象が転んだ

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情けにも程と美学がある〜映画「われらが背きし者」

2024年07月15日 04時09分36秒 | 映画&ドラマ

 よく、”あの映画は原作よりツマらんかった”という声をしばし耳にする。
 確かに、原作が良すぎれば、映画はそれには追いつけない。当然である。つまり、ドラマは現実離れした娯楽であり、小説は現実を超えたフィクションにある。
 この作品も典型の”原作を超えられなかった”映画だが、かと言って凡作でもない。いやむしろ、秀作と言える。

 私は”映画は原作と娯楽の中間にある”べきだと思う所がある。
 かのブルースリーは”映画は現実と芸術の奇怪な結婚”と評したが、アクション映画はそれでいいかもしれないが、シリアル系サスペンスではもっと深い所に踏み込む必要がある。が、ドキュメンタリーやルポルタージュにしてしまっては、娯楽という夢を失ってしまう。
 つまり、見る者を作品の中に貶しいれるトリックが必要となる。言い換えれば、原作を忠実に映画化しても、延々と間延びするだけで、見るものは退屈するだけだろう。


情けにも美学がある

 という事で、思わず愚痴が長くなってしまったが、今日紹介するのは「われらが背(そむ)きし者」(2016)である。
 原作はスパイ小説の雄、ジョン・ル・カレの同名小説で、原題は”Our Kind of Traitor”である。直訳すれば、”我ら仲間の裏切り者”となろうか。
 本作は、スパイアクションとかスパイサスペンスとかで紹介されてるが、マフィアンミステリーでも良かったのかな。

 大まかな展開としては、休暇中に出会った男からUSBメモリを手渡された事から、ある大きな事件に巻き込まれる大学教授の不可解でスリリングな物語である。
 モロッコで休暇を過ごす大学教授ペリー(ユアン・マクレガー)と妻で弁護士のゲイル(ナオミ・ハリス)。ペリーはそこでディマ(ステラン・スカルスガルド)と名乗る男と偶然知り合い、ある事を依頼される。
 ディマはロシアマフィアの一員で、マネーロンダリングに関与していた。だが、彼はある事がきっかけでボスに自分と家族の命を狙われ、”このUSBメモリをMI6(英国秘密情報部)に渡してほしい”とペリーに頼み込む。
 世間知らずで、お人好しのペリーだが、何の警戒も疑いも持たず、ディマの申し出をあっさりと引き受ける。
 ”そんな危険な申し出を受けてたら命が幾つあっても足りないわ”と、妻はカンカンである。”君だって、赤の他人の弁護を引き受けてるじゃないか”とペリーはやり返すが、後の祭りである。

 ロンドンに戻ったペリーは、MI6捜査官ヘクター(ダミアン・ルイス)にUSBを渡すも、まともに取り合ってはくれない。が、夫婦で何とか説得し、ヘクターは捜査を始め、ディマに接触しようとするが、ディマはペリー夫妻を同席させる事を条件に加える。
 マフィアとMI6の板挟みになった格好のペリー夫妻だが、ディマの家族を救う為ならばと、ヘクターの指示通りに動く事を決意する。
 再会の場となったパリの美術館には、摘発対象の実業家のプリンスやロシアンマフィアの面々が構えていた。だが、USBには肝心の口座番号の情報がない。ヘクターはディマを追い詰めるが、自分と家族の身柄を安全にイギリスに移すまでは”口座番号は教えない”と拒否する。
 その後、マフィアに狙われるディマの逃走を手助けする事になったペリー夫妻には、様々な苦難が待ち構えていたのだ・・・


情けは人を強く、そして美しくする

 ここまで書けば、ある程度の流れは読めるだろうが。この映画はスリリングで奇想天外な展開と言うより、ある種の人間臭さが見ものである。
 ロシア美女のハニートラップに簡単に引っ掛かる(人の良すぎる)ペリーが、必死でディアを救おうと孤軍奮闘するシーンには、思わず感情移入してしまった。そういう私もペリーと同様に、誘惑と情けに脆いのだ。
 人は怪しいものにこそ、簡単に騙される。妻のゲイルも才色兼備な自立した女性だが、夫と同じく情に脆すぎる。
 現実的かつ冷静に見れば、ありえない物語だが、最後から最後まで、人の情けの美しさと脆さを強さと儚さに置き換え、上手に描いてた様に思う。

