象が転んだ

たかがブロク、されどブロク

アジアのホームラン王、李承燁(イ・スンヨプ)〜栄光と挫折、そして復活

2023年04月27日 13時59分30秒 | スポーツドキュメント

 ネタとしては少し古くなるが、ヤクルトの村上宗隆選手(22)が史上最年少で日本人最多の56本塁打を放ち、更に三冠王まで獲得。
 デッドリフト200kg、ベンチプレス110kgというパワーに加え、逆方向への長打と内角低めの克服により、昨年から今年にかけて大きく飛躍した。
 僅か22歳で残した数字だけを見れば、王さんや大谷に匹敵する”アジアの本塁打王”である。

 ”アジアのホームラン王”と言えば、日本では王さんでほぼ決まりだが、果たしてそんなに単純だろうか?
 ヤンキースで活躍した松井もいるし、純粋な長距離砲としてみれば、田淵幸一氏の名前が真っ先に挙がるだろう。
 というのも、王さんは阪神への入団がほぼ確実視されてて、(もしそのまま阪神に入団し)引っ張り専門の一本足打法では、海からの逆風が吹く広い甲子園球場でアーチを量産できたろうか?
 左打者では、バーズや掛布みたいに流し打ちが出来ないと、40本はおろか30本も、いや20本すらも無理だろう。もっと言えば、大谷や村上でも甲子園で40本打つのは無理っぽな気がする。
 つまり、王さんがそのまま阪神に入団してたら、田淵氏ほどの長距離砲に君臨する事はなかった(多分)。
 最初の数年間は甲子園のアイドルとして騒がれるかもだが、早い時期にユニフォームを脱いでたかもしれない。
 もし、巨人と相思相愛の関係だった田淵氏が巨人に入り、狭い旧後楽園球場で4番を打ち続けてたら、(800本は無理かもだが)700本近くは打ったであろうか。
 一方で阪神の王さんだったら、868本はおろか、その1/10以下の80本も打てただろうか?

 私が王さんを純粋な長距離砲としては認めたがらないのも、そういう所にある。
 つまり、”世界の王”の一本足打法は、両翼80Mの狭い後楽園だからこそ成し得た”アジアの偉業”でもある。
 故に、王さんを”世界の”と呼ぶならば、山本浩二氏や落合氏らも、世界に誇る日本を代表する打者と言えるだろうし、同じ意味で王さんも”アジアの”と呼ぶべきだろう。

 勿論、松井秀喜氏を”世界の”と呼ぶには無理があるし、”世界のイチロー”も安打製造機ではなく、”割り箸ヒッター”と暗に揶揄された。
 確かに王さんは、世界一バットを振った野球選手かもしれないが、それだけで”世界の王”と呼ぶには、やはり飛躍があり過ぎる。
 それに、日本一のバッターとしてみても、個人的には落合氏を一番手に挙げたい。「日本一のバッターは」も参考です。
 今では数多くの日本選手がメジャーに渡り、そこそこの数字を残し、国内外でも評価はされるが、昨今の凋落したMLBの質やレヴェル、冷え込んだままの観客動員や飛ぶボール、それに平行線のままの労使交渉などを目にすると、額面上の評価は出来ない。
 大谷だって、強豪揃いのアリーグ東地区だったら、NYとBOSに潰され、ルース以来の”二刀流”は成し得なかったかもしれないのだ。


”アジアの大砲”の咆哮と屈辱

 そこで今日は、アジアナンバー1の長距離砲である李承燁(イ・スンヨプ)をテーマに語ろうと思う。
 彼が放つ本塁打は、他の長距離砲とは一線を画した。芯で捉えたと思いきや、一気にスタンドイン。今の大谷に近い弾道だが、しなやかさと爽快さが違う。
 韓国野球のレヴェルは日本よりも落ちると言われるが、(トップレヴェルに限って言えば)日本と同等である。 

 李承燁(イ・スンヨプ)は、韓国プロ野球界では既に圧倒的な存在だった。
 初の本塁打王を獲得した1997年から7年連続30本を記録。99年には韓国記録となる54本塁打をマークし、数々の国際大会で韓国代表の中軸を担った。
 2000年のシドニー五輪(3位決定戦)では松坂大輔から決勝タイムリーを放ち、韓国初のメダル獲得に貢献。01年と02年も本塁打王を獲得すると、李にとって最高のシーズンが訪れる。
 以下、「夢のMLB挑戦を3度断念して・・・」より一部抜粋です。

 2003年6月、憧れの王貞治(27歳3ヶ月)、A・ロドリゲス(27歳8ヶ月)を抜き、26歳10ヶ月という世界最速での通算300号本塁打を達成。この年は開幕からハイペースで本塁打を量産し、127試合目に自身の韓国記録を更新し、王、ローズ、カブレラと並ぶアジアタイとなる55号を記録。
 国内では、残り6試合で新記録達成となるか?国家的英雄に注目が集まったが、そのプレッシャーからか”56号は難しいかもしれない”と弱気になっていた最終戦で、見事56号本塁打を達成した。
 韓国内では”アジアの大砲”と評価を上げたが、その一方で、球場の広さや当時の日韓の投手レベルの差など、一概に”同じ土壌に並べるのはいかがなものか”という意見も多かったようだ。
 しかし、王さんが756本の世界記録(本当はアジア記録)を達成した時は、こういった声は殆ど聞かれなかった。が、ずっと後になり、様々にイチャモンがついた。

