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(写真)朝のエトルタ(上)とモンサンミッシェル(下) 機会があったので、ブリュッセルからフランスに入り、エトルタ、モンサンミッシェルを経由して、サン・マロ(St.Malo)まで2泊3日で旅行してきました。
初日、諸般の事情でブリュッセル出発が夕方となったこともあり、最初の宿泊地ル・アーヴル(Le Havre。セーヌ川河口の港湾都市。ちなみに「アーヴル」とは「避難港」の意)近郊のアンフロール(H . . . 本文を読む
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旅から帰ってきて、疲れたニャー。 やっぱり我が家は我が縄張り。安心してどこででも眠れるニャ。 . . . 本文を読む
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(写真)現在の東独側検問所跡地(上)と、1980年代の東独側検問所(下)。左端の建物は昔と同じものだが、後は新築されたもの。
(その1に戻る) チェックポイント・チャーリーが設定された当初、東西ベルリンそれぞれの検問所はごく簡単なものだったようですが、やがて、東西ベルリンの行き来(西側国民・政府関係者。無論、東ベルリン市民はここを通過することはできなかったが)が増えるに従い、東ベルリン側は周囲の . . . 本文を読む
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(写真)再建された西側検問所の警備小屋(上)と、米国地区に入る旨記した境界線上の標識(下) ポツダム広場に戻った後、今度はチェックポイント・チャーリーへ。
チェックポイント・チャーリー(Checkpoint Charlie)とは、冷戦時代、東西ドイツ(及び東西ベルリン)間を越境できた西側の国境検問所の一つで、一つ目の検問所が「A」、二つ目が「B」なので、三つ目であるここは「C」と名づけられ、軍 . . . 本文を読む
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(写真)西側(=旧西ベルリン側)から撮影したブランデンブルク門(上)と、ポツダム広場付近のビルの屋上から撮影したブランデンブルク門(下)。 ポツダム広場からブランデンブルク門までは徒歩7分程度の近さですが、ここはかつて、ドイツの政治の中心地区でした。今でこそ、前述したようにユダヤ人受難の記念碑や新都心がありますが、冷戦時代、ここは「ベルリンの壁」によって分断され、西ベルリン側はチアガルテン(公園) . . . 本文を読む
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前述したように、ポツダム広場の地下には、冷戦終結後に開通した国鉄の地下駅があります。 TGVのパリ・シャルル・ド・ゴール国際空港駅を思わせる、開削された広々とした地下空間は落ち着いた色使いで、2面4線のホームの中央部分は吹き抜けとなっており、地下駅ながら開放感があります。欧州の長距離列車の例にもれず、ここも特段改札は無く、入場券を購入せずともホームまで降りられるので、観察するにはもってこいでした . . . 本文を読む
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(写真)ポツダム広場付近にあるソニーセンターの真新しいビル(上)と、ポツダム広場(下)(写真左手はドイツ国鉄DBビル、右手はDBのポツダム広場地下駅)
旅行2日目。自家用車でホテルから都心部へ。国道のマークを辿って都心へと向かうと、ガラス張りの新しいベルリン中央駅の壮麗な姿が目に入りました。 駅の真下を通過する新しいトンネルを通って、市中心部のチアガルテン公園の下を潜り、ベルリンの「新都心」ポ . . . 本文を読む
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(写真)ドイツのアウトバーンA30号線(オランダとの国境付近。次のガソリンスタン度は何と98キロ先・・・)(上)と、途中のサービスエリアでとった夕食(ミラノ風カツレツ)(下) 10月下旬、ドイツの首都ベルリン(Berlin)と、同じく南ドイツの城壁都市ローテンブルク・オブ・デ・タウバー(Rothenburg ob der Tauber)に自家用車で出かけてきました。
旅行1日目、ブリュッセル出 . . . 本文を読む
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報道によれば、北朝鮮(自称「朝鮮民主主義人民共和国」)は9日(月)午前、核実験を実施したと発表しました。
北朝鮮の核開発問題は、90年代以降北東アジアの平和と安定にとって最も懸念すべき問題の一つでしたが、途中、クリントン米政権の下で「米朝枠組み合意」等の融和が試みられたものの核開発そのものを止める切り札とはならず、ズルズルと引き伸ばされる内に遂に核実験を実施する段階にまで達してしまいました。 . . . 本文を読む
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(写真)ケルン大聖堂(上)と内部(下)
週末を利用して、ドイツ西部のケルン(Koln)市まで出かけてきました。 ブリュッセルから自家用車で約2時間(距離約210キロ、全線高速道路)。ライン川に面したケルンは人口約97万6000人の大都市(北ライン=ヴェストファーン州最大の都市)で、ルール工業地帯に隣接する工業都市であるとともに、欧州最古の大学の一つであるケルン大学を抱える文化・学術都市でもあ . . . 本文を読む
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(写真)焼きソーセージ(上)とライン川(下)
続いて、大聖堂の南側すぐ近くにあるビアホール「フリュー・アム・ドーム(Fruh am Dom)」へ。 ここは地元のビール企業が経営している典型的なビアホールところで、内部はいくつかの大部屋に分かれていますが、いずれもサービスは同じです。メニューは、ビール各種(ミネラル水より安い!)の他、ソーセージ(焼いたものと茹でたもの双方がある)や豚肉料理で、私 . . . 本文を読む
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はいはい、あたしを呼びましたニャ。 今から行きますニョ。 ・・・まったくもー、自分が遊びたいときだけ呼びつけちゃって。日中はほったらかしのくせに~。 . . . 本文を読む
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先日、テレビで耳にしたのがこの「Jusqu'au-bout-ism」(ジュスコブティズム)なる単語です。 これは、フランスのニコラ・サルコジ内相兼与党UMP総裁の政治行動に関して使われていた単語で、「aller jusqu'au bout」とは「最後まで行く、突き詰める」=「トコトンやる」という意味。つまり、「Jusqu'au-bout-ism」とは「最後まで頑固にこだわり続ける政治姿勢」という . . . 本文を読む
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報道によると、欧州連合(EU)の欧州委員会は9月26日、ブルガリア、ルーマニアのEU加盟に関するモニタリング報告書を公表。司法制度等での改革の遅れを指摘しつつも、2007年1月1日からの両国の加盟を認めることとなりました。
これで、2007年1月から、EUは27ヶ国体制となり、EU公用語も2言語増えて23言語(現在は20言語だが、07年1月1日にアイルランド語が加わるため)となります。
. . . 本文を読む
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