象が転んだ

たかがブロク、されどブロク

ポアンカレ予想の奇悲劇”その6”〜サーストンの脅しに屈しなかった、ペレルマンの勇気と気高さと

2021年03月23日 05時25分12秒 | 数学のお話

 昨年末(12/30)以来のポアンカレ予想ですが、少し間が空きすぎたので、ザクッとですが振り返ります。
 前回”その5”の冒頭でも書いてますが。何度も登場するペレルマンの発見の核となるハミルトンのリッチフローとは、”多様体のどの点でも曲率に逆比例した速度で連続的に変化する”多様体の発展を記述します。
 つまりこの事は、”変形される物体が定曲率の状態を見つける”事を可能にし、かつ多様体が幾つかの成分に分割される事も許します。
 そこでハミルトンは、”曲率が正”という条件の元で、多様体の基本要素がサーストンが予想(仮定)した8つの形しか取り得ない事を証明しました。
 ただ、このサーストン予想は、”3次元多様体が基本要素に分解できる”(基本要素が決まれば多様体の形が決まる)という「サーストンの命題」とは異なり、ポアンカレ予想よりもずっと野心的な”脅し”に近い企てでした。
 つまり、ポアンカレ予想は単に”多様体が球と同値”である事ですから、そういう意味でもハミルトンの証明は、あくまでサーストンの仮定の上で成り立つ為に不完全だったんですね。
 故に、過去の数学者の挑戦はみなサーストン予想の分厚い壁の前で弾かれます。ポアンカレの前にサーストンの脅しが待ち構えてたんですね。しかし、その脅しにペレルマンは屈しませんでした。


ペレルマンの勇気と気高さ

 そこで、ペレルマンがポアンカレ予想を証明する為に、特別な2つの道具を用意します。
 それこそが放物型リスケーリングと、統計物理学で使うエントロピー(計量)でした。
 ポアンカレ予想は”弱いサーストン予想”とも言えますから、ペレルマンがサーストンの予想を回避したのは大正解でした。
 言い換えれば、ペレルマンはサーストンの野心(脅し)の背後に回り、”葉巻型特異点てもんは実は存在しないのさ”との大胆な仮定をし、それを見事に証明します。
 そして、ハミルトンを終生悩ませ続けてきた曲率が負の他の特異点をも有限時間内に消滅できる事を証明しました。つまり、ペレルマンの大胆な予想と奇抜なアイデアが生んだ勇気と偉業とも言えます。
 まさしくこれこそが、ヘミングウエイが言い放った勇気とは困難な中での気高さ”なんですね。いや、それ以上の異次元の気高さなんですよ。
 私達は軽々しく、勇気とか気高さとか言いますが、このペレルマンの前でその言葉を語れる人は、今やこの世にはいないと思う。

 上の2つの証明が決定打となり、ポアンカレ予想に決着をつけるんですが。喜び勇んだペレルマンが友人に送った最初のメールでは、”サーストン予想を証明したぞ”と書いてました。
 しかし、その後の論文でその誤ちをすぐに修正し、サーストンの野心の背後に回り込み、サーストンの脅しをギリギリの所で回避します。異次元の知力や洞察や勇気だけでなく、こうした機転の速さもペレルマンの偉業に繋がったんですね。
 これも偶然ですが、リーマンの素数公式がリーマン予想を回避する事で導出でき、弱いリーマン予想から素数定理が証明されたのとよく似てます。
 歴史は繰り返すといいますが、難題に奇悲劇というのは常に憑いて回るんですね。

 ルジャンドルがアーベルに贈った賞賛の言葉を借りれば、
 ”青銅よりも永続する記念碑。後代の数学者に勇気と気高さを与えてくれた”という事になるんでしょうか。


葉巻型特異点の解消とエントロピー

 前回”その5”の終盤では、ペレルマンが考案し、葉巻型特異点の解消に決着をつけた”放物型リスケーリング(効果)”と統計物理学で使う”エントロピー(計量)”の2つのツールについて軽く紹介しました。
 そこで、少し簡単に振り返る事にします。

 まず、放物型リスケーリングですが、実はハミルトンも使ってた十数年前からの手法で、多様体の変化する様子を顕微鏡を用いて撮影する様なものです。
 一言で言えば、”多様体が縮小するにつれ、映像はスローになり、同時に拡大する”と。
 スローも拡大も連続して続くが、そこには偏りが生じる。それぞれの時間スケールでの拡大率は2倍3倍4倍・・・と線形的に増加するが、距離は1/√2、1/√3、1/√4・・・と非線形にスケールダウンする。
 これは冒頭で述べた、リッチフローの2つの条件の1つの”多様体がどの点でも曲率に逆比例した速度で連続的に変化する”のと同じ事です。

