伊藤とし子のひとりごと

佐倉市議会議員4期目
議会、市民ネットワーク千葉県、さくら・市民ネットワークの活動あれこれ、お知らせします

本日締切(9/23)「原発子ども被災者支援法 基本方針案」 パブコメ出しました

2013-09-23 00:35:35 | 原発問題
本日〔9月23日24時〕パブコメ締切です。

復興庁 パブコメ意見フォーム入口
ページの最後にあります。

下記、グリーンピースHPより「パブコメを書こう 子ども被災者支援法に被災者の声を」

参考にして、一言でもいいのでたくさんの声を届けてください。

「基本方針案」の問題点と提案**************
主な点を3つ、まとめました。

一、原発事故被災者のニーズを把握するしくみがない。

原発事故被災当事者の意見を施策に反映させるための常設機関を設ける。

二、支援対象地域が狭すぎる。

支援法条文にあるように「放射性物質が広く拡散していること、当該放射性物質による放射線が人の健康に及ぼす危険について科学的に十分に解明されていないこと」を踏まえ、健康被害の未然防止のため、また、被災者間の、さらなる分断を避けるために、福島県全域および追加被ばく年間1ミリシーベルト以上の地域を 支援対象地域(また、かつてその地域に滞在していた者を対象者に加える)とする。

三、被ばく低減のための施策、被害未然防止のための施策が乏しい。

二 と同じく「放射性物質が広く拡散していること、当該放射性物質による放射線が人の健康に及ぼす危険について科学的に十分に解明されていないこと」を踏まえ、今後の避難・移住も含め、避難・移住者への支援を行い、国の責任による無償の健康診断制度をつくる。
(参考:1999年のJCO臨界事故においても 「評価推定線量が1ミリシーベルトを超える者のうち健康診断を希望する者」に健康診断が行われた)

転載おわり*********************

「避難の権利ブログ」でもわかりやすく問題点がかかれています。


ちなみに
私のパブコメです。

被災者生活支援等の推進に関する基本的な方針案へのパブリックコメント

2013年9月22日

復興庁 法制班 御中

基本方針案について、法の基本理念を具体化して、被災者の実態に寄り添ったものになるよう意見を申し述べます。

まず放射線の影響について、放射線に対して感受性が強く、少しの被ばくもさせたくない親の気持ちは十分に保護に値するものであり、予防原則に則って子どもの被ばくを防ぐべきと考えます。
年間放射線量1ミリシーベルトは原発設置許可の際に、国民の負うリスクの上限として定められた、一般人の被ばく線量限度です。
支援法には、政府により避難に関わる指示により避難を余儀なくされているものだけでなく「これらの者に準ずる者」も「被災者」として、健康上の不安を抱え、生活上の負担を強いられており、その支援の必要性が生じていることを認めています。
法2条2項は法の理念として、
「被災者生活支援等施策は、被災者、ひとり一人が法8条1項の支援対象地域における居住、他の地域への移動および移動前の地域への帰還についての選択を自らの意志によって行うことができるよう、被災者がそのいずれを選択した場合であっても適切に支援するものでなければならない」と定めています。
しかし、基本方針案では福島県の意向として、帰還促進が施策のベースになり、避難も滞在も帰還も等しく支援するという法の理念に沿った形になっていません。
支援対象地域について、法8条は、「支援対象地域」を「その地域における放射線量が政府による避難に係る指示が行われるべき基準を下回っているが、一定の基準以上である地域を言う」とされていました。
しかし、基本方針案では「相当な線量」という定義で、中通り・浜通りを支援対象地域としていますが、これは一定の基準以上である地域という法の定義に合いません。
支援対象地域を追加線量年間1ミリシーベルトと基準に定め、これを超える地域に居住する市民に避難の権利を認めるべきです。
さらに、基本方針案には新規避難者のための住宅支援、避難のための移動の支援に関する新たな施策は含まれていません。
また、支援法には「基本方針を策定する時は影響をうけた地域の住民、避難している者等の意見を反映させる」とあります。
パブコメ後全国各地での公聴会を開催し、大勢の被災者の声を基本方針案に反映させるよう要望します。

以上








9/21「原発事故被害者の救済を求める全国集会in福島」に参加して

2013-09-22 20:58:59 | 原発問題
昨日は福島県民文化センターで行われた「原発事故被害者の救済を求める全国集会in福島」に日帰りで参加してきた。

日弁連、日本医師会、司法書士会、川田龍平参議院議員をはじめ国会議員からも問題提起があったが、何より被災者の生の声、現状を聞くことができた。

日弁連 海渡雄一弁護士からは論点整理があり、とてもわかりやすいものだった。

「原発子ども被災者支援法」ができから1年2か月もほったらかしだったため、
業を煮やした被災者が8月22日国に対して訴訟をおこしたため、やっと復興庁が基本方針案を出してきた。
しかし、被災者の意見を全く反映したものではなかった。

全会派一致で可決した「原発子ども被災者基本法」では、被災者に必要な措置をとることが明文化されている。

共同代表の佐藤和良いわき市議からは、
原発子ども被災者基本法の具体的施策を作っていくこと。
被災者に寄り添っていない問題点。
1ミリシーベルト超えた地域を重点地域へ指定すること。
原発事故の被害救済の損害賠償権を3年で時効成立とする流れが出ているが、10年はなくてはならない。
ひとりひとりの被害者救済をしていくべき。
とあいさつがあった。

具体的には、
放射線の影響がわからないからわかる前に防いでいこう、という予防原則に立つこと。
居住か避難か 被災者の自己決定権を国が補償すること。

支援対象地域が狭すぎる。
33市町村のみに定められているが、汚染地域は狭い地位に限定できない。
拡大して1ミリシーベルト超えるところを支援地域とすべき。

支援対策が少なすぎる。
移動に関する施策はゼロ。
住宅の確保の支援が必要だが、民間住宅借り上げ制度昨年12月に打ち切られたが、それについては何も書かれていない。

健康管理医療費の減免措置は先送りされた

3年で時効成立とされる問題点。
2014年3月から時効消滅とされて東京電力が被害者と認めている人にのみ被災者とされているが、東京電力の認識のみ。
時効期間前に仲介手だて1か月で、和解、仲介がなされなかったときは速やかに訴訟を起こさなければならない。
除斥期間の適用の排除も必要

