象が転んだ

たかがブロク、されどブロク

精霊流しと灯篭流し(更新)〜無駄と言われない為の伝統行事のあり方とは

2022年08月18日 18時34分38秒 | お題

 昔は、私の田舎でも”灯篭(とうろう)流し”が行われていた。というより、我が家ではそれっぽいものを行っていた。
 お祭りとしては定着してなく、小さな船を作り、供え物やろうそくや提灯を飾ったりして流していた。勿論、そうした風習のない所の方が多かった様な気もするから、私の家だけが変ってたのかもしれません。
 でなかったら、掘割は灯籠だらけになる。 

 死者の魂を弔い、灯籠やお盆の供え物を海や川に流す行事とされ、一般的にはお盆の行事送り火の一種であり、夏祭りや花火大会などと合同で行われる事が多い。
 因みに灯籠とは、灯(あかり)の点いた籠(かご)であり、灯が消えないよう木枠と紙などで囲いをしたものである(ウィキ)。

 ただ子供心にだが、こうした灯篭流しには確かに風情はあるが、堀割や河にそのまま流された(赤飯や饅頭や果物などの)供え物は誰が回収するのだろうかと、漠然に思っていた。
 そう、私は言葉を覚える前から遠近法が使えたし、疑う事を良しとする不思議な子供だったのである。
 神様や仏様が気を利かして食べたり回収してくれれば、何ら問題はないのだが、そのまま放流しっ放しなら、堀割や河は腐った残飯で覆いつくされる。
 故に、子供の私には、不思議とこうしたお盆の行事が汚らしく思えたもんだ。

 事実、広島や長岡の様に、戦死者の霊を弔う為に戦後に灯籠流しを始めた地域も多かったが、70年代に入ると海や川の汚染が問題になり、灯籠を流す事を中止する地域も現れた。1972年には琵琶湖で中止になり、翌73年には静岡市の巴川で中止となった。自治体が放流を禁じている例もあり、川の下流などで灯籠を回収し、河川敷や海岸に集め回収する事になる。が、費用の問題から回収せずにそのまま放流する例もある(ウィキ)。


爆竹か?精霊か?

 長崎市で15日に行われた”精霊流し”で、走行する路面電車の前に3人組が爆竹を鳴らしながら飛び出し、その危険な行為をカメラが捉えていた。
 長崎県の伝統行事である精霊流しは、毎年8月15日に行われる。街中には爆竹と鐘の音が鳴り響き、初盆を迎えた家が亡くなった方の御霊を船に乗せ、送り出す。
 しかし、今年は故人を弔う伝統行事にあるまじき“危険行為”が起きた。路面電車が急停止した為、衝突は免れたが、あわや大事故となりかねない危険行為である。
 3人組は、火のついた大量の爆竹が入った箱を頭の上に持ち、周囲にまき散らす様に走っていく。勿論、交通整理は行われてが、3人組はそのまま電車の前へと飛び出した(日テレNEWS)。

 数十年前は爆竹など無く鐘の音色が聞こえる心休まる精霊流しでしたとの声もあるが、爆竹自体は江戸時代から使われ、中国の唐通事(彩船流し)の風習から来てるとの声もある。
 しかし、爆竹を派手に鳴らせば、大衆の気分は高揚化し、こうした事件は起こりうる。事実、過去には派手にやりすぎて、怪我人や死者が出たケースもあるという。
 確かに、中国では爆竹は”魔除け”の意味を持つが、近年ではその意味は薄れ、”派手に鳴らせばいい”という傾向になりつつある。事実、中国でも危険な点火行為が問題視され、観覧者を直撃する事が多くあるという。

 そう考えると、爆竹は魔除けというより、周囲にとっては単に煩くて危険な行為に他ならない。
 いくら、長年続く伝統行事とはいえ、迷惑なだけの行為は法で明確に禁止すべきであり、精霊流しから”爆竹を取り除く”という荒業も必要であろう。
 私には、派手な爆竹の音が散弾の銃声音に聞こえ、とても嫌な気持ちになる。長崎の人たちはあの音を毎夏聞かされて、何も思わんのだろうか?
 事実、伊藤市長が狙撃され死去した時の精霊流しの際は、爆竹の音が銃声をイメージするとして自粛された。


