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象が転んだ

たかがブロク、されどブロク

数学者は投資家には向かない〜まぐれ(偶然)が理解できない投資家の愚かさ(その4)

2025年06月01日 16時06分12秒 | 読書

 前回「その3」では、「まぐれ~投資家はなぜ運を実力と勘違いするのか」(ナシーム・N・タレブ著、望月衛訳)の第1章”金持ちなのに頭が悪いのはどうしてだ”というテーマで、成り金の殆どが”単に運がいだけの大バカ”との結論でした。
 前回から少し間が空いたので、簡単に振り返る事にする。著者のタレブ氏は、数学者のネロと無学のジョンの2人のトレーダーを例に取り、ジョンがまぐれ当りしたハイフィールド債はオッズで決まるが故に、稀な事象が起きる確率を数理モデル計算する必要があった。
 一方で、確率論を理解するネロはそういうやり方を否定し、ハイフィールド債市場では”長い間儲けたお金をほんの数時間で失う世界だ”と踏んでいた。事実、自身の経験でそんな光景を何度も目の当りにし、7年間で2億5千万ドルを荒稼ぎしたジョンだったが、ほんの数日で6億ドルを失う羽目になる。つまり、ジョンはランダム性の構造と市場のサイクルのあり方を見誤っていたのだ。
 一方でネロは、”リスクを意識し規律を保ち、一所懸命働けば気持ちよく人生を送れる”と信じている。それ以外は偶然の産物で、膨大なリスクをとるか、運がいいかのどちらかである。確かに、中途な成功は能力と努力で説明がつくが、とても大きな成功は不確実性のバラツキが原因とも言える。

 タレブ氏は、”大当たりしたバカ”を猿社会のリーダーに擬えた。例えば、猿にセロトニンを大量投与すると序列が上がり、リーダーとなるが、好循環が終わり悪循環が始まると序列が下がり、セロトニンも減り、序列を下げる様な行動を起こす。これは、歴史上の独裁者に共通した症状であるが、ヒトラーもナチス帝国の頂点に押し上げた彼の病的なカリスマ性はツキが堕ちるまで続く。
 本書の第1章の最後では、リスクを取る人と取らない人の比較を挙げ、前者は安定した人生を送れるが、極端な幸運にも不運にも遭遇しない。事実、歯医者は(平均で言えば)一時の大成功を収めた投機家や起業家よりもずっと金持ちで地位も生活も安定している。
 例えば、同じ界隈に住むAとBのうち、守衛をしてるAは宝くじに当たり、金持ちの界隈に引っ越し、一方でAの隣に住むBは歯医者で過去30年間、毎日人の歯を削り続け、質素な生活を送っている。
 確率で言えば、Aが100万回人生をやり直しても殆どは守衛をし、お金を宝くじに注ぎ込むだけの虚しい生活で終わるだろう。そして、100万回の人生で僅か1回だけ宝くじに大当たりする。一方、Bは歯学部を出てからの人生を数千回やり直しても、結果は狭い範囲に収まる筈だ。良くて金持ちの歯を削る人生か、悪くて貧しい地区で器用な手先の技を披露する人生か。いい大学の歯学部を出てれば、その範囲はもっと狭まるだろう。

 以上は、観察された結果と観察されないがあり得た結果の両方を考慮したが、確率とはこれから先に起こる事であり、結果が判った過去の話ではない。既に起きた事の確率は100%で、つまり確実である。
 故に、過去から未来を予測するには見えない過去を考慮し、確率を再計算する必要がある。
 という事で、前置きが長くなりましたが、先へと進みます。


見えなかった過去と違った歴史

 この第2章では、”奇妙な会計方法”というテーマで、起こり得なかった歴史の視点から確率論的世界観を説明し、知的欺瞞やランダム性に関するタレブ氏の見解が述べられている。
 特に、ロシアン・ルーレットを例に挙げ、稀な現象が起きた事がどんなに恐ろしい意味を持つか?を人は理解できない場合を描く。だが、こうしたタレブ氏の考え方は現代の科学を持ってしても追求されてないようだ。