  03年オフ、以前からの夢であったMLB移籍を目指し、李は”DHのあるアリーグに行きたい”と語り、”松井秀喜の成績を2年以内に越えてみせる”と豪語した。
 しかし、MLBが提示した条件は李の希望とは大きくかけ離れたものだった。
 年俸は僅かに100万ドル(約1億円)で、主力の保証はおろか、マイナー経由の案まで出された。挙句は、”ドジャースは李にマイナー契約を望んでいる”と米メディアに報道された。

 これ程までに評価が低かったのは、当時のMLBでは韓国野手の活躍の実例がなく、その”レベルは2A程度”とされていたからだ。
 事実、同年MLB行きを目指した松井稼頭央には(NYYを始め)9チームが獲得に乗り出し、600万ドル以上の争奪戦が繰り広げられた。この厚遇は、イチローや松井らの活躍が影響してたのは明らかである。

 
来日と苦悩〜メジャー断念

 ”2年間在籍すればメジャー行きをバックアップするという条件に惹かれた”
 翌04年の千葉マリーンズへの入団会見で、李はそう語った。
 しかし開幕すると、縦の変化球に適応できず、僅か1ヶ月で自身初の2軍落ちを経験。数ヶ月前のMLBとの交渉で受けた”マイナーを経由する”という言葉が彼の脳裏をよぎる。
 結局この年は、規定打席未達で.240、14本塁打、50打点と屈辱的な成績に終り、翌年は二軍スタートとなる。

 05年は、前年の倍以上となる30本塁打を記録し、チームのプレーオフ進出に貢献。日本シリーズでも3本塁打を放つなど随所で良い働きを見せ、チームを日本一に導く。
 オフには、2度目のMLB移籍を模索したが契約はできず。ロッテのバレンタイン監督の起用法に不満を持っていた李はロッテ残留はせず、獲得意思を示してた読売巨人と1年契約を結ぶ。
 2006年春には第1回WBCが開催され、王ジャパンに韓国の4番・李承燁が立ちはだかった。この2年間で身に付けた日本野球への対応力を生かし、日本戦で本塁打を放つなど、宿敵日本を圧倒。因みに、大会最多の5本塁打10打点でベスト9に選出された。

 巨人では、故障者続出の中で143試合に出場し、323、41本塁打、108打点、OPS1.003という来日最高の成績をマーク。巨人軍第70代4番としてその役割を十分に果たす。また、8月には韓国通算300号の時と同じく王、ロドリゲスに次ぐ史上3人目となる”20代での400号”を(日韓通算で)達成。
 弱点だった左腕からも打率.338をマークし、完全復調した李承燁は3度目のMLB移籍を模索する筈だったのだが・・・
 シーズンの最終盤に左膝を痛め、手術後のオフはリハビリに費やし、MLBからは誘いが掛からず、三度目も断念。
 すると、巨人は4年総額30億円の超大型契約を提示し、30歳になったばかりの李はメジャーを断念し、これを受け入れた。

 しかし、07年は日本通算100号本塁打を達成したものの、怪我の影響もあったが、.274 30本塁打74打点と、何とか”アジアの大砲”の意地を見せつけはした。
 

最悪の日々〜このままじゃ終われない

 ”最悪だったのは日本時代で、特に2008年から3年間。巨人では他の部分に対するストレスも多かった。
 巨人は最高のチームだが・・・これほど冷たい球団もない。誤解もあったが、小学生のように扱われる事が耐え難かったし、心に受けた傷は大きかった”

 これは李が現役を引退した後に、韓国の新聞社に語ったものだ。

 08年は、北京五輪が開催される為、シーズン開幕前からフル回転だった。
 3月の予選で、.478、2本塁打、12打点と韓国代表を牽引し、本戦出場に導く。が、巨人合流後は調整不足により大不振。
 復調しないまま北京五輪本戦に出場すると、当初の不振がウソの様に準決勝・決勝と本塁打を放ち、金メダル獲得に貢献。韓国国内からの支持は高まるばかりだ。
 五輪後の夏以降は、外国人枠の関係で起用法は定まらず、それでも首位阪神と3ゲーム差で迎えた9月の直接対決では2本塁打4打点と、”メークレジェンド完結”を手繰り寄せる活躍を見せた。
 しかし、日本シリーズでは12三振を喫し、戦犯扱いされ、日韓両国で評価の分かれるシーズンとなる。

 2009年、第2回WBC出場を辞退してまで体調を整えて臨んだシーズンだったが、開幕後は不振が続く。しかし、怪我もありながら77試合の出場での16本塁打は、アジアの大砲の最後の意地だった。
 因みに、”凄いホームラン打者が韓国にもいるもんだ”と私が驚いたのも、この時期の李承燁である。
 今に思うと、どん底で絶望の時期でもあれ程の打球を放てるんだなと感服する。
  契約最終年の2010年も調子は戻らず、自身最低の成績に終わり、ナベツネには”4年契約で大金払って、クソの役にも立たなかった”と痛烈に批判されてしまう。