国の直轄事業による全国的な健康う支援を推進すること

被災者からは、
避難地域からは、例えば南相馬市は、警戒区域 緊急時避難準備区域 避難指示除外区域など5つの区域に分断させられたうえ、30㎞でも線引きされ補償金も差がつけられ、コミュニティーがずたずたに分断されてしまった。
住んでいるのは年寄りばかりで、慢性的若者の人手不足が起こっている。
国見地域の自宅では戸外では0.4マイクロシーベルト、室内では0.2マイクロシーベルトで、年間1ミリを超てしまい、晩成発生障がいの恐れあり。
外で遊べないため子どもの慢性運動不足が問題。

福島県内での被災地内でのコミュニティの分断もさることながら、
避難地域からの県外避難者への支援策もなく、
まして、郡山市など避難地域外からの自主避難者はもっとつらい思いをしている。
自主避難者は故郷を捨てたという負い目と被ばくを避ける権利を奪われ、何の補償の対象にもなっていない。
自分たちの未来と名誉と被災者としての権利を訴えていく、と語っていたが、
原発子ども被災者基本法が言っていることは、「避難の権利」であるはず。
自主避難者への補償を基本法できちんと謳っているはずなのだが。

これは、放射線量の高い首都圏の地域にも当てはまる。
松戸市の放射能から子どもを守ろう関東ネット増田かおりさんからは
松戸市は放射能管理区域でと同じ線量で、チェルノブイリ法では移住区域にあたる。
原発事故現場から200km離れた地域だが、チェルノブイリ事故でも原発に近い地域という認識。


宮城県丸森町は福島との県境にある町だが、出べそのように福島県に飛び出している地域。
宮城県知事が事故発生直後から安心安全キャンペーンを行ったため、
その中の線量の高い筆浦地区の健康調査も80人で打ち切ってしまった。

福島県民センターバスを降ると0.3マイクロシーベルト以上の警報なりっぱなし

福島市渡利地区から札幌市に避難した中手聖一さんは、
当事者は私たちだけでなく、次の世代、そのまた次の世代へと続いていくことが今までとの違い。
今私たちができることは?
あきらめない
ぶれない
こびない
2020年のオリンピックより汚染水の停止を!!
と、全国の当事者団体の連携を呼びかけた

F0EJapanの満田 夏花さんからは
法律は法律 基本方針は実施していく方法だから、
私たちの声で変えていこう
パブコメに次の4点を要求しようと呼びかけられた。

★1ミリシーベルト以上の地域を支援対象地域にしてください
★実質的に避難 保障がを行うようにしてください
★パブコメ後公聴会を開いてください
★公聴会をわが町で開催してください

パブコメ締切は明日9月23日

原発事故子ども・被災者支援法基本方針案への意見を出そう! ~パブ・コメ・キャンペーン実施中!~
http://kodomozenkoku-news.blogspot.jp/2013/09/blog-post.html?m=0

「原発被災者救済 切なる声受け止めたか」東京新聞社説から 9/14

2013-09-15 10:19:40 | 原発問題
「子ども被災者・支援法 基本方針案」公聴会の顛末は昨日のブログに載せたが、
この基本法案の問題点を東京新聞の社説から引用します。

「原発被災者救済 切なる声を受け止めたか」9/14*******************

 原発被災者の生活を国が支える「子ども・被災者支援法」を生かす前提となる基本方針案が、やっと示された。
だが、案づくりで肝心の被災者の声が十分に反映されたのか。
はなはだ疑問だ。

 昨年六月にできた支援法を具体化し、被災者の要望に応えていくには、まず政府が基本方針をつくる必要があった。
ところが、担当の復興庁が基本方針を決めかね、ずっと先延ばしされてきた。

 被災者らにとっては頼みの綱ともいえる法なのに、成立から一年以上たってもこうした事態が続いていた。
我慢も限界に達して、八月には国を相手取り訴訟を起こした被災者もいる。

 ここにきて基本方針案が示されたことは前進と言えなくもない。
案では、放射線量の基準は定めぬまま、避難指示区域などを除く福島県東部の三十三市町村を「支援対象地域」とした。
県西部や近隣他県などは「準支援対象地域」として支援へ含みを持たせた。

 ただ、その中身は、被災者・避難者の住宅、仕事の確保や健康不安への対応など、すでに各省庁や自治体が行ってきた支援策を寄せ集めた感が否めない。

 何よりも見逃せないのは、方針案づくりのみちすじである。
支援法に、こう定めてあるからだ。
 ▽基本方針をつくる前に、原発事故の影響を受けた住民や避難者の意見を反映させる機会を設けるように
 ▽さまざまな施策の内容についても、被災者の意見を反映させるように
と。

 それが十分になされていない。
方針案を公表した八月三十日当日から、いきなりパブリックコメント(国民に意見を求める手続き。当初は十五日間。途中で二十五日間に延長)を募った。
いかにも性急で帳尻合わせに映る。

 福島などで説明会も開いたが、これで、被災者らの意見を反映させたとして済ませるつもりだろうか。
会場からは「方針案決定の経緯がわからない」「撤回して」などと不満の声が上がった。

 福島県や首都圏からの被災者、自主避難者は、今も全国に散っている。
「これまで直接声を聴いてくれる公の場は、まずなかった」と被災者らは訴えている。

 超党派、全会一致で成立した議員立法である。
見直しもできる。
国会議員も責任を共有し、意見を聴く場を今からでもより多く持つよう、働き掛けるべきだ。

 一人でも多くの被災者のまなざしや声と向き合ってこそ、支援のあり方に真心がこもるはずだ。

引用終り***********************************

公聴会で
「方針決定の経緯がわからない、
今までの会議の議事録を公開すること
有識者会議 の名前の公表を」
との声に

田村副大臣は
↓ この方



「会議は5回開いている 議事録は情報公開してくれ
秘密会ではない」

HPで公表するべきですね。情報公開で取れとは・・・・・

公聴会冒頭でも副大臣は45回声を聞く機会を作ってきたと盛んに宣伝。

千葉県内ホットスポット在住者
「子どもの健康をどう守れるか。
近隣県の健康は有識者の会議で決めるのではなく、子どもの健康の調査を行ってほしい。
何度も要望を出しているにもかかわらず、何も反映されていない」

