象が転んだ

たかがブロク、されどブロク

日米開戦の真相と虚構〜「裏切られた自由」に見る、フーバーの証言と先見性

2024年06月29日 07時06分24秒 | 戦争・歴史ドキュメント

 「キューバ危機」(D・A・ウェルチ他著)を読み返してたら、「失われた自由」(ハーバート・フーバー他著)という本の存在を知る。
 上巻だけで700ページを超える。その時点でタダモノではない歴史書だという事が、直感でも理解できた。
 第31代米大統領H・フーバーが、第2次世界大戦の過程を詳細に検証した回顧録だが、誰もが避けたいと思っていた2度目の世界大戦が起きたのは何故か?
 ”正義の連合国”対”邪悪な枢軸国”という従来の見方を真っ向から否定する本書は長い間公にされないでいた。大戦当時、様々な情報にアクセスできたフーバー大統領が、20年の歳月をかけて完成させた第一級の回顧録である。

 スターリンと手を組んだルーズベルトを”自由への裏切り”と断罪した本書は2011年に刊行されると大きな反響を呼んだ。
 フーバーが本書の刊行を決意したきっかけは、真珠湾攻撃のニュースであった。日米開戦の翌日、フーバーが友人に宛てた手紙の中で”日本というガラガラヘビに、米国がしつこくちょっかいを出した結果、ヘビが咬みついた”との表現で、ルーズベルト外交を激しく糾弾した。
 更に戦後、東京でマッカーサーと会談した際には”日本との戦いは狂人ルーズベルトが望んだ事だ”という点で合意していた。
 但し、フーバーは決して日本贔屓の政治家ではなかったし、彼の経歴や政権担当時のスタッフを見れば、むしろ逆であった可能性が高かったのだ。
 

狂った政権は世界戦争を引き起こす

 真珠湾攻撃が実は”アメリカが仕組んだものだ”という噂はあったが、真珠湾に限って言えばだが、真実ではない事は一応の証明は成されている。
 真珠湾攻撃はアメリカが仕組んだものではなかったにせよ、ルーズベルト外交が日米開戦に傾いてた事は真実と言えるだろう。
 勿論、アメリカのちょっかいに日本が乗った形で真珠湾の奇襲に至った訳だが、フーバーの証言では、その事実を1400頁以上に渡り、「裏切られた自由」の中で証明している事になる。 

 事実、本書には、1941年以前の対日関係を詳しく記す事を目的としていないが、アメリカが戦争に突入する事になった直接の原因に日本が絡んでる以上、大統領の地位にあったフーバーとしては、真珠湾攻撃に至るまでの経緯を書かない訳にはいかなかった。
 つまり、”米政府は(対日交渉の経緯を)国民に隠していた”のだ。
 そして、その後の教育でも真珠湾の真実を教えてはいない。”だからこそ、対日交渉の経緯はしっかりと書く必要がある”と本書には記されている。
 以下、草思社のコラムを参考に、大まかに纏めます。 

 一方でフーバーは、ナチスに対する理解も本書で示している。
 ”ナチス理解に役立ったのは、ヒトラーの右腕であるヘルマン・ゲーリングとの会見であった。ゲーリングは私にチェコスロバキアの地図を示し、<(チェコは)ドイツに突きつけられた矢尻の形をしていて、我がドイツの体に突き刺さっている>と説明した”と語る。
 勿論、これだけでナチスへの理解が深まる筈もないが、”いま、2人の独裁者(ヒトラーとスターリン)が死闘を繰り広げている。2人はイデオロギーに凝り固まった夢想家であり、兄弟の様なものだ。アメリカは防衛力を整備し、両者の消耗を待つべきである。にもかかわらずスターリンと組む事は、ヒトラーと組む事と同じであり、アメリカ的理念への叛逆である”とも語っている。

