象が転んだ

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サーストンの野心とハミルトンの偉業〜ポアンカレ予想の奇悲劇”その2”

2020年12月13日 03時14分18秒 | 数学のお話

 先日投稿した”ポアンカレ予想の悲劇”ですが、1話だけで終えようとも思いました。
 しかし、寄せられたコメントの多くが充実してて、そこに「ポアンカレ予想」(ジョージ・G・スピーロ著)の内容があまりにも素晴らしく、コメントとこの著書を元に、”ポアンカレ予想の奇悲劇”の続編を描きたいと思います。
 描くというのも、できるだけ数式を使わず、スケッチする様に紹介したいからです。
 多分、5話か6話ほどになると思いますが、宜しくです。

 アンリ・ポアンカレ(仏、写真)自身を含め、マックス・デーン(独)、古関健一、コリン・ルーク(英)、エドワルド・レゴ(英)、RH・ビング(米)らの数学者達が、この1904年に予想された超難問に挑戦した。
 初めに1934年、ジョン・HC・ホワイトヘッド(英)がホワイトヘッド多様体の場合の証明をした。クリストス・パパキリアコプロス(ギリシャ)は同値の予想を作ったが、その度にマスキットら反証された。そして、当時無名だったグリゴリー・ペレルマン(露)は2002年から2003年にかけ、これを証明したとする3つの論文をネット上の”arXiv”に投稿する。
 これらの論文は2006年夏までに、3つの数学者チームによる検証が行われ、証明が正しい事が明らかになる。ペレルマンはこの業績によって2006年のフィールズ賞が贈られたが、本人は受賞を辞退した(ウィキ)。

 2003年ペレルマンは、解法の説明を求められて多くの数学者達の前で壇上に立ち、自らの3つの論文を説明した。
 しかし、殆どの数学者がトポロジー(位相幾何)の専門家であった為、微分幾何学を使ったペレルマンの解説を聞いた時、まずポアンカレ予想が解かれた事に落胆し、それがトポロジーではなく微分幾何学を使って解かれた事に落胆し、そしてその解説が全く理解できない事に落胆した。
 その上、彼の証明には熱量やエントロピーなどの物理的な用語が登場したから、余計に理解できなかった(「100年の難問はなぜ解けたのか」NHKスペシャルより)。


リッチフローが果たした大きな役割

 ポアンカレ予想を証明する中核の道具となるリッチ”フロー”とは、熱の流れ(フロー)を説明する為に、リチャード・S・ハミルトン(米)が考案した偏微分方程式で、テンソル(曲率)の概念を基盤とする為、物理学でも広く使われます。
 判り易く言えば、リッチフローとは、複雑な形状の多様体な物体の体積を計る(計量)為に、n次元の多様体をこねくり回し、きれいな形に整形する作業の事ですが。ハミルトンは、リッチフローを熱の”流れ”ではなく、多様体の”整形”に応用しました。 
 そこでハミルトンはリッチフローを使い、多様体の滑らかな曲率を割りだそうとしますが、曲率は熱(伝導)と比べ、非常に厄介な対象でした。
 リッチフローは、多様体の負の曲率では膨張する傾向があり、曲率が0であれば不変であり、逆に、正の曲率では収縮する傾向があります。
 やがてハミルトンは、”滑らかな多様体がリッチフローを持つ”事を証明します(1982)。彼は、正の曲率を持つリッチフローを満たす滑らかな3次元閉多様体こそが特異点を解消し、サーストンの「幾何化予想」を証明したと思い込みました。
 しかし、正規化されてないリッチフローの下では、”葉巻型特異点”と言って多様体は一気に崩壊します。というのも一番難しいケースは、この葉巻型特異点を持つ多様体でした。が故にハミルトンは泣く泣く頓挫した訳ですが、若きペレルマンがこの(葉巻型)特異点を解消してくれました。

