが本当のフランス・ルクセンブルグ国境と思われます。
条約で有名になったシェンゲンは、かつてはラマーシェン(Remerschen)という自治体の地区名でしたが、2006年9月になって、自治体(コミューン)の役場所在地をラマーシェン地区からシェンゲン地区に移し、自治体名そのものを「シェンゲン」に改称。更に2012年には、隣接する2つの自治体と合併するそうです。