 ”このままでは韓国に帰れない”
 自分で選んだ日本行き。日韓両国民を喜ばせてこその、アジアの真の大砲である。
 韓国の国民的打者としての意地とプライドがそこにはあった。
 11年、李はオリックスのユニフォームに袖を通し、DHのあるパリーグに移籍した事で身体の負担が軽減。4年ぶりに100試合以上に出場し、2年ぶり2桁の15本塁打をクリアし、随所で意地を見せた。
 その後は韓国球界へ復帰するが、35歳の李承燁は未だ燃え尽きず、その物語はまだまだ終わらない。


最後に〜疾風の如く

 2012年、9年ぶりに古巣サムスンに復帰すると、いきなり3割20本をクリア。韓国シリーズではMVPに輝く。
 翌13年は韓国通算本塁打記録を更新する352号をマーク。更に14年には、37歳で3割30本100打点をクリア。2015年は国内初の通算400号本塁打達成、16年には、通算打点でも韓国記録を更新し、韓国通算2000安打、日韓通算600号と記録ずくめのメモリアルイヤーとなった。
 結局、韓国に復帰した2012年から引退した17年までの6年間は、殆ど衰えをみせないままユニフォームを脱いだ。
 以上、長々と「NO+O」からでした。

 MLBの夢は叶わなかったが、日韓通算23年間の選手生活は、"世界の王"に匹敵するほどの偉業である。
 彼が凄いのは、30を過ぎてもパワーと飛距離が落ちなかった点にある。
 王さんも松井も、30過ぎた辺りからのパワーダウンは憐れにも思えた。それはイチローも然りであったし、今は飛ぶ鳥を落とす勢いの大谷だって、30を過ぎればどう劣化するかはわからない。
 しかし韓国の、この”アジアの大砲”はまるで青年のまま、23年間の野球人生を疾風の如く颯爽に駆け抜けていった印象が残る。
 一方、韓国内では順風満帆にも思えた彼の野球人生も、海を渡れば(口には言い表せない)数多くの苦悩や葛藤を味わった。
 しかし、それらは全て李承燁の老化と退化を防ぐ防波堤となった。

 彼が巨人時代、当時の日本プロ野球史上最高額の年俸7億円強に見合う選手だったかどうかはわからない。ただ、ナベツネに大金を見せられた時点で、骨抜きになった気もしないでもない。
 それ以来、メジャーの夢は泡と消え、苦難の人生と試練が待ち構えていた。
 もし、最初のMLB挑戦で(苦渋を舐め)マイナーから出発してたら、松井秀喜を凌ぐアジアNo.1のMLBスラッガーの誕生もあり得ただろう。更には、大谷の大きな目標になってたかもしれない。
 少なくとも、”世界の王”に代わり、”世界の李承燁”という呼び名が日本でも定着してたかもしれない。

 アシアの大砲から世界の大砲へと更に進化する、李承燁の咆哮を見たかったと思うのは私だけだろうか。



4 コメント

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韓国の巨人 (tomas)
2023-04-27 15:29:16
イスンヨブは
パワーではなくタイミングで本塁打を量産するタイプだから
歳をとっても目立った衰えがなかったんでしょう。

おっしゃるとおり
今がピークの大谷も30過ぎたら一気に下降線をたどるような気もしますが
それに今のメジャーだったら45本は打ってるでしょうか。松井で40本がやっとなくらいかな。

あの頃は読売もお金がタンマリあったんですよね。
いい時代でした。 
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tomasさん (象が転んだ)
2023-04-28 03:07:09
初めてイスンヨプを見た時
凄い選手が韓国にはいるもんだなって思いました。
天才に不運や悲劇は付きものですが
彼も例外じゃなかった。
でも、それら逆境を乗り越えて、アジアの本塁打王に君臨する辺りも天才的でしたね。
彼を見てると、ホームランってつくづくタイミングが重要なんだなって、思い知らされます。

コメント有り難うです。
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連続イニング無失点 (tomas)
2023-04-28 15:14:26
テーマがずれちゃいますが(ToT)

記録が途切れましたね。
無失点記録は35イニングで途切れたんですが
今の大谷はWBCもどこ吹く風で投打共に絶好調です。
転んだサンは今年の大谷が二刀流の限界だと見てるようですが
どうも今シーズンの与四死球の多さが気になりますよ。
今のままだと
30になる前にトーンダウンすることも考えられますかね。 
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tomasさん (象が転んだ)
2023-04-28 16:58:48
ナイスなコメント参考になります。
というのも、「されど大谷」がご無沙汰なので、何かテーマをと探してたんですが・・
tomasさんのコメントにヒントがありました。
お陰で、そこそこの記事が書けそうです。
という事で、記事の詳細はブログをお楽しみです。
では・・・
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