稚子塚古墳は、底部直径46.8m、高さ7.2mの県内最大の円墳。5世紀中頃のものと推定され、富山県内にある古墳では唯一で茸石が確認。だからこそ、杉谷6号墳でそれらしき物が発見されて、富山大学の教授が、
「やほー」
状態になったわけである。墳丘の周囲には今も周濠の形が残っている。なお、2月に二度撮影に行き、一度目は周辺の道路が整備中で車を止められず、改めて自転車で撮影に行ったのだが、冬季に撮影した写真は紛失し、改めて撮影しにいくはめに。
2月に撮影に行った折には、工事によって古墳につながる道に幅1メートルほどの溝が掘られていたが、現在はきちんと整備されている。
北西側から。古墳は、水田の真ん中に位置しており、周囲に遮る物も無いため、立山連峰を背景に見ることができる。
南側から。
北側から。
頂上へ登ること前提で整備されている。もっとも、季節にかかわらず、樹木が生い茂っているので墳頂からの眺望は良いわけではない。
墳頂部には、かつて樹齢300年になる杉が立っていたが、昭和48年に枯死した。現在、切り株が、ここに祭られている。
墳頂部で、切り株と共に祭られている蛭子神の祠。
古墳入り口から、まっすぐ西に延びる農道から。背景に見えるは立山連峰。
稚子塚古墳周囲には、周溝が残されている。
稚子塚古墳に向かう一つ手前の交差点から。
駅からは、割と遠いのだが、路線は側を走っているため、列車の中から姿を見ることができる。
より大きな地図で 稚子塚古墳 を表示
案内が特にある訳でもないが、位置的にはそうわかりにくい場所ではない。ただ、実際に古墳に向かう場合、車が進入できるのは南側からだけになる。西から古墳にまっすぐ向かう道は踏切が狭いし、北に延びる道は実は行き止まりになっている。南側に東西に走る道は、舗装されていない農道。
「やほー」
状態になったわけである。墳丘の周囲には今も周濠の形が残っている。なお、2月に二度撮影に行き、一度目は周辺の道路が整備中で車を止められず、改めて自転車で撮影に行ったのだが、冬季に撮影した写真は紛失し、改めて撮影しにいくはめに。
2月に撮影に行った折には、工事によって古墳につながる道に幅1メートルほどの溝が掘られていたが、現在はきちんと整備されている。
北西側から。古墳は、水田の真ん中に位置しており、周囲に遮る物も無いため、立山連峰を背景に見ることができる。
南側から。
北側から。
頂上へ登ること前提で整備されている。もっとも、季節にかかわらず、樹木が生い茂っているので墳頂からの眺望は良いわけではない。
墳頂部には、かつて樹齢300年になる杉が立っていたが、昭和48年に枯死した。現在、切り株が、ここに祭られている。
墳頂部で、切り株と共に祭られている蛭子神の祠。
古墳入り口から、まっすぐ西に延びる農道から。背景に見えるは立山連峰。
稚子塚古墳周囲には、周溝が残されている。
稚子塚古墳に向かう一つ手前の交差点から。
駅からは、割と遠いのだが、路線は側を走っているため、列車の中から姿を見ることができる。
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案内が特にある訳でもないが、位置的にはそうわかりにくい場所ではない。ただ、実際に古墳に向かう場合、車が進入できるのは南側からだけになる。西から古墳にまっすぐ向かう道は踏切が狭いし、北に延びる道は実は行き止まりになっている。南側に東西に走る道は、舗装されていない農道。
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