 中世ヨーロッパの偉大なる数学者ベルヌーイも語った様に、どんな分野(戦争・政治・製薬・投資など)でも”結果だけで成績を測るべきではない”。つまり、歴史が違う道を辿ってた場合のあり得た他の可能性のコストで測るべきである。
 従って、結果だけで人や判断の質を評価する事は出来ない。だが、そんな事を言うのは失敗した人だけで、勇気ある敗者は”判断は間違ってなかった”と付け加えるだろうが、周りはそんな言い訳を相手にしない。それに、成功した人(=大バカ)は”自分の判断のお陰だ”と胸を張る筈だ。

 では、どうやってこの(敗者の言い訳にも思える)事を説明できるのか?
 ”違った歴史”は、1000万ドルの賞金を賭けたロシアン・ルーレットに例える事が出来る。つまり、回転式銃の6発のうち1発だけ弾を込め、こめかみに向けて引き金を引く。出る結果をそれぞれ1回分の歴史と見れば、ありうる歴史は6通りあり、それぞれ起きる可能性は同じである。
 結果、歴史の6回中5回ではお金持ちになれるが、残る1回では死亡記事という統計データとして残る。
 そこで問題は、そうした6通りの歴史のうち観察されるのは1回だけという事。例えば、1000万ドルを勝ち得た人は愚鈍で俗物好きなメディアから称賛されるが、彼らは乱数を作り出すジェネレータの仕組みも理解せず、富があるという外見だけに目をつける。
 つまり、ロシアン・ルーレットにたまたま勝った人が成功のお手本になってるとしたら・・これこそが笑えない馬鹿げた話である。
 仮に、この様な勇気があるだけの25歳のバカが、年に1回だけロシアン・ルーレットをやり続けるとして、50歳まで生き延びる可能性は、(5/6)²⁵=0.0104826…とかなり低い。だが、こんな命知らずの大バカが数千人もいれば、もの凄くお金持ちの奇跡的に運のいい奴が数十人は輩出するだろう。大成功とはそういうもんである。

 実はタレブ少年は、このロシアン・ルーレットのお陰でレバノン内戦中に友達を一人失った。また、英国の著名な小説家グレアム・グリーンがロシアン・ルーレットを試した事を知り、文学に目覚めたが、子供の頃のグレアムは退屈しのぎに、このゲームをやったそうだ。1/6の確率で彼の小説が読めなかった事を思うと、タレブ少年は身震いしたという。
 以上のロシアン・ルーレットの例から”奇妙な会計方法”の意味が理解できたと思うが、この賭けで得た1000万ドルの価値は、歯医者が真面目に技術で稼いだ1000万ドルと同じではない。勿論、同じモノが買えるという点では同じだが、一方はもう一方よりも遥かに偶然に頼っている。だが、会計士にとっては同じだろうし、世間も同じとみなすだろう。
 つまり、この違った会計方法を拡張すると、(第3章で登場する)モンテカルロ・エンジンで説明出来る様に、ランダムさの資産価値において数学的な定式化が可能になる。故に、”違った歴史”を調べるのに実際に計算する必要はないし、数学は単なる数字遊びではなく考える手段の1つに過ぎない。

 
確実と不確実性と”黒い白鳥”問題

 様々な学問では思想や扱う歴史は異なるが、どの学問も”リスクと不確実性”という問題を扱う。例えば、確実性とは色んな違った歴史の中でその事象が発生する場合の数が一番多い事で、一方で不確実性とはそれぞれの事象が実現する場合の数がとても少ない事である。
 まず哲学では、ライプニッツの「可能世界」という考え方に始まり、神の御心には無限のあり得る世界があり、神はその中から1つを選び、”選ばれなかった世界は可能性の世界”となる。哲学者は更に、”ある性質が全てのあり得る世界に渡って成立するか?ありうる世界の1つで成立するか?”を考える。これを「可能世界意味論」と呼ぶ。
 一方、物理学では量子力学を多世界の観点から解釈する立場で、”世界は沢山のあり得る世界に枝分かれし、それぞれの世界がそれぞれの可能性に対応するが、その様な平行世界が増殖し、その平行線の1つが現実の世界”となる。
 最後に、無知な経済学者が不確実性を調べる時、「状態空間法」と呼ぶのを使うが、この方法は新古典派経済理論や数理ファイナンスの基礎になり、それを単純化したのが”シナリオ分析”である。例えば、製品に対する様々な世界の状態と需要を一連の”仮に・・だったら”の形で使う。