踊るアホに暴れるアホ

 お祭りをド派手に大々的にやろうという気持ちは解らないではない。それに、日頃の鬱憤やストレスを発散させる為にも、大掛かりで大勢の群衆を集める(大衆による大衆の為の)イベントは必要かもしれない。

 因みに”精霊流し”とは、初盆を迎えた故人の家族らが、盆提灯や造花などで飾られた精霊船と呼ばれる船に故人の霊を乗せて、”流し場”と呼ばれる終着点まで運ぶ、長崎県内各地でお盆に行われる伝統行事である。
 毎年8月15日の夕刻から開催され、爆竹の破裂音・鉦の音・掛け声が交錯する喧騒の中で行われるが、精霊船は山車を連想させ、見物客が集まる祭りと誤解される事もある。しかし、あくまでも故人を追悼する仏教の行事である(ウィキ)。

 さだまさしの歌「精霊流し」でも全国的に有名になった長崎の伝統行事だが、ここまで派手に大げさになると、故人の霊も煩くて眠れぬ日々が続くのだろうか。 
 因みに(さだが聞いた話では)、1945年8月9日の長崎への原爆投下の際には、多くの人が被爆から僅か6日後に、”我らが死んだら誰が自分らの精霊船を出してくれるのだろうか”と気に懸けながら亡くなっていったという。 

 確かに、”亡き故人を天国に送る”というだけの風習ならば精霊船だけで、爆竹を鳴らし、ドンちゃん騒ぎをする必要もなかろう。
 が、大衆は(神様や仏様みたいに)よく出来てはいない。
 何かにつけ、呑んで食べて踊って、そして騒ぎたい。いや、暴れたいのだ
 大衆とは所詮そんな生き物である。
 それが日本古来の伝統行事である必要はどこにもなく、ハロウインでもバレンタインでもキリストでもスケベパブでも何でもいい。とにかく、暴れまくってヤりまくって憂さを晴らす事ができれば、それでいいのだ。
 大衆とは悲しいかな、そういう属性を持つ脊椎動物なのだろう。

 ”踊る阿呆に見る阿呆”と阿波踊りの歌にあるが、”同じ阿呆なら暴れにゃ損々”と続くのか。
 今回の事件も、同じ暴れるのならもっと過激にスリリングに、と思っての事だったのかもしれない。
 ただ(三人組を庇う筈もないが)、同じアホでも故人の霊を(天国へ)送るのに、わざわざ大掛かりな(20m~50mもの)精霊船を作るのも、同じ次元の〇〇とも思えるのだが。コンパクトな精霊船ではダメだったのだろうか?いや、仏さんのお経だけで十分じゃなかったのだろうか?
 それとも故人の霊が、ド派手な精霊船に乗せてほしいと懇願したんだろうか?いや派手に爆竹を鳴らし大騒ぎして、天国に召されたいと熱望したのだろうか?


最後に

 何気ないひっそりとした仏事も(バブルの影響からか)次第に大げさになりイベント化する。やがて、メディアが一斉に取り上げ、各地から群衆が大勢詰めかけ、季節の風物詩として(なくてはならない伝統行事として)いつの間にか定着する。
 長崎の精霊流しも(元々は)しめやかに行われてたかもしれない。いや、そうでないかもしれないが、観光収益という経済面で考えると、イベント化して規模を大きくした方が儲かる。
 何でもそうだが、大きくなりすぎると政治的要素が絡んでるみたいで、気持ちいいものではない。

 しかしこういう所にも、大衆の無邪気さや雑念や強欲が見え隠れする。
 独裁者を生み出すのも、独裁者にすがるのも、独裁者の言いなりになるのも、我ら大衆である。
 国家の主とはいえ、約立たずと判ったなら、その時点で切り捨てる判断(知恵)と勇気も時には必要である。

 同じ様に、伝統古来の風習や行事を生み出し、それらにすがり、支え続けるのも我ら大衆である。
 長年続く伝統行事とは言え、それが自分らに危険を及ぼし、害を与えるだけの存在と解ったなら、勇気を持って切り捨てる事も必要ではないだろうか。
 つまり、何かが起こった後では遅すぎるのだ。
 それでも、長崎の人たちは精霊船を作り続け、爆竹を鳴らし続け、大掛かりな喧騒の下で、延々と精霊流しを支え続けるのだろうか。