郡山市から静岡県に避難中、8月22日の告訴人
「45回の説明会とは。
1年2か月前から説明会公聴会の対話の場所を開いてほしいと10回行って、訴えてきたが一切の返答がなかった。
逆手に取られた。
パブコメで済まされるのは分からない。
被災者が被災者を支援している状況では国に見捨てられていると感じる。
きちんと意見交換して被災者の声をキャッチボールしてほしい」

と、市民団体が、被災者の声を直接聞く公聴会の開催を求めに何度も通い続けたのもすべてカウントして、アリバイに使ったことが判明。
それじゃ復興庁水野参事官の「左翼のくそどもにただひたすら罵声を浴びせられる集会に出席」とツイッターした議員会館で開かれた、国会議員も入った国会交渉も入っているんだろうなあ。

何かというと「有識者会議」とメンバーも公表されず、体のいい隠れ蓑にすべて責任をかぶせて、とにかく公聴会の時間稼ぎをしていたのが、印象的だった。

のっけから、田村復興庁副大臣は「撤回する気持ちはない」と言い放ってから始まった公聴会ですから。








復興庁「子ども・被災者支援法 基本方針案」公聴会はアリバイ作り? パブコメ出そう

2013-09-14 08:47:55 | 原発問題
9月13日 有明のTOCコンベンションホールで[復興庁主催子ども被災者支援法 基本方針案」の公聴会が開催された。



パブリックコメントの締め切り直前に開催された東京地区での公聴会。
福島で2回開催されたということだが、
広報の仕方も、
場所も(わざわざ行きづらい有明を選んだ訳は? 議員会館で開いたらいいじゃないですか?)
時間帯も10:30~2時間
大勢の意見を聞く姿勢じゃなく、開催したアリバイ作りが目的なのはミエミエ。

冒頭から復興庁浜田副大臣がこの基本方針を「原案を撤回するつもりはありません」と言い放ったのが印象的だった。

直前にパブリックコメントの締め切りが2週間延長され 9月23日となった

参加者からは、全国各地で公聴会を開催してほしい、
パブコメ後公聴会を開いてほしい、という要望が多かった。

千葉県在住
「チェルノブイリでは年1ミリ以上で移住の権利があるとされたが、千葉、栃木など高い線量なのに漏れている。
新たに避難したい人への支援は?」

復興庁
「チェルノブイリとの違いは、国家体制の違い。
チェルノブイリは社会主義国。またチェルノブイリは事故後しばらくたってからの実効被ばく線量。
発災時に近い線量を今回は参考にした」????

意味不明の説明がむなしい・・・・ 

副大臣
「チェルノブイリでは0.2マイクロシーベルトでは健康被害が出ているということだが、
食品被ばくが問題だった。
日本では大丈夫」

そうかな???

副大臣
「借上げ住宅の新規の要望については、福島県からOKをいただいてない。
県として帰って来てほしいのだろう」

国としてどうなんですか!!

意見
8月現在43人に甲状腺ガン発生している
以前 環境省は放射能の影響とは言えないという立場で言っているが、異常な事態という認識で行うべき。
無料で健康診断を行うことを盛り込んでほしい」

環境省
「ガン8例 疑いは43例。
甲状腺ガンはゆっくり進むので事故直後のものとは考えられない。
隣接県の健康調査について、発災当時有識者会議では必要ないとされた


副大臣
「3.11時の18歳以下を対象に、全員調査して47都道府県での体制をとった。
ABCに分けて、BCには再検査にはいっている。
インフラも全都道府県に広がったどうするかは今後検討していく。
青森、山梨、長崎のデータでは比率は変わらないが、データ比較していく」

福島の甲状腺異常はほかの県の比率と変わらない・・・という結論に導きたいように取れた。
チェルノブイリで小児甲状腺がんが唯一原発事故由来と認定されたのは、通常なら小児甲状腺がんは稀有な病気のはずだったが、その定説も否定している。


意見
「避難対象地域を1ミリシーベルトとすべき
事故前 後も同じで、国民は等しく1ミリシーベルトの環境で生活する権利があるはず。
強制避難させるというわけではなく、子育ての権利もキチンと認めてほしい。
地域コミュニティを認めてほしいと要望出したのは避難者で、分断させたのは国だ。
分断させない方法はいくらでもある
支援対象地域を1ミリを対象としてそれから避難している人の正当性を認めて支援を行っていくべき」

復興庁
「線量1ミリシベールト、どれくらい不安が生じるかを重視して支援対象区域を決めている。
自主避難のデータを集めた
中通り浜通りは自主避難者が多数出たので、支援対象地域に」

三郷市
「孫 尿からセシウムが出ている 5歳(3歳の時から)
福島県の外部被ばくと書いているが、ICRPも内部被ばく外部被ばくを合わせて1ミリシーベルトと決めている。
もっと勉強しろ
我慢値だ」

国連人権理事会勧告は知っているか?
との質問に正直に「知らない」と答える副大臣。


会場からは驚きと諦めとブーイング。
国は認めたくないんだものね。

国連人権理事会勧告
「避難基準の厳格化を」*********

原発事故の初期対応、健康調査、放射線モニタリング、除染、透明性と説明責任の確保、賠償や救済措置、そして、政策の住民参加についての計31項目。
中でも、健康調査については、年間1ミリシーベルトいく上の地域に居住する住民すべてに健康管理調査をすることや、
甲状腺検査は子どもだけでなく大人にも実施し、血液、尿検査なども行うよう求めるなど10項目にわたった。
 