 しかし現実は、ロシアン・ルーレットよりもずっとタチが悪い。まず、運命の銃弾に当って死ぬ事はもっと稀である。拳銃の弾倉が6個ではなく何千もある様なもんで、人は何十回か引き金を引くと、弾丸が1つ入ってるのをすっかり忘れ、いつも安全だという錯覚に陥るが、タレブ氏はそれを”黒い白鳥問題”と呼ぶ。
 (第7章で)多くの哲学者を眠れない程に悩ませた”帰納の問題”と絡めて扱うが、”黒い白鳥問題”は歴史の軽視にも関係する。それは、ギャンブラーや投資家らが他の人に不幸が振りかかったとても、自分もそんな目に遭うとは限らないと決めて掛かる事によく似ている。
 更に、ロシアン・ルーレットは明確なルールがあり、四則演算が出来る人なら誰でもリスクを理解できるが、現実の拳銃は弾倉が見えない。つまり、ランダムな乱数を作り出すジェネレータが肉眼で観察できる事は不可能に近い。が故に、誰もが”リスクが低く”見える筈のロシアン・ルーレットに手を染めてしまう。
 つまり私達は、結果として得られる富は見えるが、富が得られる過程は見えない。故に、リスクを忘れ、失敗例には全く振れず、単純なゲームの様に思え、いい加減にやってしまう。
 確率に強い科学者でさえ、現実のランダムな世界では意味のあるオッズを計算できないし、彼らの知識は現実の弾倉が見えてる時にしか使えない。また、その弾倉について私達は何にも判ってはいないのだ。

 一方で、起きなかった事はその定義により抽象的となるが、その抽象的な事で人を諌めても殆どが感謝されない。
 例えば、投資家を稀な事象から守る仕事をやってるとする。彼らが痛い思いをしない様に保険を掛けてやるのだが、投資家の中には”起きない事に保険を掛けて無駄使いをした”と文句を言う奴がいる。一方で数は少ないが”事件は起きなかったけど、守ってくれて有難う”と感謝を述べる投資家もいる。
 日頃、ランダム性にどれだけ抵抗してるかは、非常に重要かつ抽象的なアイデアだが、直感は理屈に反する。更に、ランダムさがもたらす結果が観察できないからにややこしい。
 だが、物事を判断する時のタレブ氏は、自然と確率論的になる。つまり、可能性として何が起こりうるか?との発想に基づき、観測された事実にては、ある種の心構えや覚悟を持つ。
 

科学者はトレーダーには向かない?

 例えば、もともと知的好奇心が強く物事を深く考える事を好む人に、”見えない弾倉”の先を見ようとする人が多い気がする。彼らの中には(前述の)ネロの様に狭く限られた問題に集中し続ける事に限界を感じ、科学者からトレーダーの道を選択したインテリもいる。
 ただ、抽象的な事を好む純粋数学者と好奇心で一杯の科学者の気性には明確な違いがあり、前者は自分の頭の中で起きる事を研究し、後者は頭の外で起きる事を研究する。
 つまり、人は両極端に挟まれた領域に分布する。偶然を絶対に理解しない人と偶然に振り回される人で、1980年代のウォール街のトレーダーにはビジネスマン系の思考が浅く頭の弱い連中ばかりで、自死率はとても高く、ハエみたいにパタパタと落ちていった。
 そのうち手の込んだ金融商品が登場してきたが、彼らには難しすぎた。同時期多くいたタレブ世代のMBAでも、彼と同様のリスクを取るトレーダーは多くはいない。

 90年代になり、金融商品が急激に発達すると、ウォール街では科学者が引っ張りだこになり、あらゆる人種の理数系学者がJFK空港に降り立つ。彼らはMBAの半値で手に入ったが、自分を売り込む方法を知らなかった。だが、彼らが失敗に終わる比率はMBAよりか少しはマシな方だが、複雑な数式に関してはともかく、現実的な事には少しも賢くなかった。つまり、数学は読めても数学の精神は解っていない。
 これは(第11章で登場する)”二重思考”の問題で、1つは無意識的並列処理可能な情緒的直感の人格的なシステムで、2つ目は努力しないと使えない演繹的で順次処理の遅く非社交的で抽象的で非社交的かつ非人格的なシステムである。例えば、チェスを学ぶのは後者だが、直感(前者)がないと実践では殆ど使い物にならない。