 次にペレルマンは、多様体が放物型リスケーリングを受ける時に不変となる計量(エントロピー)を考案しました。
 彼が”エントロピー”と名付けたのは、この定曲率の多様体の数学的特性が統計物理学のエントロピーに似てる事に由来する。
 これもリッチフローの2つの目の条件の”多様体において変形される物体が定曲率の状態を見つける”のと同じ事ですね。
 例えば、物体が加熱されると分子の不規則性が増加する様に、多様体がリッチフローにより変形される時に、ペレルマンのエントロピー(計量)は漸次増加する。
 多くの数学者が放物型リスケーリングの元でも”不変で便利な計量”を求めてましたが、最初にその計量(エントロピー)を発見したのがペレルマンでした。

 そこで彼はこのクールなトリックで計量を行います。
 まず、リッチフローが熱の”流れ”を記述する微分方程式から求められる様に、逆転されたリッチフロー(つまり時間を遡る)を観察し、多様体の”温度”(計量)がどう変化するか?を調べた。
 例えば、時間を遡った時、部屋は均等な温度から始まり、次第に熱はラジエターに集中し、スイッチが切れて終わり。
 これこそがペレルマンが考案した新たなエントロピーの概念でした。つまり、これで葉巻(型特異点)と対決する準備が整ったんですね。


ペレルマンの魔法の顕微鏡 

 ペレルマンが考案した、放物型リスケーリング効果のある”魔法の顕微鏡”では、球面特異点は増幅された時でも不動点のように見え、円筒型特異点は静止した円筒のように見える。
 しかし、葉巻型特異点は活発な変化を見せ、どこまでも強く湾曲していく。そして他の特異点とは異なり、最後には崩壊する。
 そこでペレルマンは、彼流のエントロピーの概念と込み入った数式を使い、”多様体が強く湾曲できない”事を証明します。
 判り易く言えば、パッと消え失せる多様体を除けば、潰れていく傘体のシートの間にエンドウ豆が挟まる様に、小さなボールが残る余地は常に十分ある筈だ。
 故に、放物型リスケーリングという条件で見れば、”多様体はリッチフローの最中に崩壊できない”事になる。多様体が潰れるのをエンドウ豆が防いでくれるのだ。
 つまり、パッと消える事は出来ても、パフっと萎んで潰れる事は出来ない。

 これこそが「局所非崩壊定理」と呼ばれ、葉巻型特異点に対処する上で欠かせない要の要素である。
 リッチフローの定理によれば、葉巻は最終的に崩壊する筈だが、一方でペレルマンは”崩壊が有り得ない”事を証明した。
 この”崩壊できない”と”崩壊が有り得ない”という2つの事実を組み合わせると、”葉巻型特異点の出現は数学的には有り得ない”事になる。
 つまり”葉巻はただの葉巻に過ぎない事もある”(フロイト)。
 ハミルトンも有名な精神分析医に相談すればよかったのだ。つまり、トポロジー上の厄介な葉巻は想像の産物に過ぎず、リッチフローの現実に根ざしたものではない。しかし、これらの深刻な悩みを取り払ったのが、精神科医ではなく、このロシア人数学者だったのだ。

 お陰でペレルマンは、ハミルトンのリッチフローを走らせ、特異点を削除する作業を始める事が出来る様になった訳だが、次なる問題が立ちはだかった。
 それは無限回の手術を有限時間内に完遂出来るのか?
 しかし、異次元の奇才ペレルマンはその必要がない事をも示した。


”石鹸の膜”とペレルマンの偉業

 リッチフローでは、多様体の負の曲率を備えた部分は叩き出される。因みに、正の曲率を備えた部分は叩き伸ばされるが、今は負の曲率を考える。
 多様体が叩き出されれば、その部分は膨らみ体積は拡大する。一方で多様体の一部は手術で取り去られ、体積は減少する。
 ペレルマンは、この2つの事実を統合した。
 1つに、どんなに長くとも有限な時間内の叩き出しによる体積増加も有限である事を示した。故に、多様体の体積はその時間内に無限に大きくなる事はない。
 2つに、(シートに挟まったエンドウ豆を思い出そう)手術毎に一定量の体積が取り去られるから、有限時間内であれば、多様体の体積がゼロに減ってしまう前に、有限な数の特異点しか取り除く事が出来ない。
 そして、体積は負の値は取り得ないので、無限回の手術は有限時間中に可能ではない。
 つまり、所定時間内の手術の回数は有限に収まるに違いないと、普通の数学者なら考えるだろう。