 ペレルマンは膨張する筈の負の曲率の多様体に注目し、リッチフローを改良します。というのも3次元閉多様体では、全て負の曲率を持つ可能性があるからです。
 故に、負の曲率を持つ多様体が時間と共に膨張するのであれば、時間を逆行させて収縮させればいいと考えた。つまり、リッチフローを逆行させたんです。
 勿論、時間と共に進む熱方程式は逆行できませんが、多様体を整形するリッチフローは時間を逆行できると、ペレルマンは考えたんです。
 前回でも述べましたが、リッチフローはδₜgᵢⱼ=−2Rᵢⱼで定義されますから、リッチテンソルRᵢⱼを時間軸とすれば、符号を変えて逆行させても、負の時間に対して定義する事ができます。
 つまり、ペレルマンのリッチフローとは、時間を逆行させる事だったんです。
 因みに、規格化(一意化)とは、幾何学における特異な性質を滑かにして取り除く方法を示唆し、幾何化という言葉は滑らかな多様体上の幾何学を示唆します。
 結局ペレルマンがやった事は、ポアンカレ予想を”幾何化”上で考え、”規格化”したとも言えますね。

 以上で解る様に、ハミルトンのリッチフローがなかったら、ペレルマンのポアンカレ予想の証明もありませんでした。
 ハミルトンのこのプログラムこそが、数学と物理学の橋渡しをした訳ですが、純粋数学者はトポロジー(位相幾何学)ばかりに注目し、リッチフローや熱方程式の原理には頭を背けてた様な気がします。開かれた数学には物理学は不可欠です。
 そういう意味でも、ハミルトンが正当に評価されなかったペレルマンの怒りは理解できますね。
 ペレルマンの証明は勿論の事ですが、サーストンの幾何化予想もポアンカレ予想を凌ぐほどの野心的なモンスター級ですが、ハミルトンの証明もそれに負けないものでした。

 以上、寄せられたコメントを参考にして纏めました。
 

地球から宇宙全体を眺めるには?

 1982年に発表されたサーストンの「幾何学化予想」とは、3次元閉多様体は幾何学的構造を特定できる基本的ブロック(断片=パーツ)に分解でき、そのブロックだけで幾何学的構造を特定出来るという事でしたね。
 そして、その基本ブロックは8種類しかないという、彼の単純な直感から得たものでしたが、この直感こそが解析学とトポロジー(位相幾何)を繋ぐ橋渡しをしたんです。
 そして、ポアンカレ予想の一般化としてペレルマンが応用しました。

 3次元多様体は局所的には歪みのない3次元空間で記述出来ますが、3次元空間から3次元多様体全体を眺める事は出来ません。
 丁度、地球上から宇宙全体を眺める事ができない様にです。
 これは2次元の歪みのない平面で考えれば判り易い。2次元の球面は局所的には2次元の平面の拡張ですが、2次元の平面に2次元の球面を全て映し出すことは出来ません。
 平面の世界地図を例に取れば理解できますが、地球儀全てを平面に映し出すなんて事は出来ないですね。
 だったら、どうやって3次元空間(地球)から3次元多様体(宇宙)全体を眺めるのか?
 以下、「ポアンカレ予想」(ジョージ・G・スピーロ著)を参考です。

 n次元では座標変換が可能であれば、n次元多様体を決定できますが、3次元の場合は複雑すぎて決定できない。
 そこで3次元トポロジー(3次元位相幾何学)が生まれた訳です。
 まず、ヘルムート・クネーザー(独)は3次元閉多様体をそれ以上分類できない”素多様体”とみなし、それを証明した(1929年)事で、3次元トポロジーの領域は大幅に簡略されました。
 サーストンは、ポアンカレとパウル・ケーベ(独)の一意化定理(2次元ではユークリッド幾何・球面幾何・双極幾何の3種の基本構造のみが存在する=1907)を元に、3次元多様体の構造を特定しようとしました。
 これこそが、”3次元閉多様体は8つの幾何構造で賄える”いう幾何化予想でした。
 つまり、サーストンはケーベ同様に、背後から幾何学とトポロジーを結びつけたんです。
 そして、このうちのどれかがポアンカレ予想を満たす”単連結な3次元閉多様体”となってる事を、皮肉にもハミルトンの研究を追い越す形で、ペレルマンが証明します。