 ここで、タレブ氏がトレーダーの頃にお世話になった好対照な2人のボスを紹介する。1人目のケニーは郊外に住む典型のマイホームパパで、外面のいい出世街道一直線の慎重なビジネスマンだが、タレブに言わせると”時限爆弾”そのもので、業界を離れた後は彼もその部下たちも誰も生き残ってはいない。
 2人目はパトリスで、ケニーとは異なり気分屋だが、とてもアグレッシブな女好きのフランス人で、常にジェネレーターが弾き出す乱数だけに集中し、結果を気にしないだけの根性を持っていた。ソロンみたいに賢く、ランダム性をも深く理解してたが、エリートでもなく、起こりうるリスクに四六時中取り憑かれていた。”リスクの先を考え、ランダム性の研究をもっと進めよ”と教えてくれたのも彼だったが、科学に大きな敬意を払ってもいた。
 事実、”結果を出す”事に血眼になってる人に、実際に起きた過去ではなく”起きなかった過去を問題にせよ”と言っても無駄だろうが、市場の墓場は”結果志向”の人種が殆どである。ケニーとパトリスのどちらが市場で成功したかは言うまでもないが、少なくともビジネスマン風のアホな人種には気をつけるべきだ。


現実主義と確率論的懐疑主義

 確かに現実は残酷だが、確率論的懐疑主義はもっと残酷だ。それは、確率論者の周りには偶然に騙されてる人ばかりだからだ。
 歴史上の英雄の分析には頭を傾げるが、ハンニバルやヒトラーと同じ位のバカな将軍たちが戦争に勝ち、歴史家に褒め称えられてるのはなぜか?アレクサンダーやカエサルは目に見える歴史では勝ったが、目に見えない歴史では負けていた事もありうるのを説明するのは難しい。
 つまり、彼らは大きなリスクをとり、たまたま勝っただけの事であり、同じ事は他の(歴史に埋もれた)数千人についても言えるが、後者の方が賢く勇敢で時には高潔であったかも知れないのだ。
 「イーリアス」の著者のソロンは英雄を結果では評価していない。事実、英雄は戦争に勝ったり負けたりするが、それは勇敢さとは全く関係なく、彼らの運命は全て外的な要因で決まる。つまり、英雄が英雄であるのは彼らが英雄的な行動をするからで、勝ったり負けたりするからではない。

 この事は、メディアが判った事をペラペラと喋りまくる様な無能で浅学なコメンテーターを持ち上げるのとよく似ている。例えば、ベストセラー「投機バブル~根拠なき熱狂」の著者であるロバート・シラーに”貴方の予言が正しければ、何故株式市場は2倍にも膨れ上がったのか?”と、そのコメンテーターはケチを付けた。彼は”1回相場を読み誤ったくらいで・・”と言い返すのが精一杯だった。
 だがシラーはノーベル経済学賞をも獲得した偉大な科学者であり、ペテンな預言者でも相場を語るピン芸人でもない。それに彼は間違った事は言っていない。短期的には偶然のランダムさは猛威を振るうのである。故に、タレブ氏なら”株式市場はまだ始まったばかりだ。お前らアホでも、いずれ解るさ”と胸を張った事だろう。
 事実、そうしたメディアの無知を、我々は現代の世界に蔓延する(構造が)複雑なランダム性を理解できる様には出来ていないと指摘するが、我らがランダム性に騙されるのは、予測(偶然)と予言(必然)の区別すら理解しないからだ。
 勿論、人前で何かを討論する時は最大限単純化する必要があるが、ランダムさの科学は複雑過ぎて単純化出来ない。そこを無能なメディアは履き違えるが、MBAの連中でさえ明快さと単純が必要だと教えられている。が故に、彼らは物事を単純化し過ぎて、”吹き飛び”易い人種となる。