また、情報のアクセスや透明性についても言及しており、健康検査の結果へのアクセスを容易にすることや原子力規制院会の委員と原子力産業の間に利害相反がないか、その関わりを公開するよう求めている。






大飯原発訪問記 中島哲演住職の話を聞く 8/22

2013-08-28 17:07:58 | 原発問題
全国政策研修集会が今年は京都であり、大飯原発までを視察した。
残念ながら活断層の調査中ということで、ゲート前までしか行けなかった。

  ↓
 


大飯原発はウィキペディアによると、
若狭湾に突き出した半島の先端部分に位置する。
発電所から3㎞ほどの若狭湾内には、北西から南東方向に伸びる断層が存在する。
施設内にも活断層が存在する、という見方も存在する。
また、山がちの半島の先端に位置するため、大地震、津波などが起きた際には、発電所と外部を結ぶ道路が寸断され、発電所が孤立する危険があるとの指摘もある。

ということで、
大飯原発までのアクセス道路は一本しかなく、万が一地震、津波、冬の積雪時に道路が使えなかったらどうするのかという課題は解決していない。
ぜひ現場を見てみたいと思っていた。

日本の原発54機中、高浜原発4機、大飯原発4機、美浜原発3機、敦賀原発2基と「ふげん(廃炉)」「もんじゅ」が狭いエリアに建設され、原発は福島原発事故前まで稼働していた。
現在は大飯3.4号が稼働中だが、9月15日までに2機とも停止予定。



原発反対運動と原発マネーを受け入れざるを得なかった大島半島(大飯原発立地)の状況を、小浜市の明通寺住職で、「原子力発電に反対する福井県民会議」代表委員の中島哲演さんからお話を伺った。



福井県内では、行政や産業の中心である「嶺北」と県都とは離れこれといった産業もない「嶺南」とで格差があり、さらにまた「嶺南」の旧大飯町内では鉄道や国道があり町としての機能がある陸側の集落と、道路網が整備されず船で行き来するしか交通手段がない半島の漁村集落とでは格差があったという。
こうした幾重もの格差の一番最下層である、半島の先っぽの集落のすぐ近くに原発は造られた。

バスの中から青戸の大橋を見る。

  ↓


青戸の入江にかかった半島と本土をつなぐ橋で、この1.2kmの橋がほしい、町とつながって車が使える生活がほしい。
インフラ整備をしてほしい住民の願いが真の背景である。

青戸大橋から湾内を見渡す

  ↓



大飯1.2号機の建設時、400人町民は住みやすい大飯の会を作って町民運動が起こった。
4つのリアス式入江の先、素晴らしい国定公園の岬の先端に大飯原発ができた。
1979年3月稼働開始。
今もきれいな湾は豊富な漁場となっている。

  ↓



当初の町長と北電との密約では8基の原発が予定されていたため、住民運動が起こった。
しかし、金力、権力、警察の介入で住民が分断され、1.2号機の原発が見ざる言わざる聞かざるの風潮を作っていった。

2400人の住民デモに1900人の警察が導入され、3.4.5号機建設は強行突破されていった。

同時期、イギリスでは大飯原発と同規模のPWR型1機の建設時にパブリックヒアリングが300回開かれたことと対比すると大飯原発の異常さが分かる。

ここは地震、隆起陥没が今までにもおこった形跡があり、300年前江戸時代に大地震が起こった。
山が沈んで 舞鶴沖の冠島 間内神社まで津波がやってきたという伝説も伝わっている。
1586年の天正の大地震は有名で、数日間地震が起こり津波が襲ったという記述がある。
大飯から高浜にかけて(和田、高浜)には津波の伝承が残っているにもかかわらず、津波の調査を要望したが一回も行われていない。
美浜では10回ほど行っているが。
美しいリアス式海岸は地殻変動を伴った風景である。

大島半島は昔は朝鮮半島中国との接点の時代があり先進地域でもあった。
平安期以降は半島として孤立していたこともあり、流謫の地であり重文も残っている。
独特の漁村集落形態も残っていて、磯の杜遺跡など地元も見直している。
しかし、原発は地域の共同体を切り刻んでいき、心も荒廃させていった。
漁村は助け合いのつながりがあったが、そのつながりも断絶していった。

面白い逸話として、
「原発が入ってきて一番変わったことは、網本の家の玄関にかぎがかかったこと。」
たった6軒の集落だが。
原発に絡んだお金が入ってきて人のつながりが壊れたことを、一言で言い当てている。

若狭の原発反対運動に長年取り組んできた中、1968年小浜原発誘致の話が持ち上がった。
その時は、7機建設中だった。
地元の小浜市にやってくることがきまったのが1971年暮れ。
1976年福井県民会議にも参加して反対運動を広げていった。
70年代に小浜市内で2度持ち上がった関西電力の原発誘致や、04年の小浜市長選で浮上した使用済み核燃料の中間貯蔵施設誘致は、市民の根強い反対で頓挫。
小浜市は原発に不可欠な海に面した嶺南の自治体で唯一、原発立地を拒んだ自治体となった。

現在15機が立地し、世界一の原発密集地帯となってしまったが、住民が歓迎してなったわけではなかった。

大飯3、4号機が稼働すると、年間4基の炉内にたまる死の灰は広島原爆4000発分生成される。
プルトニウムは長崎原爆120発分。

10㎞圏住民として大飯町民はたったの14%で、小浜市民は75%だったが発言力はなかった理不尽さ。
3、4、5号機増設を形式的なパブリックコメントで導入し、小浜市民の声は一切聞かれなかった。

電源三法交付金〔原発マネーファシズム〕
大飯町へは3200億円。
小浜市は 隣接交付金として58億円。

若狭地域へは1700億円を県は配分したが、これは福井県の南北問題の「つけ」(15万対60万人)である。

核燃料税交付金は、5000億円中、福井県には1500億円。

もんじゅを除く14基の原発は、25000億キロワットを作り出し、50兆円のビジネスの展開してきた。

小浜市では、70年代 13000人の請願署名を集めた。
その時、保守の最大会派は反対したが、町長の英断で小浜市は原発を止めた。
68年~72年の議会構成は26人中21人は保守

