
全世界で1000万部以上を売り上げた「サピエンス全史」をブログでも紹介したんですが。この”衝撃の書”をスムーズに誤解なく理解するには、サピエンスとホモサピエンスの違いをよーく理解する必要があります。
因みに、皆さんよくご存知の様に、ホモ・サピエンス(H.Sapiens)の起源はアフリカで誕生した”狩猟黒人”です。
ホモ(Homo)=ヒト、サピエンス(Sapiens)=知恵のあると言う意味ですが、ホモ・サピエンス=”知恵のあるヒト”と単純に言う事はできない。
「サピエンス全史」では、ホモ・サピエンスとは旧人以降の”ヒト”を指し、サピエンスとは、知恵を得た我ら”現代人”を指す。
つまり、ホモサピエンスはヒトで、サピエンスは現代人という事でした。
ホモサピエンスとサピエンス
そこで、旧人類(Archaic humans)の旧型ホモ・サピエンスとを区別し、現代人(現生人類)を新型ホモ・サピエンスとみなし、ホモ・サピエンス・サピエンス(H.S.Sapiens)というややこしい言い方をするんですね。
両者ともにホモ・サピエンス(H.Sapiens)なんですが、”ホモサピエンスには新型(現人類)と旧型(旧人類)がある”という事でご理解ください。
という事は、約2万数千年前に絶滅したネアンデルタール人は、ホモ(サピエンス)・ネアンデルタールとなり、旧型のホモ・サピエンスに属する。
一方、クロマニョン人(CroMagnonMan)もこのホモ・サピエンスに属するが、現代型ホモ・サピエンスの祖先として、解剖学的現代人(AnatomicallyModernHuman)と区別し、”新人”と呼ぶ事もある。つまり、旧人類と現人類の中間という事だ。
では、ホモ・サピエンス以外の”ヒト属(ホモ)”はいなかったのか?これが結構いるんですね、12種類ほど存在してたとされる。
歴史教科書によく出てくるジャワ原人や北京原人も、ホモ・エレクトス(H.Erectus)の一種で、それぞれホモエレクトス・エレクトス(H.E.Erectus)、ホモエレクトス・ペキネンシス(H.E.Pekinensis)と言うんですね(ウィキより)。
ヒトって?
”ヒト”属の最古はホモ・エルガステルと言われており、先程のジャワ原人や北京原人のホモ・エレクトスの祖先に当たる。
ただ、ヒトと以下に述べる類人猿(ape)との線引きが非常に曖昧ですが、”直立二足歩行と文明のありなし”で区別するのが主流となる。
遺伝子的には非常に似通ってますが、白人からすれば、少なくとも猿には見られたくないし、猿から見れば、ヒトは二本足で立つ毛のない”パンツを履いた猿”に過ぎないし・・・
「サピエンス全史」で書かれてる”ヒト”ってのは、ヒト属の中でもより大脳が発達した現代人である、新型ホモ・サピエンスの事でしたが、ホモ・サピエンス以外の全ての種は既に絶滅してます。
一方で、肝心の脳の容積で見ると、旧人類のホモサピエンスの脳容積はホモ・エレクトスの900cm³から1300cm³へと大幅に拡大。しかし旧人類の期間に人類の脳容積はピークに達し、それ以降は変わっていない。
という事は、旧人達は生き残る為に思考を巡らし、必死で脳みそを大きくしてきた。でも悲しい事に、現代人が生み出したテクノロジーの為に、ヒトの脳は再び小さくなったのだろうか。
ただ、CPUのサイズとヒトの脳のサイズの歴史が殆ど同じだとは、これも偶然なのだろうか。
サピエンスと現代人
「サピエンス全史」に書かれてる”農業革命”こそが旧型ホモサピエンスの軌跡であり、”言葉による虚構”を生み出した認知革命やテクノロジー革命は、新型のホモサピエンス(サピエンス)の軌跡でした。
こうしてみると、”サピエンス全史”というのは、主に新型のホモサピエンスである我ら”サピエンスの起源”を指すのであり、私達人類以外に文明を築ける程の知能を持った生き物はいないとなる。
勿論、ワニやヘビが私達同様の知能を持ち、独自の文明を築いてれば、”ワニ・サピエンス”とか”ヘビ・サピエンス”とかいう名称で呼ばれてるでしょうが(笑)。
因みに、映画「猿の惑星」に出てくる類人猿”ape”は、ヒト以外のヒト科であるテナガザルや大型類人猿(great ape)、つまり現生では、オランウータンやゴリラ、チンパンジーなどを指しますが。彼らが映画の中の様に原始的でも文明を築く事ができれば、”ホモ”という称号を得るであろうか。
つまり、”サピエンス全史”というのは言い換えれば、”現代人の起源”って事になる。
そういう視点でこの衝撃の書を読めば、農業革命も認知革命も違和感なく、スンナリと理解出来るだろう。