 例えば、保険の掛け方だが、人は抽象的な事に対し保険を掛けるのを嫌い、生々しい具体的なリスクに保険を掛ける傾向にある。
 これは心理学で証明されてる様に、一般の死亡保険よりもテロで死ぬ保険の方が高い値がつくし、アメリカのどこかで壊滅的洪水が発生する可能性よりも、カリフォルニアで地震があり壊滅的洪水が発生する可能性が高いと判断したがるのと同じ心理である。
 つまり、リスクや確率となると、人間の脳は表面的なものに飛びつくが、メディアが陥り易い欠点もそこにあり、感情的な事や簡単に判る事に引っかかる。もっと深刻な科学的事実は、リスクに関する活動を掌るのが脳の考える部分ではなく感じる部分である事にある。
 故に、リスクを避けようとする時、人は感覚や直感で判断する。一方、合理的判断が役割を果たすのは、自分の行動に理由を付けて正当化する時、つまり結果論と言い訳である。


リスクマネージャーが呼び込むリスク

 「その1」でも書いたが、メディアが騒ぐのは感情的になる部分であり、こうした煽り方は大衆の関心を誤った方向に向け、更に市場のポラリティ(価格変動)もメディアの論調により左右される。つまり、世界はどんどん複雑になり、私達は単純化されたものばかりに接する様になる。
 ”常識とは18歳までに詰め込んだ偏見の集りである”とのアインシュタインの言葉にある様に、借り物の単純な知恵は恐ろしく有害で、深い考察と鋭い直感で得た複雑な知恵は我らが思う以上に有益である。
 確かに、1905年当時の記者に”人が移動してる時は時間の進み方が遅くなる”と説明してみれば、いや”この世には時間が存在しない場所がある”と言えばいい。或いは、大成功を収めた伝説トレーダーに”単なる危ういバカ”な事を証明すれば、多くは相手にされないだろう。
 事実、科学的に証明された賢いアイデアの殆どは、最初に発見された時は”狂気の沙汰だ”と思われていた。

 昨今の企業や金融機関は、リスクマネージャーという奇妙な肩書を作ったが、ロシアン・ルーレットに入れ込み過ぎてないかを監視する仕事で、ジェネレーター、つまり利益や損失をもたらすルーレット盤を見張る役だ。
 確かに、リスクマネージャーはトレーダーよりも(確率論的にだが)お金が稼げるし、10年間生き残る確率もほぼ100%と数%と自死率も極端に低い。更に、売り買いするだけのトレーダーより知的で、研究と実践を統合できる点で魅力ある仕事ではある。それに、ストレスによる有害なホルモンがトレーダー程には含まれない。
 しかしタレブ氏は、リスクマネージャーの仕事に疑問を感じている。事実、現実のジェネレーターは観測できないし、彼らに出来るのは、儲かってるトレーダーにリスクをとるのを辞めさせ、貴重な儲けの機会をみすみす逃し、株主から叩かれる事くらいだろう。その一方で、誰かが吹き飛べばその責任を取らされる。
 そうなれば、ひたすら自分の責任を回避する為に社内政治に精を出す。彼らの仕事は偽陽性と偽陰性の2種類の誤りに板挟みになった医者とよく似ている。つまり、間違いがある程度許された世界で、自分らの存在意義を見出す必要がある。

 特に金融機関で言えば、リスクマネージャーがいても、リスクが減ったとの印象は受けるが、実際にはそれ程リスクが減る訳でもない。
 現代の哲学と心理学では、原因と結果について人が錯覚するのはどんな時か?を随伴現象として研究する。つまり、羅針盤が船を動かすのか?或いは、リスクを監視すればリスクは減るのか?それとも、やるべき事をやってるという自己満足なだけか?つまり、管理してるという錯覚を持つのは有害なのだろうか?
 タレブ氏はこの答えとして、金融市場のランダム性を相手に仕事をする事の矛盾を指摘する。定義とは逆の流れの動きをするから彼のやり方は人気がないし、理解される事もない。
 一方で、現実の世界で他人と一緒に仕事をしている。また、メディアの様にバブバブ言うだけでは何の意味もなさないし、彼らはどうでもいい存在だが、メディア同様に(素人も含め)多くの投資家がランダム性に騙され続けてほしいと願う。でないと、彼らを相手に取引できないからだ。
 でも、彼のやり方を高く評価し、雇ってくれる人がほんの一握りだが必要である。言い換えれば、他人がランダム性に騙され続る事でタレブ氏は大きな利益を得てる。
 そんなタレブ氏だが、”最大のリスクは成功する事だ”と語る。つまり、成功すれば仕事はなくなるからだ。事実、彼は予期しない稀な現象(ブラックスワン)を引き当てた事で、トレーダーや投資屋の世界から身を引き、研究者や作家に活躍の場を移している。