サーストンとハミルトン

 サーストン予想はポアンカレ予想よりも更に”野心的”だとされます。
 というのも、ポアンカレ予想が球面と同値の多様体を求めるのに対し、サーストンは全ての多様体を分類しようとしました。故に”モンスター定理”との異名を取った程でした。
 しかし結局は、サーストンがポアンカレ予想の解決に繋がる構造(外枠)を生み出したと言っていいですね。
 ケーベとサーストンを経由し、レンガ(素多様体)が用意できましたが、それを組み合わせたレンガ職人こそが、”多様体の魔術師”ハミルトンでした。
 しかし、ヤウ(丘成桐=香港)存在を忘れてはなりません。

 サーストンの多様体を解析する為に、ハミルトンはリッチフローの概念を導入しますが、ヤウは”リッチフローが多様体を素多様体に分解できる”と予想した。
 つまり、”リッチフローこそがサーストン予想の証明に繋がる”と確信し、ハミルトンに研究を促します。
 しかし、ハミルトンの長年の親友であるヤウがペレルマンの証明にケチ?を付けた事は、後に数学界を大きく揺るがす大問題になり、”ヤウがペレルマンの首からフィールズ賞を奪い取ろうとしてる”と揶揄され、ヤウは怒り心頭になり、ハミルトンを強引に庇う発言をします。
 お陰で、ペレルマンがフィールズ賞を辞退する要因を作ってしまいます。

 この発言は、ヤウがハミルトンを思っての事ですが、覆水盆に返らずで、結論を急ぎすぎた中国人数学者の失態とも言えます。
 後でも書きますが、事実ペレルマンはサーストン予想を証明する事なく、ポアンカレ予想を証明しましたから、ヤウの確信は見事に外れてた訳ですね。
 勿論、ハミルトンもヤウを庇いますが、時既に遅しで、ペレルマンが予想してた最悪の結果になりました。


リッチフローとリッチテンソル

 ここで、リッチフローの”リッチ”の由来ですが、リチャード・S・ハミルトンのリッチではなく、リッチ・クルバストロ(1853−1925、伊)のリッチです。
 このクルバストロの最大の業績は、テンソル解析の発明(リッチテンソル)である。勘のいい人は、リッチと聞いただけでリッチテンソルを思い浮かべるでしょうか。
 テンソルとは、スカラー・ベクトル・行列を纏めた概念で、物理量や幾何学量を記述する数字の配列からなり、0階テンソルは物体の質量や温度を、1階テンソルはベクトルで物体に作用する力と向きを、2階テンソルは行列で3次元物体に生じる応力の3方向の成分を指し、特に幾何学では、空間の歪み(曲率)を記述するのに使われます。
 1900年に弟子のトゥーリオと共に書いた論文で紹介されましたが、数学界に気づかれる事もなく、ホコリを被ったままでした。
 その10数年後、アインシュタインが重力を幾何学的現象に還元する際、テンソルを使い、”リッチ”テンソルは日を浴び始めます。
 一般相対性理論がテンソルを用いて書かれてる事からも明らか(アインシュタインはテンソルとリッチ曲率を使い、時空の歪みを記述した)ですね。そのアインシュタインも、自力でテンソルを理解し、利用したのではなく、友人のグロスマンやトゥーリオの助力あっての事でした。

 少し長くなりそうなので、サーストンの幾何化予想とハミルトンのリッチフローを説明した所で、”その2”を終えます。
 次回”その3”では、ポアンカレ予想の証明の流れを煮詰めて紹介したいと思います。関数式や定理や定義は殆どでないので、比較的簡単に読めると思います。
 では・・・