大飯原発増設の賛否を問う市民投票を進める会では、全戸配布ビラを6回、街頭宣伝を行い、
中間所蔵施設の誘致について、小浜市民アンケートでは賛同署名3400人、市民14000人反対署名

定数18人 2011年6月議会 保守会派全会派をまとめて原発からの脱却を求める意見書を通した。
分裂していた反原発運動の都市部と小浜は違う。
社会党系 共産党系 公明党が反対。

全国では30地点で原発 再処理施設を阻止してきた。

311以降新たな市民運動が出てきている。
1000人規模の集会が敦賀市で2回と小出さん講演会を行っている。
北部地域の運動は起こっているが、南部が原発マネーで潤っている。
原発依存経済からどのように脱却するかが課題である。

原発に依存しなくても成り立つ経済にしていかなければならない。

全国の被ばく労働者は50万人に上る。

直ちに影響が出ない、死者は出ていない、というが、
被ばくの直接の悪影響は1割で、残りは9割は遺伝的影響である。

中島哲演住職からのお話 終わり****************

「日々の一滴」あっけなく現れた”本丸”(フクイチ)生活と自治7月号から

2013-07-14 09:53:25 | 原発問題
「生活と自治」7月号から
裏表紙に藤原新也さんの「日々の一滴」という連載がある。
この写真はスゴイ。”百聞は一見に如かず”。
汚染水問題の深刻さ、杜撰なチェック体制がこの写真には凝縮されている。

というわけで、記事を転載します。



「あっけなく現れた”本丸”」******************

 昨今は報道が目的であっても、福島県浪江町など帰還困難区域への入域許可が下りにくくなっている。
表向きには盗難などの警備上の問題もあってのことと聞くが、原発問題から国民の目をそらせる何らかの力学が働いていると感じざるを得ない。
 
 そんな中、この5月の半ば、あるルートの力添えを得て浪江町と双葉町に入ることができた。
低い所での空間線量は毎時4~5マイクロシーベルト。
線量が高いと言われる赤宇木では雑木林の中の地面線量は計測限界毎時100マイクロシーベルトの線量計が振り切れた。
それは予測の範囲内だったが、今回の取材には”誤算”があった。

 双葉町に入り、例の「原子力明るい未来のエネルギー」という横断看板をくぐり、せっかくここまで来たのなら、できるだけ原発に近づいてみようと車を走らせ、遠く小山の向こうに建屋の煙突の見えるところまで行った。
その方向を目指して道路を紆余曲折し、しばらく走るとどこか映像で見たことのあるような無機質な建物が左手に現れた。

 免振重要棟に似た建物だった。
 あっけにとられた。
あまりに原発が間近だったからだ。
と思いながらさらに道なりに車を走らせると目の前にとつぜん3つのカーブを描いた白い屋根が現れ、その前に遮蔽格子盾が幾つも置かれ緊張が漲っている。
再びあっけにとられた。
とつぜん原発のゲートが現れたのだ。

 車を降りると9名の警備員がこちらを注視し、幾人かが大声を上げながら両手をバッテン印を作り、息きせ切ってこちらに走ってくる。
スタッフのカメラのデータは消されたが、手のひらに入るカメラで撮った私のデータは温存された。
写真を見て驚いたのは建屋から約1キロ離れたゲート間近まで汚染水貯蔵タンクが押し寄せていることだ。
それ以上に驚いたのはあまりにもあっけなく原発ゲート前に侵入できたことである。
警備員があれだけ興奮するほどの警戒態勢でありながら、その前にチェックポイントがひとつもないずさんさは、ゲート内で何が起きているかを想像させてあまりある出来事だった。

*************************************

私たちが女川原発を視察に訪れた時も、矛盾を感じたものだった。
何重ものチェックでダメ出しが出された。
にもかかわらず、自分たちのHPには航空写真を載せている。

ずさんな管理と権威主義。
そして都合の悪いことから目をそらさせようという体質が問題なのではないだろうか。

【拡散歓迎】本日 神田香織 立体講談「チェルノブイリの祈り」@佐倉市民音楽ホール

2013-03-15 08:04:54 | 原発問題
本日は、神田香織さんの立体講談「チェルノブイリの祈り」を佐倉市民音楽ホール(京成臼井 徒歩3分)当日です。
まだ券がありますので、17:30の座席予約までは前売り(大人1500円)受付しますので、お電話をネット事務所(043-462-0618)までください。
お取り置きできます。

さて、つくば市では「はだしのゲン」と「チェルノブイリの祈り」を昼、夜で公演した記事があったのでご紹介します。


『東京新聞』茨城版 3月13日より
「はだしのゲン」講談で 福島・いわき出身 神田香織さん 反核の思い表現(松尾博史)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/ibaraki/20130313/CK2013031302000155.html

 反核、脱原発を訴えている福島県いわき市出身の講談師、神田香織さんの公演が十二日、つくば市のノバホールで開かれた。
広島に投下された原爆の悲惨さを訴える漫画「はだしのゲン」を原作とする講談作品を披露。
広島の惨状を目の当たりにして、戦争のない世の中を切望する主人公らの心情を、抑揚のついた独特の言い回しで表現した。

 神田さんは講談に先立ち自己紹介。
約三十年前に太平洋戦争の激戦地サイパン島を訪れ「戦争の悲劇を語っていこう」と決意し、「はだしのゲン」の原作者で昨年十二月に亡くなった中沢啓治さんから講談化の許可を得た。
中沢さ んと昨年夏に再会した際に「体に気を付けて頑張って」と励まされたという。

 東京電力福島第一原発事故後にはNPO法人を設立し、故郷の復興支援に取り組んでいる。
事故によって故郷を追われた被災者を気遣い「講談師として行く先々で(福島への思いなどを)話していきたい」と述べた。