 ただ、この映画の最大の見どころは、ビックリ仰天の最後のシーンにある。
 勿論、ここでは言えないが、監督スザンナ・ホワイトのさりげないトリックの妙に、流石の私も一本取られてしまった。

 この映画で教えられたのは、情けこそが人間を美しく、そして強くするという事である。妻や家族を愛するには強い意味での”情け”が必要となる。勿論、誘惑や脅しに屈服するのも、弱い意味での情けである。
 以上で紹介した4人の登場人物に共通するのが、その情けである。故に、人の情けという視点でこの映画を評価すれば、原作を超えられなかったとしても、気にするべき事ではないのかもしれない。


補足〜「暗数殺人」(2018)

 こちらは実話をモチーフにした作品で、最初はサスペンスな展開だったが、途中でクタビれてしまった。韓国映画では一度も扱われた事がないとされる“暗数殺人”をテーマにした作品で、韓国でもこの事件はTV番組で放送され、一時は大きな話題を呼んだ程である。
 因みに”暗数殺人”とは、被害者はいるが、通報も死体も捜査もない、世の中に全く知られてない殺人事件を指す言葉とされる。

 元恋人を殺害した罪で15年の刑を受け、服役中の男テオ(チュ・ジフン)だが、事件発生自体知られてなかった7人の殺人を自白する。
 つまり男は、追加の自白をする事で捜査を撹乱し、最初の刑を無罪にしようと画策していたのだ。故に、男の証言に明確な証拠はなく、警察内では誰も相手にしない。
 そんな中、不思議と男の自白に信憑性を感じたヒョンミン(キム・ユンソク)は、上層部の反対を押し切り、単独で捜査を進めていく。
 やがて、男の証言通りに女の白骨死体が発見されるが、”死体を運んだだけだ”と証言を覆し、一旦は無罪を勝ち取るのだが、・・・

 実際の事件現場となった釜山での、5年に渡る綿密な取材を敢行しただけあり、キム・テギュン監督の執念を感じさせてくれる作品ではあった。しかし、生々しすぎて逆にウンザリしてしまう。
 一方で、男の自白が曖昧で、大半が時効であり、被害者の遺体も見つからない。刑事は被害者遺族の言葉だけを頼りに男を追い詰めるも、明らかに限界がある。
 また、監督もキャストも入れ込みすぎて、見てる方はとても疲れる。
 収容中の殺人犯がなぜ、ヒョンミンを選び、追加の殺人を自白したのは、彼に金銭的余裕があったからだ。だが、男の言葉にはどこからが本物で偽物なのかは、始終曖昧なままだった。

 一方で、男は一時は無罪を勝ち取るも、殺害した恋人の息子の証言が決定打となり、終身刑を受ける所で幕を閉じる。但し、男が青年時代に父親を殺害してた事実が作中では描かれ、獄中で自殺した事もエンドロールのテロップで流される。
 つまり、自身も加害者であると同時に被害者の意識もあったのだろう。最初の殺人が男の人生を狂わせ、連続殺人に繋がったとして、ファニーな殺人犯を演じるチュの演技が不思議と中途に思えた。

 最初から最後まで疑問の連続だったが、見終わった後も何かが吹っ切れない。このノリの軽そうな殺人犯は、本当に7人の人間を殺したのか?殺したとしたらなぜ、死体が見つからないのか?
 ただ唯一リアルなのは、犠牲になった遺族らの苦痛の叫びを何とか引き出そうとするヒョンミンの孤軍奮闘する姿であり、キムの演技に埋没する自分がいた。 


最後に

 確かに、実在した”暗数事件”を再現したのは評価には値するが、映画は所詮は興行としての娯楽の領域を出ないし、真実を映し出す鏡でもない。つまり、事実を再構成したとしても、事実がそのまま再現されるではなく、製作側の解釈が存在するだけである。
 言い換えれば、本作で描かれた「暗数殺人」は製作側が解釈した殺人事件であり、実際に起きた暗数事件の真実とは、質感と方向が食い違ってる様にも思えた。
 もっと言えば、実在した暗数事件を(モチーフではなく)テーマにしたフィクションに特化しても良かった。
 寧ろ、その方が、身近に起こり得る暗数事件の生々しい恐怖と劇的なリアルをスムーズに描けたのではないだろうか・・・

 そういう意味では、”原作よりもツマらんかった”「われらが背きし者」の方が、スンナリと受け入れられた様にも思える。
 という事で、原作よりも??と評された2つの作品の紹介でした。




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