 以上が第2章の大まかな纏めである。次回は、第3章(歴史を数学的に考える)と第4章(理系のインテリ)について紹介したいと思います。  

 


6 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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ロシアンルーレット (paulkuroneko)
2025-06-02 18:47:32
中央競馬における単勝1番の勝率は30%程で、単勝オッズ1倍台の馬でも勝つ確率は50%強程とされてますが
もちろんロシアンルーレットで死ぬ確率よりもずっと高いのですが、30%の確率を信じて、年に1回G1の単勝1番に10年間賭け続けても、0.3^10=0.0000059…でほぼゼロ。
また単勝オッズ1倍で10年賭け続けでも、0.5^10=0.0009…とほぼ同様です。
人が思うように
確率と賭け事は単純じゃないんですよね。 
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paulさん (象が転んだ)
2025-06-02 20:42:26
人は目に見えるものしか信じませんから
こうした誤解や誤謬を生みます。
タレブ氏が言う通り、目に見えない歴史を考察しない限り、投資もギャンブルも大損に終わる事は歴史が証明してますね。

ロバート・シラーの「根拠なき熱狂」はこれを見事なまでに具現化してると思います。
コメ価格も今は高騰してますが、いつ暴落するか?タレブ氏に予測してほしいもんですね。
いつもコメント有り難うです。
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アニマルスピリット (HooRoo)
2025-06-04 13:14:44
って本をチラッと読んだことある

ヒトは追い詰められると
動物的な衝動や野心で物事を判断するから
盲目になりがちだけど
逆にそんな身勝手で非合理的な判断が
市場を大きく左右する
なーんてこと書いてあったのかな

もうすっかり忘れてしまって
できたら簡単なレヴューでもいいから
記事にしてほしいと言ったら
やっぱり失礼ですわよね 
返信する
Hooさん (象が転んだ)
2025-06-04 14:40:59
AIによればですが(笑)
アニマルスピリッツを取り入れたマクロ経済において、人間の心理が世界金融危機に与えた影響を分析した本となるのでしょうが
それこそが不道徳な見えざる手となるんでしょうね。

アダム・スミスの”市場の見えざる手”を真っ向から否定したものが、アニマルスピリットとすれば
結局、市場は投資家の動物的意欲で動くって事でしょうが、そのランダムに揺れ動く市場を”カモ釣り”に喩えた「不道徳な見えざる手」では、それを上手く表現してる様に思います。

アニマルスピリットに関しては、多くのサイトで様々に語られてますから、斬新さも新鮮味も感じないのですが
「根拠なき熱狂」の方が衝撃的に映るので、レビューを書くとすれば、こっちかな・・
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根拠なき熱狂 (腹打て)
2025-06-05 13:33:01
偶然か?必然か?
この本(原著)が出された直後にITバブルがアメリカを襲った。
熱狂過ぎた投機バブルが弾けたのだ。
経済や市場は生き物で、バブル的に膨らんだものを潰そうとする自浄作用が存在するようだ。
シラー教授の言葉に<株価は本質的に株を売買する何百万もの投資家の心の中で形成される。故に株価決定には厳密な科学など何も必要としない>とあるが、言い得て妙だと感じた。 
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腹打てサン (象が転んだ)
2025-06-05 18:18:43
結局、株価も人の心理で揺れ動き、株式市場は欲や思惑に左右される。
歴史が繰り返されるのも、人の欲や心理に”見えざる”パターンがあるのかもしれません。

著者のシラー氏は、株式市場の動向が経済理論ではなく、投資家の心理による事を主張しました。
こうした株関連の著物は今も昔も数多く出版されてますが、その殆どは正解も間違いもないし、あるのは結果論だけの様な気もします。
それに、翻訳者が過去に痴漢行為で逮捕された植草氏ですから、株式市場と同様に人生何が起こるかは、複雑な科学よりも人の単純な行動心理によって説明がつくのかもです。
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