昨今、おたく趣味の世界についてメディアが取り上げる際に
『萌え』
という言葉をよく耳にします。
僕自身も「萌え」という言葉を使うことはありますが、メディアの報道をみているとある種の違和感を感じざるを得ない状況になることがしばしばです。
1.萌えは個人の信条(心情)の問題
萌えに関してはネットで見る限りでも定義も意味づけも諸説がありますが、個人的には
○「かわいい」「素敵」の代替語
○「心の琴線に触れるもの」
の二つをさして「萌え」という言葉を使わせてもらっています。前者は他者(おたく趣味を共有する人)との会話の中で、後者はモノを書く際の表記上で使うパターンが多いです。
いずれの意味で使うにしろ、その対象は個人個人でバラバラだと思います。それこそ何かの基準や定義付けがあって「萌え」と呼ぶわけではなく、個人の心情(信条)の問題だと思います。
2.「萌え=美少女?」
ところが、メディアで萌えが取り上げらる場合、ほとんどと言って良いほど
「萌え=美少女キャラに対しておくられる言葉」
という括られ方をされています。
確かに美少女キャラが「萌え」の対象になることは往々にしてあることですが、「萌え=美少女キャラ」と括るのは
「円周率πはおよそ3」(実際には3.14159 26535…とほぼ無限に続いていきます)
というぐらいかなりアバウトな事だと感じるのです。
それに「萌え=美少女」という考え方は男性のおたくを主眼に置いて考えた定義とも言え、おたく趣味の女性の存在を考えていないともいえると思います(女性でも美少女に萌えを感じる人もいると思いますので確定は出来ません)。
3.「萌え」とつけば何でも売れる?
おたく趣味を取り上げる上でメディアの誤解・曲解は以前からあったことなので、(腹立たしさを憶えつつ)それはそれでしょうがないのかなと思うのですが、ここ数年で「おたく趣味」「アキバ」「乙女ロード」「萌え」がメディアで取り上げられるようになると、いわゆる
「萌え経済」
関連の話が出てきました。そういう中で
「何でもかんでも『萌え(=美少女)』をプラスすれば売上が伸びる」
という「どうしたもんだろうなぁ」という勘違いとまではいかないものの、甚だ疑問と思える現象が起きていると感じています。
萌え=美少女で括るのはともかく、おおよそその手のモノとは縁がないモノに牽強付会的に「萌え要素」を持ち込むのはどうかと思うんです。
Amazonn.co.jpなどで「萌え」で和書検索などをしてみると「雨後の筍」のように「萌え(あるいは「もえ」)」とついた書籍がHitします。
とはいえ
「解りづらい話題を「萌え(美少女)」という素材を用いて解りやすく解説する」
というのであれば、それはそれで面白いと思う(実際そういう本を一冊持っています)のですが、中には無理矢理元ネタと萌えの結合を計った結果、
「専門書としても不十分、『萌え』を語るにも不十分な本が出来上がってしまった」
という話も聞きます。(素人考え的な)安易な萌えと他のモノとの結合ははどうしたものかなと思うところだったりします。
結局のところ、最初に書いたことですが
「萌え」の定義も考え方もその好みも個人の信条(心情)次第
という一点に尽きると思います。時代の流れ、個人の嗜好、様々な要素が絡み合って「萌え」は作られるのだと思います。
最後に、余談として個人的な話になりますが、自分の萌えの中で
「カップリング萌え」
の傾向があるのですが、この記事を書く前参考までにと自分が好きなカップリングついてよくよく考えたら、一部の例外を除いて(どのジャンルのものであれ)
「萌えているカップリングの大半が『ツンデレ』(wikipediaより)だった」
という事実に出くわし、それまで(ツンデレとかを)意識していなかったのでかなりびっくりしてしまいました。
リンク: 萌え - Wikipedia.