 主催したつくば市の市民グループ「脱原発ネットワーク茨城」の世話人、小張佐恵子さん(60)は「脱原発へいっそうまい進したい」と来場者に呼び掛けた。

●『毎日新聞』茨城版 3月13日より
東日本大震災:講談で反戦、脱原発 被災者への思い語る--福島・いわき出身の神田香織さん/茨城(山内真弓)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130313-00000137-mailo-l08

◇音楽など交え

 講談に先立ち、神田さんは故郷の福島や被災者への思いなどを語った。「放射能は 臭いも色も味もない。何も分からない。だから『大丈夫だ』とか『帰ってこい』とかごまかすんですね、政府は」と訴えた。また、帰還の見通しが立たない中、仮設住宅で暮らす被災者の悲痛な叫びも紹介した。

【拡散歓迎】3/15神田香織 立体講談「チェルノブイリの祈り」in佐倉市民音楽ホール

2013-03-08 15:12:48 | 原発問題
講談師 神田香織さんをお呼びして「チェルノブイリの祈り」を佐倉市民音楽ホール(京成臼井)で行います。

保育もあります(要予約 先着10人)

神田さんのチェルノブイリの祈りを観たのは、2011年の秋ごろ。
講談は初めてだったが、光と音と話芸で表現する力に圧倒されたことを鮮明に覚えている。
是非、佐倉でも多くの方に観ていただきたいと温めてきた企画で、やっと実現することができた。



大勢の方のご参加をお待ちしています。

佐倉市民音楽ホール、リサイクルショップ「回転木馬」、「ありがた屋」(中志津)、
さくらネット事務所(043-462-0618)、臼井レイクピア「コラム」(本屋さん)
で前売り券を発売しています。
電話にても受付していますので、当日受付で券を取り置きでもOKです。
まずはご連絡ください。

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「フクシマの怒り語る 社会派講談師・神田香織さん@こちら特報部」 2011年10月23日 東京新聞より 


未来に警鐘を鳴らしていたはずだった。
福島県いわき市出身の講談師、神田香織さんが、9年前に創作した講談「チェルノブイリの祈り」。

 旧ソ連で起こった原発事故の実話を伝え、新たな悲劇の発生を食い止めたいと願ったが、史上最悪の事故が大好きな故郷で現実になってしまった。
庶民に寄り添う話芸は今、“フクシマの怒り”を広く発信している。(中山洋子)

 ものものしいヘリコプターのプロペラ音をBGMに、パンと拍子木の音が鳴り響く。

 「ときは1986年4月26日、旧ソ連のチェルノブイリ原発で、原子力発電開発史上最悪の事故が発生しました」

 今月中旬、千葉大教育学部の大教室。はかま姿の神田さんが語る旧ソ連(現ウクライナ)の消防士夫妻の物語を、200人近く集まった学生や市民らが息をのんで聞き入っていた。

 物語は実話で、ウクライナのチェルノブイリに隣接するベラルーシの女性記者が取材したインタビュー集がもとになっている。新婚の夫は事故直後にシャツ一枚で出動して被ばく。
妻は妊娠をひた隠しにして、ボロボロに朽ちていく夫に付き添い、最後まで看病した。
子どもは生まれてまもなく先天性疾患で死亡した。

 夫妻の生々しい証言が、臨場感たっぷりに話芸で再現され、会場内にはすすり泣く声が広がった。

 神田さんは「福島第一原発の事故後はつらくてつらくて。
もうこの話はできないんじゃないかと思った」と振り返る。

日本語訳のインタビュー集「チェルノブイリの祈り」(岩波書店)に出会ったのは2002年ごろ。
読み始めると涙が止まらなかった。
「愛し合っている夫婦を放射能が引き裂いた。
もし福島の友人や家族がこんな目に遭ったらと思うと、とても人ごとじゃなかった」と講談にすることを決意。著者に連絡し許可を得て作品を練り上げた。

当初、客席の反応はさまざまだった。
「『旧ソ連だから事故は起きた』とか『日本の原発は安全』という空気が強く、『脅かさないで』と耳をふさぐ人も少なくなかった。
『電力会社に気に入られる内容にした方が仕事になるんじゃないの』と心配もされた」と話す。

 チェルノブイリの事故を身近なこととして関心を持ってもらおうと、日本で起こるかもしれない架空の原発事故を作品の最後に付け加えた。
「静岡県の太平洋沖に面した原子力発電所で…」などと、公演会場ごとに原発の立地場所も変えて警告してきた。

 異色の社会派講談に「赤い講談師現る」などと皮肉られたこともあったという。
「組合といっても農業協同組合くらいしか知らないノンポリだったのに。
誰だって平和は好きでしょうに」と苦笑する。

 放射能汚染が広がったベラルーシも訪れた。
背丈ほどの草が伸びている立ち入り制限区域に行くと、高齢女性が一人で残っていた。
女性は「昔は200人くらい住んでいて、にぎやかで楽しい村だったのよ」と懐かしんだ。
裏庭で育てている野菜に「ほら、こんなに大きく育っているでしょ」と目を細める姿に、神田さんは何も言えなかった。

 チェルノブイリ事故の後、神田さんはいわき市で農業を営む父親に「もし、福島で事故が起きたらどうする」と尋ねたことがある。
畑仕事の手を止めた父親は、ゆっくりと「風向き次第だっぺな」とつぶやいた。

 福島第一原発の事故後、父親は「(国の原発推進政策に懐疑的だった)おまえや佐藤栄佐久(前知事)さんの言った通りだったな」と話した。
「みんな『しまった』と思ってるんだから、ちっちゃい顔してるんだよ」とも。
心優しい福島人の父親が、ベラルーシの高齢女性に重なってみえた。

 神田さんは「故郷を壊し、家族や友人を苦しめ、世界の海を汚しておきながら、国は原発が必要だと主張し、海外に輸出しようとする。
正気の沙汰じゃない」と憤る。

 地元の高校を卒業し、18歳で上京。
劇団の養成所に入り、舞台女優を目指したが、いわき弁に苦しんだ。
同じころ、高校の同級生だった秋吉久美子さんが映画デビュー。
華やかな級友の活躍を横目に、焦りが募っていたとき、講談に出会った。
話し方の練習で始めたが講談の表現力に魅せられ、25歳で二代目神田山陽氏に弟子入り。