 更にフーバーは、”国民も議会もアメリカの参戦に強く反対だった。従って、参戦を可能にするには、ドイツ又は日本による明白な反米行為に限られた。ルーズベルト政権上層部は事態をその方向に進めようと、アメリカを攻撃させる様に仕向ける事を狙ったのだ”とも語るが、これは歴史上の真実として広く知られている。
 ”ハルは自身の回顧録の中で、本書で記されている日本政府との交渉の模様を殆ど書いていない。そして、交渉においては否定的に書いてるだけで、その文章には真実は殆ど書かれていない”と、日本に突きつけたハルの最後通牒が無効で意味を成さない事を訴えていた。
 また、”近衛首相の失脚は20世紀最大の悲劇の1つであり、彼が日本の軍国主義を阻止しようとした事は称賛に値する。彼は和平を実現したいと願い、自身の命を犠牲にする事も厭わなかった”と、当時の日本政府が何とか日米開戦を回避していた事実にも、フーバーは触れている。

 ”ルーズベルトは「非帝国化構想」を持っていた。彼の標的はドイツ・イタリア・日本だけではなく、イギリス・フランス・オランダの非帝国化を目論んでいた。だが、彼の構想には1か国だけ例外があった。それは巨大で極めて攻撃的な帝国ソビエトであった”と語る様に、ルーズベルト構想には旧ソ連だけが例外だった事を明らかにしている。
 更に、”アメリカには、26もの民族がいるヨーロッパにも、それ以外の地域にも、自由や理想を力で押しつける事はできない。そんな怪しい理想の実現の為に再び若者の命を犠牲にしてはならない。つまり、日本との戦いは狂人ルーズベルトが望んだものだ”と、当時の政権指導部が狂ったが故の世界戦争だった事を、フーバーは訴えた。
 最後に、”日本に対する原爆投下の事実は、戦後のアメリカの理性を混乱させている。以降、原爆使用を正当化しようとする試みは何度もなされた。しかし、軍事関係者も政治家も戦争を終結させるのに原爆を使用する必要はなかったと述べている”と纏めてるが、全く同感である。

 
最後に

 「裏切られた自由」に書かれてるフーバーの訴えと、私が「オッペンハイマーの謝罪」で書いた主張が殆ど一致する事に、それ程の驚きはない。つまり、地球上の多くの人類が薄々感じてたであろう事だからだ。
 つまり、狂った政権が戦争を引き起こしてきた事実は、過去の歴史により何度も証明されてきた。そして今、プーチンとネタニヤフという狂人がウクライナとイスラエルで侵略戦争を引き起こしている。
 ただ、本書ではこうした真実を、第一次世界大戦が勃発した頃に発足されたフーバー研究所内に所蔵されている、250万点以上にも及ぶ貴重な文書・講演録・書籍・日記・パンフレット・会見記録・各国語による条約文書などを20年以上に渡って入念にチェックし、白日のもとに晒した事に、大きな意味と意義がある。

 因みに、フーバーは日米開戦前の11/4に、”もし米日戦争勃発という事態になったら、つまり和平交渉が失敗すれば、日本は生きるか死ぬかのどちらかだ”との公電をワシントンに打った。勿論、ルーズベルトからの返答はなかったが、悲しいかな、フーバーの予見は日本への原爆投下という形で的中する事になる。
 更に、フーバー自身の11/16の日記には、”日本との戦争は無意味である。とにかく、ルーズベルト戦争したいのだ。場所はどこでも良いと考えてる。対日戦争については、ヨーロッパに部隊を送る事に対する反発より弱い”とある。
 事実(驚く事に)、11/25のルーズベルトにより招集された会議録には、”問題は如何にして日本を最初の一発を撃つ立場に追い込むかにある。勿論,それにより我々が重大な危険に晒される事があってはならないが・・”とまで述べられていた。

