象が転んだ

たかがブロク、されどブロク

『死者は語る』に見る死体の尊厳と人間の悍ましさ

2017年11月29日 01時22分02秒 | 読書

《腐った死体よりも、生きてる人間の方が悍ましい》

 今日は、元監察医の上野正彦氏の『死体は語る』です。ま、これはベストセラーなので、皆も一度は目にした事があるかと思います。私もずっと昔読んだ記憶があったんですが、ある方のブログを読んで気になったので、もう一度読み返しました。図書館で二冊借りたんですが、『東京検死官』(山崎光夫)も気になってた本です。

 "生きてる人間を扱うよりか、死体の方が遥かに気楽なのだ"という著者の言葉が実に印象的ですね。如何に完璧な殺人とは言え、生から死への移行に必ず無理と矛盾が潜んでる。そこから事件は発覚し、解明されていくと自負する辺り、検死官としての誇りと使命感の半端なさには、全く感服します。
 とにかく、人の数だけ死因が存在し、その死因も検死官にかかると、自殺か他殺か、犯罪か事故死か病死か、を見抜く。まさに、死体は語るです。

 殺人犯と警察官部の心中なんて、笑えない話ですが、結局、命の代償は金に尽きる。故に保険金殺害や遺族間の賠償金目当ての泥沼劇は後を絶ちません。
 人は俗な名誉下衆な欲望の為に、当然の如く悪事を働き、正義や倫理は崩壊し、犯罪は闇に埋もれる。そんな中、数少ない希少な検視官や監察医は孤軍奮闘し、東奔西走の活躍で、今日も腐った死体に顔をくっつけ対話し、メスを入れ続けるのです。
 まさに、医学とは生きる為のものだけにではなく、死者の為にも、死者の尊厳を守る為にも存在するのだ。死者にも叫びはあり、崇高なる人権は存在するのです。

 エッセイ集風に纏められてて、読みやすかったが。テーマを幾つかに絞り、もう少し掘り下げても。事件は小説より奇なりで、30年近くも前の事なのに、今振り返っても非常に斬新に新鮮に映ります。
 著者は"自殺の9割は他殺だ"と主張する様に、この本でも保険金殺人が多数を占める。つくづく、人間のエゴって厭になるが、iPhoneが高値取引される如く、偽装自殺も超高価で取引される矛盾に満ちた現代社会。"自殺は他殺だ"と言い切る著者の執念が、この本に脈々と込められてます。
老人の孤独死についても、家族の中で孤立せざるを得なくなった、間接的な他殺であるとも言っておられる程です。
 完全犯罪は成立すると、豪語する凶悪犯を見下すかの様に、検死官は冷静に死体と会話し、闇の葬られた真実を見抜く。死者は叫び、正義はその叫びを聞き分けるのだ。

 因みに、ここでいう検死官(英語でコロナー)とは、警察による検視官(刑事調査官)や検死を依頼される警察医や法医学の医師の総称であるらしく。また、検視官は、警察の視点で捜査を行うが、犯罪を前提とした司法解剖(犯罪性のない変死体などの場合は行政解剖)を要請するかに対し、助言を与えるが、解剖までは行わない。また、監察医とは変死体などを調べる専門医の事で、今では東京、名古屋、大阪、神戸のみで、遺族の承諾なしに解剖できるとある。全く、検死官にタイムラグは許されないのですね。

 著者の上野氏も、法医学を専攻する者が非常に少なく、1つの大学で10年間に1人もいればいいほうだと嘆く。それでも、上野氏がこの"医師の過疎地帯"と酷評される監察医を志したのも、田舎で開業医をしてる父親の勧めがあったからだと言う。
 全く、人の倫理とか正義とか慈悲とか友愛とか尊厳なんてものは、遺伝の影響が大きいんだなって。死体とDNAは嘘つかないから(笑)。何だか、読み終えた後、ホルマリン液で自らの腐った内蔵を洗浄された様な気になってしまった。



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