 しかし奇才ペレルマンは、プログラムを永久に走らせる様に、その所定の時間の端と端を繋げられないだろうか?と考えた。
 これこそが困難な壁だったのだ。
 そこでペレルマンはサーストンの幾何化予想を証明する為に、手術を無限回、ほぼ永久的に続けさせるプロセスを考えた。が、100%満足ではなかったので、3番目の論文の中で部分的な成果への道の近道を提案する。
 これは”自明な基本群を持つ多様体は無限階の手術を必要としない”というものだが、この近道は全ての多様体を包括するものではない。
 故に、”サーストン予想を証明はしないが、ポアンカレ予想を証明するには十分である”と異次元の奇才は考えついた。

 そしてこの偉業を、ペレルマンは”石鹸の膜”(イラスト参照)を使って成し遂げた。
 この針金の枠に張られた石鹸の膜は、最小面積の曲面となる。
 彼は、手術中に発生する可能性のある”ネック”(切断面)と呼ばれる物体を測定する為に、石鹸の膜である”極小曲面”を使います。
 因みに、極小曲面とは、”与えられた閉曲線を境界とする面積最小の曲面”の事です。
 ネックとは、ペレルマンが多様体を真っ二つに切断する箇所で、何度切断しても球形の頭が新しく生えてくる。時には、ネックの付いた胴体までが生えてくる。
 そこで、球面は最後にはパッと消えるので、頭(球面)だけなら問題ないが、胴体だと問題だ。ヘラクレスは切り口を焦がす事で、ヒュドラ(多頭の怪物)が新しい胴体が増える事を防いだが、ロシアのヘラクレス(ペレルマン)は多様体が新たな胴体を生やせない事を証明した。
 つまり、切り裂かれたネックの面積はどこまでも小さくなるが、2つの胴体を繋ぐネックの面積は一定の大きさがなければならないと。


参ったか!ポアンカレ予想!

 結局は、新しい胴体を増やすだけの皮膚(面積)がなかった。最悪でも、ほんの小さな頭(球面)を増やせるに過ぎない。これらは極小さな球面で、先程も言った様にパッと消えるから無視できる。
 そこでペレルマンは、ヒュドラという多様体が胴体を増やせない事を示し、その頭を永遠に切り落とし続けたとしても、多様体が位相的には変化しない事を証明します。
 つまり、多様体が球面である事を有限時間内に確かめる事が出来、ひいてはポアンカレ予想も証明出来る。
 因みに、これには多様体が単連結である事が必要条件となる為に、幾何化予想ではなくポアンカレ予想のみが証明されてる事に大注目です。

 以上、大掛かりな”葉巻の手術”を振り返ると、
 最初に生まれつつある雑多な特異点を見つける為に、ペレルマンは放物型リスケーリング(顕微鏡)とエントロピー(時間を逆行するリッチフロー)いう2つの道具を開発します。
 これは時間を巻き戻し、スローダウン&スームアップして、特異点を注視する為でしだ。
 次に、予防手術に適した瞬間を選ぶ方法を発見し、これによりポアンカレ予想の中核をなす「局所非崩壊定理」を証明し、葉巻型特異点が発生しない事を見事に見抜きました。
 3つ目に、有限回数の手術しか必要ない事を証明しますが、これは”自明な基本群を持つ多様体は無限階の手術を必要としない”事と同値ですね。
 こうしてペレルマンは、リッチフローにより変形され、手術により特異点を全て取り除かれたコンパクトな(閉じた)多様体が、最終的には単なる”球面の集まり”になる事を証明しました。
 つまり、時間を遡って球面と曲面を貼り戻せば、”元の多様体そのものも球面だった”事を、サーストンの脅し(予想)を回避し、暴いてみせたのです。
 参ったか!ポアンカレ!そして、サーストンの野郎!

 以上より、めでたくポアンカレ予想が証明された訳ですが、前回”その5”を振り返りながら説明したので、少し長くなりました。
 こうして見ると、ポアンカレ予想という難問もわかり易い日本語に直せば、その難しさの深度が理解できる事で、簡潔にも思える奇才ペレルマンの偉業が、如何に異次元の桁外れのレヴェルだったかが伺いしれますね。  



6 コメント

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サーストンの壁と石鹸の膜 (paulkuroneko)
2021-03-23 07:55:00
リスケーリングという観察の効果とエントロピーという計量の概念を使い、サーストンの壁をうまく回避したんですが。
エントロピーで得られた多様体の不変な計量の様をリッチフローで時間を逆戻しし、リスケーリングという顕微鏡でじっくりと観察しました。

