従軍記者でもあったアーネスト・ヘミングウェイの有名な言葉に、”勇気とは困難な中での気高さだ”というのがある。
事実、彼は砲弾で命を落としかけながらも負傷した兵士を背負って生還し、一躍”勇気ある者”として名を馳せた。
若い時、そんな言葉を聞いたら、さぞかし胸が踊った事だろう。
まるで、三島由紀夫の「剣」に出てくる”生への覚悟”を思い出させる。
生きる覚悟
”彼は強さを身につけ、正義を一身に浴びたいと思った。そんな事を考えてるのは世界中で自分一人の様に思えた。そしてそれは素晴らしく斬新な思想でもあった”という「剣」の主人公・国分次郎の生き方の覚悟でもある。
事実、沢木耕太郎氏も高校時代に、”強く正しい者になるか、自殺するか”という学生剣士の斬新な正義感に鋭く感応している。
しかし、次郎は後輩のウソを信じ込み、あっさりと自殺する。今から読み直してみれば、この唐突な死は困惑以外の何物でもない。
沢木氏は、若い頃には大きな意味を持った筈の「剣」が、今や何の必然も感動もない事に気付く。
実は、私も沢木氏と同様な感性の持ち主であろうか。三島由紀夫の自決にはどうも心が揺れ動かないのだ。
故に悲しいかな、今や”勇気”とか”生きる覚悟”とか、そんな言葉を聴いても心に響くどころか何も跳ね返ってこない。
確かに、ヘミングウェイの時代はまだ、何とか勇気とか正義とか気高さが信じられた時代だった。裏切られたとしても、何かを信じれた時代。
しかし、2つの世界大戦が全てをふっ飛ばしたように思う。戦争の前では、正義も気高さも勇気も、全ては無力だったのだ。
そして今や、不正や差別や殺戮が大金になる時代に、勇気や気高さと叫んでも、何を感じ取れというのか?そんな言葉が何の支えになるというのか?
事実、”橋のふもとにいた老人”がスペイン内戦での戦場で見たものは、困難の中で感じ取った気高さや勇気ではなく、単なる虚しさだけだったのかも知れない。
ヘミングウェイの気高さ
私に気高さあるか?といえば、勿論ない。
女は買うし、クラブに行けば触りたがるし、呑んで暴れてホステスを殴った事もある。運良く、警察沙汰にはならなかったのは幸いだったが。
その上、知能の低い奴を見ればエリートでも見下すし、数学ができない政治家はバカか無能だと決めつける。
母の遺伝を受け継いでるせいか、「差別は高くつく」でも書いた様に、”隠れ”人種差別主義者でもある。ヘンリー王子やメーガンほどには腐っちゃいないが、それに近い人種かも知れない。
ヘミングウェイはジャーナリストとしても一流だとされるが、沢木耕太郎氏によれば必ずしもそうでないらしい。
例えば、スペイン戦争を取材し打電したリポートを、僅か4ページの短編小説にした「橋のふもとの老人」(Old Man at the Bridge、1938)がある。
因みに、沢木氏は「橋にいた老人」と訳してます。そこで私めはその中間をとり、「橋のふもとにいた老人」とします。というのも、”at”の中に”独りポツンと座ってる”というイメージを強く持つからです。
この「橋のふもとにいた老人」は、ヘミングウェイが約8ヶ月という長期に渡ってスペインに滞在し、1936年に勃発した内戦を追いかけていた頃の作品です。
39年初頭にバルセロナが陥落し、内戦が終わると、ヘミングウェイはキューバに戻り、執筆に注力する。スタインベックが絶賛した「蝶々と戦車」もこの時期の短編で、他にも38~39年に掛けてスペインでの体験を元にした小説を書いた。
そのハイライトは、長編の「誰がために鐘は鳴る」で43年に映画化された。当時のヘミングウェイの妻マーサ・ゲルボーンは、戦時特派員として活躍した筋金入りの行動派女性で、互いの激しい野心が衝突した為か、僅か5年で破局する。
つまり、ヘミングウェイにとっても「橋のふもとにいた老人」と同様に、自分を見失いそうな時代だったのである。