”衝撃の書”のタイトルで、NHKの特番で取り上げられた「サピエンス全史」(2011)ですが。40ヶ国で1000万部を超えるベストセラーの紹介という事で、ご覧になられた人も多いでしょうが。 その中でも、農業革命が我らサピエンスを家畜にしたという真実と、サピエンスが生み出した言葉が虚構を生み出し、その虚構がホモサピエンスを繁殖させたという事実の2つには、後頭部を鈍器で殴られた様な”衝撃”を覚えた。
”私たち現生人類に繋がるホモサピエンスは、20万年前東アフリカに出現した。すでに他の人類種もいたが、なぜか私たちの祖先だけが生き延び食物連鎖の頂点に立ち、文明を築いた。イスラエル人歴史学者、ユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス全史』は、この謎を3つの重要な革命──認知革命・農業革命・科学革命──を軸に解き明かす。
たとえば、サピエンス躍進の起点となった”認知革命”はおよそ7万年前に起きた。お陰でサピエンスは柔軟な”言語”をもって集団で行動できるようになり、先行する他の人類種や獰猛な動物たちを追い払った。
この認知革命によって獲得した”虚構=架空を語る能力”は神話を生み、大勢で協力する事を可能にした。後に国家、法律、貨幣、宗教といった想像上の秩序という名の”虚構”が成立する”
農業革命と科学革命と負のテクノロジーと
この「サピエンス全史」の著者ハラリ氏が啓示する2つの懸念。つまり、農業革命が生み出した”贅沢の罠”と、我らサピエンスが生み出した科学革命である”テクノロジーの逆効果”と。
”農業革命”が生み出した”贅沢の罠”に関しては、大体において想像がつきそうですが。その農業革命によって得た穀物を主食にする事で、より急速に繁殖&繁栄し、知恵を授かったサピエンスが生み出すテクノロジー。
その科学革命こそが、ヒトから幸せを奪ってしまうとは、非常にユニークにも皮肉にも、そして衝撃的にも映る。確かに、核も戦争も人類が産み出した負のテクノロジーとも言えますもんね。
そういう私もテクノロジーはアテにしないし、アテにもならない。人類を幸福にするとはとても思えないし、便利な世の中が幸せな社会だとは思えない。事実、キャッシュレスだから誰でもハッピーだとはとても思えない。
私はテクノロジーよりも思考こそが、我らサピエンスを幸せにする鍵だと思う。それも自然科学系思考ではなく、数学的思考こそが人類に希望を与える暁光だと考える。好き勝手な事言ってますが(笑)、最後まで読んで頂ければ、満更ではない事が理解できるかと。
確かに最先端の自然科学系テクノロジーは、明らかに目に見える形で人類社会に浸透し、寄与し、様々な恩恵をもたらしたとは思う。
ネットワーク、スマホ、コンピュータ、AI家電、等など、今やなくてはならないものばかりだ。
認知革命と言葉とサピエンスの繁殖と
そして第三のテーマ(認知革命)の言葉によるサピエンスの繁殖である。
判りやすく言えば、サピエンスは言葉を発見し、言葉を使い、フェイクを語り、そのフェイクを使って、集団を効率よく統一&統率&統制し、他のヒト類を次々と駆逐していった。
その虚構(フェイク)は人類社会を支える全てに充填&充満し、国民やお金は勿論、人権も法律も正義も、そして会社も資本主義社会の要である貨幣をも”虚構”だと、著者は述べる。
この”虚構(フェイク)”こそが実世界に入り組み、サピエンスだけが繁殖し、文明を築き、現代社会を確立させた。丁度、架空の数字に過ぎなかった虚数が実数に入り組む事で複素数となり、その複素数が現代数学を大きく飛躍させた様にだ。
故に、ハラリ氏が主張するこの”虚構(フェイク)”がなかったら、我らサピエンスは言葉を喋り、コミニュケするだけの細々とした農耕族のまま死滅してたであろうか?
と同様に虚数がなかったら、我ら高度な知能を持つサピエンスが生み出した数学は、数論のみを扱う学問として葬り去られてたであろうか?
この虚構と虚数の2つの発見こそが、サピエンスが産み出した”認識”だとすれば、これ以上の(認識)革命がどこにあろう。
”農業革命”で窮地に追い込まれた我らサピエンスを救った虚構(フェイク)という”詐欺”こそが、著者が唱える認識革命だったとは。
まさに”衝撃の書”のタイトルにふさわしい番組でもあった。元旦からNHKは気合入ってますね。
”私たちが直面している真の疑問は、「私たちは何になりたいのか」ではなく、「私たちは何を望みたいのか」なのかもしれない”
この”衝撃の書”は今読まれるべき本である。いや、今読むべき本である。
本を書こうと思うだけで、凄いと思う。
勿論書いた本が売れるか売れないかは、様々な要素が絡んでくるので、こればかりはどうしようもないが。
私達素人が自由気ままにブログを書く様に、本を出版できる様になればとも思うが。