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8月1日(日)熱中症に気をつけよう

2010-11-08 20:16:39 | ★③(は)お父さんの閑話365日(転載)

また月が改まって8月を迎えた。東北地方は青森ねぶた、仙台七夕など夏祭りのシーズンで観光客で賑わう。今年は雨の心配もなさそうなので昨年を上回る人出が期待されているが、猛暑が続くから熱中症ににはくれぐれも注意して欲しい。

熱中症予防には体温の調整と水分の補給が欠かせない。また室内にいても熱中症になることがあるそうだから用心しなければならない。炎天下を歩いて疲れたと思ったら、先ず涼しい場所で休憩するのがいちばんだ。街中なら冷房の効いたデパートや大型店など逃げ込む場所に困らないけれども、そのような場所がないところなら木陰や家の軒先など日陰を探すしかない。

そして一息ついたら忘れずに水分を補給すること。水分は一度にたくさん飲むよりは30分に1度くらいの割で一口飲むのが効果的だという。それも真水よりはスポーツドリンクのように多少塩分を含んだものの方がいいそうだ。

ビールのようなアルコール飲料は水分補給には役立たないことも知っておく必要がある。体内に入ったアルコールを分解するには、アルコール飲料に含まれている水分以上の水を必要とするからである。

昨日テレビで見た熱中症対策では老人への注意を繰り返していた。家の中で熱中症になる老人が多いのだそうだ。その原因は老人が暑さや喉の渇きに鈍感になっていることが挙げられると言う。小生は元々暑がり屋で今もそうだし、しょっちゅう水も飲んでいるから心配していないけれども、独りで家の中に閉じこもりがちな老人は要注意で、周りの人が見守ってあげる必要がある。

ところが、独り暮らしの老人が増えたにも関わらず、周囲の人が注意を払ってあげる仕組みが出来ていないところに落とし穴がある。地域社会の相互扶助に頼るしかないと思うが、急速に進む高齢化に社会の仕組みがついて行けないところに問題があるようだ。


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8月2日(月)花ミョウガ

このごろは毎朝ミョウガ畑を見回るのが日課になっている。花ミョウガが出始めたからだ。1個の蕾から数個咲く薄クリーム色の花は目立たないが繊細で美しい。おそらくミョウガを植えていない人は見たことがないだろう。

でも花が咲いてしまうと食用にする蕾の部分がスカスカになってしまう。つまり花ミョウガと言いながら実際に食べるのは花が咲く前の蕾の状態なのである。だから毎朝の見回りが欠かせないのである。ズボンに長靴、長袖のシャツを着て帽子を被り、虫除けスプレーをかけて1.5m~2mに伸びたミョウガタケを掻き分けながら花ミョウガが出る地際を見て回るのは楽ではない。

今朝は固く実が締った花ミョウガを30個ほど収穫した。味噌汁、漬物、薬味などに使っても使いきれるものではないから、わが家では酢漬けにして保存する。自分で漬け込んだことがないから分からないが、さっと湯通ししてから酢漬けにするとピンク色が長く保てるようだ。

花ミョウガは長い間収穫できるので新鮮なものも長期間楽しめる。刻んで夏野菜のナスやキュウリと一緒に浅漬けにするとうまい。去年塩蔵しておいたシソの実を塩代わりに使うとミョウガとシソの香りを同時に楽しめる。

近年はハーブと称して西洋伝来の香りに注目が集っているけれども、サンショウ、シソ、ミョウガと言った日本に古くからあった香味を上手に使いこなすことも大事だと思う。


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8月3日(火)オニグモの巣

先日アブラゼミとミンミンゼミの声がしないのは不思議だと書いたが、実は小生が気づかなかっただけで例年通り盛大に鳴いていたらしい。実際一昨日外出したとき家の近所でミンミンゼミの声を聞いたし遠くでアブラゼミも鳴いていた。

昨日玄関近くのキンモクセイと電話の引込み線を利用して張った大きなクモの巣に、アブラゼミ、ヒグラシ、ツクツクホウシが捕らえられていた。昆虫にしてはかなり力が強いセミを3匹も同時に捕らえても網がそれほど痛んでいない。よほど丈夫に出来ているようだ。

垂直・円形の巣の形からみてオニグモの巣である。オニグモは昼間物陰に潜んでいて姿を見せない。巣に絡めとられた獲物は夜になってからゆっくり味わうのだろう。オニグモは夜型のクモである。