 確かに、フーバーと言えば、大恐慌になす術もなく無策で終わった大統領というイメージが強い。だが、本書に見る彼の主張は明確さに溢れ、政治家としての見事なまでの先見性を持ち合わせてた事が理解できる。少なくとも、ルーズベルトの様に狂ってはいなかったし、トルーマンみたいに無能でもなかった。
 仮に、フーバーが大統領を続投してたなら、太平洋戦争も原爆投下も存在しなかったかもしれない。一方(逆も真なりで)、和平外交を望むフーバーが近衛政権と同じく、失脚してた可能性もなくはない。

 勿論、トルーマンではなくルーズベルトが日本に原爆を投下したかどうかは、推測の域を出ないが、”トルーマンだったから”というのが私の本音である。
 ただ”、歴史は韻を踏む”という視点で言えば、太平洋戦争が起きなかったとしても日本以外の何処かで、それに近い戦争は起きてたであろうし、原爆も日本以外の何処かに投下されたであろうか。
 それだけ戦時の大統領は、最悪の状況に知らずして追い詰められ、その多くは狂人になり果てるのかもしれない。


補足〜裏切られない為の自由

 「オッペンハイマーの涙と謝罪」に寄せられたコメントを参考に少し補足しますが、ルーズベルトの開戦論とブロディの核抑止論、それにフーバーの和平論は3者3様で非常に対照的である。
 ルーズベルトは、戦後のアメリカが世界の主導権を握る為に、まずは欧州を無力化するという青写真を描いていたであろうか。事実、英仏に多額のドル借款を背負わせる事で、結果的にはルーズベルトの思惑通りになる。
 が一方で、スターリンと手を組んだのも、米ソ冷戦の未来予想図を描いてたからだろう。つまり、2度の世界大戦で弱体化した欧州を手下に収め、ソ連に対抗する試算は既にあったとも言える。
 そんなルーズベルトが単純に”狂ってた”と決め付けるのは、少し無理がある様な気もしないでもない。だが、トルーマンが日本に原爆を投下したのは彼が単に”無能だった”からで、事実スターリンはトルーマンを”大統領の器にはない”と見下していた。
 勿論、”狂ってた”という点では、ヒトラーもスターリンもルーズベルトも同じ様なものだが、前者の2人は独裁者でもあった。ただ、ルーズベルトが生きてて大統領のままでいたら、2人の様な独裁者に変質してたか?は不透明でもある。

 一方でブロディは、トルーマンの原爆投下という致命的な大失態から、核抑止論を急いで書き上げた。彼は、核攻撃から国家を守るには(核の脅しを含めた)先制攻撃ではなく、高度なミサイル防衛を説いた。つまり、敵国の核を撃ち落とす事で、相手の核に依存する攻撃意欲を削ぎ落とす事にある。
 言い換えれば、”やられたらやり返す”ではなく”やられない様にやり返す”と言った方が適切かもしれない。事実、今のウクライナはロシアの侵攻に対し、まさにこれを実践している。が、核抑止論と同様に、限界があるのも明白である。
 結局は、双方のせめぎあいはエスカレートし、(核抑止論を矛盾を露呈した)キューバ危機と同様に、核戦争に発展する可能性が高い。

 最後にフーバーの和平論だが、理想的と言えば、これが一番理に適ってはいる。だが、理想的というのが大きな問題で、戦時では理想論は真っ先に破綻する。つまり、道理が引っ込み”無理が通る”のが戦争である。
 勿論、フーバーの和平論を否定するつもりもないが、いくら理想的な和平論を説いたとしても、何処かで戦争は起きる筈だし、(地球を破壊する様な)超大型の原子爆弾でなくとも、戦術核の様な実用的核攻撃は当り前の様に行使される時代が来るであろう。
 それでも我々人類は、核廃絶へ向かう必要がある。核のない世界を構築する事は人類の大きな第一歩である。それは月面や火星への有人着陸よりも、ずっと重要である事は言うまでもない。
 そういう意味でも、フーバーの「裏切られた自由」は人類の平和のバイブルとして読み継がれる事を望むばかりである。



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