 私の亡き父は、”命と金銭は粗末にするな”と言っていた。
 少なくとも昨今の伝統行事は、金銭を粗末にするだけの自虐的なイベントの様に思えてならない。



6 コメント

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象が転んだ様へ。 (りくすけ)
2022-08-18 19:54:48
お邪魔します。

僕の住む町・石川県津幡町では
灯篭流しはありません。
お隣の金沢市では規模の大きな
灯篭流しがあり夏の風物詩になっています。
ここでは供え物の類はなく、
灯りの点いた舟を流すのみ。
全て川下で回収されるそうです。

さだまさしの歌のイメージがあり、
実際は爆竹を鳴らすような
五月蠅いものとは知りませんでした。
勉強になります。

そういえば長崎ではお盆の墓参りで
花火を打ち上げると聞いたことがあります。
所変われば何とやらですが、
お盆行事はつつましく静かにありたいものですね。

では、また。
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りくすけサン (象が転んだ)
2022-08-19 03:37:03
コメントありがとうです。

厳密に言うと
灯篭流しというより、それっぽいものですね。
お祭りとしては定着してなくて、我が家は小さな船を作り、供え物やろうそくや提灯を飾ったりして流してました。
勿論、そうした風習のない所の方が多かった様な気もしますから、私の家だけが変ってたのかもしれません。
でなかったら、掘割は灯籠だらけになりますもんね(笑)。

こうした何気ない仏事も(バブルの影響からか)次第に大げさになりイベント化すると、メディアが一斉に取り上げ、各地から群衆が詰めかけ、季節の風物詩として(なくてはならない伝統行事として)いつの間にか定着します。

長崎の精霊流しも元々はひっそりと行われてたかもですが、観光収益という経済面で考えると、イベント化して大げさにした方が儲かるんですかね。
何でもそうですが、大きくなりすぎると政治的要素が絡んでるみたいで、気持ちいいものではないですよね。
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観光収益 (腹打て)
2022-08-19 06:18:25
テ○屋とかそうした勢力も無視できないんじゃないのかな。
規模が大きくなれば、様々な人種が群がるし、危険な行為も当然起こりうる。
それに大衆の心理が働き、勢いに任せ、何でもアリになる。

周囲の住人たちは迷惑極まりないけれど、自治体や観光業界やサービス業からすれば、季節の風物詩という名の美味しいイベントでもあるし
こうした全国に無数に拡散する神事や仏事などの古来から伝わる伝統行事も政治的な圧力に押され、ドンドン派手になっていく。
こうなると、お祭りというより純然たる観光だもの。

商魂と大衆というのは、神様や仏様だけでなく何にでも群がるんだよな。 
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Unknown (そらママ)
2022-08-19 06:48:21
おはようございます、
こちらは灯篭流はありません、お盆には念仏踊りがあるのですが~それも隣の市です、
一晩中踊り、初盆の家々を廻り踊ったりしますが、ほんの数キロしか離れていない所でも踊りは全く違います、以前は見に出かけたこともありました、今はそのような元気はなくなりました、
灯篭流は風流があり中々いいものだと思っていましたがゴミ問題などあり維持するのは難しいでしょうね。
さだまさしの精霊流しの歌は好きでよく聴きました。
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腹打てサン (象が転んだ)
2022-08-19 08:33:11
全くですよね。

仏事から行事へ、やがてお祭りからイベントへ、そして、なくてはならない季節の風物詩から延々と語り継がれる伝統行事へ・・・
悲しいかな最後には、陳腐化した観光ビジネスへと成り下がる。
更に、問題や事件や不祥事が起きて、廃止となる。

でも、こうなると解ってて、お祭りを古来から続く伝統芸能と奉り、最後には群れを成し暴徒化する。結局は、群れて暴れたいだけなんですよ。
それでも、日本人は観光と化した悍しいお祭りを引き継いでいくんでしょうね。
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そらママさん (象が転んだ)
2022-08-19 08:43:50
場所によっても地域によっても
灯篭流しや盆祭りの形態は異なるんですよね。
柳川市も皆が皆やってる訳でもないんですが、お袋は必ず提灯みたいなのを流してました。提灯がなければ火をつけたローソクを立てて流してました。
ただ、何時かは沈む様に作ってるんでしょうね。

同じ祭りでもリオのカーニバルみたいなのなら、オヤジは喜び勇んで参加するんですが、日本で行われてるカーニバルは貧相で幼稚ですよね。

コメントありがとうです。
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