今朝同じ巣を見たら、まだセミがぶら下がったままになっている。クモは獲物の体液を吸うからセミの外観は変らないけれども、おそらく中は空っぽになっているのだろう。目立つ食いかすをそのままにしておいたら、次の獲物が網にかからないだろうに、網が大きく壊れないかぎりそのままにしておくのだろうか。

そう思ってオニグモの習性を本で調べたら、たいへん興味深いことが書いてあった。要約するとこうである。オニグモは夕方から夜にかけて網を張り獲物を待つ。このことは共通しているが、大阪以西に棲むオニグモのほとんどは翌朝物陰に隠れる際に網を壊して片付けてしまう。それに対して東北以北のオニグモはほとんど網を壊すことがないのだそうだ。それでは東京と大阪の間にいるオニグモはその中間型かと想像したが、何も書いてないので分からない。要するに東北のオニグモは怠け者なのか良く言えば節約指向型なのだろう。

どうしてこのような地域差が生まれたのだろう。暖かい地域に棲むクモは糸の原料の生産が活発なので網を毎日張りかえるが、寒い地域のクモは原料不足に対応しているのかもしれない。あるいは昼も網を残しておかないと十分な餌にあるつけないのだろうか。


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8月4日(水)コンピュータ重体

わが家のコンピュータが瀕死の重症になった。辛うじて命は永らえているが気息奄々、何時あの世へ旅立つか分からない状態である。立ち上がりも終了ものろのろと時間がかかるようになり、昨日はついに「閑話」を送信できなくなった。

宥めすかしてご機嫌をとりながら使ってきたけれども、もう限界かもしれない。それほど短気な性格ではないし、時間に追われて仕事をしているわけでもないから、コンピュータの動作がのろくてもたいした支障はないけれどもイライラすることもある。この文章を書いていて文字変換に時間がかかったりすると悪態のひとつもつきたくなる。

なぜこのような状態になったのか。おそらくコンピュータにいろいろな情報を詰め込みすぎて、空き容量が足りなくなったせいではないかと思うけれども素人だから当たっているかどうか分からない。ともかく専門家にお願いして診断を仰ぐ必要がありそうだ。

この原稿を送信できるかどうか、その結果をみてから判断しよう。だが待てよ。要らないファイルを片っ端から削除したら空き容量が増えて息を吹き返すかもしれない。まずそれを試してみよう。


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8月5日(木)所在不明の100歳超

東京・足立区の111歳の男子最高齢者が実は30年も前に自宅で死亡しミイラ化していた。この事件をきっかけに全国で100歳以上の高齢者の所在を確かめたところ、不明者が続々出て昨日現在で30人を越えたと言う。調べが進めばもっと増えるのではないか。

このニュースは日本人が驚いたばかりか諸外国でも関心を集め「世界1の長寿国」と言う日本の統計は怪しいものだと疑問を投げかける報道も現れた。外国から指摘されるまでもなく、これは由々しき問題である。ではどうしてこんな事態が起きたのだろう。

まず住民登録を受け付けている自治体が実態を調べていなかったことが問題だ。家族と一緒に暮らしている人、施設に入居している人などは比較的把握しやすいであろうが、家出をしたり転居届けをしないで住所を変えたりすると追跡は難しくなる。個人情報保護の観点から立ち入った調査が出来ない事情もあるだろう。だから自治体に100%所在確認を期待するのは無理な話である。

とは言っても、所在不明をこのまま放置するわけには行かない。この機会に全国共通の基準を作って所在不明者の整理をする必要があると思う。先ず手を尽くして調べても所在が分からない人の住民登録を抹消することから始めてもらいたい。

高齢者の所在不明が増えた原因の一つに、人間関係の希薄化もあげられるだろう。町内に100歳を越えるような高齢者がいれば当然関心を集め、姿を見かけなくなれば話題に上るような環境がなくなってしまった。隣で何が起きようが無関心の世の中では高齢者の存在感は薄れるばかりである。

長寿と老人が大事にされることは別問題である。寿命が延びても社会から忘れ去られた高齢者は不幸である。身寄りがなくなっても老人が所在不明にならず、最後まで社会の一員として生きられる環境であって欲しい。


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8月6日(金)核がない世界へ

広島に原爆が投下されてから65年が過ぎた。被爆者の高齢化が進み原爆を体験した人は年々少なくなり、やがて1人もいなくなることは確かだ。けれども世界で初めて投下された原爆が一瞬にして広島市を廃墟と化し、多くの犠牲者を出し、生き残った者も原爆症に苛まれて来た記憶を風化させてはならない。

