ネタとしては少し古くなるが、ヤクルトの村上宗隆選手(22)が史上最年少で日本人最多の56本塁打を放ち、更に三冠王まで獲得。 デッドリフト200kg、ベンチプレス110kgというパワーに加え、逆方向への長打と内角低めの克服により、昨年から今年にかけて大きく飛躍した。 僅か22歳で残した数字だけを見れば、王さんや大谷に匹敵する”アジアの本塁打王”である。 ”アジア . . . 本文を読む
4年前のこの時期に書いた記事ですが、更新して再校します。 当時は、”令和元年”の儀式やニュースが盛んに行われていた。平成が僅か30年と4ヶ月で終り、少し呆気ない感もなくはないし、”天皇退位”の儀式も空洞化してる様にも映った。 昭和天皇の時は、まだ皇族というものにある種の存在と”重み”があったが、今はその重みすらなくなり、今や . . . 本文を読む
大谷に始まり大谷で終わったような大会だったが、勝負にはパワーよりも緻密さ、理性(データ)よりも感性、そして必然よりも偶然(ツキ)の大切さを感じた大会にも思えた。
メキシコ戦で村上が決めた一撃は、“信念の野球”が輝いた瞬間だ。だからこそ魅力的で価値がある。”顕微鏡野球”と呼ばれるほど緻密な分析に長ける日本野球が”理性よりも感性&rdq . . . 本文を読む
予選の4試合も含め、5試合連続の圧勝とも言える横綱相撲での準決勝進出、おめでとうございます。 まずは、5大会連続準決勝進出という(野球の本場アメリカですら成し得なかった)WBC参加国史上初の快挙に敬意と賞賛を評したい。流石、”野球の国”のニッポンの底力である。 だが、少し気になる部分もあった。これは後で述べる事にする。 第5回ワールドベースボールクラシック(WBC)の開幕 . . . 本文を読む
日本がスペインに勝利した時、日本中は歓喜に塗れた。一方で、敗れたスペインは手厳しかった。 ”国家の恥晒しだ。相手はコスタリカ戦で1点も取れなかった相手だぞ!スペイン人である事が嫌になった” スペインのメディアは、日本がコスタリカに負けた時よりも遥かに痛烈だった。が(結果論だが)、ベスト16でモロッコに敗れたのを見れば、酷すぎると思われた誹謗や中傷は正解だったのだろう。 世 . . . 本文を読む
勝ったら勝ったで盛り上がり、負けたら負けたで再び盛り上がる。まるで、どこの国を応援してるのか分からなくなったが、コスタリカの必死の守りとサポーターの神妙な祈りを見てたら、内心”日本負けてくれ”っていうもう一人の自分がいた。 その一方で、このカタール大会はワールドカップとして体を成しているのか?という大きな疑問が湧く。 6500人という数字を聞いた時に真っ先に1964年の東 . . . 本文を読む
1993年の”ドーハの悲劇”から29年。 この期間が長かったのか?短かったのか?私にはよくはわからないが、同じカタールの地で悲劇は歓喜に変った。 元々野球小僧の私は、熱烈なサッカーファンでもない。故に、この衝動を等身大に受け止める事はできないかもしれないが、ドーハの悲劇はやがて古い過去になり、ドイツに勝利した歴史的快挙という新たな過去にすり替えられていくのだろう。 (八百 . . . 本文を読む
子供の頃は、あれほどまでに憧れていたMLB(メジャーリーグ・ベースボール)が今やとても詰まらなく平凡に思えてくる。 観客動員は年々減少し、ガラガラのスタンドも目立つ様になった。その上、ストライキ(労使交渉決裂)は実質2度も起こったし、2度目の今回の交渉は今も継続中で、実質な解決には至ってない。 ステロイドが蔓延した2000年前後の頃の方が、ずっと盛り上がってた様な気がする。 野茂がメジャーに挑戦 . . . 本文を読む
1954年、12歳だった少年が愛用の自転車を盗まれた事が全ての始まりだった。 怒りに燃えた少年はボクサーを志し、無敵のチャンピオンとなる。 本名はカシアス・マーセラス・クレイJr(と黒人の名前)だが、イングランドとアイルランドの血も引く。しかし、頂点に君臨したその翌日に”クレイは奴隷の名前だ。キリスト教は白人の宗教だ”として(イスラム教に回想し)モハメド・アリを名乗る様に . . . 本文を読む
誤解なく言っておきたいが、一部には”ギブソンの精神力ではメジャーに耐えられなかっただろう”との声もあるが、これは誤りであると断言出来る(多分)。 以下でも述べるが、高校生でズブの素人がジョー・ウィリアムスの豪速球を受けるという事がどれだけ危険で怖い事か?プロの捕手でも嫌がっただろう。 若くして妻を亡くし、その落ち込んでた時に好きになった女が薬の売人の妻だったという不運。故 . . . 本文を読む