新・からっぽ禅蔵

上座部仏教僧としてタイで修行の後、日本の禅僧となった、水辺を愛するサーファー僧侶のブログ。

「脅し」と「救い」

2022-07-01 11:32:27 | 日記
多くの宗教は、「恫喝」と「救済」がセットになっている。

まず、
「あなたは、このままでは救われない、今のままでは苦しみから抜け出せませんよ!」
と脅す。つまり恫喝する。
次に、
「でも大丈夫。この宗教を信仰すれば、必ず救われます」
と説く。つまり救済する。

一方で、我が禅宗は、こうした宗教とは異なる面を有する。
我が禅宗では、
「寝ぼけた事を言ってないで、今の現実を直視しろ!」
という現実主義的なところがある。
その意味では、特に恫喝もしないが、救済もしないような面がある。
僕は、ここが気にいって禅宗僧侶になったと言っても過言ではない。
いや、「救済をしない」と断言するのは少し言い過ぎかも知れない。
正確には、救済をしないのではなくて、「既に救われている事に気づけ」というのが禅宗で説かれる救いについての答えである事がよくある。

ところで先日、TikTokの動画で、次のような言葉を目にした。
「自殺をする人は、天国に行きたかったのではない。
今の地獄から抜け出したかっただけだ」。

なるほど、この世が地獄だと感じるほど辛い思いをした、という事なのだろう。僕も、ブログにも書けないほど辛い思いをした経験はある。いや、多くの人が、一度や二度は地獄と感じるほど辛い経験をしているものだ。
だが僕は、上の言葉に対して、次のように言いたい。
「今の地獄から抜け出すことイコール死ぬ事、ではないだろう。自殺をしなくても、地獄から抜け出せる方法はあるのでは? そもそも、“今”を地獄と感じるのも、または天国と感じるのも、基本的には自分次第ではないのか? そう。もしかしたら、今は既に地獄から抜け出して、救われているかも知れないのだ」と。

いずれにせよ、「恫喝」と「救済」がセットになっているいわゆる“宗教”が嫌いな人ほど、現実的な“禅”に親しんでみてはいかがだろうか。
特に、サーフィンなどのスポーツをする人にも、坐禅・瞑想はオススメだw




【写真︰先日サーフィンをした某海の夜明け頃の様子。
見えにくいかも知れないが、月と星も写っている。
サーフィンは、まさに今の現実の瞬間・瞬間と向き合う事そのものだ。
野球やサッカーをやるとき、その地面は動かない。
ゴルフをやるときも、その地面は動かない。
スキー場の滑走面の雪だって、基本的には動かない。
ところが、サーフィンはその真逆で、海面の波は常に動き続けて一瞬もとどまらない。その波の上を走る。
そこが面白い。】
◆新・からっぽ禅蔵◆

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