10 コメント

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ペレルマン以外にも (UNICORN)
2020-12-13 11:23:35
ポアンカレ予想を証明したと主張した数学者がいました。
1986年、コリンルークとエドワルドレゴの2人のイギリス人が予想を証明したとして世界中を大騒ぎさせますが、すぐに化けの皮が剥がれます。1993年には中国のヘー・ポー・ペが、1999年にはイタリアのミケランジェロ・ヴァッカロが証明したと主張するが、殆ど相手にされない。

そして、2002年4月マーチン・ダウッディー(英)がウエブ上で証明論文を公開し、大きな反響を呼びますが、修正する毎にいろんな誤りが指摘され、マーチンの冒険は潰えます。
その6ヶ月後、ロシアのセルゲイ・ニキーチンがarXivに「星上多様体のポアンカレ予想」を発表した。7回以上の修正が行われ、12月まで投稿が続いた。しかし様々な誤りがネット上で指摘され、その間にペレルマンが同じarXivにプレプリントを公開した事で、ニキーチンの努力は無に終わる。それどころか、それまでの先人のポアンカレ予想の証明を全て打ち消してしまった。

こうしてみると、ペレルマンという傑出した怪物がいなかったら、未だにポアンカレ論争が続いてたと思います。
UNICORNさん (象が転んだ)
2020-12-13 21:35:37
返事遅れてスミマセン。
いつもいつも貴重なコメント有り難うです。
でも、よく調べましたね。
ウィキもそれなりに頑張ってるとは思いますが、数学に関してはまだまだ不明な部分が多いです。

ウエブ上の論文に呼応したかの様に、ペレルマンがタイミングよく参入してきました。
本命登場と数学界は期待したんですが、内容が異次元過ぎました。
難題を証明するという事が如何に様々な犠牲の上に成り立ってる事を物語ってます。

ポアンカレ予想もサーストン予想に比べれば野心的ではないとされますが、ペレルマンはそのサーストン予想をうまく回避する事でポアンカレ予想の証明に成功しました。
つまり、サーストンの野心的直感とハミルトンの合理的予想とペレルマンの異次元で奇抜なアイデアの産物でもありますね。
ペレルマンの論文 (paulkuroneko)
2020-12-14 06:52:49
彼がarXivに投稿した3つの論文は、「リッチフローに関するエントロピーの公式とその幾何的応用」「3次元多様体上の手術付きリッチフロー」「3次元多様体上のリッチフローの解に対する有限消滅時間」というタイトルで、それぞれ39P+22P+7Pでした。
このわずか68Pの論文には、余計な単語はなかったが重要なものが欠けてることもありませんでした。

査読チームの1つ、ジョンモーガンとガンテイエンは約3年の月日を掛け、その7倍もの長さ(473P)の論文を書き、「リッチフローとポアンカレ予想」というタイトルで同じarXivに投稿されました。
もう1つのチームはブルースクライナーとジョンロットの論文は192Pに及び、彼らはペレルマンの論文のギャップを必死で埋めていきました。ペレルマンの証明は完結で完璧でしたが、概略過ぎたんですね。

しかし彼ら4人のこうした努力もペレルマンにとっては苦痛だったのでしょうか。次第に彼らとも距離を置くようになりました。
つまりペレルマンは自らを孤立させてしまったんですね。それ程までにポアンカレ予想の証明とは、知能だけでなく心身を削る作業だったんでしょうか。

何だか異次元の天才の限界を感じてしまいます。
paulさん (象が転んだ)
2020-12-14 13:49:09
ペレルマンの3つ目の論文「3次元多様体上のリッチフローの解に対する有限消滅時間」に特に興味が惹かれますね。

ポアンカレ予想は”自明な基本群を備えた3次元閉多様体は3次元球面である”と言い換える事が出来ますから、自明な基本群がリッチフローの解に繋がるんですかね。

何だか考えるだけでワクワクしてきますが、色々とアドバイス有り難うです。
中国人の2人の査読チーム (腹打て)
2020-12-14 18:08:51
心身を削ったという点で言えば、3つの査読チームも同様だよね。
第2のチームのクライナーとロットの査読論文では、”ペレルマンの論文には幾つかの誤った主張と不完全な議論が含まれてるが、ペレルマンの手法で修正できる”との補足があった。