今年の「原爆の日」は核廃絶への歩みが一つの転機を迎えたような気がする。広島に原爆を投下したアメリカから初めて駐日大使が、また国連からは事務総長が式典に参列した。その背景には核がない世界を実現すると言ったオバマ米大統領のプラハ宣言がある。

その意思を世界に向かってさらに発信するためにルース駐日大使を式典に参加させたのだろう。オバマ大統領自身も在任中に被爆地を訪れたいといっている。核廃絶に向かっては他の核保有国も異を唱えるはずもなく、その話し合いをする場を代表する形で国連事務総長が式典に参列するのも自然の成り行きだったと思う。

冷戦を前提とし、その抑止力としての核を信奉する限り核兵器削減すら言い出すのが難しかった時代にこらべれば隔世の感がある。とは言っても核兵器を根絶するためにはまだ越えなければならないハードルがいくつもある。その困難を乗り越えて前に進もうとする意思を広島での式典に託したと見るのは甘すぎるだろうか。

人類は戦争のためにいろいろな殺傷兵器を開発した。そしてその頂点に核兵器がある。はっきりしていることは、どの兵器も人間が考えて造りだしたものである。人間が造りだしたものなら人間が抹消することだってできるはずではないか。


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8月7日(土)立秋ではあるが

小鳥に餌をやろうと一歩外へ出たら蝉時雨が降り注いできた。ジー…と切れ目なく続いているのはマツゼミであろうか。これは主として裏の松林から聞こえてくる。その通奏低音を背景に、鼻を摘んで声を出しているようなミンミンゼミ、油が煮えたぎっているようなアブラゼミの声、せわしないツクツクホウシの甲高い鳴き声などが入り混じって頭上に降り注ぎ暑苦しさを掻き立てる。

今日は暦の上では立秋であるが秋風が立つのはまだ先のようである。最終日を迎えた青森ねぶた、2日目の仙台七夕など東北の夏祭りは、いずこも晴天に恵まれて盛り上がった。稲の生育も順調のようである。ただこのままの暑さが続くと米の品質が落ちると心配する農家もある。何ごとも「過ぎたるは及ばざるが如し」か。

東北の夏祭りと入れ替わるように高校野球の祭典が始まった。この時期ばかりは、さほど野球に関心がない人までがにわか野球ファンになって、郷土を代表する高校球児の応援をする。炎天下の甲子園球場はことのほか暑い。西宮市に住んでいた5年間欠かさず高校野球を観に行ったが、聞きしに勝る猛暑だった。

屋根がある内野席の上段はそれほどでもないが、擂鉢状の球場は下に行くほど熱がこもる。スコアボードの上の旗を揺らす濱風もグラウンドには届かない。今年は例年にも増して炎暑が球児たちを苦しめるだろう。熱中症にならないように気をつけて熱戦を繰り広げて欲しい。

もうすぐお盆の時期でもある。迎え火送り火、祖霊へのお供え物など、昔ながらの行事は曲がりなりにも絶やさないでいるが、両親が生きていた頃に比べればだいぶ手抜きが目立って申し訳なく思っている。お盆が終わるころには今年の猛暑も穏やかになり秋を感じるようになるのだろうか。


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8月8日(日)喉の渇き

朝の涼しいうちに芝生を刈ろうと思い立った。伸び放題の芝生は暑苦しくていけない。涼しいうちと言っても今日の最低気温は26℃を上回っていたから、ちょっと体を動かしただけで汗ばむ。暖かいと蚊の活動も活発で、刺されるのが嫌だからズボンに長靴、長袖シャツの完全武装で臨んだので、10坪にも満たない芝生を刈り終えるころには汗だくになった。

汗となって失われた水分は補給しなければならない。夏場は普通の運動量でも成人は1日に約2リットルの水分補給が必要だと言う。2リットルの中には味噌汁やご飯の水分も含まれるのだろうから、全部水の形で補給する必要はないのだろう。それでも必要量の半分1リットルを水で補うとして、果たしてそれだけの水を飲んでいるだろうかと不安になった。

食事に伴って体内に入る水分のほかには、朝に決まって飲む緑茶以外はあまり水を飲む習慣がない。それでは少なすぎると思って500ミリリットルのペットボトルに水を汲んでそばに置いておき、時折飲むように心がけているが、全部飲み干したところでまだ1リットルには達しないようだ。