 3年間の修業を経て、1984年に二つ目に昇進し、次々に独自の作品を発表。
86年に広島の原爆を題材にした漫画「はだしのゲン」を講談にしたのを転機に、「理不尽につぶされる側に立とう」と腹を据えた。

 結婚したものの39歳で離婚し、幼い娘2人を育てるため、いわき市の実家に戻った。
疲れ果てていた心を故郷がいやしてくれた。
「寄席のある東京を離れるのは不安だったが、家族が子どもをみてくれた。
同級生や地域の人々が寄席を設けて応援してくれた」

 娘の高校進学を機に再び東京へ戻ったが、今月初め首都圏在住のいわき市出身者を中心にNPO法人「ふくしま支援・人と文化ネットワーク」を設立した。

福島の人々を孤立させないように交流の輪を広げる狙いで、来月に都内で開く初イベントでは「チェルノブイリの祈り」を披露する。
「原発事故の汚染は各地に広がるが、『福島』に被害を押し込めようとする空気が続いている。
差別を絶対に阻止しなければならない」と力を込める。

 神田さんの近年の作品には、いわき市を舞台に炭鉱の娘たちを描いた「フラガール物語」もある。
いわき弁をたっぷりまぶした作品は震災後、福島へのエールとして各地で演じている。

 江戸時代の津波を題材にした「稲むらの火」も講談にした。
現在では防災講談として全国の自治体から引っ張りだこだ。
いわき市でも支援者が昨年、一昨年と同市に防災用に演じてもらおうと打診したが、門前払い。

この作品は来月、同市主催の行事で披露される。
「できれば1年前にやりたかった。
津波を想像する機会になっていたかもしれないと思うと、本当に残念」と神田さん。

 古典芸能でも落語が「笑い」、浪曲が「泣き」なら、講談は「怒り」を表現するといわれる。
「定番の忠臣蔵ももとは時事ネタ。当時の大ニュースを伝える語りが古典になった。

代々伝わる話芸も素晴らしいが、大転換のときには現代を語ることも講談の役割のはずだ」。
福島出身の講談師は、庶民の怒りを代弁し続けるという。

 千葉大で開かれた公演の終幕。神田さんはパンと拍子木をたたいて続けた。
「ときは2011年3月11日、太平洋に面した東京電力福島第一原発が史上最悪の原発事故を起こしました。
再循環経路は破断し、炉心は空だきとなりメルトダウンを起こしました。
付近の住民は避難をしたもようです」

 もう、架空の事故ではなかった。

<デスクメモ> 
インターネットで生々しい映像が配信される時代だが、講談師やミュージシャンらが娯楽作品で人々の想像力をかき立てる力はあなどれない。

実写よりメッセージ力を持ち、パワーを発揮する場合もあるのだ。
政治家はうそつきで信念がなくても務まるが、作品はうそをつかず信念を伝えようとする。(立)







「福島から消えつつあるもの(警戒区域に入って)」医療ガバナンス学会メールマガジンより

2013-02-19 00:41:28 | 原発問題
医療ガバナンス学会メールマガジンより転載します。
ぜひ全文読んでいただきたい。

「福島から消えつつあるもの(警戒区域に入って)」
南相馬市立総合病院・神経内科 
小鷹 昌明

震災から1年9ヶ月が経過した。2012年12月24日の、いまにも雪の舞い散りそうな寒い日に、私たちは浪江町から双葉町、大熊町へのツアーを敢行した。


南相馬市での線量は、高くても1マイクロシーベルト程度であり、線量計としての本来の能力を発揮するには到底及ばない数値であったが、それがみるみる上昇していった。
マックス25マイクロシーベルトを記録した場所は、ちょうど原発の排気塔とクレーンの見える地点から北西の方角だった。


この地でも、高い放射線量を恐れて多くの人々が逃げた。
その線量を長く浴びれば浴びるほど、人間の身体には何らかの悪影響を及ぼすものである。
そのことは、もちろん理解している。
しかし、それが自分にとってどれ程大切で、どんな手立てが必要なのか。
原発の後は何も語らない、何も残らない、何も築けない、警戒区域の伝えたことは、ただそれだけだった。
私たちは、そこから何を想像していけばいいのか。

"殺処分"の指示を受け入れずに、商品価値のまったくなくなった餓死寸前の"被爆牛"を、個人で保護している牧場(浪江町・吉沢牧場)があった。
それは、原発から14キロメートル北西の地点に位置し、約30ヘクタールの放牧場を有している。
私たちは、そこを訪れた。
牛たちが、体を寄せ合うようにそこで命をつないでいた。
その中で、自らの足で立てなくなった、まさに弱いものから消滅していく灯火を見た。
吉沢さん(牧場主)は、「いまここに生き残っている牛たちは、福島原発事故の生き証人である。
それらを殺処分することは、証拠の隠蔽である。
"生きたガレキ"などでは断じてない。
深い深い絶望の先にしか、希望はないのかもしれない。
私たちの行動には必ず意味がある」と語った。

たとえどんなに国が、社会が、世間が「危ないから逃げろ、商品価値のない牛は処分しろ」と詰め寄っても、この人の中に存在するすべてが、全身全霊が、「それは、絶対に違う」と叫んでいる。
その声は、あまりにも力強く、抗し難く、社会的な価値観と真っ向から反目している。
かろうじて立っていられるその中で、自身を支えながら血みどろになって闘っている。
いったい、いまの現実をどこまで引き受けられるのか......。それもたった独りで......。
多くの仲間が、その孤独に耐えきれず、与していく中で、自分が自分であるために行動し、声を上げている。
それは、放射線被害におけるひとつの"叫び"だった。この人は、「ひとり」という原点に立ち返っていた。
「人間として」という起源に立ち戻っていた。
一歩も引かずに前に出る。
それしかない、それしか「自分が何ものなのか」を確認する方法がない。
諦めたら「もう誰でもない自分」になってしまう。
そのあまりに悲痛な慟哭に、私たちは、差し出されたお茶にいっさいの手をつけることができなかった。


