新・からっぽ禅蔵

上座部仏教僧としてタイで修行の後、日本の禅僧となった、水辺を愛するサーファー僧侶のブログ。

景徳伝灯録・4( 禅門規式・後編)

2010-05-13 19:41:40 | 日記
前回、東山法門について触れた。
そこで5祖弘忍について、1つ補足しておきたい。
弘忍の作とされる『修心要論』には、具体的な坐禅の作法が示されているという。
これはある意味、珍しい事である。
なぜなら前にも触れたように、「禅」については「心」や「精神面」の問題なので、身体で行なう「坐禅」作法について書いている文献は、必ずしも多くないからだ。

まぁしかし、日本では我が道元禅師などの影響で「坐禅重視」が当たり前になっているので、「元々は身体の坐禅は重視されていなかった」という歴史的事実を受け入れない、もしくは、こうした事実に目を向けようとしない人が少なくないのかも知れない。

逆に言えば、それだけ我が道元禅師の影響が、現在の参禅者にも浸透していると言えるし、だとすれば私も宗門の人間としては喜ばしい。

さて、本題に入る。
『伝灯録』巻六、百丈懷海の「禅門規式」、ここに禅門における様々な規則が示されている。

特に有名なのは「仏殿を建てるべからず」という内容だ。
「各寺院の生身の住持が“仏”であり指導者なのだから、その他に仏殿など必要がない」というのである。しかし実際には、当時の権力者の加持祈祷等々行なわなければならず、その場所として仏殿は建てられていたようだ。

社会との関わりの中で、教団が持つ教義と矛盾するケースもあるのは、昔も今も変わらないという事だろう。

次に私が注目したのは、
「其(門+去皿)院大衆朝参夕聚…」〔寺内全体が朝夕に集まって…〕住持の説法をうける。

これに対して、坐禅については、「任学者勤怠」〔学者の勤怠に任す〕と書かれている点だ。

毎日2回朝夕に、説法の時間が設けられているのに対して、驚くべき事に、坐禅に関しては、やるもやらないも各自に任せるというのだ。
この点について以前私は、ある先生に質問をした。
「禅門での規則を示す事を目的とした書物の中で、こと坐禅に関しては“学者の勤怠に任せる”と書かれているという事は、当時、坐禅はそれほど軽視されていたと観て間違いないですか?」
しかし先生の見解は違った。
「そりゃあ逆じゃないか?仏教における規則は、基本的に“随犯随制”だ。つまり何か問題があった時に、その問題に対する規則が作られる。“坐禅は学者の勤怠に任せる”という事は、坐禅については何の問題も発生していないという事だ。って事は、当時の修行僧たちは黙ってても坐禅してたって事だろ。」

更に先生は言う。
「後々になって“この時間帯は坐禅しなさい”って決められるようになったのは、皆が坐禅しなくなったからじゃなくて、坐禅ばっかりしてる奴が増えたからかも知れないでしょ?僧堂での団体生活で、自分だけ勝手に夜中まで坐禅してるとか、そういうスタンドプレーは許されないって事じゃないかな。」


なるほど、だとすれば坐禅を軽視していたのは、誰あろう私自身だったのかも知れない。

いずれにせよ、自分の知恵の浅さを痛感した。


合掌