
今日は、午前中に三男「りゅう」をプールに連れて行きました。このブログでも何度か記事にしていますが、三男はプール好き。小さい時から水を怖がらず、頭からぶっかけると喜びます。平日の流水プールは空いていて、快適でした。ヘルパーさんに同行してもらいました。
段差はありましたが、車椅子でプールサイドまで行き、まずは小さい子用のスロープ付きのプールに自分で入らせました。
四つん這いで喜んで水に入っていきましたが、途中で動きが止まり「排便のポーズ」に!
見ていた私は「トイレ!トイレ!」と小声で叫びながらヘルパーさんと2人でトイレへ担ぎ込みました。
洋式便座がないので仕方なく和式のトイレで私が上半身を支え、ヘルパーさんが足を支えて用を足すようにしました。
りゅうは、排便のサイクルが長く、短くて4、5日間、長いと10日間ほど排便がありません。今日は16日以来でした。
スッキリした後は、浮き輪で流水プールをぐるぐると。
もう、うれしくて仕方ないようで満面の笑みでした。

プールの後は、いつもの介護事業所へヘルパーさんに送ってもらい、私は義父母宅へ車を走らせました。頼んでおいたお米を受け取りに行くためです。
道中、もう稲刈りが始まっている田がいくつもありました。
43kgの玄米を車に乗せて帰路につきました。
途中の「王将」で餃子2皿と天津飯を食べ、車に積んだ米を精米所で精米し、スーパーで買い物をして帰宅しました。
帰宅後はシャワーを浴び、奥の院に転がりこんで「蝉しぐれ」(NHKのTVドラマ)を2話観て、そのあと、夕食の準備。
今日は牛丼(他人丼)。
毎日午後4時半に2人のヘルパーさんが来てくれて食事と入浴の介助をしてくれます。
ヘルパーさんが帰られると私たちの夕食・入浴タイム。
・・・と、今日もドタバタはありながらも「我が家の平均的」な一日でした。
ジャナーリストの山本美香さんがなくなったというニュースには、少なからずショックを受けました。
いや、恥ずかしいことに、この事件まで彼女のことを知らなかったのですが、ニュースの中で伝えられる山本さんの「取材姿勢」というか「なぜ、危険な紛争地域に入って取材するのか」「何を取材しているのか」「その目的は、願いは何か」を聞くに従って、そのショックは大きくなっていきました。
彼女は確かこんなことを言っていました。(記憶を辿って書いていますので、間違いやニュアンスのズレがあるかも知れませんが・・・)
「戦闘を伝えるのではなく『戦争』を伝える。『戦争』に巻き込まれた人たちの様子を伝えることで、もしかしたら戦争の規模が小さくなったり、戦争が早く終わることにつながるかも知れない」・・・と。
だから、彼女は戦闘の様子以上に、巻き込まれた人たち、戦争状態の中にあって『日常』のくらしを続ける人たちを取材し続けていたのだろうと思います。
上につらつらと書き流した今日の私の一日が、稀有な幸せに満ちたものであり、どんなにか平和で笑いに包まれたものであるかを思い知ったことが、私なりに山本美香さんの命がけの取材から今日気付かされたことでしょうか。
段差はありましたが、車椅子でプールサイドまで行き、まずは小さい子用のスロープ付きのプールに自分で入らせました。
四つん這いで喜んで水に入っていきましたが、途中で動きが止まり「排便のポーズ」に!
見ていた私は「トイレ!トイレ!」と小声で叫びながらヘルパーさんと2人でトイレへ担ぎ込みました。
洋式便座がないので仕方なく和式のトイレで私が上半身を支え、ヘルパーさんが足を支えて用を足すようにしました。
りゅうは、排便のサイクルが長く、短くて4、5日間、長いと10日間ほど排便がありません。今日は16日以来でした。
スッキリした後は、浮き輪で流水プールをぐるぐると。
もう、うれしくて仕方ないようで満面の笑みでした。

プールの後は、いつもの介護事業所へヘルパーさんに送ってもらい、私は義父母宅へ車を走らせました。頼んでおいたお米を受け取りに行くためです。
道中、もう稲刈りが始まっている田がいくつもありました。
43kgの玄米を車に乗せて帰路につきました。
途中の「王将」で餃子2皿と天津飯を食べ、車に積んだ米を精米所で精米し、スーパーで買い物をして帰宅しました。
帰宅後はシャワーを浴び、奥の院に転がりこんで「蝉しぐれ」(NHKのTVドラマ)を2話観て、そのあと、夕食の準備。
今日は牛丼(他人丼)。
毎日午後4時半に2人のヘルパーさんが来てくれて食事と入浴の介助をしてくれます。
ヘルパーさんが帰られると私たちの夕食・入浴タイム。
・・・と、今日もドタバタはありながらも「我が家の平均的」な一日でした。
ジャナーリストの山本美香さんがなくなったというニュースには、少なからずショックを受けました。
いや、恥ずかしいことに、この事件まで彼女のことを知らなかったのですが、ニュースの中で伝えられる山本さんの「取材姿勢」というか「なぜ、危険な紛争地域に入って取材するのか」「何を取材しているのか」「その目的は、願いは何か」を聞くに従って、そのショックは大きくなっていきました。
彼女は確かこんなことを言っていました。(記憶を辿って書いていますので、間違いやニュアンスのズレがあるかも知れませんが・・・)
「戦闘を伝えるのではなく『戦争』を伝える。『戦争』に巻き込まれた人たちの様子を伝えることで、もしかしたら戦争の規模が小さくなったり、戦争が早く終わることにつながるかも知れない」・・・と。
だから、彼女は戦闘の様子以上に、巻き込まれた人たち、戦争状態の中にあって『日常』のくらしを続ける人たちを取材し続けていたのだろうと思います。
上につらつらと書き流した今日の私の一日が、稀有な幸せに満ちたものであり、どんなにか平和で笑いに包まれたものであるかを思い知ったことが、私なりに山本美香さんの命がけの取材から今日気付かされたことでしょうか。
コメントありがとうございます。
>それ以上を望んでしまう。
それは私も同じ。
やはり、物心共にゆとりがある中で、感じ方が育つという部分もあります。
歴史を見ても、戦争に明け暮れた時代よりも平和が続いた時代に芸術や文化が花開いているのは、そういうことなのでしょう。日々のくらしに追われているだけでは、ある部分の本当の豊かさに触れることも少なくなるのかも知れません。
まあ、あまり高望みしないで、「今、できること、今触れ合えるもの」を大事にしていきたいと思っています。