そこで得られたのが、多様体の崩壊はあり得ないということでした。
これを証明することこそがサーストン予想に代わる最大の壁になったんですが、無限回の手術を有限時間内に終わらせるのは不可能に近いです。時間の始点と終点を結びつけても、ループを延々と回り続けるだけですね。これこそがハミルトンが陥った罠でした。

ペレルマンは自明な基本群を持つ閉(コンパクト)多様体は無限界の手術を必要としないという近道を模索します。そこで”閉曲線を境界とする極小曲面”である石鹸膜の幾何学を使ったんですね。
これは小さな突起が出ようとすれば、石鹸膜が弾けるのと同じ原理ですね。つまり閉じた多様体は変わりようがないんです。それに閉じた極小曲面であるには、閉多様体が(境界を持たない)単連結である必要があります。
これがポアンカレ予想なことは明白で、結局サーストン予想は必要なかった。
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paulさん (象が転んだ)
2021-03-23 08:49:07
説明足らずでスミマセン。
超えられない壁を超える事なく、それ以上の大きな壁を超えてしまうペレルマンの異次元の奇才には脱帽です。
石鹸の幾何学はパンストの幾何学とも呼ばれますが(本当か?)、手術をしようとしてメスを入れると弾けてしまう。極論を言えば、手術のしようもなかったんですかね。

つまり、ポアンカレ予想とは”閉じた多様体は変わりようがない”という事です。
言われてみれば異常なまでに簡単なことですが、これに気付くのにサーストン予想が大きく立ちはだかってたというのも歴史の皮肉ですね。
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えんどう豆理論 (腹打て)
2021-03-23 15:28:06
局所非崩壊定理がえんどう豆理論に基づくのもユニークだが、多様体がとんがることはないというポアンカレ予想のトドメとなるシンプルな理論に結びつくのも面白い。

結局、ハミルトンを終生悩ました葉巻型特異点がトポロジーが生み出した想像上の産物だったというのも、これまたおとぎ話のように思えてくる。
奇才とか鬼才と言われるペレルマンだが、常に子供のような思考と心で難題に取り組んでたのだろうか。
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腹打てサン (象が転んだ)
2021-03-23 18:30:28
確かに、ペレルマンは純粋すぎるほどの無垢な子供のままなんでしょうか。
数学の難問を解く為に生まれてきたような人でもあります。
その数学においては非常にユニークで奇抜なアイデアの持ち油脂ですが、後の人生においてもそのユニークさを少しでも活かしてほしいですね。
今のままじゃ勿体なさすぎる。才能は見せびらかす為にあるもんですよね。
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パンストの幾何学って👅 (HooRoo)
2021-03-25 07:00:40
パンストって針を突き刺すと伝線するけど
そのパンストが特異点という針に触れて伝染しないように用心深く手術しようとしたんだけど、ピーンと張ったパンストになれば変形のしようがない

つまり境界を持たないシームレスのパンストは単連結だから変わりようがないってことよね
これがポアンカレの幾何学でサーストンの幾何学は必要なかったってこと???
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Hooさん (象が転んだ)
2021-03-25 08:22:08
特異点という針を用心深く取り除きながら、最終的にはピーンと極限にまで張り詰めた極小曲面というパンスト(多様体)に仕上げるんですね。極小曲面はそれ以上変形のしようがないから、この作業は延々と続く事はない。
故に、ここまで来るとパーンと弾ける様な葉巻型特異点が介入するスペースすら全くない訳ですよ。

このパンストが(ポアンカレ予想を満たす)閉じた極小曲面である為には、境界のないシームレスなパンストである必要がある訳でして、これをトポロジー理論で置き換えると、閉じた(コンパクトな)多様体が(境界を持たない)単連結であるとなる。
数学的に堅苦しく言えば、”自明な基本群を持つ閉(コンパクト)多様体”となる。
これこそがポアンカレ幾何学、つまりポアンカレ予想だったんですね。
そして、このパンスト(3次元閉多様体)が最終的には丸い球面に収まる事で、ポアンカレ予想に決着をつけたんです。トポロジー的に言えば、”多様体は位相的には変化しない”ですね。

勿論サーストン幾何学は、ハミルトンプログラムを走らせるのに必要でして、しかし(3次元多様体はたかだか8個だ)というサーストンの野心(予想)までは必要ではなかった。

Hoo女史も非常にいいとこついてますね。オジサンは感心歓心です。
ま、私も100%解って言ってる訳でもないので、大体の流れだけは掴めたでしょうか。
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