しかし、第3のチームであるツアオ・ファイ・トンとチュウ・シー・ピンがその過ちに無謀にも突け込んだのさ。結局、非難には非難の応酬が繰り広げられ、世界中のメディアが嗅ぎつけた。

UNICORNが言ってるように、2人はヤウ・シン・トウンの弟子で、ヤウ自身はハミルトンのリッチフローが成功するものだと信じ切ってたのさ。
そこでヤウは2人にペレルマンの論文のアラ探しをさせたってわけだ。そのうえタチが悪いことに、ヤウはツアオとチュウの2人がポアンカレ予想の新しい独立した証明を考案したと発表したんだな。

そこで中国の新華社通信は”ペレルマンはポアンカレ予想の証明のガイドラインを発表したが、難題を解く詳細な指摘はなかった。2人の数学者こそが最後のパズルを完成させた”と持ち上げた。

でもヤウがクライナーとロットの査定論文にケチをつけなかったら、揉め事もここまで大きくはならなかったはずだよ。
だって、中国人の2人の査定論文にはクライナーとロットの論文の一部が含まれてたんだからね。

結局、モーガンが指摘したように、2人はペレルマンの証明の理解できなかった部分を盗作により補おうとしたんだからな。そういう意味では、査読チームの6人もヤウの為に心身を削ったんだよ。
腹打てサン (象が転んだ)
2020-12-14 21:45:36
素晴らしい解説付きコメント有難うございます。
本当は僕が書くべき事ですが、ここまで詳しく書かれると少し悔しい気もしますが、とても勉強になります。
UNICORNさんも言ってましたように、査読チームの奮闘も異次元のレベルだったんですね。もう少しペレルマンが協力してくれたらなとも思いますが、当のペレルマンもさぞ辛かったことでしょうね。

でもヤウの発言は、揶揄されたり批判されたりしても当然ですよね。多分ヤウはペレルマンの異次元の才能に嫉妬したかもです。
世紀の大予想 (#114)
2020-12-16 02:57:51
ポアンカレ予想は約100年掛かったけど
フェルマー予想は約330年掛かった
ケプラー予想に至っては
なんと400年も掛かった
未解決のリーマン予想は
160年たった今も反論すら示されていない
ABC予想も未解決だがまだ35年ほどだ

もしペレルマンがこの世にいなかったら
リーマン予想と同様に
未解決問題のままだったのだろうか
#114さん (象が転んだ)
2020-12-16 07:16:26
多分、そう思います。
ペレルマンだからこそ、成し遂げられた偉業ですね。ポアンカレ予想を証明した時は、ホーキングすら全くの蚊帳の外でしたから。

サーストンの幾何化予想という直感が、ハミルトンのリッチフローを呼び込み、ペレルマンの壮大なアイデアを生み出したとも言えます。
言い換えれば、ペレルマンの人生の結晶でもあったし、終着駅でもあったんでしょうね。

でも、もう一度ペレルマンの顔を見たいです。
コメント有り難うです。
ヤウってなにもんよ (HooRoo)
2020-12-17 00:19:07
ヤウも明らかに悪いけど
ハミルトンもペレルマンの偉業を認めてるんだったら
一言いえばいいのよ
そうすれば
傷ついたペレルマンの心も安らぐはずだわ

そう思いません?転んだ先生
Hoo女史へ (象が転んだ)
2020-12-17 05:14:50
ハミルトンもペレルマンの講義には満足してたらしいですよ。
でも面と向かっては言い出せなかったんですかね、数学者には世間知らずが多いですから。
でも、ヤウの取った行為はどう贔屓目に見ても頂けないですね。アメリカ系移民の立場でありながら、カネで中国側に翻ったんですから。

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