"警戒区域"のツアーを終えた瞬間、私はすべての言葉を失った。
現実を受け入れることだけで精一杯であった。
いまやっと、いくつかの言葉を絞り出すことができるようになった。
「整理できなくて伝えられない」という言い訳は、もはや、いまの私には通用しない。
「まさに、伝えたいけれど伝えられない」、そのもどかしさというものだけでも大切にしたいと思い、文章を書き連ねた。
福島への想いの中に、「知らなかった」という自己弁護を封じるために、言葉を重ねた。
それは、"被災地の現状"を伝えるためではない。
"人間の過ち"を伝えたいのだ。私たちが"ここにいる"ことを伝えるのだ。


この街で、私は、私の行動に一歩の意味があるとしたら、それをやる。
そして、私は、私の行動に一歩の意味がないとしても、マイナスでなければやりたいと思う。
さらに、私は、私の行動がマイナスでしかないとしたら、それでもやっぱり、一歩を踏み出すために、やはりやりたいと願う。
それが、この原発から一番近い街における行動のような気がした。
転載おわり

「原発を脱ってみる?」笑いと熱気に包まれたライブ「おしどりマコ&ケン」@佐倉市立美術館ホール 2/10

2013-02-15 13:52:12 | 原発問題
2月10日はさくら・市民ネットワークの総会。
総会の時には毎回イベントを企画しているが、今年は吉本興業の「おしどりマコ&ケン」さんをお呼びした。
市川で行われた脱原発集会でのトークに圧倒されたが、今回はそれ以上にパワーアップし1時間半マコさんの弾丸トークを堪能した。
「満員御礼」でした。



さて、
原発事故直後「ただちに影響はありません」としかアナウンスしない国、マスコミの対応に疑問と怒りを持ったおしどりマコさんケンさん。
事実を知るために東京電力の記者会見のライブ中継をずっとチェックし続けると、奇妙なことに気がついた。
東電寄りの質問する記者しか質問できず、都合が悪い記者の発言ははじめから排除するおかしさに。
それからがすごかった。
自由報道協会会員となり、東電の記者会見に出席して、鋭い質問を繰り広げ、記事を書くようになる。

2011年夏ごろ、法政大学で佐藤栄佐久元福島県知事が講演した時も、前のほうに陣取って鋭い質問をしていたので、話題になりだしていた吉本の芸人さんとすぐにわかった。

マコさんによると、
原発事故直後の食物の汚染がひどかった。
知っているだけでも東日本で売られていたスーパーの野菜、ホウレンソウ・ブロッコリーなどは1kgあたり最高65000ベクレルで、他のも数万ベクレルあった。
4月当初、福島市内で売られていた野菜は、グリーンピースジャパンの測定では1kg当たり157000ベクレル、ブロッコリーは2~3万ベクレルでていた。(HPで公表している)
その時は、出荷制限された野菜はブルーシートをかぶせる事しか決まっていなかった。
しかし、それほどの深刻さが分からず、食糧が無くなって避難所で食べていた事実。
スーパーで売られていたという情報も入っている。
大学など測定機関では、福島県以外のホットスポットがある所は、自治体に依頼されて測っていたが、ネックは情報を公表できないことだ。
アメリカの研究者が「すべての被ばく者は知る権利がある」と言っているが。

2012年1月で福島市内の小学校のとなリで毎時50マイクロシーベルト測定されていた。
事故前、使用済み核燃料プールのとなりでは0.1マイクロシーベルトだった。
事故以前であれば空気中に放射性物質がなくても放射線管理区域としてマスクをし防御服を着て作業をする環境以上の所に現在住んでいる状況はおかしい。

事故直後はセシウムより放射性ヨウ素、キセノンなどの希ガスがどれくらい出てどれくらい吸い込んだか、わからないし問題にもされていない。
マコさんは2011年5月からホールボディカウンターが日本に何台あるのか質問して、早く測ってほしいと東電の記者会見で発言していたが、だめだった。
それは、5月に厚労省、文科省の業務連絡「被災地で実施される調査研究について」で「必要以上に詳細に調査研究をしないよう、配慮してほしい」と出されたからで、子どもたちのホールボディカウンター検査ができなくなった。

→そういえば、福島県内で子どもたちの検査ができなくなった、と聞いていた。
福島県立医大のみで検査する〔山下俊一副学長)からということで、ひどい話だと被災者から声が上がっていたが、県外へは一切その情報は流されていなかった。

農水省からも小売り業界へ業務連絡「産地名の公表について適切なご配慮を頂くよう願います」が出た途端、スーパーなどでの産地公表が国産という表示になってしまった。

人間の臓器の検査が今日本で行われていない。
調べれば内部被ばく、セシウムの内臓蓄積についてわかるはずなのに。
福島原発労働者が死亡しても、発表されるのは荼毘に付されてから。
このことについては「大野ひろみのクラクラさくら」で詳しく述べている。

2012年脱原発は言われるようになったが、「脱被バク」はだめ。
被バクをするから、原発はダメなはずなのに、記事を書かせてもらえない。
原稿の依頼があったのに、脱ヒバクの内容で原稿がボツになった経過を話してくれた。
会場からは「エー!!」という声がわく。
そこの所は「入江あき子の県議会ワンダーランド」に詳しく書いています。

写真を見てもわかるとおり、ケンさんを見ながらの弾丸トーク。
マコさんの弾丸トークをケンさんの合いの手がフォロウして(ケンさんの針金アートがまた素晴らしい)とってもいい感じ。
パワフルだけど、ほのぼのとした雰囲気を醸し出していた。
結構難しい専門用語もバンバン飛び出したが、笑い声、その時々に拍手が起こり、会場は熱気に包まれた。
満足していただけたようでうれしい。