実は、このスペイン戦争に関するヘミングウェイのリポートには、賞賛と批判の両極端がある。
「誰が為に鐘はなる」に匹敵すると絶賛する批評家もいるし、ヘミングウェイ伝の著者であるカーロス・ベイカーが認めてる様に、正確さの欠如や過度の自己劇化や表現の単調さという面から見ても、他の優れたリポーター達に比べ、かなり質が落ちるとの酷評もある。
しかし沢木耕太郎氏は、ヘミングウェイの眼が本質的に”掘り進む”というより、”切り取る”事に長けてる為だと分析する。
つまり、その眼力がどれだけ鋭く鮮やかに切り取れるか。しかし同時に、状況の混沌を嫌い、情景から不純物を取り除く作業でもあった。
この”切り取る眼”が色濃く発揮されてるのが「橋のふもとにいた老人」である。
「橋のふもとにいた老人」~Old Man at the Bridge
この短編に描かれてるのは、戦場からの逃避行を続ける薄汚い老人の、物憂げな悲しい情景である。
その老人が放心した様な表情で呟くのは、後に残してきた動物たちの事である。
ヤギが2匹、鳩が4匹、猫が1匹。これが老人の家族の全てだった。”あいつらはどうなってしまうのだろう・・・”
そう呟く老人に、<私>は何もどうする事もできない。
”空が低く垂れ、一面曇った灰色の日だったので、敵機は飛んでこなかった。その事と猫が自分で自分の始末を出来る事だけが、その老人の持ち得る幸運の全てであった”
この文章は恐ろしく鋭く、そして凍り付くように鮮やかである。
ヘミングウェイは、戦争とそれに巻き込まれる庶民の姿を一筆で描き、心に深く食入って行く。これこそがヘミングウェイの勇気であり、気高さであろうか。
しかしそこに描かれてるのは、”戦争というもの”であり”スペイン戦争というもの”ではない。少なくとも切迫した状況下にあるスペインについてではない。
ヘミングウェイが描いたのは、切り取られた1つの情景であり、それに時に耐えうる生命力を与え、偉大なる短編小説に仕立て上げたとも言える。
反ファシズムの立場で政府軍を熱心に支援したヘミングウェイが、ジャーナリストとは異なる作家らしい視点から戦争の実態を描き出す。それまで個人主義であったヘミングウェイが突然、積極的に戦争にコミット(同調)したのは何故だろうか?
それこそが、ヘミングウェイが自らが切り取った、独り寂しく佇む”橋のふもとにいた老人”でありたかったのかもしれない。
戦わざるを得ない人を前にして、何も言えなくなったのかな、と。
映画『アラビアのロレンス』で、正統カリフ家の王子ファイサルが「あなたがたは、不毛の沙漠に夢を見る。我々は、水と緑に溢れる庭園しか夢に見ない」と言い放ったときのように。
傭兵で居続ければ良かったのか。
ヘミングウェイの孫娘が主演を務めた『リップスティック』ってB級映画が観たくなりました。
従軍と言っても、記者であり兵士じゃないので国の為に戦うわけじゃない。
しかし、戦争の全てを記事には出来る筈もないし、沢木耕太郎氏がいう様に、ごく一部の光景を抜き取り、生命を吹き込む力が小説家ヘミングウエイは卓越してました。
そういう意味では従軍カメラマンと一線をおいたキャパにも通じるものがあると思います。
ただ言われる様に、従軍記者を続ける内に傭兵にコミットした部分がないとも言えませんね。
久しぶりに『インディアンキャンプ』、読み返してみましたよ。転象さんは、あの謎をどう解くのかな、と。
私は、きっと明確な答えをヘミングウェイは提示してくれていると思っているので、子どもだった前世紀から20年以上も、謎解きし続けています。
インディアンキャンプ論争ですが、凄い話題になってそうです。読んだ事はないですが、噂ではインディアンのお腹の子は医師の弟の子らしく、それで妊婦の夫が自殺したと。
逆算すればそうですが、単なる偶然の可能性もあるので、必然か偶然かその他で意見は別れるんでしょうか。でも実際に全てを読んでみないとわからないですね。