それでも喉が渇いたと感じないところに実は落とし穴があるのだと言う。以前にも書いたとおり高齢になると喉の渇きに鈍感になるのだそうだ。ペットボトルの水やお茶、炭酸水などを持ち歩いている若者を良く見かける。彼らは喉が渇くからそうしているに違いない。老人と言えども体の維持に必要な水分は似たようなものだろうから、もっと意識して水分をとる工夫をしなければいけないようである。

体内の水分を検知して補給が必要か否かを知らせてくれる装置があれば便利である。そんなセンサーを乾きに対する感度が落ちた老人用に開発してくれたらありがたいと思う。


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8月9日(月)放射能の怖さ

今日は長崎「原爆の日」。広島・長崎と立て続けに原爆が投下された65年前、小生は動員学生として軍需工場で働いていた。当時は軍部が報道管制をしていたので、原爆だとはすぐには分からなかったけれども「特殊爆弾」という表現で、これまでの通常爆弾とは違う被害を齎したことを伝えていた。

仙台は7月10日のB29による爆撃で市中心部が焼け野が原となり、釜石などの港湾都市に対する艦砲射撃や艦載機による攻撃が繰り返されるようになり、日本の敗色は日一日と濃くなっていた。仙台にも「特殊爆弾」が投下される恐れがあると思ったかどうか知らないが自宅待機を命じられ、敗戦は自宅で迎えた。

広島・長崎の惨状を知ったのは敗戦後しばらく経ってからだった。新聞とラジオしかマスコミと言えるものがない時代で、それすら占領軍の検閲の元に置かれていたから、日本国民に知らされたのは事実のごく一部に過ぎなかった。

一般国民は放射能の恐ろしさを知る術もなかった。もしそのような知識が行き渡っていたら、後から原爆被災地に入って放射能を浴び、長い間苦しむことになる犠牲者はより少なくて済んだだろうにと思われる。敗戦の混乱でとてもそれどころではなかったと思うが残念なことである。

広島・長崎は原爆投下から65年経って放射能に怯えることもなく平和な暮らしが営まれているが、世界的にみればまだ放射能の危険に曝されているところがある。その地域の一つがイラクである。アメリカ軍はイラク軍を壊滅させるための攻撃で劣化ウラン弾を多用した。鋼鈑の貫通力に優れていて敵の戦車破壊に威力を発揮したからである。

被弾した戦車の残骸からは今でも強い放射能で出ている。それに汚染されたチリやホコリを吸い込んだ住民、特に子どもに白血病や奇形児など放射能による病気が多発している。アメリカは科学的な根拠がないと反論しているけれども、劣化ウラン弾と病気の多発には深い因果関係があると見るのが自然であろう。

核廃絶のなかには核兵器製造の過程でできた、いわば核のカスを利用した兵器の廃棄も含めて考えるべきだと思っている。


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8月10日(火)臓器移植の新事例

改正臓器移植法に基づく最初の臓器移植が行われることになった。臓器を提供することになったのは交通事故で入院していた若い男性で、書面で提供の意思を残していなかったが、、万が一の時は提供していいと言っていたことを家族が尊重した結果である。

これによって臓器提供を待っていた難病患者の幾人かの命が救われることになる。臓器移植を外国に頼ることが多かった日本で国内移植の道が広がるならば待機患者にとっては大きな前進、福音に違いない。

けれども本人の意思表示が書面でなされなくても家族が認めれば臓器移植が出来ることに抵抗を感じる人もいる。また本人が提供の意思を書面で残していても、子どもの遺体から臓器を取り出すことを忍びないと思う人もいるだろう。さらに脳死は本当に人の死だろうかと訝る人もいる。このように改正臓器提供法に基づく臓器提供は改めて脳死について考える機会にもなった。

さて、お前さんはどう考えるのだと聞かれると、即座に明確な答えを出すことは困難である。難病患者を救うと言う観点からすれば改正臓器移植法に基づく臓器移植は大いに結構であるが、提供者がわが子だったらどうしよう。人工呼吸器なしでは死んでしまうことは分かっていても、心臓は脈打っていて温かい。話すことは出来なくても目の前にいるのはまさに生きている人間ではないか。

回復の望みは全くないと理性では分かっても、臓器提供には大きな家族の決断が必要だ。臓器移植は時間との勝負である。提供側の決断を促す心のケアが大事だと思う。今回の事例はうまくことが運んだけれども無理は禁物だ。焦らず新しい制度が国民の理解を得られるような啓発運動と地道な努力が不可欠だと思う。


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