新・からっぽ禅蔵

上座部仏教僧としてタイで修行の後、日本の禅僧となった、水辺を愛するサーファー僧侶のブログ。

ざぜん老人

2017-06-06 16:35:20 | 日記
先日、「オケ老人」という日本映画を見た。
内容を簡単に説明すれば、次の如くである。

趣味でオーケストラをやっている老人たちに対して、主人公の女性が指導していく物語り。
初め、老人たちの演奏はまるでダメで、しかもやる気も無い最悪な状況。
しかし、本物のオーケストラの音源を聴かせた事を切っ掛けに、老人たちのオーケストラはどんどん伸びていく、というストーリー。

さて、僕が毎月お手伝いさせて頂いている坐禅会に来ている人達も、ほとんど老人ばかりである。
しかも、映画「オケ老人」と同様、坐禅に対して まるでやる気が無い。
坐禅は二の次で、坐禅中は腕時計を見ながら「早く終わらないかな~」という顔をしている。
そもそも本来は、坐禅中は腕時計を外しておくのだが、老人たちはお構い無しだ。
彼らは、坐禅中に腕時計はしたままだが、さすがに靴下はマナー通り脱いでいる、と思ったら、脱いだ靴下はその辺に無造作にブン投げてあるのだから最悪だ。
とどめは、お酒を一杯呑んで来たらしく、真っ赤な顔で、超酒臭い匂いをプンプンさせながら坐っている老人までいる。

そして、坐禅が終わると、「待ってました!」とばかりに、嬉しそうに茶話会で自由におしゃべりしていて、禅や仏教の話しなどは聞きもしない。
おまけに、坐禅を、間違えて「座禅」と書いたり、仏道修行の修行を、間違えて「修業」と書いたり、“ざぜん老人”たちのメチャクチャな振る舞いはとどまらない。

僕は、坐禅指導者ではなく、老人たちのデイサービススタッフの如く、面倒を見てあげるしかない(涙)(笑)

老いさき短い彼らが、今生で、本来の禅を体得する事は残念ながら無さそうである。

願わくは来世で、彼らに、禅の何たるかを体得させたまえ。
合掌

とにかく僕は、映画「オケ老人」の主人公のように、ざぜん老人たちに対して禅・仏教を説き、やる気を起こさせる気にはなれない。

国内約30ヵ寺での坐禅と、毎日最低1時間の自宅坐禅に始まり、タイ上座部仏教僧としての瞑想三昧、そして日本の禅僧として出家。
加えて、K大学仏教学部禅学科で学んだ4年間、これら僕の経験と知識の両輪を、ざぜん老人たちに踏みにじられては、僕の経験と知識の構築にご協力頂いた全ての方々に申し訳が立たない。

だから、彼ら ざぜん老人さんたちに対して笑顔で言おう。
「どうぞどうぞ、お好きなように(笑)」と。

インチキざぜんは、ざぜん老人たちに任せて、僕は、自然に抱かれて のんびりカヌーでも漕いでゆこう(笑)




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